当て猫娘の準備
「結局、元さやに戻ったのねぇ」
突然オリビアが出くわした使用人の破局騒動は、破局を回避という結果で終わった。
菓子職人のイリヤとメイド長のガリーナがつきあっているという事はその日のうちにメイド全体に知れ渡ってしまい、事態を治める為に、ガリーナはすぐにイリヤに逆プロポーズをしたそうだ。そしてすれ違ってはいたが両想いだった為、めでたく近いうちに結婚する運びとなった。
怒涛の婚約劇である。
「ガリーナはあまり気づいていないというか気にされていないようですが、結局のところ彼女の中には龍種の血が流れているという事です」
一途で執念深い龍種。一度愛せば、よっぽどのことがないかぎり諦めない。
オリビアはチェレスリーナの言葉にごくりと生唾を飲んだ。猫種からすると、その執念深さは恐怖を感じるものでもある。
「えーっと。つまり私がわざわざちょっかいを出さずとも、元さやになる運命だったという事かしら。……恐るべし、龍種」
「それは違うと思います。既に薄まった龍種の血からくる気質は、あくまでエッセンス程度です。お嬢様がイリヤに突撃して、彼が公開処刑――げふん、げふん、ではなく、公開告白をすることにならなければ、わざわざ自分を愛してもいない男を追いかけたりしないと思いますよ」
龍種だって破局がないわけではない。例え純血の龍種でも、結婚をしていないならば、自分への気持ちがないのだと知った後も追いかけ続けるということはよっぽどない。交際期間はあくまでこの先も長い時を一緒に過ごしたいかどうかを知る為の期間なのだ。番ったとはまた違う。
「だとしたら、やっぱり私は余計な事をしたのかしら? イリヤは確かにガリーナが好きだろうけど、種の差で分かり合えずに、身勝手に暴走をする部分があったわけだし。ガリーナにとって、彼と結婚するのは本当に良かったのかしら」
「お嬢様は心配性ですね。それを決めるのは当人ですし、私はガリーナが不幸そうにしている様にはみえませんよ?」
チェレスリーナが言う通り、婚約後のガリーナは何処か生き生きしているようにオリビアにも見えた。ただし表面的にはいつもと同じ鉄面皮なのだけど。
(むしろイリヤの方が浮かれているのよね……。このクッキーじゃなくてえっと、こっちではプリャーニクとかっていうんだっけ? がハートだし……)
たまたまその型しかなかったのかもしれないけれど、それにしては浮かれすぎている様な形状のおやつが多いようにオリビアは思う。あれ以来イリヤとは直接顔を合わせることはないけれど、それでも感じる浮かれっぷりだ。実際話したら砂を吐くことになるかもしれないとオリビアは思う。
「そうやって変に気にしすぎると、また血尿出ますよ」
「出ないわよ! ……たぶん。でも私の所為で良くない方向へ進んだら嫌じゃない?」
「そうですか? 別れる時は別れるものですし、くっつく時はどれだけ周りが反対してもくっつきます。そしてその選択をするのは当人なのでお嬢様が多少首を突っ込んだからといって、余計な責任まで背負う必要なないですね。こうなったのは必然です」
きっぱりとチェレスリーナはオリビアの不安を否定した。
「責任を背負っているつもりはないけれど……」
「なら無視です、無視。もしもこれの所為で誰かがお嬢様を逆恨みでもするような事があったら、このチェレスリーナが懲らしめてやります」
「ありがとう。でも、私もそれなりに強いから大丈夫よ?」
「いいえ。甘い。やる時は徹底的に情報戦を勝ち抜き、社会的に、精神的に抹殺してやりましょう」
「待って、チェス。メイドの情報網が恐ろしくなるから、そう言う冗談はやめて」
オリビアは冗談よねとチェレスリーナを伺い見るが、チェスはにやりと悪そうな笑みを向けた。それに対して、オリビアはビクリと肩を揺らす。
「さて、話は戻して、そろそろお茶は終わりにしてデートの服を選びますよ。アリスタリフ様の身分が高い所為でお嬢様が見劣りして、周りから笑われるなんて事、絶対許せませんからね」
チェレスリーナの言う通り、今日は明日アリスタリフと出かける為の準備をするため、彼の職場には行かず、おやつも自室だ。
おやつ前はチェレスリーナに爪を磨いてもらい、顔をハーブを混ぜたものでパックし、さらに軽くマッサージをするなどして血行を良くするなどの美容を行った。そして今はマッサージ後の水分補給の意味合いも含めてお茶を頂いている所だ。
(正直、ちょっと観光するだけなのに、ここまでする必要あるかしら?)
チェレスリーナが鼻息荒く気合を入れていたのでオリビアはそれに付き合っていたが、正直彼女は疑問に思っていた。
「別に私は気にしないわよ? 笑われるのはいつもの事だし。まあ、アーリャに迷惑かけるほどの場違いなドレスは着れないけれど、そうでなければなんでも――」
「駄目です。異国でお嬢様をコケにさせるなんて許せません。そもそもですね、お嬢様を笑うような輩は、お嬢様の方が可愛くて顔も身分も負けてるから、そうやって呪いの部分を貶して自分が上だと見せかけようとしている愚か者なのです」
「ありがとう、チェス。でも本当に気にしていないのよ?」
オリビアはいつだって【当て猫娘】という名前と共に生きてきた。
色々あったが、すでに受け入れている。というよりも顔の造作と同じで、治す事のできないものなのだから、不治の病だと思って受け入れるしかない。
「お嬢様それは――いえ。それでも、私はお嬢様を魅力を最大限に引き出したいのです」
「うん。なら、よろしくね」
お茶を終えたオリビアはチェスと共に部屋に備え付けられたウォークインクロ―ゼットの中を探し、涼やかな白のレースの着いたブラウスにピンクのスカートのドレスを選んだ。
更にオリビアは黄色のキャッツアイのペンダントをアクセサリーとして選ぶ。
「アーリャの瞳孔は縦長ではないけれど、これ、すっごく色味が似ていると思わない?」
「……確かにそう言われると」
「ふふふ。これは是非身につけて、近くで見比べてみないとね。アーリャも驚くかしら」
「別の意味で驚かれる気が……いや、あの男も色々鈍いので、普通に目の色に似ているという談議になりそうな……うーん。でも、何かあった時に外野をとりあえずは黙らせるのに効果的でしょうね」
ニコニコとネックレスを手に取り笑うオリビアに対して、チェスは何とも言えない表情になりながらも、てきぱきと帽子や靴などのサイズなどを確認していく。
「明日までにこのドレスはサイズをお直ししておくとして、他のもついでにやっておいた方がいいかもしれませんね。滞在が続けば外出の機会もふえるでしょうし」
「そうね。そのうちアーリャが人と会うことになれれば、お相手探しの為に舞踏会に出席もしなければならないでしょうし。準備は万端にしておくべきね」
(とにかく私にできるのは、アーリャの近くでアーリャを支えつつ、相手探しの邪魔にならないようにすることね)
オリビアがうんうんと頷きながらドレスを触って確認していると、チェレスリーナは大きなため息をついた。
「お嬢様はアリスタリフ様とこのまま結婚するとは思ってみえないのですか?」
「最初に言ったじゃない。フェロモンを感じないのだから運命じゃないって。彼も感じていないみたいだし、だったら彼の相手は私ではいけないと思うわ」
(でも、アーリャの相手が見つかれば、もう二度と会うこともないのよね……)
この国はオリビアの国からとても遠い。
最初こそ寒すぎてさっさと帰りたいと思っていたが、住んでみれば、そこそこ快適だった。何よりオリビアはアリスタリフの事を気に入っていた。
「勿論、婚約解消となればもう会うこともないし、寂しいわ。でも……寂しいからこそ、別れがたくなる前に彼の呪いを解かないといけないわね」
(彼は【当て猫娘】を優しくて素敵だと言ってくれたわ。魔女とは色々あったのかもしれないけれど、やっぱりアーリャはとても良い人だし、ちゃんと呪いは解かないと)
オリビアは改めて思う。
前まではできれば程度だったけれど、色々アリスタリフの内面を知るにつれ、絶対呪いを解かなければという使命感にも似たものを感じていた。
「帰国はもう少し遅くなりそうだから、チェスには悪いわね。できれば最後まで付き合って欲しいのだけどいいかしら?」
「もちろんですよ。私がこんな最北の国まで来たのは、お嬢様がいるからなんです。例え帰れと言われても、ご一緒しますからね」
力強く言うチェスの言葉に、オリビアは安心したように笑った。