EX-67 AF「これは、あなたの『案件』のようですから」
ある意味、普通のスパイ物です。ある意味。
バイト先の喫茶店。既にクリームシチューは給仕を終え、あと1時間くらいでバイト終了という時間帯だ。既に外は暗く、お客は誰もいなくなっている。
誠くんの彼女…彼女!ああもう、くどいよね。えっへん、誠くんと正式な彼女としてお付き合いすることになった関係で、ここで働く私は世間的には『休日だけ働くマスターの親戚の中学生、リーネ・フェルンベル』という設定となった。実のところは従来とさほど変わらず、これまで曖昧にしていた年齢を14歳設定にした程度だ。肉体年齢や精神年齢を知ってる人間からすればぷーくすくすだが、私の心情としては、これでも年上感があるのだよ。悲しいことに。
カランカラン
「いらっしゃいませ!申し訳ありませんが、シチューはもう…」
「あ、いや、シチューはいい。ブレンドを」
「かしこまりました」
20代後半くらいの男性。ちょっと…いや、かなり危険な香りがする人だ。なぜかって?まあ、わかるのですよ、私には。例によって、ね。
「お待たせしました、ブレンドです」
「ああ、ありがとう」
カウンターに座った男性は、コーヒーを一口飲んで、しかし、その後、そわそわしたような様子をする。何かを、待っているかのように。いや、探しているのかな?
「いかがなされました?」
「その…この店の、マスターは?」
「今ちょうど、奥で作業をしています。すぐ戻ると思いますが…呼んできましょうか?」
「ああ、頼む」
なにやら急いでいるようだ。なんだろ?マスターに『懐に拳銃を忍ばせている』ような知り合いがいるのだろうか?
◇
「私が、この店のマスターですが」
「そうか…。いや、その…」
ちら、っと私を見る男性。バイトの娘には聞かせたくない内容、ってことかな?
「マスター、私、奥で休憩します」
「ええ。話が長引くようなら、私が他のお客にも対応しますから、そのまま終わりにしてもらっていいですよ」
「わかりました。ありがとうございます」
親戚同士の会話としては形式張っているやりとりをした後、私は奥の部屋に入っていく。まあ、お手伝いとはいえ働いている身、ケジメはつけるべきだろう、という体だ。
さて、どうしようか。『聞き耳』スキルで聞いてもいいのだが、プライベートな内容だったら失礼だ。私に聞かれるのを避けるくらいだからね。でも…懐に忍ばせていたブツがどうにも気になる。まあ、万が一、マスターを襲うようなことがあっても、『気配』スキルで察知して飛んでいくことはできるけどね。
と、部屋に入って2〜3分程度しか経っていないのに、マスターがやってきた。
「リーネさん、来てもらえませんか?」
「私ですか?いいのでしょうか」
「これは、あなたの『案件』のようですから」
ん?
◇
「あの…」
「マスター、こんな娘が、対応するのか?」
「ええ。彼女はVR研の高橋代表と懇意にしていますから」
「…!本当か!?ぜひ、ぜひ彼女を紹介してくれ!」
うーん、やっぱりなんかきな臭くなってきた。
「この方は、ここからだいぶ離れた市の警察署で働く、刑事さんとのことです」
なるほど、それでそんなブツを忍ばせて…あれ?こんな風に喫茶店とかに来るような時って、持ってないんじゃなかったっけ?明らかに拳銃が必要なところに踏み込むような、そんな時だけ携行許可がでるんじゃなかったっけ。
「…妹が、誘拐された。身代金目当てに」
「…!?」
「兄の俺が刑事なのに、なぜ警察が動かないのか不思議に思うだろう。警察内部も信用できないんだ。誘拐犯に『認識阻害』装置を使う奴がいるらしくてな」
認識阻害…SOE『悠久ガーデン』か!?しかし、こんなあからさまな身代金誘拐をするような連中ではないはず。彼らには、彼らなりの『信条』がある。話を聞く限り、SOEを名乗っている様子はない。とすると…装置だけが流れて流用されている?それとも、資金集めの協力か。体裁さえ整えばいいというところもあるからね、あいつら。
「事実、金を渡そうとした覆面警官が、奴らの手先だった。取り逃した俺達は、しかし、更なる身代金を要求されて…」
そして、警察もまた『阻害』されたらかなわんと、机上の検討を繰り返しているわけか。
「このままだと、妹が殺されてしまう!いや、もう既に…。しかしどちらにしても、俺は奴らを突き止めたいんだ!一刻も早く!」
「それで、上司の方の密命を取り付ける形で単独行動し、『認識阻害』に対抗できるVR研諜報部に密かに接触を図りたい、ということのようです」
なるほど、これは確かに私の案件だ。
「あなたは、なぜこの喫茶店のマスターを訪ねたのですか?」
「『ソル・インダストリーズ』に連絡をとれる仲間がいてな。VR研諜報部のことを尋ねたら、この喫茶店に行けと。それで、すぐ済むと」
そっか、じゃあ、
「そうですか。それでは、別にマスターに対応してほしいというわけではなかったのですね」
「あ、ああ」
私は、男性をじっと見る。…うん、何もおかしなところはない。信じていいだろう。少なくとも、この人の言うことは。
「わかりました。急いだ方が良いみたいですね」
「頼めるのか、VR研への協力を!」
「いえ、私が直接対応いたします」
「な、何を言ってるんだ!こんなこと、子供の君がどうにかできることじゃ…!」
「ああ、申し遅れました。私は…」
パチン
「…佐藤春香、と申します。よろしくお願いいたします」
…
「マスター、申し訳ありません、私はこれで上がります」
「はい。お気をつけて」
「ありがとうございます。では」
ほら、刑事さん、気絶しているヒマはないよ!さっさと行くよ!
◇
「ここが、身代金の受け渡し場所だったんですね。…わかりました。装置の痕跡を追ってアジトに向かうことができます。行きましょう」
「…」
「刑事さん、行きますよ?」
「あ、ああ。…あの、佐藤春香が、佐藤春香が…」
うう、こういう反応をされるたびに、誠くんや美樹に会いたくなる。そりゃあ、超絶おかしなことをしている自覚はあるけどさ。
「飛ばしますよ、つかまっていて下さい!」
「ひ、ひいいい!」
HS-01経由の自家用車制御で、安心安全、かつ、超スピードで走っていく。なんか矛盾があるが、気にしない。
◇
山奥の、廃棄工場。地の利を考えたら港の埠頭の倉庫なんじゃという感じだが、なんでもセオリー通りというわけではないのだろう。
「あ、あそこがアジトか…。これから、どうするんだ?」
「行きます。刑事さんは私の後を付いてきてください。【ストレージアウト】神剣フリューゲル」
「え、あ、ちょま」
数分後。
「こんな…あっという間に…さすがというべきか…」
死屍累々の誘拐犯達が、あちこちに転がる。くどいようだけど、打ち身で気絶させただけだからね!
「向こうの部屋に、妹さんがいるみたいですね」
「ああ…ああ!」
部屋に入ると、
「…兄さん!」
「無事だったか!良かった…!」
感動の対面を、しかし私は、
「…ひっ!?」
「な、なに、なにをするんだ、春香さん!?」
その妹さんとやらに、剣を向ける。
「本物の妹さんは、どこ?もし、既に殺しているのなら…容赦はしない」
「生きてます!更に隣の部屋で!だから、やめて下さい、春香様!」
そっか、生きてたか。良かった。
しかし…このSOE諜報員、なぜに私を『春香様』などと呼ぶ?
◇
喫茶店に戻った私達は、ブレンドを飲んで落ち着く。ちなみに、本物の妹さんも一緒だ。
誘拐犯…いや、SOE『悠久ガーデン』の構成員達の対応は、警察の他の人々に任せた。刑事さんも、密命に基づく活動は終わったからね。もっとも、明日また警察で事情聴取となるようだが。あれ、もしかして、私も行く必要がある?VRの時間加速で済ませられないかな。明日は大学があるし。
「じゃあ、最初から妹になりすますために…」
「そうですね。『悠久ガーデン』の手口のひとつです」
普通?の誘拐犯を装った、刑事さんや妹さんの父親である政府高官に近づくための行動だったわけだ。まあ、活動資金も欲しかったのだろう。警備が手薄になる娘の方が、誘拐やなりすましがしやすかったとはいえ。
「しかし…俺がこの喫茶店に駆け込んで、1時間も経たずにこうしてくつろげるとは…さすが『春香様』ですね!」
なんか、刑事さんが敬語になってる。いーやー。
そういえば、なんであの諜報員も、私を様付けで呼んだんだろ?
「おや、御本人が御存知ないとは。SOEは、どの部門も『佐藤春香』情報を最優先に収集しています。そして、その情報だけは、部門同士で密に交換しているようです」
ああ、以前そんなこと聞いたな。『認識阻害』をかけていたとはいえ、私の休暇中の行動さえまともに把握できていなかったけど。
でも、それが?
「SOE構成員にとっても、春香様は憧れなのですよ。この世の人々の歓喜と称賛を、一身に受ける存在。彼らが求めているものそのものですよ。主義主張はともかくね」
…うん、明日夕方、誠くんをデートに誘おう。ファミレスで食事ってだけでもいいよね。あと、美樹にもFWOで刺し身作ってもらって…。