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EX-11 IF「フェルンベル・ワークス・オンライン、と名付けたいんだ」

「それじゃあ、わたしがおねえちゃんのところに住むね!」


 …!だ、ダメだよ!春香ちゃんはお父さんやお母さんと一緒に住まなきゃ!

 ‎

「むー。…あ、あれ?あれれ?」


 これは、強制ログアウト…!?春香ちゃん、真っ暗になっても意識をしっかりもって!


「あははは!なにこれ、おもしろーい!」


 えー…。


 そうして、佐藤春香ちゃんは先にログアウトした。残された私はなぜか強制ログアウトされず、超加速された時間の中で、いつまでもいつまでも仮想空間の中に留まることになった。


 ‎寂しさのあまり、私は仮想空間の中で数々のアバターを、大地を、光と影を、世界そのものを、作り出していった。おじい様を始めとした家族、内気な私があまり親しくなれなかったクラスメート、大学のゼミ仲間、研究者の人々。他にも、思いつく限りの、物語の登場人物たち。

 ‎その世界で私は、数多の舞台で、数多のロールプレイ(一人芝居)を繰り返した。小さい頃の一人ままごとのような行為を、延々と、延々と―――



「う…うん…?」

「あ、おねえちゃんも目がさめた?」


 気がつくと、博物館の展示コーナーの体験ブースに、横たわっていた。

 ‎長い、本当に長い夢を見ていた。目が覚めた今はおぼろげながらも、確かに私は何百年(・・・)もの悠久の時を生きてきた。現実世界では、1分も経っていない、一瞬の間を。


「それじゃ、わたし帰るね!」

「…え、ええ。お父さんと、お母さんに、よろしくね」

「えー?どうせどこかでベタベタしながらあるきまわっているだけだよー?」


 そう言って、彼女は、佐藤春香ちゃんは去っていった。あの娘には何も問題は起こらなかったようだ。良かった…。


 私は、体験ブースを閉め、フルダイブ装置を調べた。やはり、時間加速に関わる回路にエネルギーを供給する部分が少し消耗していた。私が関わった改良ではとうの昔に改善されていた部分だから、油断してしまったようだ。

 ‎少しいじれば直るが、今日はもう展示をやめることにした。閉館時刻も近く、来館者もまばらだ。無理をすることもないだろう。


「う、嘘…!?」


 博物館の仕事を終えて大学に戻り、フルダイブ装置に遠隔接続されていたストレージ装置を調べて、驚いた。私が何百年もの間に作り出してきたアバターや世界データが、ログアウト後も消えずにそっくり残っていたのだ。

 ‎これは、あまりに予想外の成果だ。少し、いや、かなり恥ずかしいが、これらのデータを整理してカスタマイズすれば、十分な性能をもつVRサーバの上で、広大な仮想世界を構築できる。ひとつのVRシステムで、ひとつの地球規模の世界が広がる。世界中の人々が十数年もかけてデータを蓄積していく必要もない。


「私は、私個人の数百年(・・・)の成果として、この仮想世界データ群『コアハート』を無償で公開します。仮想世界技術の時代の幕を、開けるために」


 世界初の汎用VRシステムを構築した私は、ネットワーク上にβ公開すると同時に記者会見を行い、『コアハート』の無償公開を宣言した。著作物データとしては確かに私が所有権をもつのだが、それを可能な限り明確にすることで、人類全体の共有財産とすることを狙ったのだ。

 ‎名称は『コアワールド』と迷ったのだが、あのデータは私の数百年間の心そのものだ。記者会見や発表論文でも、このデータが創り出された経緯を包み隠さず述べ、証拠としてあの博物館での出来事の際のログデータまで公開した。私の心は他の誰にも独占できない。そんな意味も込めて『コアハート』と名付けたのだ。



 それから、数年。

 ‎たった数年で、人類社会全体が、仮想世界技術の恩恵を受けるようになっていた。


 定番のVRMMORPGは数え切れないほど生まれ、そして消えていった。消えることは悪いことではない。新しいアイデアと共に、新しい世界として生まれ変わるからだ。短命ゆえに地球規模のデータを活かしきれていないところがあるが、これから少しずつ発展していく分野だろう。

 ‎飛行機や宇宙船へのVRシステム導入も進んでいる。乗客だけでなく、機内で働くCA等の休息にも絶大な効果を発揮していると聞いている。あの経験から、フルダイブの時間加速技術にも更に改良を加えたから、ほんの数分でも好きなだけ休息がとれるだろう。あくまで、精神的にではあるが。

 ‎宇宙ステーションや月面都市、そして、おじい様(・・・・)が公社総裁を務める火星でも仮想世界技術が有効活用されているようだ。このような場所では社会生活自体の代替も兼ねるから、アバターは現実の体に近いものがいい。あくまでそのような事情をもつ組織向けに、私は『コアハート』に合わせた高速精密スキャンシステムを開発して提供している。悪用されても困るからね。


 これらと共に、フルダイブ装置も急速に進化した。ヘッドセット型はヘアバンドもしくはカチューシャにしか見えず、老若男女、あらゆる人々が頭に装着し続けるようになった。VRのナビゲート機能が応用され、AR機能も充実するようになったためだ。

 ‎もちろん、普段からヘッドセットを付けている人ばかりでなく、日常生活の情報交換は携帯端末のみ、という人もいる。でもそれは決してVRやARを嫌っているわけではなく、むしろ、VRはカプセル型でじっくりと活用したい、という人もいる。多様な利用形態があるのはいいことだ。


 近いうちに、『ソル・インダストリーズ』が木星の衛星から移民船団を太陽系外に出発させるという。それもこれも、仮想世界システムの活用が前提だ。肉体は原則カプセル型フルダイブ装置で眠り、日常生活のほとんどを仮想世界で過ごすことになる。コールドスリープは、肉体にあまり良くない影響を与えるようだ。

 ‎人道的な問題が取り立たされた。最初に出発する本人達はともかく、船内で生まれてくる子供達にも最初からそのような仮想世界漬けはどうなのかと。もっともな話であるが、『ソル・インダストリーズ』としては別の技術の開発も視野に入れての計画のようだ。技術協力の関係で私も会長と少し話をしたが、なかなか強かな、しかし、夢に溢れた御仁だ。あの方なら、うまくやるだろう。



 そして、私自身はというと、実のところ、あまり変わらない。いろいろと名誉な賞や称号を世界中の組織や政府から頂いてはいる。しかし、それだけである。どこかの企業や大学に就職することなく、個人的に仕事を請け負う毎日が続いている。最大の功績である『コアハート』を個人資産として無償公開していることが大きいのかもしれない。

 ‎名前も、結局『リーネ・フェルンベル』から変えていない。名字は母方の渡辺姓と決めてはいたのだが、ファーストネームをどうするかと考えていたら、今の今まで決められないままという状況である。この名前で論文や書籍を出し続けていることもあり、名前の変更はもうあきらめている。


「私ももうアラフォーか…」


 そんな名前ながらも昔から日本で使われている俗語で身の上をつぶやきながら、私は今も神社の隣にある実家で暮らしている。時々お手伝いさんに来てもらって維持している、広い広い家。両親も相変わらずそれぞれの事業の本拠地が別にあり、たまに『帰省』してくるという状況だ。

 ‎もっとも、仮想世界技術のおかげで、両親とはVRで頻繁に会えるようになった。小さい頃は通話とかでしかできなかった、他愛もないおしゃべり。国際回線では少し遅延があるものの、そんなゆったりした生活(スローライフ)を両親と共にするには十分である。

 ‎火星にいるおじい様と同じことができるわけではないのが残念だが、それも、『ソル・インダストリーズ』が解決してくれるようだ。重力理論から転移装置を開発し、それを通信回線敷設に応用するとは恐れ入った。会長曰く、実現ノウハウの蓄積に膨大な時間がかかるとして、反重力より実現しやすい転移通信路を先に開発したという。


「もしかすると、私は家族と一緒にいたいがために、仮想世界技術を発展させようとしていた…?」


 そうかも、しれない。あの数百年の時間の中で真っ先に作り出したのが、おじい様である『ケイン・フェルンベル』であり、両親だった。

 ‎しかし、そのために研究に時間を費やした結果、お付き合いするような男性に巡り合わず、私自身が『家族』を作れていない。いや、研究のせいではないな。私自身の、一人遊び(ロールプレイ)ばかりしていた幼い頃からの性格だろう。何度自虐的に思ったことか。三つ子の魂百まで。


「お付き合いするような男性…か」


 ひとり、いた。

 ‎まだ私が中学の頃に告白してくれた、当時大学生だった幼馴染。物心ついた頃には一緒に遊んでくれていた、男の子。

 ‎でも、その男の子はとんでもなくモテていた。それはもう、私みたいなコミュ障気味の女が近づけないくらい。別に、取り囲んでいた女性軍団に何かされたわけではないが、街角で見かけても遠くから見つめるくらいしかできなかった。

 ‎だから、彼が告白してきた時は唖然とした。なぜ私なんか、と。何をどうしたって、地味で質素な未来しか見えない私なんかを。そんなの、『(みのる)くん』には絶対似合わない。


『まだ、私、には、そういうの、わからなくて。変、だよね、中学生にもなって、こんなの』

『…!そ、そんなこと、ないよ!リーネ、見た目そういう雰囲気だから!…あっ』


 …残念なセリフだったなあ。二十年以上経った今でも覚えているあたり、執念深い性格でもあるんだろうか、私。

 ‎そういえば、あの数百年の時間の中で、実くんだけはアバター作らなかったなあ。なんでだろ。あははは。



 ある日の夕方。

 ‎今日はお手伝いさんがいないから、自分で夕食を作ることにした。


「Tfjasthushf lkojtsas, lkisjthoofls Khaj'apc…」


 おじい様の妹さんを何度か訪ねた時に教えてもらった、ある国の伝統民謡。それを口ずさみながら、スーパーからの帰り道を歩く。鶏肉とブロッコリーが安かったので、クリームシチューを作るつもり。今はもう亡くなっている、おじい様の妹さんの得意料理だった。


「その歌は、初めて聞いたな。どこの国の言葉なんだい?」


 後ろからかけられたその声に、はっと振り向く。


「実、くん…?」

「ひさしぶりだな、リーネ」


 本当に、ひさしぶりだ。高校の進学先は全寮制だったから、中学を卒業して以来だろうか。実くんの方は大学卒業後に就職で地元を離れたし。

 ‎しかし、面影はあるけど…。


「ひさしぶり。この歌は、親戚の人に教えてもらったものだよ」

「そうか、外国の親戚なら、俺が知らないはずだよな」

「…家に、寄っていく?」


 立ち話もなんなので、家に招いてお茶を出す。シチューは…ゆっくり作ればいいか。


「君は…今でも独身なんだな」


 飲んでいた自分のお茶を吹き出しかける。なんというか、相変わらず残念だ。


「そうだけど…。実くんは、渋くなったね。でも、ちょっとやつれた?」

「あ、ああ、新しい会社を立ち上げて、忙しくてね。VRゲームの運営会社なんだけど」

「実くんが、VRゲーム?」


 これは、意外だ。大学だって文系だったはずだ。


「意外に思うか?君の影響なんだけどな」

「私の…?」


 そのVRゲームも『コアハート』をベースに開発されているだろうけど、それはあくまで結果であって、原因ではないはずだ。


「あるVRゲームをやってみたんだけど、とっても懐かしかった。なんというか、雰囲気がね。すぐに君を思い出したくらいに」

「そ、そう…」


 うわー、すごく恥ずかしい!初期アバターセットに、実くんをモデルにしたものがなくて良かったよ!


「それから君のことを調べたんだけど…びっくりしたよ。君は何も変わっていなかった。本当に、何も」

「大げさだよ。最近も、ああ、アラフォーだなあって、しみじみ思ったくらいだし」


 とはいえ、実くんの言いたいことはわかっている。

 ‎私はなぜか、あの博物館での出来事以来、身体的な変化があまりない。老いが現れないという意味では嬉しいのだが、なんというか、人間の肉体というよりは、人形のようなのだ。そう、VRのアバターのような。かかりつけのお医者さんに診てもらっても何も問題はなく、むしろ羨ましがられているのではあるが。

 ‎そして、比較的早熟だった私は、中学で背丈が伸び切ってしまったと同時に、身体的成長も止まってしまった。中学の頃は胸の大きさにコンプレックスがあったが、それから二十年以上経った今、コンプレックスでもなんでもなくなってはいる。


「姿形もそうだが、雰囲気も変わっていない。相変わらず真面目で…誠実なんだな」

「えっ…」


 そんなことを、実くんに言われたのは初めてかもしれない。いや、男の人全般に言われたことがなかったかも。


「あの頃は見た目に気を取られてロクなことが言えなかったけど…うん、君は何も変わっていない。何も変わらず、素敵なままだ」


 うぇ!?

 ‎もしかして私、口説かれてる!?え、え、でも実くん、さすがに結婚してるでしょ!?大きな子供がいたって不思議じゃないくらいに!


「結婚してたら、君が独身とか言うわけないだろう…」


 そ、そんなものなの?

 ‎え、でも、実くんも独身!?う、うわ、え、ええええ。


「ああでも、今は交際を申し込めないかな。まだ、そんな資格は俺にはない」

「…資格?」

「仲間の技術スタッフと稼働に向けて開発を進めているVRゲームが、ちゃんと稼働して、そして、きちんと収益を上げるようになってからだな」


 そう、なのか。結構、本格的に進めているんだ。仕事だから当たり前といえばそれまでだけど、今VRゲームって流行りだから、一発当てようってだけの刹那的な企画も結構ある。とはいえ、手間暇かけて準備しても必ずしも成功するとは限らないけど。

 ‎まあ、応援してもいいかな。仕事として依頼してくれれば手伝いもする。露骨な贔屓はできないけど、プレイヤーが楽しめるよう努力するというのなら、いろいろとアドバイスもできるだろう。なにしろ、私には数百年分のアバター(ロールプレイ)実績がある。


「今日は、その、俺自身の気持ちを確認しに来たのと、あと、君の、許可をもらいに」

「許可?」

「あ、ああ。実は、君のおじい様には超距離通信で既に快諾してもらっていてね。他ならぬ君が創り出した『コアハート』をふんだんに活かしたVRゲームの名前としては、ぴったりだと思うんだ。『遠き鐘の音』の意味をもつ、その名字を使って―――」

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