お互いの移動手段へ
シングルベール、シングルベール
一晩を過ぎて、その翌朝。ソートとドットブックは一晩中語り明かし、お互いの船に入って休もう、とソートが提案したときには夜がもう開け始めている時間帯だった。ドットブックはその提案に同意しようとしたが、日が明けるような時間は極地でもなければ起きるのに都合がいいもので、彼ら二人が睡眠をとることは叶わなかった。もっとも、得るものは大きい、といった感じの表情だったので心情的には問題はないだろう。
お互いの親睦を深めるために、人間側の飛行船で朝食会を……ということになりそうだったが、朝食の間程度の短い時間ではお互い分かり合えるはずがない、やらないかもっと長い時間、それこそ数日単位でやるべきだ、とのタマからの提案により、早々にお互いの船に乗り換えることになった。
その場にいた人間も魔族も、それとワイバーン達も……全員が、タマの言葉には説得力があると感じたのだ。
タマの幻惑妖術は、五感なども騙す、と人間側には伝わっているがそれは正しくない。
彼女の幻術は、自分も騙し、世界も騙す。結果として、彼女が少しだけ意識すればだれの言葉よりも説得力がある言葉になる。
彼女の『強い言葉』があれば、自分の情報一切を抹消できるはずであるが、『世界』を騙すということは強い修正力を受ける。結果として、人間の国側にも逸話が多く残ってしまっている。以前は殆ど残っていなかったが、彼女がそれらをなくそうとした結果、以前よりも各地に記録が増えた、という経緯がある。
彼女は今回、王命を受けている、ということになった。魔王国が発展するために必要な情報収集と、まとまりがつかなくなりそうになった時は軽い指示を出してほしいということ。今そうなった。
もっとも、情報収集の指令に関しては全員受けていたが、彼女が名目上のリーダーとなった。そしてそれは、魔王国側の学生、人間の学生、お互いの船の船員。それら全員に認識されることになった。起きた変化に関して差異が分かるのは彼女だけだ。
「(今回起きた誤差はそんなに大きくなかったか。あまり意識するものじゃないな)」
世界からの『揺り戻し』が起きるトリガーは彼女にも分かっていない。
彼女程の幻惑妖術使いは他にいないが、それは世界を騙し続けた結果により異様なまでの結果が、彼女すら改変してしまったから、というもの。故に妖狐の間では、ある程度以上の妖術は禁術となっている。
「とりあえず、お互いの荷物を取ってくるとしようか」
タマの思案をヨソに、ドットブックとソートはお互いの船に戻る。朝食に関しては、お互いの食文化に関して理解をするために交換しよう、という話になった。吸血が必要な人達は、自前の瓶入り血液か、もしくは液化するまで粉砕した肉を追加で食事のメニューに入れる。
===******===
「人間の食べるパンというのは結構硬いのだな」
「ええ、柔らかいパンもありますが、少なくとも私達の国ワルドでは、ビスケット……この薄くて硬いパンが好まれます」
人間の料理人は、割と丁寧に教えてくれる。文化交流のために、お互いに聞かれたこと、あるいは聞かれていないことを、差しさわりのない範囲で教えあうことになっているからだ。
料理人は、食文化に関しては公開したところで問題ないだろう、と考えていた。
「薄く切った野菜やハム、チーズなど。乗せたり挟んだりですね。それぞれの量が少ないので、色々なものを好きなように食べることができます。勿論、ビスケット単品で食べてもいい。ただ、慣れないうちは上に乗せたものを零してしまうことも多々あります。旅行客や子供はよくあるとか。朝食にビスケット、というもので、昼や夜には別のものを食べますね。それはその時のお楽しみ、ということで」
ドットブックとタマ、それからリンの手が途中で止まる。
「どうされました?」
「いや、我々の国では昼食を食べる文化がない……昨日は話しこんだが、食文化に関してはお互いに話さずにいて、出てきたときに新鮮な気持ちでいられるようにしよう、と決めたのだ」
3人は残った料理と自分の胃袋、興味のある具材を見比べて、リンはそのまま手を止め、ドットブックとタマはそれぞれ欲しいものをいくつか確保した。
吸血種であるレッドウィング=スターとツブサはその手の速度は変わらず、緩やかな速度でビスケットだけを食べ続けていた。吸血種であるが故に、食事の量というのは些末な問題なのだった。
===******===
「この箸という道具は使いにくいな」
「ああ、だからそちらのナイフとフォーク、似たような道具の匙も用意してある。それらを使って構わないのだが」
「そうは言っても、食文化というのは慣れと馴染みが大事だろう?」
「君以外の学生はもう諦めてしまっているようだが」
「問題ない! あくまで俺の主張であって、誰かに押し付けたり強要するつもりはないからな!」
「君の王子という立場上、君が諦めなければ他の子達もやめることができないのだが」
料理人の言葉に、ソートは一瞬顔を顰めてから、仕方ない、といった感じにスプーン……否、匙に手を伸ばした。
「このスープは随分と塩味が効いていて、それでいて深みがある、単なる塩味ではないのだな。なにか野菜や動物の骨の出汁で煮込んでいるのか?」
「こちらは『味噌』という調味料をお湯に溶いて作ったもので。お湯の方の出汁は、乾燥させた海藻や極限まで乾かした魚を粉砕したものなどを使う」
「こっちは?」
「米と呼ばれる稲の仲間と、麦を混ぜて炊いたものだな。我々の国ではこれが主食だ」
「これほどまでに柔らかくもしっかりしているものが毎食、か?」
「ああ、朝夕両方とも食べてる。上に料理を乗せて食べるという方法もあるな」
「上に……ん? 朝と夕? 昼は?」
「ん、あー、そっちには昼に食事をとる文化があるのか……だから観光客が……なるほど。こっちの国には昼に食事をしないのが普通なもんでな。そのぶん朝と夕方の食事を多くしておく」
「そういうことか……皆、しっかり食べるぞ」
「ちゃんと味も確認してくれよ。苦手な味付けがあるならそれも把握しておきたい」
少しの食器がぶつかる音と、それから小さな咀嚼音が食堂に響く。
もう間もなく、お互いの移動手段は空へと向かう。
「おい皆、窓から向こうの船が見えるぞ」
「おお、本当です。しかしやはり、このように大きな塊が浮いているのは、いまだに信じられない……いや、理屈は聞いているし理解していますけどね? そういうのとは別に、心理的には否定したいというか……」
「リズ、もしかして高いところが苦手なのか? 人は恐怖を誤魔化すために饒舌になると聞いたことがある」
「なっ……いえ、そうなんですが。面と向かって言われると否定したくなりますよ、セレス」
「なぁに、私は理屈なんて何も知らないんだ。快挙を喜ぶ面の方が大きいな」
「君が理屈を知らないはずがないだろうに」
「そうは言ってもな、ガード。今回は調べていないから本当に知らないんだよ。魔術か科学か、それとも遺品の力か、って」
「あなたが知ったら自力で作れちゃうんじゃないですかね……」
「さすがにまだ私が自由に動かせる財産は君ほどではないよ、メグ」
「お、あれってこっちに手を振ってるのか?」
「どうなんだろうな。一応振り返しておくか」
「そうですねぇ」
5人ともが窓の近くで手を振る。収入があっても、あるいは身分が高くても。やはり彼らは年相応の子供なのだ。少し気張っていた、あるいは警戒していた船員達も、彼らの其の微笑ましい行動を目にして、緊張と表情を柔らかいものに変えていた。
「なんというかあれだな。朝食が少ないと後から小腹がすいてしまうんじゃないかと不安になる」
「まあ、否定派しませんが。でも昼過ぎまでの辛抱ですよ。……頼んだら何か作ってくれそうではありますが」
「一回当たりの食事量の調節というのは大変そうだな。こっちは血液かそれに類するものがあればどうにかなるから」
「正直なところを言うと、食事量を減らしたのは失敗したと思っている」
「私とドットブックは追加でいくらか取ったけれど、あなたは言われた時にやめてしまいましたものね」
「はは、俺の方も腹の虫がいつ鳴るか分からないままだ。一緒に我慢しような」
「逆に考えよう。食事の回数が増えて楽しむものが増えたんだ、と」
「2人にとって普通の食事は嗜好品でしょうに……と、そろそろ船が離れていくわ」
「そうだな……手でも振ってみるか?」
「レッドウィング=スター。それはまたどうして」
「そっちのほうが、彼らも喜ぶだろうと思って」
「ふむ……なら、そうしておこうか」
「タマがそういうなら、異論はないな」
5人の魔族が窓から手を振る。ワイバーンシップの窓は小さいし距離もある。もしかしたら気付いてもらえないかもしれない。
けれど。
手が振り返された、ような気がした。
5人の表情は安堵したように、あるいは嬉しそうなものに変わる。彼ら全員が密命を受けてはいるが、それでも、一晩を明かした人間の友人たちと知り合えたという点だけで、彼らにとって大きな価値のあるものになった。船員達も、この交流を見て、王子が叫んでいた『歴史に残る偉業』というものに関して、なんとなくではあるが理解することになった。
3日もすれば、お互いの飛行船はお互いの国に到着する。
この交流のきっかけは経済的な思案から起こったものだったのかもしれないが、間違いなく未来を創っていくための道となり轍となる、明確な改変となるものだ、と言い切っていいだろう。