カタストロフ(下)
「天使シェムハザ。厄災のことや天使たちについて、それなりに理解したつもりよ。私たちエルフの間では、アヌンナキが宇宙の民で、人間やドワーフに魔術や文明を伝えたことは有名な話。それに、風の精霊は、あなたの発言に虚偽がないと言っている。だから、私はあなたを信じる。ただ、疑問に感じることがあるの。属性八柱も同じ天使であるなら、彼らを人間の中で仮死状態にする必要がないと思うのだけど……」
アスリンは、コノートヤマネコの姿で現れた天使シェムハザに質問した。俺自身もアスリンと同じことを疑問に感じていた。そのアヌンナキの伝承方法に、メリットを感じないからだ。
属性八柱の聖霊は、生命体ではなくルーアッハという無機質な水晶体に宿るアヌンナキ。そのルーアッハを魔術の素質が高い人間に埋め込み、仮死状態の聖霊を人の遺伝子に記憶させて子孫に受け継がせる。
そして、厄災を齎す彗星ニビルが到来する時期に合わせ、聖霊の遺伝子を持つ一族の中で最も高い魔力を持つ者の眼窩に、ルーアッハが再結成されて復活するのだとか……。
「汝らが非効率的だと感じるのは当然だが、理由があっての。ワシらは、個体ごとに役割と使命が与えられ、ヤハウェに創造された自我を持つ聖霊。自我があるワシらは、それなりの情と欲を持ち得ておる。並外れた異能の力を持つ属性八柱が、自らの聖霊を生体へ自由に憑依させて悠久の時を生きれば、やがて自らの力に溺れヤハウェの使命に叛く可能性が生じるからの」
シェムハザは、アスリンの質問に答えた。
天使ことアヌンナキは、唯一神ヤハウェに創造された? ヤハウェは、ジュダ教の訓え通り、本物の神だとでもいうのだろうか……?
「天使も俗世に溺れると、神に叛くと言うのかしら? 可能性というだけで力を持つ同胞のを恐れ、自分の意思で動けないルーアッハに封じて、人間の中で仮死状態にしているということなの?」
アスリンは、可愛らしい釣り目を半分閉じて、シェムハザに軽蔑の眼差しを向けながら言った。考えようによっては、厳重な檻に閉じ込めているのと同じことだ。
「可能性がある以上、ワシらはそうせざるを得なくての。ヤハウェの使命に叛いたアヌンナキの聖霊は抹消される。実際に淘汰された聖霊も少なくない。ヤハウェに叛くアヌンナキの監視と討伐を使命とする集団の長が、ヴァイマル帝国をテルースから導いたラファエルだからのぅ」
「そんな……、大天使ラファエルたちが?!」
ラファエルを知るキアラが、リーゼルさんを見ながら言った。キアラに向けて首を横に振るリーゼルさんも、ラファエルたちの使命を知らなかったのだろう。
「ラファエルらの目的は、ワシにもわからん……。いずれにせよ、属性八柱は、一柱たりとも失ってはならんのだ。八柱全ての属性の力を駆使せねば、レプティリアンは撃退できぬ。それ程に、奴らは強敵でのぅ……」
五年後にカタストロフを超えて襲来するレプティリアン。それを撃退する役割を与えられたアヌンナキが属性八柱。属性八柱を率いるのがシェムハザで、八柱の一柱が俺の右目の中に出現したルーアッハに宿るラミエル……。バカバカしい……。
「ルーアッハに宿る聖霊を、レプティリアンが襲来するまで大切に保管したままではダメだったの?」
訝しげな表情の彩葉がシェムハザに尋ねると、シェムハザは、長い髭をビクビクとうねらせながら彩葉の問いに答えた。
「汝ら人間の神経細胞の電気シナプスと遺伝子構造は、ワシらの聖霊が憑依するのに最適な種族。ルーアッハとの相性もよくてのぅ。それに、最後は高い魔力を供給せねばならぬからの」
俺は、身勝手な天使のやり方に対して怒りが込み上げてきた。これじゃ、属性八柱の遺伝子を受け継ぐ俺たちは、天使たちの都合に巻き込まれた理不尽な被害者だ。握り締めた俺の左手の拳が勝手に震えだす。
その震える俺の左手の拳を、隣で俺に寄り添う彩葉がそっと両手で優しく包んでくれた。彩葉の体温は、ドラゴニュートの特性で、人の平熱より少し体温が低い。触れた瞬間、少しヒヤッとするけれど、俺にとって彩葉の肌の温もりは何よりも温かい。
彩葉は、ドラゴニュートの自分の体質のことで精一杯のはず。夕刻の戦闘で大怪我をした彩葉は、治癒の魔法で完治したとはいえ身も心もボロボロのはずだ。俺がこれくらいで躓いていてはいけない。
サンキュー、彩葉……。
俺は、彩葉に頷いて感謝の意を伝えと、不安そうに俺を見つめていた彼女の表情が和らぎ、俺に笑顔を返してくれた。彩葉の笑顔で平常心を取り戻せた俺は、もっと根本的な疑問をシェムハザに質問した。そう、神や天使という彼らの存在自体だ。
「天使シェムハザ、単刀直入に質問します! 天使ことアヌンナキという存在。それから、ヤハウェとレプティリアンは、どのような存在なのですか?」
「ジュダの訓え通り、ヤハウェは、世界の創造主たる唯一神で……と、ワシが言ったところで、汝らは信じぬであろう?」
「話の流れからして、そんな宗教染みた話を信じろってのは、もう無理っスねぇ……」
相変わらず緊張感のない口調で、幸村が俺に代わってシェムハザに答えた。
「猊下……、その話は……」
サガン大主教は、動揺した様子でシェムハザの前へ出た。
「サガンよ、汝らジュダ聖教の役目は、徒に人間たちが混乱せぬよう、俗世にワシらの真相が広まるのを止めることだの? この者たちは、属性八柱の末裔。真相を知る必要がある」
「猊下の仰せのままに」
シェムハザの言葉に畏まるサガン大主教。シェムハザは、サガン大主教に頷くと、神話のような話を掠れた聞き取り辛い声で語り始めた。
「これは、まだワシらアヌンナキが存在しない遠い昔。プレアデスの星の集まりの一つ、アルキオネの惑星ニビルを母星とする宇宙技術と精霊術に長けた、ニンフという超大文明を築いた知的生命体が栄華を極めておった。ところが、科学と魔術の暴走により、カタストロフというこの宇宙と異なる次元に繋がる門を召喚してしまっての。そこから現れた世にも悍ましい怪物レプティリアンたちによって、ニビルで暮らすニンフたちは、絶滅寸前まで追い込まれた。生き残ったニンフたちは、惑星ニビルを放棄して外宇宙へ逃れることを決意し、宇宙技術を集結させ、意思と知能を持つ宇宙母船ヤハウェを建造した。ニンフたちは、ヤハウェが完成すると同時に、外宇宙へ向けて旅立った。しかし、ヤハウェに搭乗したニンフの中に、レプティリアンの毒に犯されていた者がいてのぅ。やがて、その毒が起因となる死に至る病が船内で蔓延し、治療法が見つかる前に、ニンフはヤハウェの船内で死に絶えてしまっての……」
衝撃的なシェムハザの話は、まるでサイエンス・フィクションのままの世界だった。ヤハウェの生い立ちは、超文明が生み出してしまった怪物に星が滅ぼされ、知的生命体が滅亡から逃れるために開発した意思を持つ宇宙船だとか、俺の想像を遥かに超えるものだった。
「天使シェムハザ。ヤハウェは空想の神ではなく、孤独に宇宙を旅した、意思と知能を持つ宇宙船。そういうことですか?」
キアラが、シェムハザに尋ねた。
「汝らがそれを神と考えるかは別として、キアラの言う通りだの。ヤハウェは、数十万年という気の遠くなる長い時間、自らの動力源となる鉱物資源を小惑星から採集しながら、あてのない宇宙の旅を続けていた。そんなヤハウェは、ある時、特定の星の光に含まれるマナを物質化することで、精霊術に似た新たな魔術を偶然発見した。それが、虚無から様々な物質を生み出す呪法での。それからヤハウェは、自身が持ち得る科学と呪法を駆使して、意思と記憶が融合した素粒子の結晶である『聖霊』を創造した。それがワシらアヌンナキという生命の誕生での。そしてワシらは、ニンフたちの遺伝子から復元された肉体に聖霊を宿し、自由に活動できる器を得た。その結果ヤハウェは、生命居住可能領域内の惑星の鉱物資源が採集可能になると同時に、長い孤独から解放されたというわけだの」
「それがヤハウェと猊下たち天使の真相……。そして、天使の敵、レプティリアンの正体。以前、アトカに聞いたエルフ族の伝承に近いものがありますな……。その後、猊下たちは、ヤハウェに乗ってアルザルへ来たということでしょうか?」
公王陛下がシェムハザに質問すると、シェムハザは、満足そうに目を細め、髭をブルブルと震わせながら陛下に頷いて答えた。
「察しが良いな、レンスター公王よ。ヤハウェが最初に降り立った惑星が、このアルザルでの。環境のよいアルザルには、何種もの知的生命体が存在しておっての。その中でも現生人類に近い人間とドワーフは、空に浮く巨大なヤハウェや小型の飛行艇ヴィマーナに乗るワシらを見るなり、畏怖の念を抱いて接触してきての。ワシらは、彼らに適度な文明と呪法を与える代わりに、ヤハウェの動力源である鉱物資源の採集を求めた」
「もう、話の内容が激しくSFチックなんですけど……」
幸村が目を輝かせながらおどけてみせた。オカルトやSFが大好物な幸村は、きっと楽しくて仕方がないのだろう。興奮気味の幸村はさておき、俺は、レプティリアンがアルザルと地球を襲ってくる理由が気になった。
「シェムハザ。これまでのあなたの話を聞いた限り、ヤハウェは、レプティリアンから逃れたように聞こえます。それなのになぜ、レプティリアンは、彗星ニビルと共に現れてアルザルと地球を襲うんですか?」
シェムハザは、俺の質問に深く頷いてからゆっくりと答え始めた。
「それについて答える前に、汝らの故郷テルースで起きたことについて語らねばならぬの。ここ三重連星のリギル・ケンタウリ星系で生命が活動できる星は、アルザルとアールヴの二つの惑星での。ただ、いずれの星もヤハウェの動力源となる鉱物資源が、小惑星と同程度の埋蔵量しかなくてのぅ。そこでヤハウェは、生命活動環境の良いアルザルを拠点として残したまま、大多数のアヌンナキとワシらに従属するシュメルの民を連れて、隣接する太陽系に向けて旅立った。それが、今から約十二万年前になるかの。当時、まだアルザルとテルースを短時間で往来するシンクホールはなくての。そのため、ワシらは、移動におよそ千年という時を費やした」
「移動に千年って……」
時の長さに驚く幸村が絶句した。
アルザルから太陽まで四光年強。光速が秒速三十万キロメートルとすると、単純計算でヤハウェは、秒速千二百キロメートルの速度が出ていることになる。ヤハウェの航行速度は、地球の最新技術で開発されたロケットなんて足元にも及ばない速さだ。それだけ、ニンフという種族の文明が進んでいたということになる。
「千年という時間は、長い宇宙の単位で考えれば一瞬だがの……。ワシらは、太陽系に辿り着くと、アルザルと酷似した環境の惑星テルースを発見し、早速地上へと降りた。テルースは、マナが存在しない代わりに、アルザルやアールヴと比較にならない量の鉱物資源が埋蔵された豊かな惑星でのぅ。当時のテルースは、星の半分以上が厚い氷に閉ざされていたが、生命が活動する環境を保ち、ワシらと共にテルースへ来たシュメルの民に極めて近い人類も存在しておった。しかし、実際にテルースを支配していた生命体は、人類ではなく強大な生命力と異能力を持つ竜族でのぅ」
約十二万年前の氷河期の地球にドラゴン……。
シェムハザが語る当時の地球は、俺が知る地球史と異なっていた。竜族が地上を支配していただなんて……。
「天使シェムハザ。あなたたちと竜族は、地球の覇権を巡って戦になったと、私の中に宿る黒鋼竜ヴリトラから聞いています! それは本当なの?!」
彩葉が少し強めの口調で、シェムハザに問いただした。
「彩葉がヴリトラから聞いた話は、真のことだの。丁度、ワシらがシンクホールを完成させた頃のことだ。ワシらと共にテルースへ来たシュメルの民と竜族が争うようになってのぅ……。当時、人間が竜族と争う力などなかったはずなのだが、人間は竜殺しの武具を所持し、竜族を次々と撃退してのぅ。ワシも後で知ったことだが、ドラゴンキラーを作り出し、人間に与えていたのは、ヤハウェ自身での……。それを知っっていた竜族の矛先は、当然ヤハウェに向けられての。それが、激しい戦いに発展してのぅ……。ワシらは、数多の同胞とヴィマーナを失った。また、大破したヤハウェが大地に墜ち、もはや当時のニンフたちの技術がなければ、修復できぬ状態に陥ってしまっての……」
「それが、竜戦争……」
これまでずっと黙って話を聞いていたリーゼルさんが、誰に言うでもなく呟くように言った。ドラゴニュートのリーゼルさんも、きっと彩葉と同様に、彼女の体に宿る竜の魂が夢に現れて、竜戦争の話を知っているのだろう。
「そして、地球に竜族が生きられない気体を撒いて、天使たちが竜戦争に勝利した……」
彩葉もリーゼルさんの言葉に続いて、シェムハザに確認するように尋ねた。
「いかにも。ワシらは、竜族を弱体化させることに成功しての。二体の神竜王のうち、ミドガルズオルムが降伏したことで、竜戦争は、ワシらの勝利で終わった。しかし、もう一体の神竜王アジ・ダハーカは、最期まで抵抗を続け、自らの命と引き換えに竜の力『呪怨』を使って大地に堕ちたヤハウェに呪いを掛けた。呪怨の効果は、対象が最も危惧することを現実化することでのぅ……。ヤハウェが最も危惧すること。それが、ニビルを滅ぼしたレプティリアンの追撃だった。その時を機に、アルキオネの惑星ニビルは、軌道を大きく変えて外宇宙を巡る彗星となり、太陽系とリギル・ケンタウリ星系まで飛来するようになっての……」
リーゼルさんと彩葉に答えるシェムハザの声のトーンは低かった。
「天使シェムハザ、私たちは本当にそのような相手に勝てるのでしょうか?!」
「勝つしか道は残されておらぬ。神竜王アジ・ダハーカの呪怨を受けたヤハウェは、テルースの地で残された力を使い、汝ら属性八柱の聖霊を創り出した。それが属性八柱の始まりでの。故に汝らは代えが利かぬのだ……」
動揺するキアラの質問に、シェムハザは顔を上げて答えた。
そもそも、厄災は竜戦争の爪痕だった。ルーアッハが宿る俺たちは、言わば完全な犠牲者だ。一方的で勝手な天使が腹立たしい。アスリンが天使を嫌う理由がよくわかった。
「それで、シェムハザ。レプティリアンが来たら、俺たちはどうすればいい?!」
無性にイライラしてくる。もう、こんな身勝手な天使に謙るのは辞めだ。
「そう、焦るでない、ハロルド。まだ奴らが到来するまでに五年以上あるからの。ただ、この時期に始まる戦は、極めて深刻な問題での。しかも、ラファエルらがテルースから連れてきたヴァイマル帝国の武器は、殺傷能力があまりに高過ぎる。ラファエルが何を考えているかわからぬ以上、ワシは、帝国に所属する者も含め、汝ら属性八柱の聖霊を保護せねばならぬ。急遽ワシがレンスターを訪れたのは、この地で唯一帝国に対抗できる組織を持つ、レンスター公王の支援が欲しくての」
この戦争は、ヴァイマル帝国が仕掛けてきた侵略戦争で、意図して始まった戦争ではない。キアラたち、訪問騎士団がレンスターに加わったとはいえ、劣勢な状況は続いている。今のレンスターに、敵陣から属性八柱を救出する余裕なんてあるはずがない。
「猊下の仰ることは、概ね理解いたしました。我らレンスターに協力を要請いただいたことを誇りに思います。世界の滅亡の危機を救うというのであれば、レンスターは、喜んで猊下に協力いたしましょう。しかし、猊下もご存知の通り、我らはヴァイマル帝国の前にして既に滅亡の危機にあります。互いの利害の一致のために、猊下らグリゴリの戦士も我らに協力願えませんでしょうか?」
「それは無論だ、レンスター公王。ただ、今のグリゴリの戦力は乏しい……。あまり期待はせぬことだの……。サガンよ?」
「はい、猊下!」
「汝らジュダ教徒も総力を挙げ、レンスターとワシらを支えよ。これは、汝らジュダの訓え従う人類にとって、聖戦となる戦いだからのぅ」
「御意! 我らは天使シェムハザ猊下と共に、ジュダの聖戦に参加いたします!」
シェムハザに鼓舞され、サガン大主教は大きな声で返事をした。ジュダ教徒にとって、これは神を守るための聖戦。ジュダ教には、独自に組織された戦闘集団がいると、アスリンが言っていた。これは、戦力差で苦しいレンスターにとって悪い話ではない。
アスリン、キアラ、リーゼルさん、幸村、そして、彩葉。皆一様に顔を上げ、互いを見つめて頷いた。俺は一人じゃない。覚悟が決まると、不思議と清々しさから笑みが浮かんでくるのが自分でもわかった。
たぶん、シェムハザは、グラズヘイムの民やミドガルズオルムの所在を知っているはず。それだけは、俺たちの目的のメリットになりそうな気がする。この理不尽な役目を果たせば、世界が救われて俺たちは地球へ戻れる。
けれど、現実はそれ程甘くなかった。
やがて激化する東フェルダート戦線で、俺たちは、雨が降り続く戦場を縦横無尽に駆け巡ることになるのだった。




