有翼のドラゴニュート
先程の二度の爆発は、玉座の間の入り口の大きな木製の扉と踏段の玉座に、爆発物が投げ込まれたものだった。大きな木製の扉は、人が容易に通れる程の穴が開いており、踏段上部の玉座は粉々に粉砕されていた。
吹き飛ばされた扉の周りに三人のレンスターの衛兵が倒れていた。彼らは、玉座の間から敵が逃走しないように、扉の外側から警護をしていた番兵の衛兵たちだった。その中に、私が知っている衛兵もいた。その人は、公務の休憩時間に話をする仲になったオブライトさんだった。
陽気なオブライトさんの笑顔を思い出すと涙が込み上げてくる。耐え切れなくなった私は、倒れた番兵たちから目を逸らし、聖剣ティルフィングを抜刀して正面に立つエスタリアの槍騎士に視線を戻した。
キラリと聖剣の剣先が光る。斬れ味が自己再生するこの魔剣の刃は、相変わらず砥がれたばかりのような鋭さを見せている。
「うおぉぉぉーっ!」
エスタリアの槍騎士が槍を構えて私に突っ込んできた。
この人たちが、ダスター卿やオブライトさんを……。許せない!
私は突っ込んでくる槍騎士から離れるのではなく、逆に私からも槍騎士との間合いを一気に詰めた。そして、互いの間合いに入ると、私は自分の右足を槍騎士の左足側に大きく踏み入れた。
これは私のフェイントだ。
狙い通り、槍騎士は私の体を目掛けて槍を突いてきた。私は飛躍的に向上した身体能力を活かし、踏み込んだ右足で地面を蹴ってジャンプし、空中で側転しながら槍騎士の右後方に着地した。
それから、空を突いた槍騎士の右足の膝窩を目掛けて、私は聖剣ティルフィングで打ち込んだ。
迸る鮮血。
私の右頬に返り血が数滴かかった。
私の一撃は、槍騎士の右足を膝から甲冑ごと切断した。相手の足を狙う技など剣道にない。これは邪道かもしれないけど、敵の命を奪わず戦闘不能にするのに効果的だと思っている。これは、レンスター城で行った模擬戦から学んだことだ。
「グアァァァーッ!」
片足を失った槍騎士は、長槍を手放して切断された足を抑えながら、悲痛な叫び声を上げて転げ回る。
銃を持たない戦意を失った敵なら、無理に殺める必要はない。私は次の標的を探した。
すると、ライフルを構えた二人の帝国兵が、十メートル程離れた正面の柱の陰から左右に分かれて同時に飛び出してきた。
二人の帝国兵の動きは手馴れており、彼らは姿を現すと同時にライフルを発砲した。乾いた銃声が玉座の間に鳴り響く。そのうちの一発が私の額に命中し、竹刀で叩かれたような痛みと、頭が後ろに引っ張られるような衝撃が伝わった。
普通なら即死だ。けれど、私の額に当たった銃弾は、金属音と共に弾き返される。私は咄嗟に竜の力である硬化を使って体表に黒鋼の鱗を展開していたため、物理的な攻撃を受け付けない。
私をドラゴニュートと気づいた帝国兵たちは、目を見開いて驚きの形相で叫び出した。自分たちの味方である、親衛隊竜騎士団以外のドラゴニュートの存在に怯えているようだった。
『こ、この女、ドラゴニュートだぞっ! なぜレンスターに意思を持つドラゴニュートがいる?!』
『わからんっ! それより、こいつ銃が効かないぞ?! トーチ少佐のような攻撃を無効化する呪法でも使うのか?!』
『このままでは危険です! 伯爵と少佐は今のうちに撤退してください! コーエン伍長は、我らの援護を!』
帝国兵たちの言葉は、ドイツ語なのでわからない。竜族の特性のひとつである念話の力を持つ私には、意識を集中して聞こうとすれば、彼らの言葉の意味を脳内で直接理解できる。どうやら帝国兵たちは、私の硬化の力を呪法だと思っているらしい。
私は一気に相手の懐まで飛び込めるよう、剣先を右後方に移動させて中段の構えから下段の構えに変えた。さて、どちらの敵に飛び掛かろうか……。
私が二人の帝国兵を交互に見つめていると、上層の回廊から機関銃が連射され始めた。
これはユッキーからの援護射撃だ。雨のように降り注ぐ銃弾を浴びて、一人の帝国兵が短い悲鳴を上げて、その場に崩れるように倒れた。もう一人は、相方の兵士が銃弾に撃たれている間に最寄りの柱の陰に身を隠した。
『重機がもう一基ありました! ダルニエス少佐、早く退避を! アイシュバッハ大尉は、何をしているんだ?!』
帝国兵が柱に隠れると、ユッキーの射撃が一旦止まった。隠れた帝国兵は、懸命に上官に撤退を促しているのだと思う。
いずれにしても、敵はレンスターが所持する近代兵器とドラゴニュートの私に焦っている。この機を逃さず、私は一気に柱の裏に隠れた帝国兵に詰め寄った。
一瞬で目の前に現れた私に驚いた帝国兵は、仰け反るように怯え、大声で叫びながらライフルの尖端についた銃剣で攻撃してきた。
『このバケモノめ! 死ねぇーっ!』
私は帝国兵が薙ぎ払った銃剣を屈んでかわし、帝国兵の首元にティルフィングを突き刺した。鈍い音と共に細い木の枝を折った時のような感触が手先に伝わる。私が突き刺した鋭利な聖剣は、帝国兵の首の骨を砕いてそのまま貫通した。
悲痛な表情で私を睨む帝国兵は、やがて焦点が合わなくなって白目に変わる。そして、口の端からゴボゴボと血を吐き出しながら、膝を落としてから仰向けに倒れた。
勝手に手がカタカタと震えてくる。それに反して、例の胸の高鳴りも湧いてきた。ここに鏡があれば、きっと私の表情は不気味に笑っていると思う。
また、一人殺めてしまった……。でも、私は後悔なんてしていない。必ず生きて戻ると、大切な人と約束したから。
『あなたの仲間にだってドラゴニュートがいるというのに……。バケモノ呼ばわりするなんて酷いと思うよ?』
差別や偏見はとても辛い。私は呟くように念話を送った。もう息が絶えた帝国兵に、私の念話が届くと思わないけど……。
『全くその通りだぜ、お嬢さん!!』
私の念話に答えたのは、私が殺めた帝国兵ではなく、背後から送られてきた念話だった。
私が声に反応して振り向いた時、そこには三メートルに及ぶコウモリのような翼が肩から突き出た大男が、凄い勢いで飛行しながら私に迫って来るのが見えた。翼を有する大きなドラゴニュートだ。フード付きのコートを脱いだ有翼のドラゴニュートの姿は、ウェイトリフティングをしてそうな筋肉質の体型をしている。
私は勢い良く迫る巨体を避けられず、左側胸部を思い切り蹴られて、玉座がある踏段まで吹き飛ばされてしまった。幸い、まだ竜の力である硬化を展開したままだったのでダメージはない。竜の力を使い続けていた私は、少し息苦しくなったので一度硬化を解いてからすぐに起き上がり、有翼のドラゴニュートを睨みつけた。
私を見つめる有翼のドラゴニュートの角は、前額部から後頭部に掛けて鶏冠のように生えており、太く長い尻尾が目立っていた。フード付きのコート越しに異様に隆起して見えた肩は、あの大きな翼を隠していたためだと思う。
また、有翼のドラゴニュートが所持するライフルの尖端は、銃剣の他に大きな黒い弾丸が取り付けられていた。素人目にも、この弾丸が特別なものだとわかる。
『ほう……、俺の一撃をまともに受けたというのに、まるで効いてない。さすが……、と褒めるべきだな、お嬢さん。だが、そう怖い顔をするな……。すぐに楽にしてやる』
有翼のドラゴニュートは、私に念話でそう告げながら、私にライフルを向けて構えた。ライフルで特殊な弾丸を使う空を飛ぶドラゴニュート。この敵がどのような竜の力や呪法を使って来るかわからない。
これは厄介な相手だ。
私が有翼のドラゴニュートに気を取られていると、マグアート伯爵と帝国の将校が玉座の間から出て行こうとしているのが見えた。
ガガガガガッ!
マグアート伯爵とドラッヘリッターの将校に向けて、ユッキーが機関銃を連射するも、二人は玉座の間から脱出してしまった。
いけない……。このままじゃ、本当に逃げ切られてしまう。
ユッキーは、そのまま機関銃を撃ち続けながら、ターゲットを有翼のドラゴニュートに変えていた。しかし、有翼のドラゴニュートは、巨体に似合わないアクロバティックな動きを空中で披露し、機関銃の弾を避け続けた。
ただ、いくら機敏な動きをしていても、全ての弾丸を避けきることはできなかった。有翼のドラゴニュートの翼が徐々に血に染まり動きが鈍くなってゆく。
『クソッたれがっ!』
叫び声のような念話と共に、有翼のドラゴニュートは、先程まで私に向けていた銃でユッキーたちがいる上層の回廊に向けて黒い弾丸を撃ち込んだ。弾丸が上層の回廊に着弾すると、大きな爆発音が玉座の間に響き渡り黒煙が充満した。
撃ち続けられていたユッキーの機関銃の音が止まった。黒煙を噴き上げる上層から、回廊の石壁の破片がパラパラと崩れ落ちる。
「ユッキー! アスリン! キアラ!」
私はユッキーたち三人の安否が気掛かりで、仲間たちの名前を大声で呼んだ。
しかし、名前を呼んでも返事がこない。
嘘だ……。こんなことって……。不安ばかりが先行し、胸が張り裂けそうになる。
『アスリン、聞こえる?! ねぇ、アスリンッ! お願いだから返事をして!』
今度は念話を使ってアスリンに直接呼びかけた。私の竜族の念話とアスリンの風の精霊術の伝達は、相互に送ることで直接言葉を使わずにコミュニケーションが取れる。もしかしたら、呼び続ければ応えてくれるかもしれない。
お願いだから届いて……。返事をして……。
『念話が届いたわ、彩葉! 機関銃は潰されてしまったけど、私たちは全員無事よ! キアラが保護する光の魔術師のドラゴニュートが、防御用の呪法か何かを使って守ってくれたみたい……』
私の念話にアスリンが応えた。アスリンから風の精霊術の伝達で、上層のみんなの無事が伝えられた。私は胸を撫で下ろし、無意識のうちに溢れ出ていた涙をそっと拭った。
『本当に良かった……。まだ安心できないから無理せず身を隠してね』
『ありがとう、彩葉。それよりマグアート伯爵と帝国の将校が玉座の間から逃走してしまったわ!』
『わかってる……。でも、目の前の有翼のドラゴニュートを何とかしないと……』
私がアスリンと意思疎通を図っている間、有翼のドラゴニュートは、銃弾で傷ついた肩の翼を巧みに使って空中で静止している。そして、私を見つめたまま、腰に巻いた弾帯から先程と同じ黒い弾薬を取り出し、またライフルの先端に取り付けていた。
私は聖剣ティルフィングを構え、有翼のドラゴニュートに剣先を向けた。
上層の回廊の高さで飛び続ける敵の位置まで十メートル以上の高さがある。ドラゴニュートになり身体能力が増した私でも、せいぜい垂直方向へのジャンプは四メートルくらいが限界だ。敵がある程度降りて来てくれないと近接攻撃はできない。
どうすればいいのだろう……。早く逃げた敵を追わないと、王妃様とメアリー皇女殿下が本当に危ない。
その時、思い悩む私の左後方から青白く光る雷の塊が、音もなく凄い速さで飛んで来た。雷の塊は、そのまま玉座の間の上方で羽ばたく有翼のドラゴニュート目掛けて飛んで行く。
★★
俺の雷撃を避けようと、大きな翼を持つドラゴニュートが急降下した。しかし、俺が敵自身の動きを優先的に意識することで、雷の塊は敵の動きに合わせ、角度を変えて追撃して行った。この呪法の使い方は、キアラの呪法の使い方の応用だ。彼女に教えてもらったことが早くも役立った。
「グワアァァァーッ!!」
俺の雷撃が命中すると、巨体のドラゴニュートは叫び声を上げながら大きく吹き飛んだ。そして、玉座の間の上層の壁に勢いよく衝突すると、そのまま下の床まで墜落した。床面に落ちたドラゴニュートは、時々バチバチと音を立てながら体に帯電した電気をスパークさせて痙攣している。
「彩葉、怪我は大丈夫か?!」
俺は彩葉に駆け寄りながら、彼女に怪我がないか尋ねた。
「うん! 私は平気。ハルに無理して欲しくなかったけど……。私の剣じゃ空中の敵を相手にできなかったから助かった。ありがとう、ハル!」
「礼なんていらないよ。彩葉やみんなが危険な目に遭っているのに、俺だけ隠れているわけにいかないって。それより、さっきの爆発。上の幸村たちは無事かな?」
「大丈夫。みんな無事だとアスリンが風の精霊術で伝えてきたわ」
「みんなが無事で良かった。彩葉、今から逃げた敵を追うぞ!」
「うん、私が先に向かうね。私が全力で走れば、追いつける気がする」
「オッケーだ。俺もすぐに追い掛けて支援させてもらうぜ?」
「ありがとう、ハル」
彩葉は俺を見て笑顔で頷くと、逃走者を追って桁違いの速度で出入口の扉を出て走って行った。オリンピックの短距離選手だってすぐに追いつかれる。そういう常識を逸脱した速さだ。
俺も彩葉を追って走り始めた。玉座の間を出る直前、有翼のドラゴニュートを横目で見ると、光の粒子が立ち上りながら少しずつ体が消え始めていた。これは、ヴリトラやファルランさんの時と同じく、竜族やドラゴニュートの肉体の死を意味している。
ヴリトラの魂を宿すドラゴニュートの彩葉も、肉体の死が訪れると、光の粒子と共に跡形もなく消えてしまうのだろうか……。
彩葉が消えてしまう世界を考えるだけで、得体の知れない孤独感と恐怖が襲ってくる。今は縁起でもないことを考えるのはやめよう……。
玉座の間を出ると、大広間や行政府、また、レンスター家の居住区がある場所へ向かう広い通路になっている。マグアート伯爵とドラッヘリッターの将校は、城の出口に直接向かわずに、レンスター家の居住区の方へ向かって逃走していた。それは、騒がしい城内の声や倒れている衛兵たちを辿ればすぐにわかった。
恐らく、逃走のための最終手段として、王家から人質を取ろうとする魂胆だろう。
俺が彩葉を追って通路を走っていると、丁度玉座の間の上層へ向かう階段からアスリンと幸村が降りてきた。
「アスリン、幸村!」
「ハル! 見てたぜ? 相変わらず凄まじい雷撃だな」
「こんな時に世辞なんか要らないって。それより、キアラは?」
「まだ上層よ。先程も風の精霊術で伝えたけど、もう一人のドラゴニュートと話しているわ。彼女はキアラの親友で、キアラが生きていることを知らずに戦っていたみたい。キアラが生きていることを知ると、彼女は戦いを止めてレンスターに投降したの」
「そ、そんなことがあったのか……」
詳細まで知らなかったので、俺はアスリンからの経緯を聞いて驚いた。もし、そのドラゴニュートがレンスター側に加勢してくれたら心強い。
「彩葉とは違うタイプのドラゴニュートなんだけどさ。ハル、喜べ! ブロンド髪の奇麗な人だぜ?」
それで喜ぶのは、こいつくらいだろう。俺は敢えて聞き流す。
「アスリン。治癒士を集めてロレンスさんたちを急いで助けて欲しい! 一刻も早く治療が必要な衛兵もいるんだ! 俺はすぐに彩葉を追う」
「わかったわ。お互いできることをやりましょ! 気をつけて、ハル!」
「アスリンも!」
「何だかボク、思い切りスルーされてません?」
「当前だ!」
俺は自分を指差しておどけている幸村に言った。この状況で、幸村が普段と変わらないふざけた素振りを見せるのは、たぶん意識的にしていることだ。それができるということは、幸村なりに生死を賭けた状況に慣れつつあるのだと思う。
慣れは油断を招き、油断は危険を招く。俺は大切な親友を、地球から遠く離れたこの場所で失いたくない。
「慣れた時が一番ヤバいんだ、幸村。油断せずに行こうぜ!」
「当たり前だっての! ハルこそ、いつだって前線に出ているんだ。慣れっていうのが一番の敵だぜ? ボクは彩葉が悲しむ顔なんて見たくないからな? こんなところで死ぬなよな、相棒!」
幸村は俺に拳を突き出してそう言った。俺は幸村に言いたかったことを逆に言われてしまった。俺が幸村を心配するのと同じく、幸村も俺のことを心配してくれていた。俺のことを理解して、いつも後押ししてくれるのは目の前で微笑んでいる親友だった。
「もちろんだ、相棒!」
俺は幸村が突き出した拳に、自分の拳を当ててグータッチを交わした。そして、俺たちは互いに頷き、自分たちが今すべき持ち場へと向かって行った。
幸村、お前は最高の俺の親友だよ!