EX-58 AF「温泉でなくとも、広いお風呂は気持ちいいだろうから」※
※は保険です。祝、作品シリーズ初・お風呂シーン!(『保険』という言葉を噛み締めて下さい)
海岸に沿って延びる道路に、車を走らせる。
「天気が良くてよかったよ。いい、ドライブ日和だ…」
いろいろ考えて、あまり綿密な計画を立てずに、海際のいくつかの町や村を巡ることにした。少しだけ、ドアの窓ガラスを空けてみる。んー、いい風。
車に備え付けのラジオをかけてみる。イマドキ珍しい、地元のAM局だ。偶然ではあるが、割と雰囲気に合った音楽番組が流れてくる。
「時速数十キロ出しといてアレだけど、これもスローライフだよね…」
ゆったりちまちまレベル1の魔法陣アイテムを作るのもいいけどね。
「あ、キレイな浜辺…。今日は、この辺で宿を取ろうかな」
そして、ぴちぴちちゃぷちゃぷするのだ。
「旅館発見。部屋が空いているといいなあ」
なにしろ連休だ。高い部屋になっても、取れるだけでありがたい。
◇
旅館の駐車場に車を停め、玄関から入ってフロントに向かう。
「あの、予約がないんですけど、部屋、空いてますか?」
「…!」
「あの…?」
ん?なんか、フロントの人が固まった。あれ?『認識阻害』かけてるんだけどな。
「…あ、ご、ごめんなさい。…おひとりさま、ですか?」
「ええ。とりあえず、一泊できればいいんですけど」
「えっと…はい、空いています。もともと三人部屋ですので高くなりますけど」
「良かった…。では、その部屋をお願いします」
チェックインのため、宿泊者カードに名前とかを書く。
全て『佐藤春香』として正直に書くが、カード自体に認識阻害をかける。『ただの佐藤春香』という感じで。私自身には既にかけてあるし、もともと同姓同名が多いので、これでいいだろう。
「あ、携帯端末がなかった…。ここの『本人への緊急連絡先』は空欄でいいですか?この旅館からあまり遠くには出かけないと思いますし」
最近は、高性能ヘッドセットHS-01が携帯端末の機能も兼ねていた(正確には、ネットワーク経由でVRサーバにアクセスして端末機能と同等のサービスを利用していた)ので、ここ最近ずっと使わず自宅に置きっぱなしにしていたからだ。でも、今はHS-01もない。要するに、両親と同じ状態なのだ。ていうか、すごいな、ウチの両親。
「あ…あ…」
「…どうかしましたか?」
「ダメよ、自殺なんて!あなたまだ中学生なんだから、失恋くらいで人生に絶望しちゃダメよ!」
…
絶句、というのは、こういう時に使うんだろうな。どう反応すればいいんだよ、これ。
◇
「大変、失礼いたしました…」
「いえ…」
「その、以前、未遂の方が宿泊されたことがありまして…。近くに、崖もありますし…」
いや、だからって、中学生と間違えた上に…ああいや、これはしかたないか、わかってるよ。ぐっすん。えっと、そんなに失恋したような女性に見えましたか?この、私が。
あ、ちなみに、運転免許証(認識阻害付き)で年齢確認いたしましたです。フロントからは駐車場が見えないんだよねえ。
「その…あまりにおキレイでしたので…。そういう方ほど、失恋のショックが大きいと聞きますし」
そんなものなの?失恋するほどの恋愛経験ないからわからないよ!っていうか、その事実の方がショックだよ!いやまあ、キレイと言われて悪い気はしていないけど。ああ、最近の私、こういう言葉に弱いな。なんだろ、これ。
などという、なんとも言えない雰囲気で会話をしながら、部屋に通される。普通はフロントで鍵を渡されるだけなんだけど、誤解したお詫びということで、対応したフロントの人が直接案内してくれた。どんなお詫びだ。
「窓からの眺めがいいですね!」
「はい。当旅館自体が、浜辺を一望できるよう建てられましたから」
なるほど。今日はこのまま部屋から海を眺めるだけにしようかな。ぴちぴちちゃぷちゃぷは明日の朝にしよう、そうしよう。
「ただ、そのせいで、源泉からお湯を引っ張ってこれないため、当旅館の大浴場は温泉ではなく、普通の湯沸かし式ですが…」
「そ、そうですか…」
正直だな。
そういえば、以前、温泉でもないのに温泉と偽っていた旅館が摘発されたっけ。世知辛い…。
◇
窓からひとしきり海を眺めた後、部屋にあった浴衣に着替えて、大浴場に向かう。温泉でなくとも、広いお風呂は気持ちいいだろうからね。温泉でなくとも!
「あれ、結構人がいる…」
まだ夕暮れ時だからほとんど人がいないと思ったら、脱衣所の時点で既に結構な人数がいた。カゴの使われ方から、混んでるというほどでもなさそうだから別にいいんだけど。
うっ、女子大生らしきグループがいる。しかもなんというか、ばいんばいんなナイスバディな人達ばかりっていうね。…近づかずに、隅っこのカゴを使って手早く脱ごう。比較対象にされるのは、まあ、美里や美樹とのソレもあって、もう諦めてるんだけどね。知人じゃないから、私は良くて中学生に見られるだろうし。でもね、圧倒されるんですよ、ええ。何人もいると、特に。うう…。
タオルを持って、浴場に入る。
「わあ…!」
窓ガラスから見える、水平線に沈む夕日。これはいい!思わず声が漏れちゃったよ!
そっか、これを目当てにしていた人が多かったのか。でも、フロントの人は何も言わなかったよね?旅館側も知らない穴場シーンなのかな?口コミのネットサイトとかで。
「ふう…」
体を洗い、とりあえず一番大きい浴槽に向かい、湯船につかる。
沈む夕日を見ながらゆったりゆらゆら。極楽極楽。
なんか年寄りっぽいな。私はまだ若いよ!この場合に限っては、中身もね!
「あら、お嬢ちゃん、ひとり?」
「は、はい」
「お父さんと来たの?」
「えっと…はい」
近くで湯船につかっていたおばさまに声をかけられる。いろいろ面倒なので、お子様モードでいこう。旅館の他の場所で出会ったら、その時はその時だ。うん、なんかヘタレだな、今の私。湯船のせいかな。
「まあ、そうなの。私はね、夫と息子ふたりで…」
う、話が長くなりそう。
「あら、そろそろ出ないと。じゃあ、他の場所で会ったら、よろしくね」
「はい…」
のぼせる前に終わって良かった。
私も一度湯船から上がり、体を洗うところでぬるめのお湯をかぶる。ふう。
「もう一度だけつかって、それから上がろう…」
夕日はすっかり沈んでいた。でも、まだ少し水平線のあたりに光がある。
たそがれ、か。いや、逢魔が時かな?この世の全ての魔は攻略しなければならない。リーネの名にかけて。おい、こんなところで厨二はやめろよ、私。
浴場を出て、脱衣所に戻る。ごしごし…。よし、さっさと浴衣を着て、部屋に戻ろう。
あ、ドライヤーも櫛も脱衣所備え付けのがあるんだ。ちゃんと髪を乾かして、櫛できちんととかしていこう。
ブォー
わさわさ
がー
…よし。じゃあ、あらためて櫛で…。
「あ、時間だ」
「そうね、みんなで観ましょ」
あれ?脱衣所の他の人達、いきなりTVがあるところに集まった。なんだろ?
『では、本日の「佐藤春香」さんの情報です。先日、FWOプロモーションを経由して発表がありましたように、現在、春香様…失礼、佐藤さんは休暇中とのことで…」
…
……
………
orz
「え、本当に休暇なの?」
「そういえば、さっきFWOにログインしたら、ケイン様も見かけなかったわね」
「旅行って言ってたよね。またパリ?それとも、月面都市かしら」
「こないだみたいに、どこかの国の大統領公邸に招待されたのかな」
「中東あたりの王宮かもね。彼女、アラビア語が得意って聞いたし」
…
……
………
さっさと、部屋に戻ろう。髪とかすのは部屋でいいよね、うん。
EX-57にも書きましたが、ここでもスピンオフ作品紹介。
『アドベント・ハーツ・クロニクル ~ARで生産職?~』
https://ncode.syosetu.com/n7242ej/




