当て猫娘の劇場訪問
オリビアがやって来たオペラの劇場はバレエにも使われている大きな建物だった。周りにはカラフルな教会などがあったが、今日訪れた場所は真っ白な建物だ。太い柱が並んだポーチ部分はどっしりとしており、威厳がある。その頭上にはこの国の象徴である、三つの蛇が絡まった杖の像が付いていた。蛇は知恵の象徴で、三つの蛇の頭があるのは猫種と人種と龍種が集まり、どれがかけても成り立たないという事を意味していた。
「もしかして、この劇場はアーリャと関係がある場所なのですか?」
「ああ。そうだが?」
「やっぱり。白玉公と名乗ってみえたので、建物があまりに綺麗な白色だったのと、国の象徴の像が飾ってあったのでそうなのかなと思って」
外へ一歩出て馬車の中から見て回っただけでも、建物はとてもカラフルなものが多かった。壁が白いことはあったが、その代りとばかにり屋根の色はカラフルだったりする。その為上から下まで真っ白な建物というのは逆に目立っていた。
「ここは私の祖父が始めた場所なんだ。商人なども気軽に芸を楽しめるようにと考えたと真面目な顔で語っていたが、祖母の為に作ったのは間違いない。祖母はバレエやオペラを愛する女性だったんだ」
「へぇ、奥様の為なんて素敵ですね。でも国の象徴とはいえ、蛇の像が置かれてるのは微妙に怖いですね。あっ、別にこの国の象徴を貶すつもりはないんですけど」
イリーナはあまり蛇が好きではないので、気味が悪く感じたが、この国の象徴だからと言われれば納得するしかないものだ。でも女性の為に作った場所だと言われると、微妙な気持ちになってしまう。愛国心溢れる祖母だったのかもしれないが。
「蛇は知恵の象徴……つまり、魔女を指すと言われているんだ」
「魔女ですか?」
「ああ。魔女もこの国の民には変わらないからな。そして、私の憶測にすぎないが、多分祖母は魔女だったのだと思う」
「そうなのですか?」
魔女はどの種からでも生まれるし、血筋で魔女になるとは決まっていないので、アリスタリフの祖母が魔女だったと言われてもオリビアはそこまで驚きはしなかった。ただし魔女は自分が魔女であるとはあまり語らないので、孫とはいえそれを知っていた事に若干驚く。
「いや……本当の所は分からないなんだ。祖母は自分が魔女であるとは名乗らなかったし、祝福も呪いもしている姿は見たことがない。でも少し浮世離れしているというか、独特な空気の人だったんだ」
「そんなに変わってみえたのですか?」
「私にはそう感じた。実は私の叔母にあたる人……つまり祖母にとっては娘が結婚したんだが、フェロモンの関係で旦那が浮気をして、叔母が刃物を振り回す修羅場になったんだ。その時祖母だけが終始落ち着いていてな。その時に私は大変な事態が起きても、祖母にはどうにかできる力があるんじゃないかと思ったんだ」
「……確かに実の娘が刃物を振り回していたら、普通なら取り乱しますね」
(どうにかできる力があっても、私なら間違いなく取り乱しそうだけど)
もしかしたらどこまでも肝が座った女性だった可能性もなきにしもあらずだが、オリビアも同じように魔女であると言われた方が説得力がある気がした。
「アーリャは聞かなかったのですか?」
「聞いたが、怪我人をどうにかできるような力はないし、ましてや死者を蘇らせる力なんてものは存在しないと一笑されたよ。そして祖父が病死した時、祖母は治さなかったし、その半年後に彼女もこの世を去ったから、祖母の言う通りただの人だったのかもしれない。でも叔母が刃物を振り回しているのを見た時の衝撃と、それを落ち着いて眺めている祖母を見た時の衝撃がどうしても忘れられないんだ」
アリスタリフの言葉を想像してみたオリビアは、ブルリと体を震わせた。
(その状況すさまじすぎるわ。そしてそこに居合わせる羽目になった状況がもっと恐ろしい……忘れられるわけないわね)
「それは何というか……大変でしたね?」
「ああ」
どういう状況ならばそんな場面と出くわすか分からないが、かなりの修羅場だっただろうことだけはオリビアにも想像できた。アリスタリフも思い出したのか、表情が硬い。
そんな状態だったが、馬車が停車場に着いたので二人は降りるしかなくなり、微妙な空気のまま外へと出ることになった。外へ出る際、アリスタリフはフードを目深にかぶり出来るだけ顔が出ないようにする。しかし明らかにオリビアよりも一回り大きな体は、目立たずにいる方が難しい。
その上馬車はどこまでも華美で、出自を隠す気のないものだった。
当然のように人は二人を注目し、オリビアはこれまで以上に不躾な人の視線を感じた。
「アーリャ、腕をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「構わないが……」
アリスタリフに確認をとると、彼女はするりと腕に手をまわした。フードの中から、息をのむような音がする。
「アーリャ。約束しましたよね。目をつぶっていても私がそこまで連れて行くと。安心して、エスコートされて下さい」
「……私がエスコートされるのか?」
「はい。色々手配はアーリャがしてくれましたし、今度は私の番です。もしもの時、アーリャをおんぶして走ることもできると思いますからドンと大船に乗ったつもりでいて下さい。私、猫種の中でも力がある方なんですよ」
「そんなもしもは起きて欲しくないな」
クスクス笑いながら喋るオリビアに、アリスタリフは情けない声を出した。その声に対して、オリビアはさらにクスクスと笑う。
二人は荷物を使用人に任せると、階段を上り座席へと向かった。オリビア達に用意された席は、ロイヤルシートで、舞台の真正面にある上に周りから区切られた個室のような空間だ。誰かと相席する事もないのでとても広々としている上に、よく舞台が見える。
(流石、劇場を作った方の孫よね。普通、こんないい席座れないわ)
人気がない劇ではないのは、人の多さですぐにオリビアにもすぐ分かった。開演まで時間があるが、既に多くの人が会場入りしており、賑わっている。素通りになってしまったお土産コーナや荷物預かり所も混雑していたし、オリビアが居る席から見える席もかなりの数が埋まっていた。
思いついて即チケットが取れるだけでも凄いとしか言いようがない。
パンフレットも買うまでもなく既に椅子の上に用意されており、至れり尽くせりだ。
「……オリビアありがとう」
「へ? いえ。むしろこんな素晴らしい席をご用意していただけて、感謝するのは私だと思うのですが?」
椅子に座り舞台の方をぼんやりとみていると、唐突にアリスタリフがお礼を言った。オリビアは不思議そうに隣に座ったアリスタリフを見上げる。
個室のようなものだが、まったく周りから見えないわけではなく、舞台からは丸見えである事もあって、彼はいまだにフードをかぶったままだ。なのでオリビアが覗き込むようにその顔を見れば、穏やかに微笑む金色の瞳とぶつかった。
「ここに、また来れるなんて思っていなかった」
オリビアは何も言わず、ただ彼の言葉に耳を傾けた。そうしないと消えてしまいそうなぐらい、アリスタリフの声は小さく儚いものだったからだ。
「見目が変わってしまってから、私はあの屋敷の中で朽ちるのだろうと思っていたんだ。私が外へ出れば、民を怖がらせてしまうと言い訳して。でも本当は……ただ、私に意気地がなく、傷つくのを恐れてだ。民の事を本当に思うのなら、ちゃんと外に出てこの目で見なければいけないのに……。まあ、オペラを見に来ただけで何を言っているんだと思うと思うが――」
「アーリャはとても勇気がある素晴らしい方だと思います」
オリビアはアリスタリフの自虐的な言葉を遮ると、そっと彼の手に自分の手を重ねた。
「傷つくと分かっていて、するなんて誰だって嫌でな事です。躊躇して当然です。それでも、今日は私の為にこうやって来て下さったんですから、意気地なしなはずありません。それにあんなに民の為に頑張っているんですから、怖がらせてはいけないと思って屋敷に閉じこもったのだって、あの時点では正しい事だったのだと思います。威圧を出してはオペラどころではなくなってしまいますし。でも対策が分かったんですから、これから徐々にできることを広げればいいと思います」
「……これからも、どうか私を助けてもらえないだろうか?」
「勿論です。私は、アーリャの呪いを解くためにここに来たんですから」
次の瞬間、アリスタリフはオリビアを抱きしめた。
力強い腕にオリビアは目を見開き、尻尾をぶわっと膨らませる。しかし、しばらくの間彼の鼓動を聞いていた彼女は、そっと労わるように背中に手を添えたのだった。