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野獣の困惑

 アリスタリフは最近ずっとそわそわしていた。

 オリビアが本を読みながら尻尾を揺らしたり、クスリと笑ったり、逆に涙ぐんだりする姿を目で追うのが日課になっていた。そしてふとしたしぐさにそわそわする。

(可愛いがすぎるっ。何なんだ、あの生き物は?!)

 時折見せる居眠りなど、彼にとっては可愛いの最高値だった。コクリコックリ船をこぐ姿も、完璧に寝入り無防備な寝顔をさらす姿も、とにかく可愛く見える。本来ならだらしないとか、間抜けな顔と称されそうな状況でも、うっすら開いた口から流れる涎まで可愛いとアリスタリフはガチで思っていた。


「うううう。猫種がここまで可愛いいとか、聞いてない」

 眠気を覚ましてくると、オリビアが出ていった部屋で、アリスタリフは頭を抱えていた。彼は今までこんなに可愛いと思うものと出会ったことがなかった。そのためどうしていいのか分からないのだ。

「……そもそも、聞くまでもなく、私を含めこの屋敷には猫種の使用人が大勢おりますからね」

 どこかあきれたような物言いをするイヴァンをアリスタリフは睨んだ。

「お前が可愛くないから、私は今まで気づけなかったんだ」

「……はっきり申し上げますが、世間一般的に見ても、おじさん猫種の表現法方が、可愛いとかあり得ませんから」

 何故、猫種が可愛いと気が付かなかったのか。それはきっと隣にいた猫種が雄な上に、ずっと年上だったからだとアリスタリフは結論付け、ある日そんな話をイヴァンにした。

 しかしそれを伝えた日からイヴァンが時折アリスタリフを可哀想な子でも見るような目で見てくる上に、何かと猫種が全て可愛いわけではないという話をしてくるのだった。


「三毛タイプが可愛いという事だろうか」

「そう来ますか。確かにこの国では珍しいですが、いないわけではないですし、実際お会いした事もございますよね。その方々を見てときめいた事はございますか?」

「……そんな女性いたか?」

「そうきますか。……正直、私どもは育て方を間違えた気がしてなりません」

 ふむっと考えた後に、まったく記憶にないといった様子のアリスタリフに対して、イヴァンは深いため息をついた。


「悪かったな。人の顔を記憶するのはどうにも苦手なんだ」

「そうですか? ただ、興味のない者を記憶するのが苦手という事でしょう」

「……毒が強いぞ。もしやこの間、猫なまりで話してくれと言ったことを根に持っているのか」

 オリビアが可愛いと思った時、何故イヴァンが可愛くないのだろうと思い、猫種なまりで話してみてくれとアリスタリフは頼んでみたのだ。しかしその時のイヴァンの笑みは、周りを凍らせるようなものだった。威圧など使っていないはずなのに、アリスタリフは威圧されたと思ったぐらいだ。尻尾が少しだけまたの間に入ってしまった。

「根には持っていますが、今のは本当のことを申し上げただけです」

(持っているのか。そんなに猫種にとって猫種なまりで話す事が恥ずかしいとは知らなかった)

 猫種とは何度も話した事もあるし、使用人にだって多い。しかしそう言った小さな差異に対して気を配ったことは一度もなかった。

 イヴァンが言う通り、アリスタリフは人に対しての興味が薄かった。

 彼はとにかく人々を正しく導ける者になりたいと、様々な勉学に励んできた。人脈作りも大切だと分かっていたが、そういったものは二の次で、とにかく知識を蓄えることを優先した。その結果が今である。


「でもオリビア様のことを気にかけているという事は、とてもいい変化なのだと思います」

「そうだろうか。彼女がいないとこの通り、落ち着かない。確実に仕事の能率が落ちているように思うが」

「安心して下さい。オリビア様がいらっしゃる時は、いつもより効率がいいですし、むしろ休み時間をしっかりとる為に仕事の適度な力の抜き方が上手になっていらっしゃいますから、仕事量は変わりありません」

 今までのアリスタリフは、外への視察ができない分、少しでも働かなければとがむしゃらに一人で頑張っていた。しかし最近はオリビアとお茶をする時間をとるために、少しづつ仕事を他にも振り分けるようになったのだ。

「……だが、私は民の声を直接聞く事もできず、見ることもしないような半端者だ。本当に、こんな手を抜くような仕事をしていていいのだろうか?」

 事務仕事を全て自分でやろうとしていたのは、結局のところ、できないことを指摘された時に自分はこれだけ頑張っているという言い訳のためでもあった。だからこそ、半端にしか仕事ができないくせに、手を抜くことに対して罪悪感が残る。

 オリビアはこの国に慣れていないので、来賓でもある彼女の為に時間を作るというのは、アリスタリフの仕事ともいえる。だから間違ってはいないと思っているが、罪悪感を感じるかどうかは別の話だ。


「だったら、オリビア様とデートに行ってみてはどうですか?」

「で、デート?!」

 アリスタリフは大きな声でイヴァンの言葉を復唱し、金の目を見開いた。

「ええ。デート兼、視察です。前にオリビア様も一緒に行きたいと申していたじゃないですか」

「いや。でも、未婚の女性と手を繋いで二人きりなど……」

「……手を繋いで二人きりなんて、一言も言ってませんからね? まあ、してもらっても構わないですけれど。婚約予定者で、現在はお試し期間とおっしゃるなら、デートをしてお互いの考え方に大きな隔たりがないのか見極めるのは大切な事です。ええ。何事も相性というものはありますからね。仕事と私、どちらが大切なのかと言われるようになった場合、仕事が変えられない以上、今後も上手くいかないと考える方がいいでしょう」

「やけに具体的だな。言われたのか?」

 何かを思い出したのか、女性と上手くいかなくなった時の話をしたイヴァンはアリスタリフの言葉にニコリと笑った。有無を言わせぬ笑みだ。


「猫種の恋愛遍歴は、むやみに聞くものではありません」

「言われたんだな」

「……さあ、私の事など、どうでもよいのです。いいですか? 誘うと決めたのなら、時を置かず、サッとさそうのが鉄則です。あまりに見計らっていると、結局誘えずじまいで、相手に好きな人ができたりします」

「それは猫種だから……いや、オリビアも猫種か。でも彼女は俺の婚約予定者だ。別の者と恋に落ちるなんて事はないはずだ」

 別の相手と恋に落ちるというイヴァンの話に、アリスタリフは反論したが、徐々に声が弱くなり、尻尾がへたりと落ちた。

(……彼女の運命の相手が、もしも居たら?)

 猫種はフェロモンで恋をする。

 オリビアは呪いの関係でフェロモンを感じないが、それは相手が運命の相手ではないからだ。万が一運命の相手と出会ったら、彼女の呪いは解け、恋が始まるのだ。その時、ただの契約でしかない婚約予定者という立場にどれだけの拘束力があるだろう。


「そうですね。彼女は猫種の中では比較的契約や責任感を強く感じるタイプの様です。たぶんフェロモンを感じない人種のような状況だからでしょう。それでも、恋というのはこれまでの判断を狂わせるものなのです。ただ契約で縛るだけでは駄目です。つなぎ留めたいのならば、ちゃんと行動にうつさなければ。心で思っていても、言葉にしなければ伝わりません」

 イヴァンの言葉に、アリスタリフはコクリと頷いた。

 婚約者ですらない中途半端な状況だが、今すぐ彼女と別れたいわけではなかった。オリビアに対して好感を持っているし、そもそもアリスタリフの呪いはまだ解けていない。

(彼女の運命の相手が見つかれば、彼女を解放しなければいけない。いや、そもそも婚約者にもなっていないが……でも、もっと仲良くなりたい)

 可愛くて仕方がない彼女と簡単に、はい、さようならするのは嫌だった。

 読書の趣味も合うし、例えそれぞれの国に帰ることになっても、せめて友人としてこの先も文通なり何かの方法で連絡を取り合いたいと彼は思った。

 その為には、もっと仲良くなる必要がある。


「なら明日、誘ってみる」

「それがいいと思いますよ。引きこもってしまってからの初めての視察です。仕事のことは二の次でまずはオリビア様が喜ばれそうな場所をお考え下さい」

 イヴァンに言われたアリスタリフはそれからずっと視察と言う名のデート先を考えた。

 夕食時に伝えようかと思ったが、行先が決まらず伝えられなかった。そのまま悶々と考え寝不足になり、朝食時間がずれた事でオリビアと朝食が一緒に食べられず、やはり伝えられなかった。

 しかしオリビアのいつもの行動ならば、必ず仕事部屋に来るはずだ。

(よし、部屋に入ってきたら、とにかくまず誘おう。お茶の時間まで待ったら、また誘いそびれそうだ)


 いつも通り仕事を始めたアリスタリフだが、そわそわしてしまい集中力にかけた。

(遅いな……。もしかしたら本を選びに書斎に行っているのかもしれない)

 オリビアは本を読むのが好きらしく、仕事部屋の隅でよく本を読んでいた。だからきっと、今読んでいる本が読み終わってしまい、新しい本を選びに行っているのだろうと彼は考えた。

 しかし、待てど暮らせどやってこない。

 そわそわはいつまで経っても収まらない。

「……そんなにオリビア様が気になるのなら、迎えに行ってはいかがですか? 急ぎの仕事はございませんし、先に報告書を読みやすくまとめておきますよ」

「いや、しかし……」

「正直言って、ちゃんと集中できないのなら、仕事の邪魔です」

「じゃ、邪魔っ?!」

「はい。ちゃんとスッキリしてから、始めて下さい。そうでないと、威圧が出続けて、先ほどから報告書を持ってきてくれる部下が怯えています」

 イヴァンの言葉にしゅんと大きな体を丸めたアリスタリフだったが、仕事ができていない自覚はあった。そのため彼に言われるまま、仕事部屋を出て、オリビアを探しに向かうのだった。

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