当て猫娘の恋愛相談
立ち去る男性の影を見ながら、オリビアは冷汗をかいていた。
(まさか、別れ話をのぞき見する事になるなんて……。どうしよう)
その隣でしゃがんでいるチェレスリーナもとても困った顔をしていた。噴水のおかげで誰かわからないけれど、覗き見するべき場面ではなかったのはたしかだ。
そしてタイミング悪く、噴水が止まってしまう。水がなくなった向こう側にいる、現在修羅場の渦中にいる女性の姿があらわになった。それを見た瞬間、二人はお互いの口を押えた。
(嘘。このタイミングで、ガリーナ?!)
黒髪の女性は何人かいたが、メイド長のガリーナは長身な為、遠目でも分かりやすい。先ほどの会話を考えると、つまりはフラれたのは——。
そして噴水が止まってしまった為に、ガリーナの顔がオリビア達の方を向いた瞬間、ばっちり自分達の存在を認識したと気が付いた。眉が少しだけ上がったのを見て、オリビアはすぐさま隠れるのを止めて立ち上がる。
「ガリーナ、ごめんなさい!!」
「申し訳ございませんでした」
オリビアが潔くすぐさま頭を下げれば、その一歩後ろでチェレスリーナも頭を下げた。その姿に、ガリーナは怒ることはなく、むしろ困ったような顔をした。
「頭をお上げください。私も職場でつまらぬものを見せてしまい申し訳ございませんでした」
「つまらないって。いや、その……本当にごめんなさい。最初から私たちが隠れるべきではなかったと思う。そうすれば、えっと、先ほどの男性も私達が立ち去ってから話したでしょうし」
どちらにしても修羅場には変わりないが、自分から人に話すのと、勝手に事情を知られてしまうのでは全然意味も違う。
つまらない話ではないが、だったら何だと言われれば答えられないオリビアは、本気で反省した。オリビアがいた屋敷では早々修羅場などなかったし、職場内では皆節度ある行動をしていた。でもそれはオリビアの屋敷の求人倍率が高く、勤めたいと思う者が多かったので、首にならぬよう皆気をつけていただけだ。特にオリビアの目がある所ではなおさらそうなっていた。
「いいえ。やはり悪いのは私と、あの男です。誰にも見られたくないのなら、このような場所でするべきではありませんでした」
「……えっと。あの……。どうしてそんな話をここですることになったのか聞いてもいいかしら?」
ガリーナの話しぶりから、普段は公私を分けるタイプなのだというのがオリビアにも伝わった。まだほとんどガリーナとは話していないが、普段から確かにとてもまじめに仕事に取り組んでいるのも知っている。だったら何故、職場であえて別れ話をしたのかが、オリビアには引っかかった。
「未練なく、別れるためでしょう。彼は職場で別れ話をすれば、誰かに聞かれると分かっていた確信犯です。私は以前お話した通り、龍種の血を引いていますから、どちらかといえば執念深いので」
龍種はよく言えば一途、悪く言えばガリーナの言う通り執念深い。なので龍種の恋というのは中々始まらず、結構な時間をかけてようやく恋人関係となり、更に時間をかけて結婚という番関係をもつ。もっとも恋人関係になれば、普通はそのまま番になるのが大半だ。そして番となれば、死別しても再婚はまずない。
それぐらい一途に思い続けるのだ。
「未練なく別れるって……」
「私はここでメイド長をしておりますから。他者に分かれたという話が伝われば、仕事関係を優先し付きまとうような事はしないだろうと思ったのでしょう」
ガリーナは泣く事はなかった。それでも、あまりに寂し気な表情に、オリビアの胸は痛くなった。まるで愛しているからこそ、彼の気持ちを受け入れようとしている様だった。
「でも。ガリーナの気持ちは終わってないのよね?」
「……そうですね」
「どうして別れ話になってしまったのか教えてくれる?」
(踏み込み過ぎかしら? 私が聞いては命令みたいよね。でも……見てしまったからには、ガリーナが心配だし……)
オリビアは尋ねてみたものの、失敗しただろうかとへにょりと尻尾を下に下げた。
オリビアに恋愛相談してくる女性は多いが、基本誰か好きな人がいて、その仲介になって欲しいというものだ。または別れ話の後にやっぱり別れたくないと、復縁のためな時もある。しかしガリーナはから復縁したいという言葉はない。だとしたら大きなお世話という可能性だってあるし、そっとして欲しいと思っているかもしれない。
恋愛経験自体はゼロであるオリビアはどうするのが一番なのか分からなかった。
やっぱり言いたくなければ言わなくていいと口を開きかけるより先に、ガリーナが口を開いた。
「分かりません。彼は私には自分は相応しくないとしか言わなかったので。分かりませんが……たぶん、私が龍種の血を引いているからではないかと思います」
「この国では、混血の方が多いのではないの?」
ここに来るまでの街中でも、それらしき人はいたし、アリスタリフからも種による差別がないようにしていると聞いていた。
その為オリビアは、珍しくはあるが、それほどこの国では忌避されてはいないのではないかと思っていた。
「そうですね。他国の状態はあまり詳しくないのでなんとも言えませんが、それなりの数の異種婚があると思います。私も混血による差別は受けたことがございません」
「それなのに、龍種の血の所為だと思っているの?」
「はい。異種婚による差別はないのですが、やはり種が違えば考え方も違いますから。私の彼……いえ、元彼氏は純粋な人種なのです。つまり、フェロモンを全く感知しません」
(そう言えば、チェスがガリーナからはフェロモンを感じると言っていたわね。つまり、彼女もフェロモンを感知しているのね)
人種はこのフェロモンが分からないが為に、他種との婚姻を恐れる。恋人がフェロモンという自分にはないものの所為で他人になびくかもしれないと恐れるのだ。
「それを理由に別れを切り出すなら、最初から恋人になってはいけなかったと思うわ。ガリーナが龍種の血が流れていて、フェロモンがある事は知っていたのでしょう?」
「そうですね。知っていました。だから……ずっと不安にしていたのかもしれません。特に龍種は、番に対して運命の相手だとよく公言しますから」
龍種の結婚は他種の結婚より重い。確かによく『運命の番』とかそう言う言葉を使いたがるし、実際周りも運命だったのだなと思うぐらい仲睦ましい。
「……すみません。そろそろ仕事に戻らせていただきます」
「私も本当にごめんなさい」
「気にされないで下さい。私は龍種の血が流れていると言っても、四分の一で、大丈夫ですか」
そう言って去っていくガリーナの姿勢はいつもと変わらず凛としていた。
それでも、オリビアの目には彼女が無理にそうしている様に見えた。でも何も慰める言葉が見つからず、唇をかむ。
「あのね、チェス。実は私、少しお節介なの」
「承知しております。そして私は噂話が好きな猫なんです」
(見ていなかったら知らないこととするけれど、私は見てしまったし、彼女のことも知っているわ。仲の取り持ちは無理でも両者もう少し話し合いが必用じゃないかしら)
このまま放置するのはどうしてもオリビアは嫌だった。チェスは分かっていますというかのような顔でオリビアを見た。
「ガリーナの元彼氏、どんな人なのか、すっごく興味ありますので、早速調べますわね。メイドは噂好きですから」
「もう。本当に仕方のない猫ね」
「お嬢様こそ」
オリビアとチェレスリーナは顔を見合せ笑った。