EX-76 AF「クリームシチューを食べよう(転移編)」(後編)
前後編の後編です。
というわけで、私の十八番のクリームシチューを作る。村ではこの料理を誰も知らなかったので、せっかくだからと、村長さんの家で作って食べてもらうことにした。ミリアさんを含む他の村人と、隊商の人達も何人かいる中で。
ちなみに、クリームシチュー自体はバターがなくても作れることは作れるのだが、あのレシピはそういう構成なので、ちょっとこだわってみたのだ。
「牛乳で作るスープは珍しくないが、粉にした小麦でとろみを付けたものは初めてだな」
「お口に合えばいいのですが」
「いや、うまいよ!塩コショウがなくとも、野菜の旨みや、あの葉の香りで、十分な味付けだ」
ふむ。私としては、小麦粉でとろみを付ける方がむしろシチューとしての定番と思っていたのだけれども。あのレシピの特徴は、全体の分量加減と、あの葉とバターを使うことだけのはずだから。この料理自体は、よくある家庭の伝統料理と思っていたのだけれど…。これが異世界との違いということなのだろうか。
「おいしい、おいしい」
「このとろみが、スープを温かくしているのだろうか?」
「あの乾燥させた葉を、こんな風に使うなんてねえ」
「材料を工夫すれば、離乳食としても良さそうね」
うーん、知識チートっぽくなってしまった。いや、それほどの話でもないか。通信技術がほとんど存在しない世界の、生活環境の違い程度ということにしておこう。なにしろこの村は、小麦を製粉してパンにするほどの余裕もない食料事情なのだから。
「このスープの作り方を、あらためて教えてくれないか?これからも時々、食べていきたいんだ」
「我々としても、途中で寄る村々に伝えたい。この葉の流通と共にね」
教えるほどのものではないのだけれどなあ。葉っぱだって、どこでも栽培できるはずだし。
でも、あの国の元軍人プレイヤーさんにも教えたし、あえて隠す必要もないか。
それに…。
「わかりました。とても簡単ですが…」
「ありがとう!」
喜んでくれるなら、私も嬉しい。少しは、お役に立てたのかな。
◇
隊商が村を離れる日。
「では、我々は出発するが…。◯◯の領主には気をつけたまえ。この村に攻め込むかもしれない」
「ええっ!?ま、まさか、この村にまでやって来て、迫害を…?」
「奴らもメンツがあるからな。弾圧した者達を逃していたと知られれば、領民の反乱につながる可能性もある」
「そ、そうですか…」
隊商の人と、村長の会話が、聞こえてくる。
ああ、本当に厳しい社会情勢だ。
「どうする…?ここでの生活もやっと楽になり始めたばかりというのに…」
「かといって、戦うことなどできはしないだろう…。武器らしい武器は、クワくらいだ」
「今から、槍だの弓だのを作る技能も、素材もないし…」
「村人総出で、更に遠く離れた地に向かうとなれば、また何人が飢えや病気で死ぬかわからん…」
本当に…。
私は、何ができるだろう。この村のために。
元の世界ではあれやこれやと手を出してきたが、しょせんは、VRを始めとした科学技術の恩恵を利用していたに過ぎない。この村は、この地域は、この世界は、そんなことは通用しない。
あるいは、何もしてはいけないのかもしれない。この世界の人間ではない、私は。
◇
それから、更に数日後。
再転移の時が近づいてくる。前触れはあまりないが、数えた日数と太陽の動きから、明後日の昼頃だろうか。
明日までに、いろいろと整理しておこう。明後日、私がふらっと出かけて、そのまま帰ってこなくても、問題がないように。
「り、リーネ!?そ、そんなに急いで麻袋をたくさん作らなくたって!」
「ええっ、全ての桶に水を汲んだのかい!?それも、全戸の桶に!」
「私が耕す畑がなくなってしまった…草取りも…」
「この薪、全ての食事に使っても1週間はもつわよ…」
まだだ、まだ、足り…ない…。
ぱたっ
「「「「リーネ!?」」」」
リーネガ、アノキノ、ナエギヲ、ウエテイル、サイチュウニ、タオレター
…
気がついたら、ミリアさんの家の部屋で、横たわっていた。
私を心配そうに覗き込む、ミリアさんと、村長さん。
「ごめんなさい…ごめんなさい…働かなくて…」
「いいから!いいから、しばらく休んでなさい!」
「はい…ごめんなさい…ごめんなさい…」
ああ、情けない。無理して倒れて、村のみんなに、迷惑をかけて。
このまま、迷惑をかけっぱなしで、ここから、消えていくのかな。
なんか、悲しいなあ…。
「…!?ど、どこか痛いのかい、リーネ!」
「え…そんな…ことは…」
ボロボロ
…ああ、泣いていたのか。
また、か。また私は、泣いていることを、他の人に指摘されて、気づくのか。
どうなって…るん…だろうなあ、私の涙…って…。
…
◇
「…なんだって!?領主の軍がこの村に向かっている!?」
「数は多くないらしいが…たとえ数人でも、こんな村、すぐに全滅させられちまう…」
「あの隊商のひとりが、反対ルートに移動すると見せかけて、教えに来てくれたけど…」
村の人達が、殺される…!?
まだ朝の暗いうちに聞こえてきた声に、目を覚ます。
まだちょっと、起き上がれない。日課のランニング…
…どころじゃない!どうする?どうすればいい!?
「もう、だめだ…。ここで、殺されるのを待つしかないのか…」
「子供たちだけでも、助けてくれないかしら…」
「異端者は容赦しないって話だからな…。助けたとしても、奴隷同然の扱いで、売り飛ばして…」
…私ひとりだけなら、なんとかなる。
村から少し離れて、領主の軍がやり過ごすまで、『認識阻害』をかけていればいい。
そうすれば、私は助かる。再転移で、そのまま、元の世界に、戻れる。
…
……
………
―――そんな選択肢、私が選ぶはずがないよ!!!
◇
私は、リーネ・フェルンベル。
このフレーズを、このメロディを、受け継ぐ者。
◇
「…何か、聞こえない?」
「ああ…、誰かが、誰かが歌っている…」
「澄んだ歌声…遠く…はるか遠くにまで、響いている…」
「遠く…遠く鳴り響く、鐘の音のように…!」
◇
Hotk, laxu kik Puk's hao uuwa
Tfjasthushf lkojtsas, lkisjthoofls Khaj'apc
Setwt lxuk shalkf kirom tlwitlr
Luxykn, oshom fam kukrpfaq yiqwu nprulkn
◇
届け、届け、遠くまで。
『認識阻害』のイメージを乗せて、遠く、広く―――
◇
Ofrutf iqacls oxnupuy, ruckqif qkuct
Fbalk sylok wpoc wat et kaptau hwo, orshpamf
Rhuwi cshihshy fashi arzusr, tyika wacft ufhlayimc
Xhayy wkiyko, tens nocf texpi prup
◇
気休めなのは、わかっている。私の自己満足だってことも、よく理解している。
村全体を見過ごされても、しばらく場所がわからなくなっても、領主の軍はまたやってくるだろう。
それでも、それでも―――
◇
Fwusl...ifs, pconsf ncaxx aesoerloi
Fwusl...ifs, pconsf ncaxx aesoerloi
Asar cakpen pfos rtory hawnb rrikcoks
Oqulh xyalio kpan, ntcyao
◇
届け、届け、私の、歌声よ。
遠き鐘の音のように―――
◇
Fwusl...ifs, pconsf ncaxx aesoerloi
Fwusl...ifs, pconsf ncaxx aesoerloi
Asar cakpen pfos rtory hawnb rrikcoks
Oqulh xyalio kpan, ntcyao
◇
…
……
………
◇
「…リーネ!リーネ!」
「え…あ…」
『ソル・インダストリーズ』の研究所。転移門のための研究設備が置いてある部屋。
たまたま実験に立ち会っていた美樹が、私を抱えている。
「ねえ、大丈夫なの!?起きてる!?寝てる!?どっち!?」
「…大丈夫、起きてる。ちょっと、体がだるいけど…」
「転移門が輝いたと思ったら、リーネが倒れてて…びっくりしたわよ」
こちらでは、数秒程度のことだったようだ。想定通りではある。
ただ、向こうからの再転移の計算が少しズレてたな…時計とかなかったし、日中の時間情報は太陽の傾きで把握していたから、しかたないか。
「ありがとう、美樹。今日は…もう帰るよ。詳しいことは、後で」
「え、ちょっと!その服のままで帰るの!?」
「服…?ああ」
着替えもなかったから、転移した時の服をずっと着ていて、ちょっとボロボロだ。基本、川で水洗い程度だったからなあ。
「んー…うん、このまま帰るよ。どうせ車だし」
「えええ…」
あの村で、あの世界で、あの人々と、暮らしていた証だ。なかったことにはしないよ。
◇
あの後、村はどうなったのか。
それを知る術は、もうない。
転移門の稼働ログを見ても、どこに飛ばされたのか、よくわからない。位置情報からは、東ヨーロッパか、それよりももっと南かという感じだが、可能性変動の大きさが凄まじすぎて、あの世界に移動するための追跡情報が得られないのだ。
「ああ、リーネの作るシチューは、いつも落ち着く」
「ありがとうございます、おじい様。…渡辺 凛に教えるのは、結局あきらめました」
「あの歌も、歌詞は覚えているようなのだが、メロディは不確からしいのだよ。『フェルンベル』を表す、豊かなメロディなのだがな…」
…え?
「『フェルンベル』というのは、あの歌のことだったのですか?」
「千年以上も前にあった事の伝承だからな、詳しくはわからんのだが…」
それから、私はおじい様から聞いた。
『フェルンベル』という名前が生まれた、『遠き鐘の音』の由来を。
迫害され、不毛の土地で開拓し、そして、その開拓村を襲った危機を救った、ある奇跡を。
…
……
………
「そして、当時としては珍しい、時を知らせる鐘の塔を、村の中央に建てたそうだ。その奇跡を起こした人物が、とても勤勉だったそうでな。その者に敬意を表すためにも…ど、どうした、リーネ!?」
…え?
ああ、また泣いていたのか、私は。
どうしていつも私は、泣いていることを、他の人に指摘されて、気づくんだろうなあ…。