EX-78 AF「リーネが記憶喪失になりました」(後編)
前後編の後編です。
「待って下さい!まだ、VR学習システムの今日のノルマを終えていませんよ!」
「わああああ!なんで記憶喪失になったら、もっと厳しくなるのよー!」
「厳しくしないと、あなたのためにはならないからです!それは、私の記憶と関係ありません!」
「そりゃあそうかもだけどさあ、リーネ先輩…」
鈴木姉弟が自宅豪邸のリアルの部屋で、リーネとひと悶着を起こしていた。
「HS-01の使い方をマスターしたら、ある意味、記憶喪失前の行動と同じになりましたね…」
「アバター接続以外にも、日常生活でフル活用していたものね…」
「ログを調べれば、過去の自分自身を追跡できますからね…」
私と実さんは、もうリーネのお役に立てない、とでも言えばいいのだろうか、これ。
「春香さんにお願いしていた『現界』能力の発動も、普通に継続対処できているようだしの」
「鈴木会長、彼女の記憶喪失について、世間一般にはどのように伝えればいいと思いますか?」
「うむ…。『何もしない』ではダメだろうか?」
「…なるほど」
残念なことに、全く疑われない可能性さえある。なにしろ、リーネなのだから。ああ、なんて情けないのだろう、我らが人類は。
「ん…。第101エリアまでのリポップボス討伐完了。1023種類の魔法陣再生成も終了。次は、ハルカというアバターの…残りは並列処理で…」
「聞こえない知らない気にしない」
「美樹さんに同意です」
なんだろう、この、リーネという存在によって急速に人類社会が再攻略されていくような気分は…。しかもこれ、【運営No.00】権限をほとんど使ってないよね。
「【連鎖発動】フェアリースタンピード」
ぐあっ
こふっ
かはっ
「え、今の何!?」
「この家に侵入していた不審者を撃退しました!警察にも連絡済みです!未遂ですし、あの人達には執行猶予を提案したいと思います!」
「新しくスキルを『現界』してまで…そして、遂に【運営No.00】権限までフルに…」
これまでの実体験としての記憶がない分、能力や情報を惜しみなく使い、人々の役に立とうと奮闘していく、リーネ。
あっという間に、遠くに行ってしまった。
もともと、たった1年かそこらで世界を掌握してしまったようなものだったが、記憶喪失となって1日足らずで、どこか違う次元の場所にいるような、そんな存在になってしまっている。
なんなのだろう、これは。リーネは、彼女は、なんだったのだろう…。
◇
あれから、数日。
FWO内『リーネ総合オフィス』を拠点に、世界中を次々と攻略し続ける、リーネ。もちろん、御両親のお世話も大学での勉学も継続させている。
人々はこれまでのように歓喜に満ち溢れ、惜しみない称賛を送るが、そんなものは不要とばかりに、未だ困惑と恐怖の中にいる人々を支援し続ける。攻略厨のリーネのように、スローライフを是とするケインのように。
なんだろう、この無力感。
ほとんどのアバターがリーネだった、あの『学園180分コース』を思い出す。このまま放置したら、あの世界のように、この現実世界も、リーネだけが働いて、世界中の他の人々はのほほんと生活していればいいじゃないかという雰囲気に…。
「ダメ!それは、絶対ダメ!リーネの幸せはどこに行ったのよ!」
「全くです。だからこれまで、牽制したり、無理矢理休ませたり、いろいろ手を尽くしてきたのに…」
「でも、佐藤春香としてのリーネに最初に仕事を用意したの、実さんよね?」
「それが、彼女の幸せになると思ったんです…。美樹さんだって、とても喜んでいたでしょう?」
「それは、そうだけど…」
泣くに泣けない、という気分だ。
世界はどんどん平和に、豊かに、平穏になっているだけに。
「みんなと、少しずつ、世界を作っていくんじゃ、なかったの…?」
「美樹さん…」
実さんと沈鬱な気持ちになっていた、その時。
「あの…高橋さん、御相談が…」
「り、リーネ!?え、相談!?ホント?ホントに!?」
「は、はい。この件だけは、どうしても私だけでは、どうすればいいかわからなくて…」
「いいよいいよ!どんどん相談して!」
◇
VR研の会議室に移動。
「それでそれで?」
「その…須藤 誠さん、という方とのことで…」
「須藤くん!?もう、会った?記憶喪失のことは、私達の方から伝えてあったけど」
「は、はい…。その、これまでのお付き合いの情報を元に、今後も継続しようと思ったのですが…」
おお、記憶がなくてもお付き合いしたいんだね!
「そ、その、『記憶がなくても、リーネはリーネだから』と、言っていただいた時の、あの方が…」
ぼっ、と顔から火を吹くリーネ。
うっはー!これはこれは!
なるほど、須藤くんから『リーネの幸せ』を攻めていけば良かったんだね!
私としてはちょっと残念だけど、うん、まあ、これでいいよね!
「で、相談、というのは?」
「は、はい。明日、あの方と、で、ででで、デートするのですが…」
「ほうほう!」
「その、手はいつ繋いだ方がいいのでしょう?あと、ききき、キス、とか…!」
あー。
「いやいや、そういうのはほら、なるようになるっていうかね?計画とか準備とかは必要ないよ?」
「そ、そうなんですか?でも、記憶を失う前の、私のメモが気になって…」
「そんなん残してたのか…何が書いてあったの?」
「えっと…『最終目標:老後は誠くんと充実したスローライフを』」
「ぶはっ」
リーネらしいといえばリーネらしいけど。
「老後ということは、結婚したいということですよね。それで、子供を作って、育てて…」
「ちょっとちょっと、飛躍しすぎ!」
「子作りのしかたはネットですぐにわかりますが、そこまでに至る過程が…」
「だから、飛躍しないで!っていうか、子作りのしかたが簡単なものみたいに言わないで!」
今のリーネ、8歳相当の記憶よね…どうなってんのよ。
「…あの方は、なぜ、私なんかで、いいんでしょうか…」
…出た。
以前のリーネも、時々つぶやいていた、『私なんか』という、言葉。
それは、相手を素晴らしい人物と思うと同時に、自身を蔑んでいる。
決して、自分に自信がないわけではないリーネが、この言葉を繰り返す、理由。
最初は、『渡辺 凛』の事故が人類社会に与えた影響に対する責任から、そう言っていたと思ったのだけれど…考えてみれば、『リーネ・フェルンベル』の記憶を取り戻す前から、そうだった。いや、経緯を思い出したのであれば、なおさら、こんな風に自身を蔑むようなことをつぶやかないはずだ。
それが…生まれて間もない、8歳までの実体験しかない『この娘』の時点で、そうつぶやく、違和感。
「…ねえ、リーネ。前のあなたが『老後』って書いたのは、ずっとずっと一緒にいたい、ってことだと思うよ?老後まで彼をお世話したいとか、そういうことではなくてね」
うん、なんでこんな当たり前のことを言わなきゃいけないんだろう。
「一緒に…」
「そう。今のリーネは、須藤くんと、ずっと一緒にいたい?」
「…いたい、です」
「なら、一緒にいようとするだけでいいと思うよ?リーネだって、彼と同じ人間なんだから」
「同じ…」
…なんだろう、この、リーネの瞳。『同じ』という言葉に対する、戸惑いとも憧れともとれる、想いの色。
『この娘』は、自分自身が、どう見えているのだろう。その自分自身と、他の人々、特に、須藤くんと、どう『違う』と思っているのだろう。
「…わかりました!高橋さん、ありがとうございます!」
「そ、そう、お役に立てたのなら、嬉しいな」
「はい!これから、綿密なデートプランを考えます!あの方が喜んでくれる、素晴らしいプランを!」
「わかってなーい!!!」
ダメだこりゃ。
「え?そうですか?あ、すみません、これから早速、有望なルートを探しに…」
と、椅子を立ち上がったリーネが、
つるっ
ガチン!
「り、リーネ!?」
「ふにゅ…」
床で足を滑らせて倒れ、後頭部を強かに打ち、そのまま気絶した。
うん、大丈夫だろう。なにしろ、リーネだ。
そして、たぶん…。
◇
「あー、あの時の私はたぶん、焦っていたんだと思う。この世界に早く馴染もうとして」
「???」
「ごめん、今のは忘れて。…まだ、早いよね」
リーネが記憶を取り戻し、世界も平穏を…いや、あまり変わらないか、いずれにしても、以前と同じ状況となった。
「よくわからないけど、でも、リーネが相変わらずお世話好きで、そんでもって、須藤くん大好きっ子なのは変わらないよね」
「やーんもう!大好きだなんて、はっきり言わないでよー!」
パンパン
「肩が痛いって。ところでさ、なんで風呂掃除でコケたの?」
「へ!?え、えーっと…」
「なによ、言いなさいよ」
「…お、お風呂掃除、してたら、ね?その…ま、ま、誠くんと、い、一緒に、お風呂とか…入ったら、入ったりしたら!と、想像しちゃったらね!きゃー!」
「…わからん」
わからん。ほんっとーに、わからん。それでコケるリーネが、一番わからん。
そういえば、記憶を取り戻した時も、須藤くんの話をしていた時だったよね。色ボケか。
「あ、そうだ。須藤くんとのデートはうまくいったの?」
「そりゃあもう!日課のランニングコースを、ふたりでゆっくり歩いてみたの!新しい発見もあって、良かったよ!」
「なんか、既に老後ね…」
まあ、リーネが幸せそうだから、いっか。うん。
たぶん、ここまでを第6シーズンとします。