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26.シルフィナの悩み

立入禁止となっているリオール家領土にある魔導馬車停留所に、小さなトランクを持った一人の少女が降り立った。


薄緑色の長い髪をした大きな体の少女は、フウッと吐息を吐く。ベージュのワンピースに白色のツバの大きな帽子を被った少女は、リオール家に向かって歩き出した。


すかさず、グルグルと見回りをしていた軍隊員が近付く。

男は軍隊の腕章を見せてから声を掛けた。


「この地に何用だ」

「わたくしは、ザガリル軍第三小隊に所属しておりますルベレントの娘、シルフィナと申します。今日は、お友達のアシュアさんに会いに参りました」

「ルベレントの娘?」


軍隊員マフィダムは、薄茶色の髪を掻き分け不思議そうに首を傾げる。


彼は第三小隊の者である。

第三小隊ではルベレントをルーベンと呼ぶ事はない。

元々貴族であったルベレントの地位が自分達よりも高かった事が影響している。


彼はルベレントとは親しく共に戦ってきた仲間ではあるが、プライベートまで干渉するつもりはなく、娘がいる事は知っていたが、その顔までは認識していなかった。

それに、ルベレントから娘がこの土地に来るという連絡も入っていない。

とは言え、ルベレントと同じ髪色や父親と似た魔力の波動から、この場で直ぐに帰らせる事はしなかった。


「リオール家に行くのなら同行する。もし確認が取れなかった場合は拘束する。分かっているな」

「はい。それで構いません」


シルフィナの返答に納得したマフィダムは、彼女と一緒にリオール家を目指した。

玄関の魔導チャイムを鳴らすと、顔を出したのはネルダルであった。


「お疲れ様です、ネルダル様。こちらの少女なのですが、ルベレントの娘らしく、アシュア殿にお会いしに来たと言っております」

「ん?ああ、確かにルーベンの娘だな。今日、お前が来る事は聞いてはいないが?」

「アポイントを取らずに訪問させて頂きました。大変申し訳御座いません。少しでも構いません。アシュアさんとお話をさせては頂けませんでしょうか」

「アシュア嬢なら、今は出掛けているぞ?」

「あっ・・」


アシュアが出掛けている事を考えていなかったシルフィナは、力無く俯いてしまう。

今日という日に、シルフィナがここへと来た理由は、今日から学校が二ヶ月の長期休暇に入る為である。

なんとかアシュアに会いたい。

諦めきれないシルフィナは、顔を上げる。


「アシュアさんがお帰りになるまで、待たせて頂く事は可能でしょうか」

「うーん。ちょっと待ってろ」


ネルダルは家の中へと入って行き、暫くすると慌てた顔をしたエミリアと共に姿を現した。


「娘、こちらはリオール夫人だ」

「シルフィナ様、こんな遠くまでようこそおいで下さいました」

「お約束の無いままの突然の訪問。大変申し訳ございません、リオール夫人」

「いいえ。普段から娘と仲良くして下さっているとお聞きしております。わたくしも一度お会いしてお礼を申し上げたかったのです。アシュアは兄弟達と一緒にお買い物に行っておりますが、直ぐ戻りますので、宜しければ中へどうぞ」

「ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます」


客間へと案内されたシルフィナは、エミリアの対面にあるソファーに腰を掛けた。

とても美しい微笑みを向け、話し掛けて来てくれるエミリアに返答しながら、その姿にコッソリと見惚れていた。


(綺麗・・。こんな美しい方がいるだなんて)


エミリアの美しさを讃える噂は、シルフィナでも知る程である。

一度は父であるルベレントの妻候補にもその名が上がった事があると聞いた事があった。


独身の頃は、貴族達からの結婚の申し入れが後を絶たず、リオール男爵と結婚してからも、その勢いは治まる気配がなかった程らしい。


ご実家も伯爵家であるのだから、これだけの美しさを持っていたのなら、もっと裕福な方の家に嫁ぐ事は容易い事であった筈だ。

しかし、この美しい方が選んだのは、リオール男爵。ご実家に勘当されても、その思いを貫いたエミリアに憧れを抱く。


「あっ、あの、リオール夫人。無粋な質問ではございますが、リオール夫人は何故周囲の反対を押し切ってまで、リオール男爵とご結婚をなさったのですか?」


他愛の無い会話から急に切り出された質問に、エミリアは少し驚いたが、直ぐに表情を戻す。


「あの方をお慕いしていたからです。あの方以外の方に、私は嫁ぎたく無かった。わがままなのかもしれませんね」


フフッと笑ったエミリアは、急に尋ねて来たシルフィナが、どうやら悩んでいると言う事。そしてそれは恋愛関係の悩みである事に気が付いた。


「リオール男爵との御関係は、幼き頃からですか?」

「いいえ。主人に出会ったのは、私が二百七十一歳の時、街に買い物に出た帰り道でした。乗っていた馬車が襲われ、私は男達に連れ去らわれたのです。その時助けて下さったのが、主人のファスターだったのです」


昔を思い出したエミリアは、手元に視線を移す。

あの時、偶然通り掛かったファスターが助けてくれなかったら、自分はどうなっていただろうか。

今思い出しても、ゾッとしてしまう。


「そうだったのですか。とても恐ろしい体験をなさったのですね。思い出させるような事を言ってしまい、大変申し訳ございません」

「いいえ、大丈夫です。あの人が側にいる限り、私に怖いものはありません」


エミリアは、とても美しい表情で笑顔を見せた。

愛する者と共に生きている。

そんな女の強さを感じさせる笑顔であった。


ちなみに、この世界の者達の結婚適齢期は、三百歳を過ぎてからである。百歳から成人、二百歳のうちは親元で仕事や役割などを覚える。

それが終わった三百歳を過ぎた辺りから、一生涯を共にするパートナーを探すのだ。

長き生を持っている為、結婚を急ぐ事なく、割とのんびりとしているのが特徴である。



和やかな空気の室内に、ドアをノックした音が響く。エミリアが返事を返すと、入って来たのはアシュアだった。


「シルフィナさん!良かった。ずっと学校をお休みされていたので心配していたのです」

「連絡も出来ずにごめんなさい、アシュアさん」

「いいえ!会いに来て下さって嬉しいです」


笑顔を見せたアシュアの後ろから、ロイドとマイロ、そしてルシエルが姿を現した。

シルフィナの姿を見たルシエルは、思わず心の声を口にした。


「あっ、デップリ天女だ」


ロイドが慌ててルシエルの口を塞いだが、その声はしっかりとシルフィナに届いていた。

優しい姉の顔が、瞬時に般若の様になる。


「ルーシェ!シルフィナさんに失礼でしょ。謝りなさい!」


普段ルシエルに甘い姉とは思えないほどの剣幕に、ルシエルは慌てて弁解をする。


「ごめんなさい。だって、ザガリルがそう呼んでいたから・・」

「ザガリル様が?」


ルシエルとザガリルだったら、姉の怒りの対象はザガリルの方が良い。

そう思っての咄嗟の判断だった。

アシュアはまさか、と言う表情をする。

でも、ルシエルが嘘を付いているようには見えない。口を開こうとしたアシュアの後ろから、シルフィナがルシエルに声を掛ける。


「あの、ルシエルさん。それは本当ですか?ザガリル様が、そうおっしゃっていらっしゃったのですか?」

「・・はい。ルベレント伯爵のお家にいる時に・・」

「そ、そうですか。ザガリル様が・・」


シルフィナをまた傷付けてしまったのかと、ルシエルは表情を探る。しかしその顔は、あの時のような泣き出しそうな顔では無かった。

その事に、ホッと胸を撫で下ろす。


「あの、私達はこれで下がらせて頂きます。どうぞ、ごゆっくり」


ペコリと頭を下げたロイドは、そそくさと弟達を連れ立って部屋から出て行った。

そのまま家族用のリビングに入ると、ルシエルを見る。


「女性を傷付けるような事を言ったら駄目だよ、ルーシェ」

「うん・・。ごめんなさい」

「兄さん。あの人って、あの劇の天女役だった人だよね?何しに来たんだろう」

「さあ・・。アシュアの友達らしいから、遊びに来たんじゃ無いのか?」


まあ、学校の長期休暇に入ったのだから、それも不思議では無いかと納得し合う。


「さっきのルーシェの・・デップリ天女って、もしかしてあの劇からなのかな」

「た、多分・・」


互いの顔を見合っていたロイドとマイロの顔が歪む。そして小さく肩を震わせていた。


「・・ザガリル様の、お言葉だからね」

「ああ。そうだな」


我慢出来なくなった二人は笑い出した。

あまりにも的確過ぎるあだ名に、笑いは止まらなくなる。さっきも噴き出しそうなのを、必死に我慢したのだ。


「あぁー。キツかった。早めに退席してきて良かったよ」

「本当だよね。それより、あの人の名前なんだっけ?呼び名のインパクトが強過ぎて、忘れちゃったよ」

「えっと・・なんだっけ?」


首を傾げ合う二人に、ルシエルが教えてあげる。


「ルベレント伯爵のお嬢さんで、シルフィナさんだよ」

「「えっ!」」


二人の顔から血の気が引いていく。

あんなによくして下さっているルベレント伯爵のお嬢さんに対して、なんと言う失礼をしてしまったのか。ロイドは表情を固くすると、ルシエルを見た。


「ルーシェ!もう二度とあんな事言ったらダメだからね。マイロ、お前も気をつけるように!」


姉に続いて兄にまで怒られたルシエルは、眉を下げる。シュンと反省しては見せたが、徐々に怒りが込み上げて来た。


(あの馬鹿が、この家に娘なんて来させるからだ!)


その怒りは全てルベレントに向かうのであった。



◇◆◇◆◇



客間では、エミリアとアシュアがシルフィナに頭を下げていた。


「本当にごめんなさい。シルフィナさん」

「いいえ、アシュアさん。本当にもうお気になさらないで。それに、ザガリル様が私をそう呼ぶのは仕方がない事なので」


シルフィナは眉を下げ小さく微笑んだ。

自分の体が、大き過ぎる事は分かっている。

そう言われても仕方がないのだ。


「そんな・・。いくらザガリル様でも、女性に対して失礼だわ」


アシュアはキュッと唇を噛み締めた。

シルフィナは、大切なお友達である。

そんな友達に変なあだ名をつけるなんて、それが例え伝説の英雄とは言え許せなかった。

怒りの炎を燃やすアシュアの横で、シルフィナが先程から持つ不安をポツリと零した。


「ただ・・。ザガリル様が私の事をそう呼んだと言う事は、あの劇を御覧になられたからなのでは無いかと、少し心配です」


シルフィナは、震える手でギュッとスカートを握り締めた。


あの劇は、ザガリルの過去が題材となっていると言う事は、みんなが知っている。

あの劇を観て、ご不興を買ってしまったのでは無いか。誰だって自分の過去をあの様に使われれば良い気持ちはしない筈だ。

あの方に嫌われてしまったのかもしれない。

落ち込みを見せるシルフィナを見ていたエミリアが、ふと気が付く。


「もしかして、シルフィナ様は・・」


シルフィナはハッと顔を上げると、その顔を真っ赤なリンゴの様に赤らめた。

先程、エミリアに散々恋愛の事を聞いていたばかりなのだ。他人の考えている事などを、話や表情、仕草から読み取る事を得意とする貴族の女性には、シルフィナの気持ちなど透けて見えてしまうのであろう。


「まあ!そうだったのですね」

「あの・・。私の様な者が、この様な思いを抱くのは、厚かましい事だとは分かっているのです。ただ、少しでもあの方のお目に映れる様になりたいと・・」

「厚かましいなんて事はありませんよ。人を愛すると言う気持ちは、何よりも素敵な事だと思います」


エミリアは、穏やかな笑みを浮かべた。そのエミリアの笑顔に、強張っていた心が解きほぐされる。


お前なんかでは無理だと罵られてもおかしく無いのに、リオール夫人からは蔑みの心が見えない。

本当にそう思ってくれているという事に、シルフィナは安堵し、ここに来て良かったと思った。


一人話についていけないアシュアは、不思議そうな顔をしていた。

ザガリル様があの劇を見たかもしれないという話から、何故恋愛の話に飛んだのか。

意味が分からず、首を傾げるしか無いのだ。

それを見たエミリアが少しため息混じりに告げる。


「アシュア。貴女はもう少し、貴族としての教養を身につけなければなりませんね」


幼き頃より、元気いっぱい男勝りの性格をしたアシュアに、それなりの教育はして来たつもりである。

しかし、貴族の娘としてのスキルがあまりにも無さすぎる。前にマイロが心配していた気持ちが、今になって分かった気がする。


「だって、お母様。演劇の話から、急に恋愛の話になるのですもの。私には何故なのか分かりません」

「今日この家にシルフィナ様がいらっしゃったのは、ご相談があったからなのですよ。ただ、この通りですので、アシュアではあまりお役には立てないかもしれませんね」

「いいえ!そんな事は御座いません。あの、リオール夫人。差し出がましいお願いではございますが、数日間私をこの家に置いては貰えませんでしょうか」

「シルフィナさんが、この家に泊まるの?私、嬉しいわ!お母様、私からもお願いします」


二人に見つめられたエミリアは、シルフィナを見る。


「我が家は構いませんが、ご実家の方の許可はおとりになっておられるのですか?」


シルフィナが自分の家の馬車で来ていない事に、エミリアは気が付いていた。

ルベレント伯爵の地位から考えて、それはとても不自然である。


「家の方は大丈夫です。是非お願い致します」


ぺこりと頭を下げたシルフィナの表情をエミリアはキッチリと読み取っていた。

許可は取っていないのだ。


しかしアシュアから、もう二ヶ月以上もシルフィナが学校に来ていないと聞いていた。

そしてこの家に来たシルフィナは、仮面を被ってはいるが、恐らくとても悩んでいる。

このまま家に帰したとしても、今度は他の家に行くだけなのでは無いだろうか。


六十才位からは、思春期と呼ばれる難しい時期に突入するものである。このまま帰すのはあまり良くない結果になりそうだ。


フウッと吐息を落としたエミリアは、了承の頷きを返した。


「分かりました。それならば、ごゆっくりお泊り下さい」


エミリアが、気が付いているのに見逃してくれた事にシルフィナは気が付いていた。

駄目だと追い返そうとしないエミリアに感謝をする。


「絶対にご迷惑をお掛けするような事は致しません。よろしくお願い致します」

「ええ。ですが、主人が帰って来ましたら、伯爵へとご連絡を入れさせて頂きます。よろしいですね」

「はい」


やっぱり連絡されてしまうのかと、シルフィナはガッカリと肩を落とす。

しかし、最低でも今日一晩だけは泊まれるのだ。

このチャンスに、きちんと情報を収集しなくてはと、意気込みを見せた。


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