野獣のお茶会
「アーリャがいいから、私はお願いしているのですけど?」
小首をかしげ、本当に、心底不思議そうな目を向けてくるオリビアに、アリスタリフは胸が詰まるような思いを感じた。
(俺を必要としてくれている……)
乗り気ではなかった、異国から来た婚約予定者は、何もかもがアリスタリフにとっての想定外の詰め合わせだった。それは悪い意味ではなく、いい意味でだ。
呪われてからというもの、女性から悲鳴を上げられ、怯えられ、一方的に罵られてきたアリスタリフにとって、まず悲鳴を上げない女性がいるというのが予想外だった。使用人の中にはアリスタリフに若干怯えても悲鳴までは上げない者もいたし、赤玉公などほんのわずかだが、姿が変わっても態度を変えなかった者もいる。しかし婚約まで話が進む相手では初めてだった。
更に悲鳴を上げないばかりか、食事を共にしようと彼女の方から言ってきたりと、まるで普通の人のように扱われ、アリスタリフは昨日から驚きと戸惑いの連続だった。更にアリスタリフが怯えられる原因までも見つけてくれた少女。
アリスタリフにとって、彼女はたった一日でとても大切で特別な少女という立ち位置となっていた。
「私がいいのか……そうか。そうなのか。ならば一緒にお茶をしよう。そして何でも聞いてくれ」
「ありがとうございます」
元々良く笑う少女だったが、改めてお礼を言いながらほほ笑むオリビアを見た瞬間、アリスタリフの心臓が高鳴った。
(なんだろう。私は猫種のフェロモンなど感じないはずなのに……。それとも、呪いで獅子の姿に変わったから、感じたりすることもあるのか?)
いい匂いを感じたわけではないが、オリビアを見ているとそわそわとしてしまい、アリスタリフの尻尾が揺れた。
「い、椅子に座ってくれ。その……立ったままだとアレだ。あー、その」
「そうですね。折角のお茶が美味しくなくなったら残念ですもんね!」
尻尾をピンと立てるオリビアを見たアリスタリフは心臓のあたりに手をやった。ドキドキといつも以上の速さで心臓が動く。
(……猫種というのは、可愛いんだな)
感情を素直に出す三角の耳も尻尾も、彼にはこれまで以上に可愛く見えた。三毛髪という猫種独特の髪色も、とても素敵で彼女に似合っていると思った。今まで見たどの女性の髪よりも、ずっと。
(どうして今まで猫種がこんなに可愛いと気が付かなかったのだろう。あれか。……イヴァンに対して可愛いと思ったことはないから思い込みか。そもそもこれまで、こんなにマジマジと猫種の女性を見たこともなかったしなぁ)
イヴァンは育ての親に近く、更に雄だ。アリスタリフも長年一緒にいたが、彼に対して可愛いという感想を抱いた事は一度もなかった。だからこそ、アリスタリフはイヴァンのイメージで猫種はこういうものだと思い込んでいたのだろうと結論付けた。
(猫種は恋愛抜きでも可愛いと言っている者もいたしな。なるほど。確かに、ずっと見ていたくなるぐらい可愛いな)
アリスタリフはオリビアの椅子を引こうかと動いたが、それより先にチェレスリーナが椅子を引き彼女を座らせていた。少し残念に思ったが、彼もまた真正面に座ることにする。
真正面に座れば、もちろんオリビアを真正面から見ることになる。その姿を見た瞬間、彼は弾かれるように自分の手元の皿に視線を落とした。
(……なんだ。どうしたんだ? 何でこんなに可愛すぎるんだ? もはや凶器に近いぞ? どうする? 目隠しするか? いや、待て、この姿で目隠しとか変過ぎて、オリビアに引かれるだろ。駄目だ駄目だ。それは、絶対駄目だ)
「アーリャ、どうかしましたか?」
「へっ。いや。他人とお茶をするのは……その、久しぶりで。いや、その……」
「やはり一人がお好きでしたか?」
「それはない」
(一人楽しいとか、どれだけ寂しい奴だ……いや。私は、寂しい奴だったな。人と慣れ合う事に対して、ずっと価値を見いだせなかったのだから)
オリビアの言葉を否定しながらも自分の古傷も思い出してしまい、若干へこんだアリスタリフは、ため息をついた。
獅子の姿となってから、ようやく人と関わる事の大切さを知ったのだけれど、それまでのアリスタリフは彼女が言うとおり他者との交流を煩わしく感じるタイプだった。アリスタリフが理想とするレベルの仕事ができるようになるには、やらねばならぬこと、学ばねばならぬことが沢山ありすぎて、彼は同世代と仲良くするだけの余裕がなかった。そもそも彼から手を伸ばさずとも勝手に人が集まってきていた。そしてそれが当たり前すぎて、彼らの期待に勝手に息苦しくなり、煩わしいものと思っていたのだ。
呪われてからそれが一切なくなりしばらく誰とも話さない時間ができ、次第に上手くしゃべれなくなってしまった時、人と話す事の大切さを知った。それ以来イヴァンなど、あまり怯えない使用人とは話すようにしている。してはいるが、使用人はやはり使用人なので、一緒にお茶を楽しむということもない。
「よかったです。あまりアーリャの負担になりたくはなかったので」
「負担だなんて、とんでもない! 私はずっと、一緒にお茶をする相手が欲しいと思っていたんだ」
「そうなのですか? 私の祖母がお茶を大事にする人だったので、私もお茶の時間は好きなんです。それにアーリャには、色々聞きたい事とか話したい事とかあるんです」
「ああ。そうだったな。この国の事が聞きたいんだったな」
ドキドキしっぱなしで、当初の目的を忘れそうになっていたが、アリスタリフはオリビアの言葉で何のために一緒の席に着いたのかを思い出した。
「もちろんそれも聞きたいですが、アーリャが面白いと感じた本とか、オススメの日当たりにいい場所とかとにかくアーリャの事が知りたいです」
キラキラとした緑の瞳に見つめられると、全て彼女の言うままにゆるしてしまう気がした。そもそも彼女のお願いは、アリスタリフを喜ばせるものばかりだ。
(俺の事を知りたいのか)
こんなことを言われたのは、呪いを受ける前もなかった。
アリスタリフに寄ってくる人は、自分の意思を伝えてくるばかりでアリスタリフがどう思っているか聞いては来なかった。アリスタリフも自分から話さなかったのでお互い様だが、彼は聞いてもらいたかったのだと、今気がついた。
「……私もオリビアの好きなものが知りたい」
ポロリとこぼれ落ちた言葉にアリスタリフははっとするが、オリビアは、気にしたようすもなかった。
「いいですね。でもまずはこの国のあり方をざっくり簡単に教えて下さい」
一人ドキドキしてしまっているアリスタリフは落ち着こうとガリーナが用意したお茶を飲む。
(落ち着け。オリビアは、俺と結婚したいと言っているわけではないんだ。深読みは良くない。ただ、そうだな。彼女とは結婚せずとも親友になりたい。そのためには、俺も誠意を見せなければいけないな)
「まずこの国だが、オリビアの国とは違い、三つの種が同じぐらいの割合で住んでいる。ツヴェート国はそれぞれの種を尊重しあい共に生きる道を選んだんだ」
ツヴェート国は、雪深い北国だ。
進んで人が住むような場所ではなく、始まりは南の国からの難民が住み着いたと言われている。そして過酷な環境下だった上に、迫害などを経験してきたもの達の集まりだったからこそ、協力し合うという生き方を選んだ。
種が違えば、考え方も違う。同じ種ですら違うのだから、これらの意見をまとめるのは大変だった。しかし違うからこそ、それぞれの得意分野を生かすようになったのだ。相手の欠点を見るのではなく、相手の長所をより生かすように国を作った。
「そして国の基礎を作ったのが、三光家と呼ばれている。名前は三だが、実際にその三光家に名を連ねているのはもっと多い。三というのは、人種、猫種、龍種を指すんだ。そしてこの国の責任者を光帝と言い、三つの種で十年ごとの受け持ちで回しているんだ」
どの種が王となっても具合が悪かったので、いっそ王は交代制にしようという流れだった。
「なるほど。ちなみに光帝は誰がなるとか、どうやって決めるのですか?」
「三光家の中からそれぞれの種で選ぶことになっている。今は龍種が光帝として君臨しているが、彼もまた龍種たちからの推薦でその座に座っている。ちなみにこの任期中に、光帝に相応しくない行いをしたり、病などで続けることが難しい時は、その種の中から別の者を選んでいる」
とにかく種ごとの任期期間は変わらない。何があろうと十年はその種が光帝となる決まりだった。
「ちなみに赤玉公は三光家の一つで、今の光帝のお父様なのですよね?」
「ああ。三光家の代表が光帝と兼任はできないから、一度赤玉公は息子にその地位を受け渡していたが、彼が光帝となる間は、再び赤玉公の役目をやっておられる」
「光帝となるのは、年齢は関係ないのですか?」
「関係ないな。仕事さえできれば、老いてようと、幼かろうと構わない。だから光帝が息子で、親がその家臣となることもよくある。そして光帝の親だから、親族だからと言って、発言力が強くなる事はない。赤玉公が家名を名乗らないのもその一環だ。その位を拝命した時点で、あくまでも拝命された本人だけの権力であるという意味で、家名は名乗らないんだ」
アリスタリフの説明に、オリビアはへぇと相槌を打った。
オリビアの国の貴族は、家単位で動き、家をより繁栄させることに慢心する。そのためかなり不思議な国の在り方に感じていた。
「えっと、アーリャも三光家の一つとのことでしたから、何か赤玉公のような呼び方があるのでしょうか?」
「ああ。俺は白玉公と名乗っている……。といっても、パーティーに出席したり光帝の招集は父が代理としてやってくれているので、とても中途半端な存在でしかないが」
(そう、俺は……ずっと半人前だ)
アリスタリフは説明をしながら、しょんぼり耳をたれさせるのだった。