当て猫娘の調査
離宮で一晩ぐっすり眠ったオリビアは、明るくなってから庭に出た。
しっかり黒色のコートを着込んだオリビアは、花壇の前でぐっと腕を上げて伸びをする。
「ちょっと寒いけど、太陽の光さえあれば我慢できそうだわ。それにしても、広い上に、手入れが行き届いているわね」
「そうですわね。庭師を何人か雇い入れているのでしょうね」
花壇には花が咲き、木々は綺麗にカットされている。
オリビアが滞在した離宮も明るい時間に見ると、とてつもなく美しい外装だと気が付かされた。色違いのレンガを使って壁は模様を作るかのように建てられ、屋根は濃い青色をしている。そこにはまる窓ガラスは、ステンドグラスらしく、色がついていた。
大きさこそ本殿である、光宮殿に比べると小さいが、オリビアの住む実家よりも立派ではないだろうかと思ってしまうものだった。
「他の離宮も見に行きますか?」
「移る気はないけれど、見るだけでも楽しそうね」
そんな事を話しながら、オリビアは光宮殿に向かう。
足元は石畳みが敷かれ歩きやすく舗装されている。この屋敷へ向かうまでの道は舗装されていない所も多かったので、それだけ財力がある証拠だ。
「でもまずは朝ごはんを食べないとね。昨日のうちにアーリャが朝ごはんを食べる時間を伺っておけば良かったわ。もう食べ終わっているとかないわよね? 後は仕事の時間も聞かないと」
「お仕事をされている時間はどうされます? 屋敷の探検でもされます? それとも、外を散策されます? この国は我が国と同じで芸術に力を入れているそうですよ。特にオペラやバレエ、音楽は見ものだと聞きます」
「それは楽しそうね。でも今日の所はアーリャの仕事に引っ付いていようかと思うわ。暇でしょうから、本とか貸してもらえないか聞いてみるわね」
「仕事に引っ付くのですか?」
オリビアの言葉にチェレスリーナは少しだけ眉をしかめる。
国によっては女が仕事に口出しをするのは嫌がられることが多いのだ。オリビアの国は血筋を大事にし、女性が爵位を継ぐことも許されているが、国によっては子供が女だけの場合は傍系から養子をとり男しか継げない場所もある。オリビアの国だって、男が居るならそちらが爵位を継ぐのが普通だ。
「別に仕事に口を出すつもりはないわ。ただ、昨日の話しっぷりだと、アーリャって社交界に顔を出したりもしてないのよ。だからとにかく客人が来た時に一緒にいる為には彼に引っ付き続けるしかないじゃない? だって出会いがなければくっつける方法がないわ」
出会いがなければ当て馬にはなれない。当て馬というのは、対抗馬がいて初めて発揮されるのだ。
「確かに。お食事すら、一人で食べると言ってみえましたものね」
「そうなのよ。あとは威圧を止める訓練をして貰うのが先決かしら。私の呪いでも、威圧を常時放っていたら、女性は恐怖心の方が上回ってしまうでしょうし。訓練の為に龍種の女性とか来ないかしら」
オリビア達がそんな話をしながら仲良く光宮殿に向かって歩いていると、それを見た使用人が慌てて頭を下げた。どうやら土いじりをしていたらしい。
「おはよう。仕事の邪魔をしてしまってごめんなさい。しばらくの間、この辺りをよく歩くと思うから、軽く挨拶だけして元の仕事に戻ってちょうだい」
「はい。ありがとうございます」
「それにしても、素晴らしい庭ね。花壇の花もとても綺麗だったわ。確かあれ、チューリップよね? こんなに色々な色があるのね」
オリビアはそれほど花に詳しいわけではなかったが、チューリップは見たこともあった。ただし彼女の住む辺りは春はポピーなどの別の花が咲いていることが多いので、これほど多くの種類は見たことがなかった。
「はい。異国から取りよせした球根から咲いたものが主ですが、中にはここで種から育てたものもあるんですよ。五年かけてようやく花が咲きました。これで少しは若様の気が晴れるといいのですが……」
「五年もかかるものなの?」
「チューリップの種は植えればすぐ咲くというわけにはいきませんので。それでも種から育てていけば、見たこともないチューリップが咲く可能性もあります」
(五年前ということは、丁度アーリャが獅子の姿にされた頃ね)
偶然なのか、それとも呪われたからなのか。どちらにしても庭師が彼の為に庭を少しでも明るくしようと努力しているのは間違いない。
(アーリャはとても使用人に愛されているのね)
呪われ半ば引きこもっているようだが、こうやって手間暇かけて庭を綺麗にし、さらに広い屋敷を隅々まで綺麗に保っているのは、彼が愛されている証拠だろう。
「私がこの庭を楽しめるのはアーリャのおかげね。安心して。私が彼を絶対幸せにして見せるから」
「ありがとうございます。いえ。一使用人が言うのはおこがましいですが、お嬢様のような方が婚約者として来て下さり本当に私どもは嬉しいのです」
(呪われてから引きこもってしまわれたのだし、心配よね。絶対アーリャの婚約者を見つけて差し上げないといけないわ)
深々と頭を下げて言われた言葉に、オリビアは力強く頷くと庭師と別れて光宮殿へと向かう。
「……お嬢様、本当に大丈夫ですか?」
「ええ。チェスだって私の呪いは知っているでしょ。何とかなるわよ。最悪、私がお茶会を無理やり開いて適齢期の女性を招けば、出会いは確保できるし」
オリビアの呪いで好意的なフェロモンに感じられるようになったとしても、それでも相性というものはある。なので、一人二人会ったところで、絶対恋が始まるとは限らない。そもそもフェロモンの相性が悪ければオリビアの力でもどうにもならないし、フェロモンはあくまで恋愛の入口に過ぎない。そもそも相性が微妙だったりすると、会話してみてやっぱり恋には落ちませんでしたなんてこともある。
「いやいや。あの使用人は絶対お嬢様が結婚してアリスタリフ様を幸せにすると言ったと思っている気がするんですけど」
「えっ。そうなの? でも私みたいな婚約者だと格差がありすぎでしょ。うーん。でもよく考えたら庭師にまでは私の噂を伝えてないのかもしれないわね」
ここは異国だ。オリビアの噂を皆が知っているわけではない。
オリビアの特殊な呪い事情を知っているのは、アリスタリフから伝えられた者だけとなる。
「まあ大丈夫よ。アーリャと心通わせてアーリャの呪いを解いた女性が来たら、その女性に皆感謝して上手く収まるわ」
「そうだといいですが……」
少し顎に手をやり考えたオリビアだったが、不満そうな顔をするチェレスリーナに対して、考え過ぎよと笑い飛ばす。
(もしかしたらあの庭師は、私とアーリャが結婚しなかった時ショックを受けるかもしれないけど、アーリャが幸せそうにしてたなら文句なんて出ないはずよ)
「大丈夫だって。きっと何とかなるわよ」
オリビアはそう言って呑気に伸びをするのだった。
◇◆◇◆◇◆
光宮殿へオリビア達が着いた時はまだアリスタリフも食事をしていなかった。
彼はオリビアの姿を見ると昨日同様に驚き目を丸くしたが、すぐに嬉しそうにその目を細めた。そして和やかな食事がひと段落ついた所で、アリスタリフは今日の予定を切り出した。
「実は昨日オリビアが言った、威圧の件が気になってな。今日はちょうど龍種の者が来る予定だから聞いてみることにした」
「そうなのですね! 私の意見を聞いて下さりありがとうございます。それでどういった方ですか? 女性ですか? 男性ですか?」
食後のお茶を飲んでいたオリビアは聞いた瞬間、パッと顔を明るくした。そして食いつくように詳しく話して欲しいと催促する。それにいささかアリスタリフは引き気味になりつつ、鬣を触った。
「赤玉位――あー、オリビアの国でいう、公爵のような位だな。その赤玉公と夫人がやってくる」
「……夫婦ですか」
オリビアはキラキラした笑顔から一転、少し沈んだ顔をした。耳も心なしかへにょんとし、尻尾も垂れ下がっている。
「夫婦だとまずいのか?」
「いえ。既婚者では流石にアーリャのお嫁さん候補にはなれませんので。私ではお役に立てないなと思いまして」
(折角、アーリャが外部の人と会うのに……)
基本引きこもり生活のアリスタリフは誰かと会うという行為が少ない。社交界には一切出ていないという話なので、チャンスは少しでも拾い上げていかなければいけない状態だ。しかし相手が既婚者ではオリビアも勧められない。
「いや。私の現状をいち早く見抜いてくれたのはオリビアだ。とても役立っているし、できれば今日も一緒に会ってくれないだろうか?」
「えっ。あー、うーん」
「龍種は苦手とかあるのか?」
「いえ。そうではなくて。もしもですよ、龍種の既婚者とアーリャがひかれあうことにでもなったらとんでもない修羅場が起きてしまいますし、私はいない方がいい様な……」
フェロモンは結婚したからと言って消えるわけではない。
龍種の結婚なら、龍種の妻の方が浮気する事はまずないとは思うが、アリスタリフがどうなるかは分からない。もしかしたら、という可能性だってあり得る。オリビアの呪いはオリビア自身で制御できるものではないのだ。
「大丈夫だ。私は絶対婚約者を裏切るつもりはない」
「えーっと。婚約者って私のことですか?」
「そうだ。オリビアの迷惑になるような事はないから安心して欲しい」
真摯な目を向けられ、オリビアは困ったように目をそらした。
(どう解釈すればいいの? えっと、つまり、既婚者に横恋慕はしないという解釈でいいのかしら。それとも、例え誰かに惹かれても、その場で婚約破棄とかはしないという意味でいいかしら。うーん。妹曰く、恋はするものではなく落ちるものとか言われた事があるけれど……恋に対して自制心ってどこまで利くものなのかしら?)
恋をした事がないオリビアは、どう答えていいものか分からなかった。
「えーっと。変な質問になりますが、アーリャはその……獅子になる前に恋をした事がありますか? 恋というか一目ぼれ的なものですけど」
「……ないな」
「えっと。すっごく自信満々に自制心が強いことをアピールされていますが、いざ恋をしたら理性ってどこまできくものなのでしょうか?」
フェロモンに催淫効果はないので、その場で十八禁行為に及ぶことはありえない。しかし離れがたくなったり、もうとにかく告白したいとなる可能性はないのだろうかとオリビアは心配になる。
勿論、そうなってくれるのが一番いいのだけれど、既婚者、しかも龍種相手は非常に問題だ。
「確かにオリビアは私のことを知らないから信用しろと言われても不安になるのは仕方がない。でも赤玉公の夫人はあり得ないから安心しろ。彼女は私の母より年上だ」
「……なるほど。それは対象外ですね」
いくらフェロモンがいい香りでも、自分の親より年上は結婚相手にはならない。龍種ならある程度年がいっても若い外見ということはあるが……それでもだ。
「ちなみにその後夫婦に娘さんはいたりとかは――」
「いないな。彼らには息子が二人いるだけだ」
オリビアがちょっと期待を込めた顔で聞いてみればアリスタリフはその希望を簡単に打ち砕いた。
「そういうことなら、私もご一緒しますね。威圧だけでも早く何とかなるといいですね」
彼女は気を取り直すと、アリスタリフに頑張りましょうと笑いかけるのだった。