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38.ザガリルの後悔

夕日が沈み出した頃、ようやく古ぼけた孤児院へと到着をした。


ザガリル達と共に歩いて来たフォリオが、扉へと向かって走り出した。


「院長先生!英雄が来たよ!」


ドアを開けながら大声で叫んだフォリオは、中へと入って行く。

続いて入って行ったザガリルの前に、目を真っ赤にさせた九百歳を越しているであろう女性が駆け寄って来た。


「まあ!なんて事でしょう。このような場所に、ザガリル様がいらして下さるなんて」

「院長先生。少しだけで良いのです。私の部屋で、ザガリルとお話をさせて頂いてもよろしいですか?」

「勿論ですよ、ナディア様。・・良かった。本当に良かった」


院長は、ナディアの無事な姿にポロポロと涙を流した。

サーシャからナディアが男達に連れて行かれてしまったと聞いた彼女は、ずっとナディアの無事を神に祈り続けていた。

なんとか無事に戻って来て欲しい。

その願いは、ザガリルと共に帰って来ると言う、最高の帰還となった。

院長の泣き顔を見て、ナディアの瞳にも涙が浮かぶ。


「兎に角、話がしたい。部屋を借りるぞ、院長とやら」

「はい。あちらになります」


院長の指し示す方向に、ザガリルは歩き始めた。

少し歩いてピタリと足を止めると、後ろにいる者達に声を掛ける。


「アウレム、目障りだ。お前達は消えろ。ガフォリクス。お前はナディアの後だ。この場で待機していろ」

「「はっ!」」


ザガリルは後ろを振り向く事なく、ナディアの部屋へと歩いて行った。

ナディアの案内の元、奥の部屋まで歩いて行ったザガリルは、建てつけの悪そうなドアを開いた。


そこは、粗末なベッドが一つ置いてあるだけの質素な部屋だった。そのベッドを置いただけで、空きスペースが無くなるほど狭い部屋だ。


贅沢品で溢れかえっていたナディアの部屋とは大違いの質素かつ古ぼけた部屋だった。


ナディアは部屋の中を見て、思い出したと言わんばかりに目を見開いた。

狭すぎてザガリルと話をする場所がなかったのだ。

しかし、これから夕飯の時間になる為、話が出来そうな広めの部屋には子供達が集まっている筈だ。

他に話が出来る場所はないかと考えては見たが、直ぐには思い浮かばなかった。


「まあ良い。取り敢えず、ここでも話は出来る」


ザガリルは、ベッドの上にナディアを下ろすと、その横に腰を下ろした。

ザガリルの体温が失われて行く寂しさに、ナディアは両手で体を抱き締める。


「寒いのか?ナディー」


ザガリルは、自分の着ていた上着を脱いで、ナディアの肩にかけた。再び戻って来たザガリルの体温が、ナディアを包み込む。


「・・めん・・さい」

「ん?」

「ごめんなさい、ザガリル」


口元を震わせたナディアの瞳から、ポロポロと涙が流れていく。

その涙を、ザガリルが優しく指で掬う。


「何に対してのゴメンなんだ?」

「・・あの日の事。ザガリルを・・傷付けたわ」

「・・最初から無理があったんだ。四百五十歳以上の差があるからな。気にしなくていい」


自身が持つ、ナディアに対しての罪悪感から、ザガリルは彼女から視線を逸らした。


ザガリルとナディアが初めて会ったのは、ザガリルが五百歳、ナディアが五十歳の時だった。


放浪しながら適当に魔物を倒していたザガリルは、ある日アグディラーナ王国の国王に、久し振りに呼ばれて城に行く事になった。

その頃のザガリルには、マギルスや第一、第二の者達がもう既に行動を共にしており、その戦闘力の凄まじさに、国王がどうしても会いたいと言ってきたのだ。


何とかザガリルを手中に収めたかった国王は、特権階級をザガリル達に与え、国の為に動いて貰いたいと願った。

しかし、ザガリルは首を縦に振らない。

特権階級に興味はなく、倒したい時に倒したい相手と戦うだけで良いと突っぱねる。


もう話す事は何も無いと、出口の方に足を進めたザガリルに、一人の少女が駆け寄って来た。


それがナディアだ。


ナディアは、魔物達を一掃する強さを持つザガリルと言う国王の友人が来ていると聞き、その人物に会いに来たのだ。

ザガリルを怖がるそぶりもなく、キラキラとした曇りのない瞳で話し掛けられたザガリルは、弱り顔になる。


こんなにも純真無垢で綺麗なオーラをした者を見た事がなかったのだ。

突き放す事も出来ず、取り敢えず話に頷きを返していった。


「これからも、国やナディアを守ってくれるのでしょう?」

「・・ああ」


これが全ての始まりとなった。


二人を見て喜んだ国王は、ザガリルが断るのも聞かずに、ナディアをザガリルの婚約者にしてしまった。

拒否しようとしたが、ザガリルから離れないナディアが笑顔を見せる。


「ザガリルがナディアの婚約者なのね!嬉しい。これからはずっと一緒ね!」


こうして、断りきれなかったザガリルとナディアの婚約が成立してしまった。

年の差があり過ぎると国王に言ったのだが、ザガリルの魔力量から言っても、数千年超になるのは間違いない。だから問題はないと、押し切られてしまった。


なんとか破棄しようとしたが、国王から話を聞いたナディアが出てきて、涙目を見せる。

その姿に、ザガリルは何も言えなくなってしまったのだった。


小さい頃から他人との触れ合いは殆ど持たず、常に殺伐とした戦場で生きて来たザガリルにとって、目を逸らしたくなる程の純真さを見せるナディアは、未知なる生物の様に思えていた。

初めて遭遇したナディアと言う真っ白な存在は、いつしかザガリルの唯一の弱点となっていく。


ナディアに何故か逆らえないザガリルの心が、恋愛感情からではないと言う事は、国王も分かっていた。

しかし、初めて見せたザガリルの弱みとも言えるナディアの存在は使えると判断し、彼にゴリ押ししたのだ。


結果、国王の判断は間違っていなかった。

ナディアの存在のお陰で、ザガリルは自身の軍を立ち上げ、国を守り始めたからだ。


こんな風に始まった二人は、ナディアの適齢期が来ても結婚の話が纏まる事は無かった。

魔王を倒したらと、ザガリルが先延ばしにしたのが原因だった。


いつか、ナディアが自分で選んだ男が現れたら・・。と、心の何処かで身を引く覚悟をしていたのかもしれない。


遠い過去を思い出していたザガリルは、ナディアに視線を戻した。


「あの男はどうした」

「あの日に、居なくなってしまったわ・・」

「そうか・・。見つけ次第、殺しておく」

「そんなの駄目よ・・。それに・・もう彼の事はどうだって良いの。あの時は、私が馬鹿だったの・・。彼や周りの言葉を疑いもせずに、全部間に受けて・・。私は、ザガリルを信じ切れずに疑ったの・・」


ナディアは俯くと、膝の上で両手をギュッと固く握り締めた。


「ザガリル軍は遠征の間、様々な街に足を延ばしているって。そこでは、ザガリル軍に群がる女性達と、毎晩一緒に過ごしているって・・。ザガリルがなかなか帰ってこないのは、その所為だって聞いていたの」

「いや。確かに、群がって来る女はいたし、街に足を延ばす事はあったが、それは・・」

「知ってる!街で暮らすようになってから、街での噂を聞いたわ。ザガリル軍は、戦闘だけに生きている戦闘狂の軍だって。ガフォリクスにも言われたの。魔王の住んでいる場所に行くまでには、どうしても数ヶ月かかるんだって・・。でも、城の中で生きていた私には、そんな事分からなかった・・」


いつの頃だったか覚えていない。

たまたま城内を歩いていて、誰かが話しているのを、コッソリと聞いた。


「ザガリル様は、最近全然戻って来ないな」

「まあ、あれだけの美女達に囲まれていては、帰って来る気にもならないだろう。ここには、形だけの婚約者もいる事だしな」

「それもそうだな。毎晩、美女をはべらせてお楽しみだそうだ。なんとも羨ましい限りだな」


それを聞いた時、天と地がひっくり返ったのでは無いかと思えるくらい愕然とした。

自分だけのザガリルだと思っていたのに、そうではなかったのだ。


(裏切られた・・)


その思いが、ナディアを支配して苦しめた。

小さい頃から、ずっとザガリルだけを見て、ずっと疑いもせずに生きて来た。


仕事をしているから、側に居てくれないのだと。

仕事をしているから、まだ結婚出来ないのだと。


ナディアの為にお仕事を頑張って終わらせて、いつかずっと側にいてくれる様になる。

そう信じていたのに・・。


だけど、そうでは無かったのだ。

自分だけが知らなかった。

自分だけが知らされなかった。


城の中に居る人達は、みんなザガリルの味方だ。国の英雄をみんなが大切にするのは当たり前なのだから。


(私にだって、私を大切にしてくれる人がいる。私にだって、私の味方をしてくれる人がいるんだから!)


今思えば、ザガリルの守護下で生きる我が儘姫への嫌がらせだったのだと分かるが、当時はそれに気が付けなかった。


自分の側にやってきて、甘い言葉をかけてくれる人達。

彼らの目的が、当時力を持っていた公爵家の令嬢とザガリルを結婚させる為に、自分を排除しようとしているのだとは気がつかないまま、同じように甘やかされて育ったガフォリクスの息子と共に唆され、彼らの掌で踊らされてしまった。


それに気が付いたのは、全てを失ってから。

ザガリルが姿を消してからだった。


取り返しのつかない事をしてしまった。

何故、あんなにも自分を大切にしてくれていたザガリルを信じなかったのか。

何故、ザガリル本人に不満をぶつけなかったのか。


いくら後悔しても、全てが遅すぎたのだ。


目の前にいる真っ赤な赤髪と、黒に近い紫色の瞳が、ボヤけて見えなくなっていく。


「ごめんなさい。最後までザガリルを信じなくて、ごめんなさい」

「ナディ・・」


ザガリルの手が、ナディアを彼の胸の中に導いた。


「ごめんなさい、ザガリル。ごめんなさい」


ワァーッと大声で泣き出したナディアを、ザガリルは抱き締める。

全てを吐き出すように大きな泣き声を上げるナディアを、ザガリルは無言のまま、ずっと抱き締め続けた。



少し離れた部屋では、ガフォリクスと一緒にナディアを心配していたフォリオが、その泣き声を聞いてガタンと席を立った。

慌ててナディアの部屋へと行こうとするフォリオを、ガフォリクスの腕が止める。


「だって、姉ちゃんが泣いてる。アイツに意地悪されてるのかもしれないじゃないか!」

「あれは違う。あれは、六百年ぶりに泣き虫姫が帰って来ただけだ。ずっと我慢してきたんだ。目一杯泣かせてやれ」

「・・うん」


フォリオは心配そうな顔を向けながらも、椅子に戻って席に着いた。

ガフォリクスは小さく笑みをこぼしながら、久しぶりに聞いた泣き虫姫の泣き声に耳を傾け続けた。



一時間程が経過し、ヒックヒックとしゃくり上げ続けるナディアに、ザガリルの手が優しく頭を撫でた。


「ザガリル・・」

「ん?」

「ちゃんと私の事・・怒って・・」

「・・ああ。分かった」

「ごめんなさい。許して、ザガリル」

「ああ。分かった」

「駄目よ・・。ザガリルは、私を許さないで。もっと怒っていいの」

「・・分かった」


膝の上に座らせたナディアは、よく分からない事を言う。しかし、ザガリルの返答は、昔と何も変わらない。


「私を許さないでね、ザガリル」

「・・分かった」

「ごめんなさい、ザガリル。怒らないで」

「分かった」

「駄目!許さないで」

「・・分かった」


ナディアが泣き疲れて眠るまで、ずっとこの会話が続いて行く。

ウツラウツラとしたナディアが、消え去りそうな声でザガリルに告げた。


「もう・・何処にも・・行かないで・・。ナディアを・・嫌いに・・なら・・い・・で」

「ああ。分かった」


スゥッと寝息をたてて眠りに就いたナディアに、ザガリルは視線を落とした。

真っ赤に腫れた目の周りが痛々しい。

ザガリルはそっと回復魔法をかける。


「おやすみ、ナディー」


ナディアの額に、そっと口付けを落とす。

ザガリルは、静かにナディアをベッドに寝かせ、ロウソクの炎を消し去った。

静けさを取り戻した部屋の中を、外の月が優しい光で照らす。


ナディアの寝顔を見つめながら、夜は更けて行った。



真っ暗な部屋の中、ガフォリクスは静かに椅子に座っていた。

目の前に灯る一本のロウソクの炎が揺れる。


廊下を歩いて来る一人の男の気配を感じ取ると、慌てて席を立って頭を下げた。


ドアから入って来たザガリルからは、抑え切れない怒気が感じ取れた。

この世で最強を誇る男から発せられる怒気の乗ったオーラに、ガフォリクスの体が自然と震えを起こす。

逃れようのない恐怖から、ゴクリと唾を飲み込んだ。


対面の席へと腰を下ろしたザガリルは、フウッと吐息を零した。

そして、ガフォリクスに告げる。


「顔を上げる許可を出す。席につけ」

「ハッ!」


ガフォリクスは、顔を上げ席に着いた。

ロウソクの炎を見つめるザガリルの紫色の瞳の奥に、どす黒い炎が見える気がする。

ガフォリクスは死を覚悟した。


「大体の事は分かった・・。俺が城にいない間に、ナディアにゴミ共が近付いた様だな」


ザガリルはナディアからちゃんとした説明を求める事はしなかった。

ナディアにとって辛すぎる過去は、ザガリルが側にいるという事で、聞くまでもなく脳内を駆け巡っていた。二人っきりのあの部屋で、薄っすらと出したザガリルの漆黒のオーラが、ナディアの心の悲鳴をザガリルに伝え続けていた。


ナディアの側にいる者には、細心の注意がされていた筈であった。

それを突破し、国王にバレない様にナディアに男を近付ける事が出来たのは、公爵の力が働いていたからであろう。


「それで?お前はこの責任をどう取る」

「息子の首と私の命を差し出します」

「息子?あの騎士団のガキの事か?」

「いいえ。妻との間に一人息子が・・。ナディア様に近付いた愚か者に御座います」

「・・あれはお前の息子だったのか」


もうあまり覚えてはいないが、相手の男は優男な感じだったと思う。屈強な身体をしたガフォリクスの息子とは思えない貧弱さだった。ナディアを置いて真っ先に逃げ出した所から言っても、とても信じられない。


「お前を処分する事は容易い。しかし、ナディアの心の負担を考えれば、貴様程度を生かしておいても問題はない」


生かしておけば使い道はある。

ザガリルの言葉は、そう言っているようにも聞こえる。

それでも、ガフォリクスは感謝から頭を下げる。


「私の全てをかけましても、必ずやナディア様を御守り致します」

「良い心掛けだ。さて、お前の事だ。俺の望む物は持っているのであろう?」

「はい。こちらになります」


ガフォリクスは、懐から少し黄ばみのある古い紙の束を出して机の上に置いた。

六百六十六年の間、ずっと調べて来た、今回の騒動の黒幕達である。


「一人も逃さぬ様、時間をかけてじっくりと調べさせて頂きました」

「・・分かった。俺は少し出掛ける。この孤児院全体に結界を張っては行くが、お前の全てをかけてナディアを守っていろ。ネズミ一匹、ナディアに近付けるな」

「承知致しました」


ザガリルは机の上に置かれた紙の束を掴むと、部屋の外へと出て行った。

頭を下げ続けたままそれを見送ったガフォリクスは、孤児院全体に結界が張られた事を確認すると、その頭を上げた。

膝から上げた手は、未だ小刻みに震えている。


「何度浴びても、やはりあのオーラの恐怖にだけは勝てないな・・」


何とか体を動かして立ち上がったガフォリクスは、ナディアの眠る部屋の前まで行き、その扉の前にドカッと座り込んだ。腰から鞘ごと抜いた剣を両手で持ち、ナディアの護衛の任についた。



孤児院から出たザガリルは魔力を高め、星の瞬く夜空へと向かって飛ばした。


「全軍隊員に告ぐ。大至急、会合の間に集合せよ。タナウス、ネルダル両名は、任務の継続を命じる」


スッと魔力を収めたザガリルは、今度は孤児院の建物に結界を張る。

結界がしっかりと張られた事を確認したザガリルは、ナディアの眠る部屋へとその視線を移した。

頭に浮かぶ物は、ナディアの涙だ。


全ては、自分さえ側にいれば防げた物だった。

ナディアの側にいれば、馬鹿どもがナディアに近付く事はなかったし、転生さえしなければ、こんな事にはならなかった。


自分の事だけを考えて生きてきていたあの時のザガリルにとって、これを予測するのは不可能だった。


ナディアには家族がいる。

ナディアを大切にする城の者達がいる。

そして、ナディアの側には愛する者がいる。


だから自分がいなくなってもナディアは平気だと、単純に考えてしまっていた。


日本人に転生した今なら分かる。

ナディアの生活には、様々な背景があり、それは自分という存在がいなければ成り立たなかったのだと言う事を・・。


今、恋愛感情があったのかと問われたら、それ以上の気持ちを持っていたと間違いなく答えるだろう。

自分以外に大切な物など見出せなかったこの世界で、唯一、ザガリルが気に掛けた存在。

唯一、大切にしたいと思った存在だ。

愛だの恋だのと言う感情なんかよりも、強くて深い気持ち。


ナディアが笑って生きている事こそ、ザガリルにとって、この世界の全てであったのだ。


六百六十六年と言う歳月が流れた事に、今までなんとも思わなかった。

しかし、ナディアの心を覗いた今、それは後悔となる。


言い様のない激しい後悔と怒りをその目に宿したまま、ザガリルは漆黒の夜空に飛び立って行った。


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