当て猫娘のお願い
厨房の方へ向かったオリビア達は、すぐにメイド長を見つけることができた。彼女は厨房の入口近くにいた上に、キッチンメイドよりも明らかに背が高くて目立っている。
「ガリーナ、ちょっといいかしら?」
オリビアが声をかけると、彼女は慌てたように振り向いた。ただし動きこそ慌てていたが、顔色は変わらずで、にこりともせず口を真一文字にしている。
「はい。オリビア様。何が御用でしょうか?」
「アーリャがお茶をすると聞いたのだけれど、私もご一緒できるかしら?」
その言葉にピクリとガリーナの眉が動く。しかしそれ以外の変化はなかった。
「アリスタリフ様がご許可いたしましたら、問題ございません」
「そう。なら休憩時間になったら私から聞いてみるから、了承が得られたら準備してもらえる? もしもダメな時は、ガリーナの時間を少し私にくれない?」
「私、ですか?」
ガリーナはほぼほぼ顔色を変えなかったが、少しだけ黒色の目が大きくすると、オリビアをマジマジと見つめた。
「ええ。それとも忙しい? 忙しいなら、また別日で構わないから、この国の事を教えて欲しいの」
「いえ。時間は作れますが……どのような事を知りたいのでしょうか?」
困惑気味のガリーナに対してオリビアは、待ってましたとばかりに目を光らせると口を開いた。
「アーリャの位もそうだし、そもそもこの国の在り方がさっぱりなの。光帝とか、三光家とかそういうものが私の国にはなかった概念なのよ。おかげで、赤玉公とかもよく分からないし、貴族の位の情報が混沌の闇の鍋のようで、時折ひょっこり顔を出しては私の繊細な心を驚かせるのよ」
「お嬢様が繊細だとしたら、私などどうなってしまうのでしょうか」
「チェレスリーナは船酔いもしないぐらい図太いじゃない」
オリビアは畳みかけるように質問をぶつけ、さらに寸劇のように自分の不安を大袈裟に口にする。その後ろでチェレスリーナが冷静にツッコミを入れた。
「あれは小魚の力です。お嬢様は食べないから」
「小魚にそんな力ないわよ。そもそもアレ、食べ過ぎると体に悪いって言われているんだから控えなさいよ」
「そんなの迷信ですよ。猫が駄目だからってなんで猫種まで駄目だと思うのです? お嬢様ったら、おかしな猫ですね」
「いつでも小魚ごり押しする、小魚教のチェレスリーナには言われたくないわよ!」
二人がじゃれるような言い合いをしていると、プッと噴き出す声がした。二人が声の主を見れば、先ほどまでおすまししたように立っていた、ガリーナが口元を押さえていた。
「……すみません」
「いいわ。笑わせたかったから」
「は?」
「笑わせたかったのよ。ここの使用人、私に対して笑う事がないし、色々思うところがあるのかなと思ったの。アーリャとの身分差とか、私の噂とか色々あるから仕方がないけれど、アーリャを助けるには私はとにかく最低限のこの国の常識を身につけておく必要があるのよ。だけど元々勉強嫌いなのに嫌々教えられたり、嫌がらせで嘘を教えられたら困るから、それなりに仲良くしたいわけよ」
オリビアは、笑顔でぶっちゃけた。
ぶっちゃけ過ぎで、先ほどまで笑いをこらえていたガリーナが困惑した顔をしている。しかし澄ましたような無表情ではなくなっていた。
(ここは妹から言われた、伝家の宝刀を抜く時ね。気は進まないけれど)
「でね。正直……こ、困ったにゃん」
オリビアは上目遣いでガリーナに助けを求めた。恥ずかしすぎて顔が赤くなり、尻尾がぴくぴく震えた。
(……妹よ。これ、失敗した時、どうリカバリーすればいいの?)
妹は大丈夫と太鼓判を押したけれど、全然大丈夫な気がしないオリビアは、不安で目を回しそうだった。
「か、可愛すぎます……」
「やりましたよ、お嬢様。お嬢様の勝利です!」
(いや、勝利って。私は一体何に勝ったのかしら?)
ガリーナが頬を染め目を潤めながら、口元を押さえるのを見たオリビアは首をかしげる。
しばらくの間悶えていたガリーナだったが、時間が経ったことで調子を取り戻したらしく、誤魔化すように咳払いをした。
「お見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ございません」
「いいのよ。私も、結構アレな行動だと思っているし」
(……伝家の宝刀は諸刃の剣よね)
居心地の悪さを誤魔化すように、オリビアは自分の耳や髪をいじる。
猫のような言葉を猫種が使うと、人種などは喜ぶけれど、猫種からしたら何だかぶりっこしているようで恥ずかしいのだ。
子供の頃はニャーニャー言っているので、猫種にとって、あのしゃべり方は赤ちゃん言葉に近いものがあった。
「あの。勘違いされている様なので、一つ訂正させていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
「いいわ。何かしら?」
「私たち使用人は、オリビア様を歓迎しておりますし、べつに思うところも特にございません」
「そうなの? 初めて会った時、皆無表情だったのだけど」
使用人総出で、お出迎えされた時のことをオリビアは思い出したが、アレを思い出すと、少し尻尾が足の間に入り込みそうになる。それを見栄だけで何とか誤魔化すけれど、尻尾はへにょんと力なく垂れ下がったままだ。
「えっと。この国では、初対面のそれも上役の方にへらへらと笑うのはあまり好ましくない行為なのです」
「えっ? そうなの? あれ? 私、もしかして、問題行動連発してる?」
ガリーナの言葉に、オリビアは顔を押さえてオロオロとする。オリビアはどちらかというとずっと笑顔を振りまいていた。
「大丈夫です。オリビア様が異国の方だというのは全員分かっていますから。皆、可愛らしい方が来たと喜んでおります」
「そ、そう? へへへ。可愛らしい?」
「お嬢様、照れているのはいいですけれど、かぶっている猫が剥がれ落ちてますよ」
チェレスリーナの言葉に、ハッとしたような顔をしたオリビアは、すくっと背筋を伸ばし、貴族っぽい顔をしたが、取り繕い方が雑過ぎて、ガリーナはプルプルと震えた。
「ほ、本当に、可愛らしい方ですね」
「チェス、可愛いって」
「はいはい。お嬢様は可愛いですよ。良かったですね」
にこにこと笑うオリビアに、チェレスリーナは苦笑いした。
「じゃあ、もしもアーリャから詳しくこの国の事を聞けなかった時はガリーナ、よろしくね」
「私の知っている事でよろしければ。ただ、もしもご希望でしたら家庭教師を付けることも可能かと思いますが」
「あー、そこまではいいわ。授業時間がどれぐらいになるか分からないけれど、増えれば増えるほど、アーリャの傍にいる時間が無くなってしまうし。それでは本末転倒だわ」
(そもそも、どれぐらいの期間この国に居るのかも分からないし。知識は役に立つでしょうけど、本当にさわりをサラッとという感じで、失礼にならない程度の常識が手に入ればいいのよね)
オリビアとて、実家ではちゃんと家庭教師をつけて勉強をしていた。結婚できなければ、オリビアが伯爵となるので、それなりの知識は必要なので、勉強が苦手でも頑張ってきたのだ。
だから彼女が今欲しいのは、アリスタリフの国の常識的な話なのだ。詳しく歴史まで学ぼうとは思っていないので、そうなれば家庭教師をわざわざ頼むよりも、ガリーナなどの現地の人に聞く方が早い。
「そろそろ、アリスタリフ様のお茶の時間ですが、中庭に行きますか?」
「是非! 今日の御茶菓子は何かしら?」
「イチゴのヴァレニエです」
チラッと見せてもらったものは、イチゴがそのままの形で入ったジャムだった。赤くつやつやとしたそれは、とても甘そうで見ただけでオリビアの口が緩んだ。
「お茶会に参加できなくても、ソレ貰える?」
「勿論です。ヴァレニエは菓子職人が腕に寄りをかけて作っているんです。オリビア様は甘いものはお好きですか?」
「ええ。すっごく好きよ」
オリビアの尻尾がピンと上を向いた。
その様子をガリーナが微笑ましいものをみるような目で見つめた。
「きっと菓子職人がこれからは美味しいケーキなども焼いてくれると思いますわ。彼は焼き菓子づくりも得意ですので」
「本当?! ふふふ。やったわ、チェレスリーナ!」
「お嬢様ったら、もう、本性隠す気ありませんね?」
呆れたように言うチェレスリーナだったが、彼女もまた、オリビアを慈しむような目で見つめていた。