EX-19 AF「その時は私の書斎がぴったりかもしれない」
VRMMO以前に春香の出番がほとんどありません。背景設定ばら撒き回とでもいいますか…。
「社員のひとりが、私に面会だと?」
「はい、火急の用件、と」
「火急か…本当に火急なのか、疑わしいものだな」
自宅の書斎で私設秘書から話を聞いてそうつぶやく、鈴木賢吾。多国籍企業グループ『ソル・インダストリーズ』を統括する日本本社の会長である。
今でもグループのトップとして辣腕を振るってはいるが、既に年齢が年齢である。多くの時を、昔ながらの書物を収めたお気に入りの書斎で過ごし、必要に応じて専用オフィスの会長室に出向く。
もっとも、ここ数年はVRネットワークが普及したことから、書斎に居ながら職務をこなせるようになった。現実と見紛うばかりの仮想世界は、肉体の衰えなど関係ない。仕事の多くが遠く離れた月面に関係があるため、なおさら好都合である。
とはいえ、現実世界での仕事を全廃することもできない。政治・経済戦略に関わることであればなおさらであるが、中には、単にコネを求めて訪ねてくるぶしつけな輩も多い。
「なんでも、上司経由では伝えられない案件とか」
「…不正の告発か?」
「わかりません。しかし、かなり深刻な表情でした」
この秘書のカンは、よく当たる。会長職を始めてから、ずっと自宅で世話になっている。今回は少なくとも、そのぶしつけな輩ではないだろう。そう思い、秘書に告げる鈴木会長。
「わかった、会おう。通してくれ」
「かしこまりました」
◇
「ほ、本日は!お会い頂き、あ、ありがとうございます!」
「ああ、楽にしてくれ。ほら、その茶でも飲んで落ち着きたまえ」
「わ、わかりました!」
20代後半だろうか、まだ平社員というその男性は、系列の商社で働く事務員という。
「それで、私に何用かな?」
「そ、その、ぜひお耳に、入れておかなければならないと思いまして!…鈴木会長は、『SOE』を御存知でしょうか?」
「…ああ、当然、よく知っている。大変、不本意だが」
SOE。『Stay on Earth(地球に留まれ)』を標語に活動している、反宇宙開発組織の名称。最初は、宇宙進出に無闇に国家予算を大量投入することに物申すという、見識者集団のニックネームでしかなかった。
それが、民間企業による月面開発が活発となり、様々な工業製品を賄う一大生産地となるにつれ、主義主張が大きく変わっていく。曰く『我々は宇宙から不当に支配されている』と。
その変化で最も迷惑を被ったのは、とうの昔に脱退した初期メンバーである。何しろ、宇宙開発は今や数多くの民間組織が恩恵を受けており、遠く離れた火星の緩やかな調査・開発はそれほど予算を費やしていない。
にも関わらず、SOEは解散もされずに活動範囲を広げ、ついには暴力行為にまで発展することになる。そして、設立当時のメンバーとして、いわれのない非難もたまに受ける。
そう、鈴木会長も、その初期メンバーのひとりだったわけである。
「当初の主張は今も変わらないのだがな。だからこそ、月面で生産し、地球で暮らしているというのに…いや、すまん。そのSOEがどうしたのだ?」
「わ、我が『ソル・インダストリーズ』の社員の中にも、SOEのメンバーが、数多くいるようなのです!一般社員だけでなく、管理職にも!」
「なんだと!?」
信じられない、という面持ちの鈴木会長。宇宙事業で職を得ている者が、宇宙事業に対して妨害活動を行う。自分で自分の首を締めているとはまさにこのことだ。
「主義主張を繰り広げるのは自由だが、妨害工作の類までされるとなると問題だ。それが、社員まで絡んでいるとなると、もはや…。証拠はあるのかね?」
「は、はい、これです!」
それは、事務管理システムのアクセス記録だった。管理者権限で様々な取引内容がアクセスされているが、問題は、そのアクセス日時。
「なるほど、先週のSOEによる倉庫爆破の直前だな。わずかな間しか保管されないエネルギー結晶が狙われ、妙だとは思っていたが」
「それと、こ、こちらも!」
「…ふむ、判明しているだけで、SOEが起こす事件と符合しているのは十数件に及ぶか。確かに、間違いないようだな」
会長は、しかしどうしたものか、と頭を悩ます。該当する社員を追求したところで、偶然だったの一点張りをされる可能性がある。そして、調査や追求が長引けば、部署単位、いや、子会社幹部陣の単位で証拠隠滅される可能性さえある。
「で、ですから、私もどうしようかと思い、思い切って、会長を直接訪ねました!」
「いや、適切な判断だ。礼を言う」
「こ、光栄です!わ、私も、妻子がいます。SOEは最近、裏の世界の連中とも金でつながっていると聞きます。万が一、襲われるようなことがあったら…!」
この豪邸が地方都市の、更に郊外の僻地とでも言うべき場所に建てられたのは、それが理由でもある。本来ならば逆なのだが、独自の強固なセキュリティシステムを導入するには、街中では制約が多すぎるのである。
「…ふむ、街中か。そういえば、訪ねたことがなかったな」
「…会長?」
「君、まだ時間は大丈夫かね?」
「は、はい!今日は休日ですし、家族には旧友に会いに行くと言ってあります!」
ならば、彼女に直接相談してみよう。そう思い立った鈴木会長だった。
◇
秘書の運転する車で、市内最大の鉄道駅に向かい、駅の駐車場で降りる。
「ここから、歩き…ですか?」
「ああ。でないと、むしろ道順がわかりづらいらしい。構わんだろう?」
「は、はい!会長が歩かれるのに、私だけ車などとは言えませんから!」
『ソル・インダストリーズ』会長ともあろう方がわざわざローカル線で移動?と訝しんだ社員だったが、そこから歩くという。しかも、車の番として、秘書をその駅に残して。
「ですが…これから、どちらへ?」
「ん?件の問題を解決してくれそうな者に会いにな」
「は、はあ…」
しばらく歩くと、高校の建物が見えてくる。手元の携帯端末…ではなく、簡単な地図が書かれたメモを見ながら、社員を連れ、てくてく歩いていく鈴木会長。
「ここか…。なるほどな、これはわからん」
「普通の、アパートですけど…」
住宅街に何気なく建っているそのアパートの一室の扉の前に向かう、鈴木会長。その扉の表札は『佐藤』。果たして表札を掲げる必要があるのだろうかと思えるほどよくある名字だが、これは別に失礼な表現ではない。
この御時世、名字や名前は知り合いさえ承知していれば、好きなものを自由に名乗れる。わかる人には十分区別でき、わからない人にはありふれた名前にしか見えない。実際、両隣は『田中』と『高橋』である。決して、某創設者や某代表の自宅ではない。
「まあ、鈴木さん、おひさしぶりですー」
「火星の件の直後以来ですな。彼女は?」
「娘から聞いていますよ。さ、そちらの方もどうぞ」
鈴木会長がベルを押して出てきたのは、全くもって普通の主婦のような女性だった。実際は化粧品店の事務職として働いているのだが、あくまで、イメージとして。
中に招かれ、少々狭い玄関で靴を脱ぎ、廊下を歩く。2LDKという空間である、数歩程度で目的の部屋の前に到着する。
「鈴木さんが来られたわよー。開けていいかしら?」
「うん」
ノックではなく、声をかける、その女性。部屋の中にいる娘の母親と思われるが、妙に遠慮がちである。過去に何かあったのだろうか。
扉を開くと、返事をした少女がそこにいた。六畳一間の、ベッドやタンスが置いてある、普通の部屋。その少女は、そんな普通の部屋に、普通に立っていた。
「どうぞ、こちらへ」
「おお、ありがとう。すまんな、急に」
「言っていただければ、こちらから伺ったのですが。何か、別の用件などで」
クッションを差し出す少女。座布団ではないあたりが年相応だろうか。
「それだと、逆に目立つと思ってな。彼が私の家に来たことは、奴らの手の者に気づかれていたようだし」
「…えっ!?」
「ああ、家族のことは心配しなくていい。既に私が手配したセキュリティサービスが安全を確認して、見張っている」
会長の秘書は有能なようだ。
「で、でも、それならここまでつけてこられたのでは…!」
「その者も、最寄駅で撃退しているはずだ。今頃は、不審者として警察に連行しているだろう」
会長の秘書は本当に有能なようだ。
「それで、えっと…この娘は?」
「…ふむ、気づかんか。相変わらず、凄いな」
「私は、家では普段こんな感じですが」
「なるほどな。だが、このままでは話が進みそうにない。あらためて、彼に自己紹介してくれないか?」
「わかりました」
そう言って、クッションに座ったまま社員に向き直った少女は、少し頭を下げて、あいさつをする。
「初めまして、佐藤春香です」
そして、顔を上げた少女は…
「…!?」
確かに、あの佐藤春香、だった。
凛とした佇まい、小柄ながらも圧倒的なまでの存在感、一度見たら忘れられないほどの整った顔立ち、そして、深い想いを漂わせる瞳。
FWOはやったことがないその社員にとって、TVやポスター、その他マスメディアで見聞きした容姿そのまま、いや、それ以上の人物が、いつの間にか、そこにいた。
「ん?どうしたかね?」
「…」
「…気絶しているようなのだが」
「また、ですか…」
春香は、本気で考えていた。完全に気配をコントロールするにはどのような理論を打ち立てなければならないのだろうかと。忍者のロールプレイでもする気なのだろうか。
◇
「会社から見れば本末転倒に見えますが、該当の社員にとってはハイリスク・ハイリターンですね」
「そうなのかね?まるでわからんのだが…」
「こんな言葉があります。『あまりに複雑怪奇で理解不能な状況は、たったひとつの知られざる事実が判明したとたん、単純な話となる』」
では、その事実とは?
「まさか、SOEのメンバーがSOEを告発するとは思わないでしょう?」
「と、いうことは…」
「はい。この人が使用している端末を調べたところ、利用できないはずの管理者権限で操作した痕跡が見つかりました」
つまり、『ソル・インダストリーズ』社員でSOEメンバーだったのは、まさしくこの社員ひとりだけだったのである。SOEとは何も関係ない社員達を陥れつつ、証拠不十分で告発そのものをうやむやにする。後に残るのは、この社員の『SOEを告発した事実』。
会社内部にSOE暗躍の疑惑を残して不安を増大させ、なおかつ、本当のSOEメンバーはむしろより疑われることなく社員として活動できる。管理者権限を盗用したままで。
「この人のことを少し調べたのですが、数年前に入社する前からSOEのメンバーだったようです」
「最初から、我が社を内部から混乱させるために入社したというのか…狂信的だな」
「お気を悪くされるかと思いますが、鈴木のお爺様は、彼らに恨まれています。『裏切者』と」
「どちらがだ、と言いたくなるが、伝わらないのだろうな…」
どうやら、SOEはカルト化すらしているようである。暴力行為を始めた頃から地下組織として暗躍するようになった過程で、そうなったのかもしれない。地下組織、といっても本当に普段地下にいるわけではないが、秘密裏に活動していると閉鎖的になるのかもしれない。
「妻子がいる、というのは嘘だったのだろうか?」
「いえ、自治体データベースを確認しましたが、嘘ではありませんでした。だからこそ、悲しくもありますが」
「真実を、伝えなければならないのだろうな…」
未だ気絶している社員を見ながら、複雑な表情をするふたりであった。
「春香、お茶を淹れたわ…あら、お連れの人、お昼寝?」
◇
「でもさ、その社員、最初から先輩に相談すると思わなかったのか?結構有名だよな?お爺様と先輩の関係」
「それが、そのことも想定していたそうだ。あわよくば、春香さんとも懇意になりつつ、活動の場を広げようとも」
「ん?よくわからない。それなら、春香の家に向かってるんじゃないかって考えない?」
そして、いくら雰囲気の違いで突然現れたかのように見えても、気を失うほどびっくりしないのではないだろうか。美里と健人はそう思ったのである。しかし。
「お前達も、春香さんの家を初めて訪ねた時は、びっくりしたと言っていただろう?」
「…ああ、なるほどね。そういえば、大学の友達も言ってたなあ、『深窓の令嬢』って」
「賃貸アパートに両親と住んでいるとは夢にも思ってなかったということか…。リーネアバターとしての先輩を見たことがないなら、なおさらか」
春香の信条は『分相応』である。ただし、本来の『能力や地位にふさわしい生活』という意味ではなく、『生活にふさわしい能力や地位』という、原因と結果が逆転している信条である。
両親とアパートに住む佐藤春香は、FWOの剣士リーネ・フリューゲルでもなければ、毅然とした態度で記者会見に臨む『現界』能力保持者でもない。ましてや、『リーネ・フェルンベル』のような深窓の令嬢のような雰囲気も醸し出さない。なお、最後のそれは『前世』を含めて本人は全く気づいていないのだが。
「なあ姉貴、先輩と御両親にこの家住んでもらって、俺達があのアパートに住んだらどうかな?」
「ああ、なんか本来の『分相応』って言葉がしっくりするわー。ビリーのエリアの小さな家、現実でも再現しようかしら」
「…春香さんの教育の成果が、妙な方向に発揮されているようだな…」
とはいえ、鈴木会長も考える。その時は、私の書斎が春香さんの部屋にはぴったりかもしれない。もちろん、あの有能な私設秘書を付けて、と。




