EX-15 IF「これから私、現実世界でも『リーネ』って呼んでいい?」
一応、これもIF回です。一応、というのは、あまりにきれいにまとまってしまったためです。これを、本編続きの正史としたいくらいに(え)。EX-12の救済回のつもりで書き始めたのですが…。
「高橋さん、これ、火星のVRシステムのログ」
「おっけー、春香ちゃん。解析班にまわすねー」
「『コアワールド』そのものとは関係ないけど、時間加速に関わる記録は役に立つと思う」
オリジナルに記録された、約10年前の春香ちゃんの、数百年の奇跡の軌跡…ごくり。
「本当に、ログだけだから。より安定した時間加速のための、改善の参考程度だと思う」
「それでも貴重だよ!あの渡辺 凛って人、昔はそういう改良にも携わっていたのに、今はやってくれないんでしょ?」
「彼女の『現界』能力ではちょっと…ああいや、とにかく分析だけでも。その後の改良のための理論立ては、私がするから」
春香ちゃんは、本当に働き者だ。仕事だからと報酬は手にするけど、それだって最低限の水準だ。にも関わらず、世界の誰よりもお金を稼いでいる。
今も、同時接続でいろんな作業をしているんだろうな。リーネやケインとしての、攻略とスローライフも並行して、なんだろうけど。
「それじゃ、私は家に帰るから」
「うん、またね!」
そうして帰っていく春香ちゃんの後ろ姿を、見送る。
◇
いつ頃からだろうか。春香ちゃんが、時々、物悲しく見える。ああ、うん、色恋沙汰がまるでないとか、一人芝居で楽しんでいるだけとか、とても本人には直接言えないような状況はよくわかっている。
でも、私は知っている。私と実さんを早く結婚させようとした春香ちゃんが、とても焦っていたことを。まるで、私達を突き放して、その間に確固たる一線を引きたかったかのように。一線を引いて、そして、私達を静かに見守ろうとするかのように。
「私と実さんは、春香ちゃんに見守られている…」
それが、どんなに心強いことか!電器店店員の頃からの仲の良い友人、というだけの話ではない。世界の誰よりも強く、賢く、優しい、佐藤春香ちゃん。全知全能の神様に贔屓されているような錯覚すら覚える。
そう、錯覚だ。春香ちゃんだって人間だ。同年齢の女性と比べてはるかに小さく、か弱そうな容姿。めったにないけど病気にだってなる。あまり表情には出さないけど、怒ったり悲しんだり笑ったりする。そう、普通の女の子でもあるのだ。
「本当は、私達が春香ちゃんを見守るべき立場なのに…」
そんな立場が、他ならぬ彼女によってもたらされている、この、奇妙なちぐはぐ感。それが何なのか、ずっと気になっているんだけど、わかるようでわからない。複雑なようでそうでもない。ああもう、もどかしい!
そういえば以前、その春香ちゃん自身が、こんなことをつぶやいていた。
『あまりに複雑怪奇で理解不能な状況は、たったひとつの知られざる事実が判明したとたん、単純な話となる』
このつぶやきで言う『たったひとつの知られざる事実』は、春香ちゃんが『コアワールド』の創造主だったことだ。一瞬のうちに起きた、数百年の奇跡。たったひとつの、しかし、想像を絶する事実だった。
「もしかして、まだあるっていうの…?」
急に、怖くなった。春香ちゃん自身が既に想像を絶する存在なのに、更にその向こうに、何があるっていうの…?
◇
「高橋さん、火星のオリジナルのログ解析、終わりました」
「おつかれー。どうだった?」
「予想以上ですよ。この分析結果があれば、春香さんなら数倍は安定した時間加速システムにしてくれますよ」
おお!『学園180分コース』が更に安定するね!
「そう、春香ちゃんも喜ぶね!他には?」
「春香さんが当時『コアワールド』を生成した時の様子を、時系列でまとめました。あくまで様子ですので、どうやって生成したかまではわかりませんが」
「そこは『春香ちゃんのみぞ知る』だね!」
結果報告を確認し、私は執務室に戻った。
しかし、未だに慣れないなあ。VR研および『コアワールド』管理組織の代表をやっているとはいえ、数か月前まで電器店の店員だった私が『執務室で仕事』だよ?ちゃんとやってはいるけど、うん、何偉い人ぶってんだって感じ。はー。
「なるほど、数年単位で整理されているのか…」
解析班からの『コアワールド』生成の時系列データを眺める。具体的な生成データまではわからないが、少しずつ『世界』が構築されていく様子が確かにわかる。これを、全て春香ちゃんがひとりで…。
ん?
「一番最初に生成したのはアバターかあ。ロールプレイ厨の春香ちゃんらしいわね!」
聞いたらぷくーっとなって怒るかな、春香ちゃん。これは心の中だけに留めておこう。
でも、最初に生成したアバターってなんだったんだろ?最初期のデータだから、オリジナルの奥底に残っているだけで、VRシステム構築に使われることはないんだよね。
…ちょっと、興味がわいたかな。
「えっと、データの識別情報はっと…」
オリジナルでなくとも、『コアワールド』のコピーにはその残滓が含まれている。アバター情報全体でなくとも、その形状や基本情報くらい…は…
「…なんで?なんで、『自分自身』を最初に作り出す必要があったの?既に、接続済のアバターがあるのに!」
最初に作られたデータ、それは、『佐藤春香』という名のアバターだった。
◇
あるひとつの結論を出した私は、春香ちゃんに会いに行った。どこで話そうかと迷ったけど、内容が内容なので、VRではない、現実世界のどこかが良いと思った。
春香ちゃんが通う大学の図書館内の、図書室のひとつ。あまり人がいないエリアで、私は春香ちゃんに、単刀直入に聞いた。
「春香ちゃん、あなたは…誰?」
「…」
「なぜそんなことを尋ねられるのか、予想済って顔ね」
「昨日のログデータを分析した後、と考えれば」
春香ちゃんは本当に、本当に聡明だ。悲しくなるほどに。
「じゃあ、やっぱり…」
「証明はできない。推測しかできない。でも、私は火星のシステムを使って、全てを思い出した」
「リーネ・フェルンベル…」
そして、あの渡辺 凛という人の中の人こそが、本来の佐藤春香ちゃん。
「彼女は、思い出していない。いえ、思い出せないと思う。10年前のあの時、それまでの自分自身を捨て、肉体を含む『リーネ・フェルンベル』の全てと融合することを自ら望んだがために。今の彼女に矛盾は存在しない」
「そんな…」
「魂というものが本当にあるのかわからない。でも、『リーネ・フェルンベル』の全てを失った『私』は、残された存在である『佐藤春香』となるしかなかった」
仮説として考えてはいた。
いたけど…していたけど…!!
「そんな…!それって、それまでの人生を全て一方的に奪われたってことじゃない!」
「それは、彼女も同じ。むしろ、彼女自身の20年近くの青少年時代を全て…」
「何言ってるのよ!その青少年時代の記憶や経験も全て奪われたってことじゃないの!?ねえ!?」
わかった。今、ようやく全てがわかった。
ここにこうして存在している『佐藤春香』という女の子は、『リーネ・フェルンベル』が動かしているアバターなんだ!『現界』能力も相まって、いつまでも変わらずにいる肉体。そんな、常軌を逸したロールプレイ。
そして、『渡辺 凛』の方は、10年前までの『リーネ・フェルンベル』の全てを奪って誕生した、ひとりの人間。多少の特殊能力はあったとしても、ある意味普通にこれまでの人生を送ってきた記憶をもつ、普通の人間に過ぎない。
そしてなにより、わかったことがある。
「春香ちゃん!いいえ、リーネ・フェルンベル!あなた、お人好し過ぎ!」
「…え?」
「もしかして、罪悪感に陥っていた?自分のせいで、渡辺 凛という『犠牲者』が出たって!」
「それは…」
「逆よ!あの『事故』の犠牲者は、あなたよ!そして、渡辺 凛はむしろラッキー!棚からぼた餅!濡れ手に粟!前に言ってたじゃない、『あんな状況で彼女はなぜ幸せそうなんだろう』って。当然よ!神のような存在のあなたから、これでもかってほどの恩恵を受けたんだから!」
『そう言えば、彼女も似たようなこと言ってたな…』とつぶやく、春香ちゃん、あらため、リーネ・フェルンベル。
はー…。
うん、言いたいことを全部言ったら、なんかすっきりした。
よし!
「ねえ、これから私、現実世界でも『リーネ』って呼んでいい?」
「…急に、何?」
「だって、それが本来のあなたの名前なんでしょ?個人番号さえ『佐藤春香』のものを使い続ければ、社会生活では困らないし!」
「それは…そうだけど…」
あとねえ、
「もう、あなたのことを『ちゃん付け』で呼べないよ!これまでだってそう思ったことが何度かあったけど、私なんかより、ずっとずっと大人なんだもん!下手したら、実さんよりも!」
「いや、さすがに実くんは年上…あっ」
「…ほほう?」
なんというか、同年代の気の合う友人が出来た気分!大人とは言ったけど、10年前のリーネって、要するに、今の私と同じくらいよね!
「実さんは渡さないよ!なにより、あなたのおかげで結婚できたんだし!」
「いやいや、さすがに今からひっくり返すなんてことは」
「それと、これからじっくり、実さんの小さい頃のことを全て教えてもらうからね!」
「…いつまで、おねしょしてたとか?」
「知ってるの!?」
うはー!いい!これはいい!最高の親友を得た気分だよ!
よーし、こーなったら大サービスだ!
「今から、実さんのところに行こ!そして、あなたが『リーネ・フェルンベル』だってこと教えよう!実さんの反応が楽しみ!」
「えええ…」
きっと、泣いて喜ぶと思うんだ。ずっと忘れられなかった幼馴染が、あの渡辺 凛じゃなくて、他ならぬ、この佐藤春香ちゃん、ううん、リーネ・フェルンベル本人だったんだから!
「あと、一週間に一回くらいは実さんと不倫していいから!妻の私公認よ!」
「ええええええええ」
あ、その時は警察に補導されないよう注意してね?見た目はやっぱりかわいくて小さな女の子なんだから!