六番目の、突然いなくなった瀬戸海幸助について。
煮干祭が終わり、平凡な日々が☆☆高校に訪れていた。
瀬戸海幸助もその一人になるはずだった。
今彼は、昼休みの学校の屋上で田園風景を眺めている。
後ろを振り返ると、夏休み中にできたらしい穴が適当に修理されており、その端切れの上に黄色い髪の毛をした女の子が立っているのが見えただろう。
もしかしたら、もしも振り返っていたならば、彼は平凡な人生を歩めたかもしれない。
まあそうならなかったからこそ、この物語が存在するわけだが。
その女の子、十六歳、は彼に音も無く忍び寄り、肩を叩いた。
途端、二人は光に包まれ、この世界から文字通り消え去った。
「あんたは、誰だ」
「私は、タンポポです」
「で、ここはどこだ」
「洞窟、です」
「そんな事じゃなくってな」
「ここは、ミニュペト界よ、多分だけど。あんたが生活していた世界とは、また別の世界」
その言葉に、僕こと瀬戸海幸助の頭はこんがらがる。目の前にいる女の子にはそぐわない内容だった。
「それは、どういう」
「分かってよ。て言うか、異世界に来たぐらいで慌てない」
「いや、慌てるって」
「まあ、私の言葉が分かっているなら大丈夫でしょう」
「いや、分かってないし、大丈夫じゃないし」
「さ、行きましょ」
「ちょっと無視?待って」
「なに? 時間、無いんだけど」
年下のはずのタンポポに睨まれ、すごすごと引き下がった。
連れてこられたのは洞窟の最深部のような所。
地面には青白く光る二十芒星。内側には二重の円があり、その間には文字のような図が隙間無く書かれている。
「はい、じゃあ真ん中に乗って」
そう指示される。
「これは?」
「魔法陣」
「本物?」
「勿論。さあ早く。時間が無いんだから」
女の子に背中を押された。
「今、変な事を考えたでしょ」
首をブンブン振りながら真ん中に行く。
タンポポの右手が上に上がる。
「それじゃあ、行くわよ」
「行くって、どこに!」
「レイアさん、お願いします」
「また無視ですか」
言い終わるとすぐに僕は光に包まれた。
目を開けると、どこか野球場のような場所にいた。
丁度マウンドの上に、僕とタンポポは立っていた。いや、マウンドのような所だろう。ベースのようなものは無く、スタンドも無い。
プラネタリウムにしては大き過ぎる。
山の内部を削るとこんな感じにする事もできるだろうか。
「さ、こっちよ」
いつの間にか壁際まで行っていたタンポポはよく通る声でそう言った。
扉を開けたようだが、ここからだと鼠の穴のように見える。
多少戸惑ったが諦めて歩を進める。
遠いかと思ったその扉は、十数歩歩いただけで目の前までやってきた。
「はい、中に入って。説明はその後。さっ、さっ、早くして」
「う、うぅ」
背中を叩かれながらその扉を入る。頭の処理が追いついていけない。
ともかく、状況だけ把握する事にする。
中は、さっきとは打って変わってこじんまりとした会議室だった。
そこに部屋のほとんどを埋め尽くす円い木製のテーブルが置いてある。
テーブルの周りを取り囲むように並べられたパイプ椅子の半分ほどに人が座っていた。
男性、女性共に三人。
僕のいる扉から半時計回りに、全身を黒で塗りたくったような男性、青い髪の男性、金髪の女性、緑色の髪の女性、空席、黒い長髪の少女、体格の良い少年。
タンポポは僕の後ろを通ると、隙間ができていた席に座った。
「ふいっと、瀬戸海幸助君、だネ。私はレイアっていうから。一応、ここの研究室の所長だからネ。よっろしく。んで、君の席は、すけっち君の隣ネ」
金髪のレイアと名乗る妙に軽いノリの女性が、体格の良い少年を指で指しながらそう言った。
「は、はい」
素直に従う。というより、他の行動を思いつくことができなかった。
テーブルに沿っておおよそ半周。自分に与えられた席に座る。
「んじゃま、幸助君は初対面だろうし、まずは自己紹介と行きますかネ? それじゃ、ペーシーの方からお願いネ」
「分かりました。僕は、ペーシーと申します。ここの研究所の設計者に当たります。以上」
黒ずくめのペーシーさんは抑揚の無い声でそう言った。
次は青い髪の人。良く見ると、瞳も青い。
「僕はホークです。一応、この隊員の中では策士っていう役についています。どうぞ宜しく」
丁寧にお辞儀をされ、ついこちらもし返す。
「んで、さっきも言ったけど私、レイアですネ。分かんない事があったら思う存分聞いてくっださ〜いっと。次、ランちゃんどうぞ」
レイアさんが言い終わると、ランと呼ばれた女性が立ち上がった。
「こんにちは。ランでございます。これから宜しくお願いいたします」
場違いにも真白いドレスを着ていたようで、その裾を摘んで恭しく礼をしてきた。
続いてタンポポの番。
「私の職種は科学者です。これが終わってから話すことは、全部私が見つけたことですから、悪しからず」
残ったのは、僕と同年代、あるいはそれよりも年少であろう二人だ。
まずは少女の方から。
「こんにちは。魔法使いの東恋です。これから色々と大変だと思うけど、頑張りましょうね」
にっこり笑う姿は、まるで天使のようだった。
そして、最後の少年の番。
「どうも。俺は遠山申緒。武術家だ」
成る程。道理で筋肉の付きが一般人を凌駕している訳だ。
「よっし、終わったネ。まあ、これで全員じゃあないんだけど、その時はその時、っと言う事でネ。それじゃあ、質問は後で受け付ける事として、タンポポちゃん、説明おっ願ーい」
レイアさんの後ろに現れたホワイトボードの前に、タンポポが立つ。
さっきまでとは違い、権威に満ち溢れた雰囲気になった。喩えるなら、小柄な大学教授と言ったところだろう。
「時間はまだたっぷりと残されていますが、一般人には理解する事は不可能だと思います。なので一言で核心を言い切ります。世界崩壊です」
さらりと出た、何だかとんでもない台詞を理解するのには、時間が必要だった。
核心は、世界の崩壊?
世界が崩壊する。
世界が、壊れ、崩れる。
「つまり、無くなる?」
「違います」
あっさりと否定された。
「消滅ではなく、あくまで崩壊です。世界という物は存在しつづけるだろうと私の予測ではなっています。そもそも崩壊と消滅との違いは、壁を思い浮かべればすぐに分かるでしょう」
壁が消滅する。
壁が崩壊する。
確かに、崩壊はイコール消滅ではない。
「それで、僕は、何でここに?」
「質問禁止。後でその問には答えます。今は崩壊に関する概念を簡単に説明しましょう。その前に、平行世界及び世界間移動に関する概念を説明しましょう」
そう言うと、ホワイトボードに横に平行線を三本書いた。
「ここで、横軸は時間、縦軸は各々の世界を現しています。基本的には、ある世界から見た他の全ての世界を総称して、平行世界と言います。以上が平行世界に関する説明です。次、世界間移動については文字通り世界の間を行き来することです。原理については瀬戸海君には不要な情報ですので、ここでは省略します」
今度は、平行線の上に、文字を書いていった。
「ドレガン・チェヌシュの問題。つまり、あらゆる事象は各個人の生まれた世界の法則に則る、というものですが、これの証明に関しては私の十年ほど前の論文を見てください。この研究所の書蔵庫にあります。そして、ずっと前からこの問題が成立しない現象が様々な所で起こっていました。一番初めに確認されたのがスパチュラ暦千六百年頃、つまり瀬戸海君のいた世界の西暦に直すと丁度紀元後に入ったばかりの頃になりますが、その時にチャペット界の一世界に突然変異体が大量発生した事です。その後も様々な所で似たような現象が起きました。魔法が存在するはずが無い世界に魔法使いが生まれた、という事象が一番多かったと報告されています」
そこで一息つく。
「その原因なのですが、それが世界間移動なのです。ドレガン・チェヌシュの問題を解く際に、各世界の物質はまるで水と油のように分離してしまう事が分かりました。ここからさらに考えを発展させると、世界間移動の際に移動した魔法素元や魔力や精霊などが、移動した先の別の世界に残ってしまうことが分かります。ここで何が問題になるか。と言うと勿論、魔法を使った犯罪者が出る事は当たり前ですが、それよりももっと危険な事があります。それは世界中の物質が均一化されることです」
ホワイトボードに書かれた平行線の間に、両方に矢印のある記号を縦に書いた。
「先ほど水と油、と言ったのが正しくその通りで、それぞれの平行世界同士は反発し合ってバランスを取っています。ここで水と油を混ぜると、一瞬ではありますがその境界線上の反発力は極端に低くなります。つまりそれぞれの世界に存在している物質を完全に混ぜてしまうと、その反発力は無くなってしまうのです。そうなるとどうなるか、という事は考えなくてもすぐに分かるでしょう」
そう疑問形で言い終えると、ホワイトボードに書いたものを消していく。
消し終わって、そして僕の方を見ながらこう言った。
「世界同士がまるで遠隔力によって一つに纏まろうとするかの如く、くっ付き始めるのです。いや実際にそうなのですが、今ここで理解する事は不可能でしょう」
一、二歩顔を下に向けながら歩いたタンポポは、続けた。
「瀬戸海君の質問に答えます。詳細は割愛しますが、一言で言わせてもらえば、君の容量が多い。ただそれだけの理由です」
そこでタンポポは席についた。
僕の心に少しだけ考える余裕が出来た。今までの話を振り返る。
つまり、どういう事だ?
というか、ありえないだろ。
しかも、意味不明だし。
どう考えても、
「信じられないよネ〜」
「なぬっ?」
僕が続けようとした言葉、いや考えが読み取られた?
いや、冷静になれ、僕。
こんな事、何でもないただのトリックじゃあないか。
「それならさ〜ネ」
「いえ、結構です。もう帰ります。どうせ、禄でもない事でしょうし、僕には関係が無いでしょうし」
多少、最後の容量という単語は気になったが、気にしたらいけないのだ。
「それに、午後の授業も出ないといけませんしね」
「瀬戸海君、だったかな。言っておくが、もう既に君のいた世界及びそれに同相な世界はもう存在していない。残念な事にな」
「は?」
ホークさんへの返事としてそう言ったきり、言葉が出てこなかった。
僕の、居た、世界が、もう、無い?
無い。
「それって」
「言葉通りの意味だ。君のいた世界は」
「ここは? ここは僕のいた世界じゃあないの?」
「残念だが、ここはどの世界にも属さない特殊な空間だ。この空間の表面を」
「そんな事はどうでもいいんだよ! ここは、違うのか」
思わず立ち上がる。椅子が倒れる音が部屋に虚しく響く。
僕はそのまま否定の言葉を待っていた。
ホークだけでなく、他の面々の顔も辛そうな顔をしている。
「嘘、だ、よな」
「いいえ」
嘘、では無い。つまり、本当。
本当なのだ。
「紛れも無い事実だ。諦め」
「諦められる訳が無いだろ。僕の、家族は? 吉岡さん、は?」
沈黙。
「生きているんだ、よな。世界は沢山あるんだ、よな」
「言ったはずだ。君のいた世界と『同相な』世界は、全て存在していない、と。つまり、君の居た世界から派生した全ての世界は、もう存在しない」
体の力が抜け、僕は床に倒れた。
そして意識も消えていった。
「大丈夫ですか?」
意識が戻って、最初に聞こえたのはそんな言葉だった。
目を開けると緑色の瞳が、ベッドに横たわる僕を見詰めている。
「ランさん、ですか」
「はい。先程はすみませんでした。急にあのようなお話をしてしまいまして」
「いえいえ。仕方ありませんよ。事実、なのでしょうから」
事実。
僕の世界が無くなった事が、事実。
多分そうなのだろう。
目の前にいるランさんの緑色の髪の毛はどうやら染めている訳ではないようだし、ここに来る時だって有り得ない現象が起きた事は確かだ。
信じるしか、今の僕にはできないんだよな。
「それで、これからの事なのですけれど。今お話しても宜しいでしょうか」
これからの事。
僕は頷く。
「はい。では先程、タンポポが言った内容は、どの程度分かりましたか」
「えっと、世界がくっ付いたり、無くなったり」
「はい。我々は、その事を崩壊と呼んでいます。実際の所は、無くなるのではなく、二つのコップに入った水が同じコップに入ってしまう、ような事です。つまり、ごちゃ混ぜになってしまう。物理的にも、心理的にも、精神的にもです。ありとあらゆるものが混ざってしまいます。それを、我々は止めようと思っているのです」
純白のドレス姿の、まるで王女のような人から発せられるような言葉とは思えなかった。
「つまり、救世主?」
「貴方の居た世界でのキリスト教の言葉を借りるとすれば、イメージとしては我々がそれに当たると思います」
「それで、どうやって」
そう聞くと、ランさんは困ったような顔をした。
「実の所ですね、私も良く知らないのですよ。タンポポとペーシーさんは理解ができているみたいなのですけれど、他の人はさっぱりでして。サザンカなら分かったかもしれませんね」
後半の方は独り言のようだった。
サザンカって誰だろう。
そう顔に出ていたのか、ランさんは説明をしてくれた。
「あっ、サザンカはですね、私のいた世界の古くからの友達です。ちょっと理由があって今は来ていませんが、そのうち我々に合流するはずです。あと、そうでした。忘れる所でした」
そう言うとランさんは僕に起き上がるように言い、近くのテーブルに招き寄せた。
テーブルの上には、一枚の紙とペン。
「これは契約書です。一応、便宜上なんですけど、全部読んだらここにサインをして下さい」
内容をざっと読む。
特に今の僕に不利になるような事はなかった。
僕は、何も考えずにここにサインをしていた。
ランさんはそれを受け取り。
「ごめんなさいね」
開口一番、そう言った。
「ホークが嘘をついていまして。貴方のいた世界と、その同相の世界はまだ存在していますので、安心してください。それと、契約の破棄はできませんので」
契約書を取り返す。
なになに。
この契約は、世界の物質を完全に分離するという本プロジェクトの目標の、八十パーセント以上を達成するまで破棄することはできません。
「どれくらい、かかるんだ。この、目標達成まで」
「それは、タンポポの予測によると、貴方が協力してくれれば一年弱で終わるそうですが」
「一年かよ」
その間、家族との連絡とか、授業とか。っていうか留年じゃん。
高校生で留年。
「あ、あくまで我々の感覚で一年弱だそうです。ほとんどの世界の時間に換算すると、一日弱になるそうですよ」
「そう、か」
少しだけ安心した自分がここにいる。
まあ、一日ぐらい、大丈夫だろう。
契約書には、他には自分に有益になるようなことはあっても、不利になるような事はないみたいだった。




