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野獣の呪い

「とうとう、俺の婚約相手は人種ですらなくなったか……」

 書類を読みながら、思わずこぼれた言葉に、獅子の顔の男――アリスタリフはつぶやいた後、ハッと金色の目を見開き、首を振った。肩は力なく下に下がり、獅子の顔なので表情こそ分かりにくいが落ち込んでいる様な動作だ。

「すまない、イヴァン。猫種を貶めるつもりではないんだ。ただ……叔母の件があるから、他種と結婚するとは想像もしていなかったんだ」

「分かっております。種が違えば、考え方は大きく変わります。特に猫種と龍種のフェロモンによる恋愛は、人種には分からないでしょう。猫種と龍種はお互いのフェロモンを感じますが、そこから導き出す考え方もまた違いますから。差別発言だとは思いませんよ」


 猫種のイヴァンは慰めるように主に声をかけた。

 アリスタリフが住むツヴェート国は人種と猫種と龍種が住む国で、彼らは種による差別発言にとても敏感だった。特に国を治める立場である三光家は、絶対差別発言は許されない。彼らの不用意な発言は内乱を呼ぶ。違う種が暮らすこの国は、どれかの種が先頭に立つという方法ではなく、全ての種が互いに尊敬しあい、お互いの長所を生かして発展してきた国だ。だから人一倍気を遣わなければならない。

「それにアリスタリフ様に選ばれたい女性がかつては数えきれないほどいたと思うと、ただ見目が変わったぐらいで愛せなくなる信用できない相手を見分けられるようになったとも考えられますよ。それに種が違うから上手くいかないというわけではありません。同じ種同士でも、上手くいかない時は上手くいかないのですから」


 アリスタリフが獅子の姿になったのは、約五年ほど前。彼が十五歳の時だ。

 当時のアリスタリフは、三光家である上に、容姿端麗、文武両道と絵にかいたような王子様だった。また十五という年齢なのに領地経営の一部も任されるほど優秀だった彼は、将来は光帝につくとも噂され、とにかく周りの注目を集めた。しかし優秀であるが故に、彼はもっと領地をより良くするにはどうしたらいいかと、前ばかり見る仕事人間だった。

 周りからの好意も嫉妬も気にしない。

 でもそれは、好意を向けられる量が多く、それを当たり前だと思っていたからだ。

 誰からも向けられる好意。愛をささやかれても、彼には全く響かない。まるで空気と同じ。むしろ時折それが鬱陶しく感じるぐらい、好意に鈍化していた。少女達から向けられるそれらは、時折自分の進むべき道を塞ぐ邪魔なもののように思っていた。

 だからアリスタリフは、この現状は自分が踏みつけてきた心に対する償いなのだと思っている。


 獅子の姿になったのは、一人の魔女が彼に愛をささやいて来たことに始まる。それをアリスタリフはいつもと同じで当たり前のように断った。

 彼は魔女と恋愛をするのは時間の無駄にしか思えなかったのだ。

 せめて少しでも、魔女が精一杯の勇気を出して告白した事に対して、何かしていたならこんなことにはならなかっただろう。魔女だって、愛に対して絶対愛が返ってくるとは思っていなかったはずだ。

 しかし彼は、その勇気を踏みつけるしかしなかった。見知らぬ誰かから好意を向けられるのはいつもの事。密かに思ってるぐらいならいいが、わざわざこちらにそれをぶつけられるのは、迷惑だと考えたのだ。

 そして、彼は魔女に呪われた。


 彼の姿を獅子に変えた魔女はこういった。

『お前が誰からも愛されるのは、その容姿の所為だ。だからお前の心のように、弱い者の痛みなど知らず食い散らす傲慢な獣の姿にしてやる。その姿でも愛され、更にお前も人を愛すことができれば、元の姿に戻れるだろう』

 その日からアリスタリフは、ずっと獅子の姿となった。人のような二足歩行をする獅子の姿に、誰もが顔を青ざめ逃げ出した。彼へ愛を向けていた少女達は、その恐ろしい容貌に悲鳴を上げ罵った。

 好意は悪意と変わり、その姿を見せる度、人は恐怖に怯え、いつしか影で嘲笑うようになる。ずっと好意ばかりを向けられてきた彼は、初めて沢山の悪意にさらされることになった。

 

 どんな姿になろうと彼の実績は勿論消えない。だから仕事は評価される。でも彼をよく思わない者たちは、その容姿を揶揄し、どうしてあの姿を人前に見せられるのかと笑った。人ですらないものが光帝を目指すなどとんでもないと。

 あまりに度が過ぎた侮辱に、彼は怒りに任せて相手を殴ってしまったこともある。しかしその姿は余計に周りを怯えさせ、その身だけでなく心も獣のようだと言われるようになってしまった。

 彼は一年ほどその悪意に抵抗したが、やがて屋敷から出なくなった。


 そして屋敷から出なくなって、数年してアリスタリフは十八歳の成人を迎えた。

 本来、成人すれば妻を貰うのが普通だ。三光家に連なるものだからこそ、結婚し子を残すのは義務でもあった。しかし彼の身分や財力を目当てにお見合いをした女性は、ことごとく悲鳴を上げた。

 最初こそ悲鳴を我慢できても、彼女たちの瞳は恐怖を映し、そこに映る自分の姿にアリスタリフは悲しんだ。

 次第に彼は見合いを断るようになり、更に彼を見た令嬢から噂が広がり、誰も見合いをしたがらなくなった。

 

 彼を幼いころから知る使用人は、皆彼に同情的だ。

 幼いころから利発で、使用人に対しても親切で、とてもよい主人だった。だから使用人は皆、彼を支えるため、仕事を一生懸命する。

 屋敷はいつだって居心地よく整えられ、彼もまたそれに甘え、嫌な事から逃げ出し仕事に没頭した。仕事だけは見目と関係なく評価が貰えるからだ。

 しかし成人を迎えてからさらに二年。見合いすらしようとしない彼に、とうとう現光帝から、見合いをするよう催促がきた。

 そして光帝は、別の国の噂を聞きつけ、【当て猫娘】と呼ばれる令嬢と婚約するように命じたのだ。


「……そうだな。それに、この少女も呪われた体質を持っているらしい。同じ呪われた者同士、気が合うかもしれないしな」

「光帝は【当て猫娘】とむりに婚約をしろと言っているわけではないですよ。彼女の呪いを利用しろと言っているんです。なんでも彼女の婚約予定者はことごとく、別の者と大恋愛するという話――」

「イヴァン」

 アリスタリフが低い声で名を呼ぶと、イブァンは口をつぐんだ。唸るような声に驚いたらしく、彼の尻尾が逆立った。

 彼は幼いころからお仕えしたアリスタリフの事を我が子のように愛していた。しかし獅子の姿となってからは、凄まれると、どうしても本能的に怯えてしまうこともあった。

「……差し出がましい事を言いました。お許しを」

「いや。イヴァンが俺のことを思って言ってくれているのは分かっている。ただな。俺はこの少女以外と婚約するのを前提にしたくない。彼女もこの顔を見れば恐れをなし、婚約をしたくないと思うだろう。それは彼女の自由だ。でも俺は彼女の呪いをあてにはしたくない。それは彼女を傷つける行為のように思う。私の姿は恐ろしい獣だ。それでも、できるなら心だけは魔女の言うような獣になりたくない」

 アリスタリフは寂し気に目を細めた。


 人から好意よりも悪意を向けられ、拒絶されるようになってから、アリスタリフは愛される事のない痛みを知った。

 だからこそ、同じ痛みを持つ少女を不用意に傷つけたくないと考えた。

「彼女も私のような姿の者と同じ屋敷で過ごすのは辛いだろう。離宮を用意してやれ。どの離宮でもいい。温かい国に住む彼女が過ごしやすいように。そして婚約をしなくても婚約予定者として、丁重なおもてなしをしてくれ」

「かしこまりました」

 アリスタリフは勿論呪いを解きたいと思っていた。それでも、誰かを傷つけてまで解く事はできないと考えていた。

(光帝には悪いが、私はきっとこの先も一人で生きていく。大丈夫。光帝の候補者は他にだっているんだ)

 まさかその後やって来た【当て猫娘】が全く自身を恐れないなんて未来があることを知らない彼は、切なげなため息をついたのだった。

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