EX-32 AF「リーネの長い一日」
月面の転移門がSOEによってロックされ、そして、私があっさりロックを解除した、その日。
すぐに帰ろうとしていた地球側の面々ではあったが、誰かさんから物凄い精神的ショックを受けて疲れ果ててしまったので、当初の予定通り、一泊して翌日帰還することとなった。地球への転移は簡単だけど、転移門から自宅に帰宅するまでの間がちょっとね。
ちなみに、その精神的ショックの原因であるところの『佐藤春香の中の人は、リーネ・フェルンベルでした!』について、とりあえず記者団の方々、しばらく黙っててくれないかなー、どうかなー、と尋ねたところ、
『大丈夫です、報道してもみんな信じてくれませんから』
と、いうことだった。まあ、そっか、『魂』の話も広めていないしね。とりあえず、報道はしないということであっさり片付いた。なお、記者団の人達は信じざるを得ない状況であったから、なかなかに複雑な苦悩が発生したようだ。
「さて、まずは…」
それから私は、月面に滞在する間、知人友人とじっくり話すことになった。というか、私が希望した。みんなで集まって一気に事情説明、とも思ったのだが、先の通り、私に対する捉え方がまちまちなので、個別に攻略…話をしていくことにしたのだ。
◇
「そうか、FWOのケインアバターが誰かに似ていると思ったが、なるほど、私だったか」
「信じていただけるのですか?」
「いろいろとつじつまが合うし、信じざるを得ないだろう。それに…」
「それに?」
「この味は、間違いなくあの頃の味だ。なつかしいよ」
「ありがとうございます、おじい様」
普通はありえないのだが、ホテルの厨房と材料少々を貸してもらうことができたため、即席でクリームシチューを作った。もっとも、このレシピはもともと即席で作れるようにできているのだが。
この料理で信じてもらおうとは思っていない。『春香が「ケイン」から教えてもらった』という建前もあるしね。まあ、自己満足だ。
「リーネは…相変わらず、礼儀正しいのだな」
「そうでもありませんよ?あれから、いろいろありました。礼儀だけではどうにもならないことがあるのは、わかっているつもりです」
「そうか、いろいろか…」
あり過ぎたよね、私の人生。リーネの頃からの合算と考えると、特にね。
「ところで、その…おじい様に、お願いがあるのですが。もう無理、ということであれば…」
「凛、のことかの?彼女も、間違いなく私の孫娘だ。いきなり無下にするようなことはしないよ」
「はい、そう言ってもらえると嬉しいです。でも…」
「もちろん、彼女には事の真相は伝えない。もっとも、伝えてもあまり変わらないような気がするがの」
「おじい様も、そう思いますか…」
むしろ、『すごーい、体が入れ替わるだなんて!ねえねえ、もう一度やってみない?』とか言い出しそうだ。いや、絶対言う。答えはもちろん『却下』だ。
「そうだな、機会があれば、凛にレシピを教えてやってくれんかの。先ほどのシチューの」
「はい、そうですね。ただ、彼女には佐藤春香のつもりで接しますので、素直に従ってくれるものなのか…」
「なんというか、お前も苦労しているのだな…」
現両親には申し訳ないけど、あの娘はやんちゃすぎる。見た目とは裏腹に、ダメな子供をしつけているような気分。おかしい、結婚すらしていない私がこんな気分になるとは。なんてこったい。
「息子達には…伝えない方がいいか。混乱するだけかもしれぬ」
「そう…ですね。会ってはみたい気持ちも、あるにはありますが」
「機会があれば、検討してみようかの。私が火星総裁の任から外れる頃にでも」
そういえば、渡辺 凛も火星暮らしとなったから、リーネ・フェルンベルとして生まれ育った家は、今は空き家同然となっているはずだ。隣の神社も、神社としての役割を果たしていないだろう。少しずつ、対処していくしかないか。
◇
「そうか、『現界』能力が他の者にもな…」
「申し訳ありません、私の素性が広く認知されていれば、もっと早くに対応できたかもしれません」
「それはさすがに無理だろう。事ここに至っても、春香さん…リーネさんのことを正確に理解できる者は少ないだろう」
「鈴木のお爺様、私のことは『佐藤春香』でよろしいですよ。お爺様にとっては、私は『佐藤春香』以外の何者でもありませんから」
「そうか、そうだな。そうするよ」
今、私を『リーネ』と呼ぶのに抵抗があったよね。まあ、当然か。
「まさか、お爺様と仕事の話をしている時の方が、本来の春香に近かっただなんて…」
「俺にとっては、先輩のミステリアスな雰囲気の意味がようやく解消された気分…」
「春香様、の方がしっくりくるかしら…?」
なぜに。VR学習システムで鍛えすぎたかな?
「美里には、これまで通り『春香』と呼んでほしいかな。無理なら、他の呼び方でもいいけど」
「ああ、うん…そうね、それしかないか。これからもよろしく、春香」
「うん、よろしくね。これまで通り、FWOでも、リアルでも」
「…なんだろう、この年上感…当然なんだろうけど…」
そこは、慣れてもらうしかないかな?
「姉貴、もうあきらめろ…」
「そうね…」
「?なんの話?」
「「なんでもありません、お姉様」」
「いきなり何!?」
◇
「私は別にいいわよ?離婚しても」
「いきなり何!?」
ホントにいきなりだよ、高橋さん!?
「だって…実さんの、ある意味理想じゃない、春香ちゃ…リーネって」
「いやあ、高橋さんのないすばでぃにはかなわないなあと」
「それも解消される可能性があるんでしょ!?さっきの話だと!」
あうう、こじれた。
「ごめんなさい。高橋さんにだけは、違和感があるって時に話すつもりだったんだけど」
「…いいわよ、別に。私はただ、嫉妬しているだけだから」
「ぶっちゃけた!?」
「私だって、リーネの気持ちはわかっている。告白までされたことがある幼馴染で今もちょっと残念だけどナイスミドル風の素敵なおじさまで記憶なくしていても割と仲良くやっててお互い悪い気はしない雰囲気もあってでも横から私みたいな泥棒猫が」
「わかってない、わかってなーい!」
なんだこれ。修羅場か?修羅場なのか?
「いやあの、私はあくまで幼馴染としての実く…た、田中さん、を、なつかしんでいる気持ちがあるだけというか…」
「無理に『佐藤春香』のロールプレイをしなくてもいいわよ、リーネ?」
「いや、だから…」
ダメだこりゃ。どうしよ。
「…ごめん、言いたいこと言ったら、なんかすっきりした。春香ちゃ…リーネが、いまさら実さんとどうこうするつもりがないのは、わかっている」
「そ、それなら…」
「だから、あとは、そこにいる実さんの問題なんじゃないかなって」
「まあ、そうなんだけど…」
そこにいる、ただただオロオロしているだけの、田中さん、もしくは、実くん。
「あ、や、私は、その…」
「実さん、実さんは、ここにいるこの娘、この人を、今でも可愛くて強くて賢い春香ちゃんと思ってる?それとも、昔告白して振られてでもまだ未練がありまくりのリーネと思ってる?どっち?」
「ああ…それは、私も確認したいかなあ。突然ごめんね、田中さん、もしくは、実くん?」
「そ、そんなこと、急に言われても…」
うん、まあ、難しいのはわかっている。わかっているんだけど、なんというか、『難しい』ってことはさあ、
「やっぱり、まだリーネに未練があるんじゃない…」
ってことだよね。さすがに私の口から言うことじゃないけど。
「え、ええと、ですね。春香さん…リーネは、私の憧れであり、尊敬する人なんです。春香さんとしても、リーネとしても」
「それは、前にも聞いたよ?」
「う…で、ですので、若気の至りでリーネに告白はしましたけど、今の春香さんに恋愛感情は…」
「高橋さーん、なぐさめてくれる?昔は『ないすばでぃ』だったから告白したけど、今は『ちんちくりん』だから恋愛対象じゃないんだって」
「まあ、かわいそう。これだから男って。よしよし」
「ふたりとも、ケンカしてたんじゃなかったんですか!?」
そんなの、予定調和ってだけじゃない。そもそも、
「じゃあ、これからは『実くん』って呼ぶから、よろしくね。ああ、もちろん、公式の場とかでは『田中さん』とかだけど。実くんの方は私を好きに呼んでいいから」
「い、いや、それだと、美樹さんが…」
「え?私はとっくにおっけー出してるよ?ねー、リーネ?」
「そーだねー。あ、もう『美樹』って呼んでいい?」
「いいよいいよ、もちろんだよ!」
「あなたたち、既に話し合ってたんですか!?」
うん、おじい様よりも前にね。決まってんじゃん。
◇
「渡辺家はペンディング、世間一般にはどちらかというと秘匿、と。あとは、両親か…」
「両親?ああ、佐藤さんちの御両親のことね」
「なんというか、言っても言わなくても関係ないって感じで…渡辺 凛とは違う意味で」
「でしょうねえ。リーネが世界を支配するようになっても、普通にいつも通りだし」
「支配言わないで。ああでも、渡辺家の両親と比べても、吹っ飛んでるなあ、いい意味で」
「御両親にも何かあるんじゃない?リーネのような、何か特殊な人外能力みたいなの」
「もー、さっきから支配とか人外とかー。実くんの昔のこと、美樹に教えてあげないよ?」
「えー、そんなこと言わないでー。ねえねえ、実さんと一緒にお風呂とか入ったことある?」
「どーかなー、私が物心ついた頃には、実くん既に小学校高学年だったから…」
きゃっきゃうふふ。
「あの…なぜ春香さん…リーネが、私達のホテルの部屋のベッドで、美樹さんとお喋りを…?」
「旅行中の夜のガールズトークは定番でしょ?春香としては、あまり経験なかったけど」
「それよりも、ねえ、まだ決められないみたいよ?リーネの呼び方」
「昔から、優柔不断なところはあったから…。そう言えば、ふたり同時に告白されていた時…」
「え、なにそれ!?聞きたい聞きたい!」
「いやあ、それがねえ、女性ふたりが揃って実くんを…」
きゃっきゃうふふ。
「…フェルンベル総裁の部屋で、寝させてもらおうかな…」
ということで、こちらをトゥルーエンドとしたかったんですよ。でも、EX-15の方が正史に見える不思議。むう。




