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黒鋼の竜と裁きの天使 裁きを受けるのは人類か、それとも……  作者: やねいあんじ
東フェルダート戦線編 第2章 ジュダの聖戦
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グリゴリの戦士たち

 時刻は間もなく二十二時を迎える。私たち、リーゼル・アイシュバッハ大尉を新たに加えた特殊魔導隊は、護衛として公王陛下に随伴し、レンスター大聖堂に赴いている。このような夜分に、陛下が大聖堂へ足を運ぶ理由は二つあった。


 まず一つ。リーゼルがヴァイマル帝国の情勢を語ることで、城内の武官以外の者たちを(いたずら)に混乱を招かないための配慮だった。


 そして、もう一つ。これは、今日の夕方に前触れもなく、天使シェムハザがレンスター大聖堂を訪問したことにあった。アルカンド地方やフェルダート地方において、天使が王都の聖堂を訪問した際は、暗黙の(うち)に国家の元首が天使を奉迎(ほうげい)する風習があるためだ。


 サガン大主教に案内され、私たちが大聖堂のホールに到着してから既に三十分が経過している。しかし、サガン大主教は、シェムハザを聖堂の奥に呼びに行ったきり、なかなか戻る気配がなかった。


 天使を待つ間、ホールの椅子に腰掛けていると、時々強い睡魔が襲って来る。


 早朝からの軍事評定。


 夕方に勃発した激しいレンスター城の戦い。


 そして、戦後に癒しの精霊術で負傷者の治療に専念したため、私自身の疲労はピークに達していた。


 大理石の床を見つめていると、聖堂内を灯す蝋燭の明かりが、私たちの影を作り出しゆらゆらと揺れている。


 レンスター大聖堂では、暮らしに便利な光のオーブを使わず、古くからの慣わしに従って蝋燭を使用していると聞いている。たくさんの蝋燭の火に照らされる大聖堂は、とても美しく幻想的な光景を作り出している。


 しかし、私はジュダ聖教のことが、はっきり言って好きではない。


 そもそも、ジュダ聖教の始まりは、遥か宇宙の果てから現れたアヌンナキが、自らを天からの使者と名乗り、古代ジュダの民の前に現れた数万年前の時代に遡るのだとか。


 天使は、自らが持つ高度な異能の力を誇示し、肉体的な寿命を持つ人間やドワーフの心理に()()()()()という見えない恐怖を植え付けた。そして、死者の魂が神の元へ旅立つための訓えを経典にまとめ、人間たちを労働力として従えていた。これは、私が幼い頃に母から教わったジュダ教の生い立ちだ。


 私がジュダ教を嫌う理由は、宗教的な慣わしや歴史よりも、傲慢(ごうまん)な天使と一部の強欲な司祭たちの影響だ。特に司祭らは、唯一神ヤハウェの訓えを信じる純朴な人々に、人間が必ず迎える()という畏怖の念を利用して恐喝し、土地や食糧、それから金銭を布施として奪ってゆく。


 私はこれまで何人も執拗に布施を集め、私腹を肥やす司祭を見てきた。酷い例を挙げるなら、表で平和と博愛を唱えながら、裏で竜の血の密輸や孤児を奴隷として売るという、そんな司祭を実際に見てきた。


 ただ、全ての司祭の心が闇に染まっているわけではない。どうしても阿漕(あこぎ)な司祭が目立ってしまうけれど、真剣に神を崇め、天使たちの訓えを説く熱心なジュダ聖教の司祭も存在する。


 少なくとも、サガン大主教を始めとする大聖堂の司祭たちは、私欲よりも人道を優先させる純粋なジュダ教徒たちだ。彼らは、大勢の死傷者を出した夕刻のレンスター城の戦いの後に城内へ駆けつけ、敵味方を問わず負傷者の介抱に全力を尽くしてくれた。


 その激戦となったレンスター城の戦いは、キアラとリーゼルの再会を契機に、劣勢だったレンスターが逆転して勝利を収めた。もし、リーゼルの離反がなければ、私はあの場で殺されていただろうし、その後レンスターがどうなってしまっていたか想像できない。


 きっと、キアラとリーゼルの出会いは、偶然ではなく必然だった。これは、風の加護に導かれた運命なのだと、私は思っている。


 リーゼルのドラゴニュート化は、彩葉がドラゴニュートになった偶発的な経緯と異なり、ヴァイマル帝国の軍によって意図的に実施されたものだった。彼女は、天使から伝えられた秘術を使い、ヴァイマル帝国の研究機関によって生み出された生体兵器そのものなのだという。


 リーゼルの体内に宿る地竜アジュダヤの竜の力は、自身の体を土や岩石と同化させ、まるで水中を泳ぐように移動できるという。更に、体の一部を土や岩に同化させ、装甲の厚い盾を作り、被害を最小限にすることが可能だ。リーゼルが、私とユッキーを爆発的な弾丸から守ってくれた時に使った力がこれだ。


 太古の竜のドラゴニュートであると同時に、ハルやキアラと同じく堕ちた天使の強力な呪法の使い手でもあるリーゼル。天使と同等の呪法が使えるドラゴニュートだなんて、ある意味天使を超える力を得た新人類かもしれない。


 もしかしたら、ヴァイマル帝国は、そのことも念頭に入れて……。


 でも……、まさか、ね……。





「ネ、ネコ?!」


 ユッキーの頓狂(とんきょう)な声で、私は自分がうとうとしていたことに気がついた。


 視線を上げると、大聖堂のホールにサガン大主教を背後に従えて悠々と歩く、体長二メートルを超える雄のコノートヤマネコの姿があった。このコノートヤマネコが、シェムハザなのだと思う。人型ではなく動物の姿をしているアヌンナキは久しぶりに見た。


 天使は、基本的に人型の形状で姿を現すことが多い。しかし、中には、実在する動物や異型な生物、また、宙に浮かぶ宝石や無機質なカラクリ人形だったりと、驚く姿で現れる天使も存在する。


 完全に眠気が覚めた私は、掛けていた椅子から立ち上がり、公王陛下の隣へと移動した。


「たしかに、姿は大型のネコだけど……、両目からすごい光が溢れているから、あのネコは天使で間違いないと思う……」


 ユッキーの言葉に相槌を入れるハルは、コノートヤマネコから湧きでるマナの光が見えるのだと思う。ハルたち堕ちた天使や天使たちは、彼らの体内から湧き出るマナを()として捉え、互いの存在を認識する。


「本当にあれが……、天使なの? ちょっと、可愛いんですけど……」


「あれのどこが可愛いんだよ、彩葉? ボクが思うに、獰猛な肉食獣だぜ? しかも、あの模様は、まるで豹やチーターじゃないか……」


「それは……、そうかもしれないけど……。想像していた天使と違って少しびっくり」


 少し的外れな彩葉の反応にユッキーが呆れ顔で指摘した。ユッキーが喩えに出した名前は、地球の動物なのかもしれない。コノートヤマネコは、愛嬌のある外見に似合わず、ユッキーが指摘した通り、山間部や荒野に生息する大型で獰猛な肉食動物だ。


 その外見的な特徴は、黄色と黒の斑点と、尾まで届く二本の長い触角のような髭が左右対称に生えている。群れではなく個体で活動し、走る速さは馬以上に速い。また、山岳地域で暮らす農村の人畜をしばしば襲うことで、人々から『山の狩人』と呼ばれ恐れられている。


 初めて見た天使が、人型ではなくコノートヤマネコなのだから、彩葉たちが驚くのは仕方がないと思う。もう何度も天使と接触した経験を持つキアラとリーゼルも、実物の天使を見るまでは、白く大きな翼を持つ人型のイメージだと言っていた。


「シェムハザ猊下。我がレンスターへ、ようこそおいでくださいました」


 公王陛下がホールを歩むシェムハザに近寄り、一礼して歓迎の挨拶をした。公王陛下の正式な従士である私と彩葉が、陛下の後に続いて左右に立つ。そして、陛下に合わせてお辞儀をした。ハルとユッキー、それからキアラとリーゼルは、少し後方で有事に備えて待機している。


 コノートヤマネコの姿をしたアヌンナキに頭を下げることになるだなんて、少し(しゃく)に障る。しかし、ここは我慢だ。


「ワシがレンスターに訪れるのは、約四百年振りになるかの。相変わらず美しい街だの」


 特徴のある語尾で語るシェムハザ。その声は、乾いたしゃがれ声だ。それに加え、息が漏れる音が大きく、聞き取り難い。ネコ科の動物が威嚇する時に吐き出す息の音に似ている。


「シェムハザ猊下、早速ですが……。このような雨の季節にレンスターへいらした理由、お聞かせいただけますでしょうか?」


 深手を負ったロレンスの代役を務める彩葉が、打ち合わせ通りにシェムハザに質問した。


「ほう……。汝は、意図して生み出されたヴァイマル帝国のドラゴニュートではないようだの。満足に会話ができるドラゴニュートに会うのは、シグルド以来になるかのぅ……」


 シェムハザは、ドラゴニュートの彩葉に興味を示し、目を細めながら伝説の竜帝シグルドの名前を口にした。シェムハザは、ヴァイマル帝国がドラゴニュートの戦士を生み出していることを知っていた。しかし、このネコ型のアヌンナキは、聞いてもいないことをよく喋る。天使にしては珍しいタイプだ。


 そもそも、この天使は、味方なのか……。それとも……。


「すまんの、竜の娘よ。話題が少し逸れてしまったのぅ。そして、そこのトゥーレの民よ。そう警戒せずとも良い。少なくとも、ワシは汝らの敵ではないからのぅ」


 シェムハザは、彩葉に詫びを入れつつ、シェムハザを警戒する私にそう言った。トゥーレの民とは、天使の言葉でエルフ族をさす。理由はよく知らないけれど、私たちエルフ族の種族的な系統なのだとか。


 私を見つめるシェムハザは、口元を左右に釣り上げて長い髭を揺らした。これは笑みなのだろうか。


 私は小さな声で風の精霊に呼び掛け、シェムハザの発言に虚偽がないか調べてもらった。答えはすぐに出た。シェムハザの言葉に嘘はない。シェムハザの言う通り、少なくとも今のところ敵ではないということだ。


「疑念を抱くような真似をして申し訳ありません、猊下。ですが、これも私の勤めになります。どうかお許しください」


「汝は、トゥーレの民の割に人間界で勤勉なことよのぅ。早速、竜の娘の問いに答えようと思うが、その前にレンスター公王よ……。ワシは、しばしこの地に留まりたいと考えておるが、よいかのぅ?」


 シェムハザは、長い二本の髭をピクピクうねらせながら、公王陛下にレンスターの滞在許可を求めた。信仰の篤さは様々だけど、公王陛下ご自身を含め、レンスターの民の八割はジュダ教の信者だ。公王陛下が天使の願いを断れるはずがない。天使の願いを断ったなどと噂が広まれば身の危険すらあるのだから。


「もちろんです、シェムハザ猊下。レンスターの滞在、心より歓迎いたします。しかし、もう話はお聞きになっていることかと存じますが、レンスターは、エスタリアとヴァイマル帝国の連合軍と戦になりました。我が従士カトリの質問と重複しまして恐縮ですが、このような時世に、猊下がレンスターを訪問された理由をお聞かせ願いたい。可能な限り、我らも猊下の目的に協力したいと考えております」


 陛下は、彩葉の質問を後押しするようにシェムハザに尋ねた。これまでの話の流れから、戦争状態になった国に、たまたま訪れただけという感じはしない。


「ワシの目的は、簡単に言ってしまえば、そなたの背後に立つグリゴリの戦士たちの監視と保護になるかの。これ以上、不用意に覚醒されると支障が出る者もいるからのぅ……」


 陛下に答えたシェムハザは、陛下の背後に立つハルたちを見つめながらそう言った。グリゴリの戦士たち……。それはハルたちの堕ちた天使のことで間違いない。


「猊下、今の話は……。いったいどういうことでしょうか?」


 サガン大主教が、恐るおそるシェムハザの背後から質問した。


 天使を除く異界の存在を、悪鬼の類として認識するジュダ教。そのため、私は、彩葉たちに、なるべく信仰深いジュダ教徒の目を避けて生活することを勧めてきた。


「そうだの……。サガンよ、汝が持つゲールモノクルを通して、公王の背後に立つ者たちを見てみよ。そうすれば、お主にもわかるかの」


 シェムハザは、背後に立つサガン大主教に顔だけ向けてそう答えた。


 サガン大主教は、慌てて懐からゲールモノクルを取り出し、それを指で摘みながら右目でレンズ越しにハルたちを見つめた。人間よりも目が大きいドワーフ族の男性は、顔の彫が深くてもゲールモノクルを掛けられないらしい。


「こ、これは……」


 普段から沈着冷静なドワーフ族の慌てる姿を見るのは貴重かもしれない。モノクル越しにハルたちを見つめるサガン大主教は、驚きのあまり、それ以上言葉が出ない様子だった。


「この者たちは、遥か太古の時代に人と交わった天使たちの末裔での。ワシが従えるグリゴリの戦士たちの中でも、圧倒的な戦闘力を持つ属性八柱と呼ばれる者たちでの」


 この頼りなさそうなコノートヤマネコの姿をしたアヌンナキが、属性八柱のリーダーということなのだろうか。


 私は振り返ってハルたちを見た。しかし、ハルはもちろん、キアラとリーゼルも何のことかわからないといった表情だ。皆が不安そうな表情をしている中で、ユッキーだけは、なんだか楽しそうな表情をしている。


 相手は天使なのだから、ふざけたことをしなければいいけど……。


「シェムハザ猊下。猊下は、レンスターへ来られた理由が、グリゴリの戦士たちを保護することと仰っていました。もう少し、我らにその経緯などを教示願いたいのだが、よろしいですかな?」


 公王陛下が、シェムハザに更に質問をした。シェムハザの言葉次第で、キアラやハルたちがアルザルへ来た理由だけでなく、世界の裏で何が起こっているのかわかるかもしれない。


 シェムハザは、公王を見つめたまましばらく沈黙が続いた。


 空気がとても重く感じる。


 やがて陛下をジッと見つめていたコノートヤマネコは、フーッと溜め息のような声を漏らしながら床に伏せた。


「そうだの……。今が……、その時なのかもしれないの」


 独り言のように呟くシェムハザ。


 私たちは、床に伏せたコノートヤマネコの周りを円陣で囲むように集まった。すると、シェムハザは、ゆっくりと語り始めた。


 それは、この世界の終わりを迎える可能性すらある、身の毛がよだつ恐怖を感じる話だった。

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