当て猫娘の移動
(初観光、楽しみだわ!)
オリビアは馬車に揺られながら、そわそわと街並みを見ていた。
オリビアとしては馬車でなく歩きでも構わなかったが、何年かぶりに外出をするアリスタリフがいるので、無理はできないと判断しての対策だ。特に見目が呪いの所為で獅子なため、客寄せパンダのように不躾な視線にさらされることになりかねない。
そもそもアリスタリフは見目の所為で極端に人に会う事を恐れているので、客寄せパンダになったが故のストレスで威圧が出てしまう可能性が高い。だったら、できるだけストレスになりそうなことは回避した方がお互い楽しめる。今日はオペラの公演を見るだけの予定だが、それでもオリビアは楽しみにしていた。
「オリビアはオペラを鑑賞した事はあるのだろうか?」
「ええ。私が住んでいた国はオペラ発祥の地という事もあって、貴族は大抵幼いころから鑑賞するんです」
「そういえば、そうだったな。だとすると、他のものの方が良かっただろうか?」
「いいえ。むしろ国を渡って独自の発展をしたオペラなんて中々見る機会がないので、是非見たいです。芸術に正解はないから、面白いんですよね。この国は多種国家ですけど、歌い手はどの種が多いのですか?」
オリビアが子供のように目をキラキラさせて質問してきたのを見て、アリスタリフの若干緊張で固まっていた顔がいくぶんか柔らかくなった。
「歌い手は猫種と人種が多いな。龍種はいないわけではないが、緊張で威圧が出てしまう事故もある所為で少ないな。ただし演出家は龍種も結構いたはずだ。楽器演奏は人種が多かったと思う」
「そうですよね。人種の方って本当に器用ですもの。私の国で人種の方は少ないのですけれど名演奏家は、人種が多いんですよね」
「その代りといっては何だが、バレエは猫種ばかりだな」
龍種は頭がよく、人種は器用、猫種は身体能力が高いとよく言われていたが、この国の役者の配置はまさしくその言葉通りだった。
「能力の差がどうしてもあるからな。この国では適性が低い職につく事を否定はしないが、適性がある職に就く方が幸せだという考え方になっているんだ」
「それが普通ではないのですか?」
オリビアは首を傾げた。
オリビアの国では個人の適正は考えず、靴屋の息子は靴屋になる的なものは存在するが、それは幼い頃から過ごした環境による適性だと思っている。
「種がバラバラだと、種による能力の差を差別だととらえる者もいるんだ。この国の中にも一定数居るし、外国からは指摘もされやすい。一種国でないからこそ、どうしても比べ合ってしまう」
「なるほど。猫種ばかりの国なら猫種が楽器演奏しますし、人種ばかりの国なら人種がバレエをしますものね」
種が固まっている国はその種の中で振り分けされるが、多種の国だとどうしても能力差によって就きやすい職、就きにくい職が出てくる。
「この国は寒くて住みにくい環境だが、土地は広大だし、環境資源が豊富な場所もある。だから国を分断させようという考えで、それは差別だと全く関係ない異国の人権屋が言ってくることもあるんだ。そしてそれにのってこの国で自分がしたいことができなかった者も差別だと騒ぐ――すまない。女性はこういう話は好まないな」
饒舌に話していたアリスタリフは、しょぼんと耳をタレさせ、肩を落とす。それを見たオリビアはクスクスと笑った。
「確かにあまり好まないかもしれませんが、私は楽しいですよ。この国の事を知らないので、いい勉強にもなりますし」
「……そうか?」
「なにより、アーリャが楽しそうなのが嬉しいですね。こうやって私の事に気を遣ってしょんぼりしているアーリャをみるのも楽しいんですけど。ほら、耳をたれ下げないで、もっと色々話して下さい」
オリビアがアリスタリフの耳を触ると、彼はビクビクっと肩を震わせた。尻尾も一瞬ぶわっと膨れる。それを見て、オリビアが再び笑った。
アリスタリフは鬣を撫でつけながら、恨めし気にオリビアを見る。
「しょんぼりが楽しいのか」
「しょんぼりが楽しいのではなく、アーリャが気を使って下さっていると思うと胸が温かくなるんです」
「そ、そうか」
アリスタリフは、オリビアの言葉だけで再び嬉しそうにピンと耳を立ち上げた。さらに声も少しはずむ。
「種の差問題は根深いですよねぇ。でもそれならいっそ、人種だけの劇とか猫種だけの劇とか作っても面白いと思うんですけど。同じ種同士で競い合い役をとるなら、出られないのは本人の努力が足りないという事にできませんか?」
「それだと余計差別的だと言われないだろうか? 猫種だけの劇には人種は出られないという事になるのだから」
「だからそれぞれの劇を作るんです。それがお金を払う価値がないほど下手なら客は集まりませんし、やがて廃れます。でも不満ばかり言っているぐらいなら、その種の特性を生かしながら芸を磨けばいいんですよ。それぞれの良さというものはありますから」
オリビアが人差し指を立ててほほ笑むと、アリスタリフは金色の瞳を大きく見開いた。
「能力にあったものをやるのが当たり前であり、幸せな事だと考えられているから、そういうのは考えたこともなかったな」
「勿論才能があるものを極めた方が楽でしょうけど、でも才能とやりたい事が乖離しているなら、私はやりたい事をやりたいですもの。それにその種しかいない国ではそれで成り立っているのですから、やってみればそれはそれで別の良さがあるのではないでしょうか?」
そう言った瞬間、アリスタリフはオリビアの手を握りしめた。そしてその顔を真っ直ぐ見ると目を輝かせた。
「凄いな、君は!」
「えっ、えっと。そうですか?」
「ああ。オリビアの意見は、とても新鮮だ。これからもずっと、色々意見して欲しい。あー。その、私は屋敷からほぼ出ないから、どうしても思考が固まってしまって……ほら。威圧に気が付かなかった件もそうだし」
へにょんと再び耳が倒れたのを見て、オリビアはクスクスと笑った。
「そんなに褒められると恥ずかしいですけど、頼られるのは嬉しいですね。私で良ければいくらでもお話しますよ」
「そうか!」
「ええ。そう言えば、今日のオペラはどんな話なのですか?」
「確か【運命】がテーマになっている話だな。アカシックレコードという概念を元にしているが、アカシックレコードというのは知っているだろうか?」
オリビアは少し考えたが首を横に振った。
「はじめて聞くのですが、どういうものですか?」
「簡単に言えば、アカシックレコードにはこの世界が誕生した時からのすべての記録が残されているというもので、そこには未来の記録もあるという説がある」
「えっ。そんなものが存在するのですか?」
オリビアがびっくりした顔をすれば、アリスタリフは首を振った。
「私も見たことはないし、誰にも分からないな。なんと言ってもアカシックレコードは別名、【神の図書館】とも言われているんだ。それに未来の記録があるという考え方と過去から現在までの記録があるという考え方がある。未来の記録があるという考え方の場合、宿命論が出てくる。宿命論だとすべての事柄は決まっており、人の努力では変えられないというものだな」
「えっ。努力では変わらないってつまらなくないですか?」
「ああ。もしも努力して変わったとしたら、努力するところから定められていたんだという考え方だ。私もあまり歓迎したくはない概念だが、フェロモンでひかれあうのはアカシックレコードにそうなるよう書かれているからだと言われている。特に龍種が【運命の番】なんて言葉を作っているから、妙な信憑性を感じてしまう者もいるんだ」
全てが運命で決まっていると言われたオリビアは、むっと眉をひそめた。しかしアリスタリフも肯定しているわけではないと分かっていたので、口は閉じたままだ。
「話は戻すが、今日見るオペラはそのアカシックレコードで定められた運命の相手に出会ってしまった、恋人たちの物語だったはずだ」
(普通にフェロモンに振り回される話じゃ駄目だったのかしら?)
アカシックレコードという考え方が納得できないオリビアは難しい顔をしたままだったが、その所為でアリスタリフの方が徐々にオロオロとし始めた。そして獅子の顔とは思えないぐらいのすごく困った表情で、オリビアを見つめた。
「オリビアは、この話は嫌だっただろうか?」
「えっ? ああ。ごめんなさい。一度見て見ないと分からないし、まだ好きか嫌いかは言えないんですけど、ちょっとアカシックレコードの考え方があまり好きにはなれなくて。一体誰が考えたものなんですか?」
「実は私もこの概念ができた始まりを知らないんだ。宗教っぽい概念だが、大きな宗派が言っているわけではないから、どこかの民間信仰から広まったのではないかと思ってはいるが……。一説では実際に見た人がいてそこから広まったとも言われるが、もしも本当に見たことがあるとしたら口にはできないだろうしな」
「そうなんですか? 本当に見られるのなら、占い師とかやってそうですけど」
なんと言っても、努力をする未来まで知れるものなのだ。納得はできないが、もしもほんとうに存在するのだとしら、これほど便利なものはないだろうとオリビアは思った。
「私なら絶対自分が知っているとは言わないし、知られない為にもそういう職業は避けるな。何故なら、全てを記したものが見れるという事は、誰かにとって知られたくないものも知ってしまっているという事だ。それに時の権力者の死ぬタイミングも全て知っているという事でもある」
「……言われてみると、恐ろしいですね。確かに、大っぴらに見れるなんて言えませんね」
オリビアはアリスタリフに指摘された内容を考えブルリと体を震わせた。
もしそんなものを知っていると分かれば、命を狙われたり、逆に利用しようと監禁されたりと碌な目にあわなさそうだ。
(本当に見たことがある人がいるなら同情するわ。そんなものが見れても、いいことなさそう)
オリビアは馬車に揺られながら、本当にいるのかどうかも分からない人に対して同情したのだった。