暗躍する天使
キアラは、彼女たちの経緯を私たちに包み隠さずに話してくれた。
天使に導かれて地球からアルザルへやって来たこと。ヴァイマル帝国が建国されるまでの変遷と、キアラたちが敵対しているネオナチという敵の正体。それから、季節外れの大雪で穀倉地帯を失った帝国が、民の不満と食糧難を解決するために、フェルダート地方へ向けて侵略戦争に踏み切った『北伐』のこと。
私のヴァイマル帝国に対するイメージは、傲慢で威圧的な態度の人ばかりだと思っていた。しかし、それは結束主義を主張するネオナチの特質であって、ネオナチを支持しないキアラたちのような人々は、レンスターの人たちと何も変わらないことがわかった。
互いの事情を語り合う私たちは、いつまでも話題が尽きることなく、時間があっという間に過ぎた。当初ピリピリしていた空気はどこへやら。今はこの場にいる全員の表情から笑顔が感じられるようになっている。
キアラたちがレンスターへ訪れたのは、所属する部隊の使者として、食べる物と負傷者の保護を求めるためだった。ただし、単に救援を要請するのではなく、その後もレンスターに留まり、『北伐』を開始したネオナチの軍勢と戦うつもりだという。
キアラたちの話に嘘偽りはない。それは、虚偽を見破る私の風の精霊術が証明している。これはレンスターだけでなく、フェルダート地方全体を揺るがす一大事だ。私は、夜が明けたら直ぐにレンスター城へ登城して、彼女たちが公王陛下に内閲できるように取り計らうことを約束した。
キアラたちが敵対するネオナチという組織は、現在ヴァイマル帝国を事実上支配している。彼らは、正規軍と異なる親衛隊という武装集団を従えており、支持者を優遇して抗うものを見せしめに粛清するという過激な手法で、民衆を目に見えない恐怖の鎖で縛りつけて統制している。
キアラたちの祖国が、かつて世界中を相手に戦争になった背景に、ネオナチが母体とする組織の最高指導者の狂気に満ちた独裁があったそうだ。キアラたちだけでなく、そのような危険な思想を持つ集団までアルザルへ連れて来た天使たち。
天使たちは、太古より『行き過ぎた力』を恐れ、強大な力を滅ぼすことで有名だ。ヴァイマル帝国が持っている、地球の高度な文明技術が産み出した兵器は、遥か昔に天使たちが滅ぼしたクロノス魔法帝国と同様の『行き過ぎた力』に該当するはずだ。
しかし、天使たちは、地球の文明兵器の製造は禁止したけど、ヴァイマル帝国がアルザルへ持ち込んだ兵器の使用を容認した。更に、兵器の製造を禁じた代償として、天使が得意とする呪法や竜族の力を多様化する方法を彼らに伝えたのだという。
ヴァイマル帝国の背後に、暗躍する天使の存在があることは間違いない。通常、人間に干渉することのない天使たちは、何の目的と利点があってキアラたちをアルザルへ導いたというのだろうか。
ただ、私たちが注目しなければならないことは、目前に迫るヴァイマル帝国による『北伐』だ。
もう既に空路という移動手段で、『遊撃旅団』という名の大軍勢が、カルテノス湾を越えてキルシュティ半島北岸の前哨基地に集結しているのだとか。天使たちが操るヴィマーナのように空を飛ぶ船を持ち、あの鋼鉄竜を載せて運んだなんて想像がつかない。
帝国の前哨基地があるキルシュティ半島北岸はエスタリア領だ。エスタリアの王都は、フェルダート川という大河の三角州に位置しており、都市自体が天然の要塞となっている。また、王都に通じる橋梁を使えば、大河の南北を自由に往来できる利点もある。そう考えると、ヴァイマル帝国がエスタリアを『北伐』の足掛かりにする可能性は高い。
キアラたちの話を聞く限り、ヴァイマル帝国に従属した国の王や貴族は、生活は保障されるものの領地と地位は剥奪されてしまう。また、ネオナチは、占領地の奴隷を解放する傾向があり、貧困層の平民や元奴隷からの支持を集め、前線に送る義勇兵として雇う風習もあるらしい。いずれにせよ、レンスターの民が大混乱に陥るのは目に見える。
ましてや、レンスターとエスタリアは、長い歴史的背景から戦が絶えない間柄で、前の戦争が終結してしばらく経つけど良好な関係にあるとは言えない。マグアート家の因縁だってある。きっとエスタリアに滞在するトマス・マグアート伯爵は、怨恨からレンスター家に何らかの罪状を押しつけてくるだろう。
そう遠くないうちに、フェルダート地方全体が戦火に包まれる予感がする。私は、彩葉たちの旅を助けるどころか、結果的に戦争に巻き込んでしまうかもしれないことが、本当に心苦しい。まだ遊撃旅団が動いていなければ、雨の季節が始まったとしても、この子たちだけなら戦火が及ばない内陸地方へ逃れられるかもしれない。
その場合、彩葉たちの目的地があるエルスクリッド地方へ向かう方法は、遥か北西の乾燥地帯のアルカンド地方から大きく迂回することになると思う。既に西フェルダート地方の攻略が始まっているというのだから、最短距離のアリゼオ王国を経由するルートは危険過ぎる。今頃、そのアリゼオ王国の王都はどうなっているだろうか。
傭兵稼業を続ける中、私が最も長くパートナーを組んでいたギルフォードのことが気がかりだ。バルザとナターシャが引退した後も、私たちはしばらく生活を共にしながら傭兵稼業を続けていた。今は剣を置いて稼業を継いだギルは、愛する家族とアリゼオ王国の王都で暮らしている。
あれからもう十五年……。便りが途絶えて久しいけれど、ギルは元気にしているかしら……。
『……リン、アスリン?』
私の名前を呼ぶ彩葉の声が頭の中に直接届く。彼女の念話で我に返った私は、ハルの隣に座り心配そうな表情で私を見つめる彼女と目が合った。彼女にそんな顔をさせてしまうほど、私の顔色が良くないのかもしれない。昨日の早朝から魔力を使い続けていたので、私は疲労がピークに達していることに気づいていた。
『ごめんなさい、彩葉。少しぼんやりしていたみたい』
私も彩葉にだけ聞こえるよう、伝達の精霊術で返した。竜の念話と風の精霊術。方法こそ違うけど、私たちは近い距離であれば、互いに言葉を発することなく意思を送り合える。これが意外に便利だったりする。
『ううん、昨日から一日中大変だったもんね。シガンシナ曹長さんがアスリンに質問していたわよ? 今日は何時ころ登城できるのか? って。顔色悪いけど……大丈夫?』
『私なら少し休めば大丈夫。教えてくれてありがとう。登城する前に、少しだけ横になろうと思うから、その時は起こしてね』
彩葉は私を見て首を縦に振って答えてくれた。
「回答が遅れてごめんなさい、シガンシナ曹長さん。朝食を済ませて、八時頃でよろしいかしら?」
十時からまた臨時の評定や、キューベルワーゲン三号に積載された機関銃のお披露目が予定されている。その前に私が先に登城して、キアラたちが公王陛下に内閲できるよう事前に取り計らう必要があった。
「承知しました。国の要人どころか、公王陛下に内閲できるだけで感謝しなければなりません! 本当にありがとうございます、アスリンさん」
シガンシナ曹長に代わりキアラが席を立ち、お辞儀をしながら返事をした。最年少でありながら上席者の彼女は、皮肉にも彼女が敵対するネオナチが管理する士官学校出身のエリートなのだとか。
「気にしなくて大丈夫よ、キアラ。あなたたちからの情報は、レンスターの命運を分けるほどの価値があるわ。夜が明けたら私と彩葉が先に登城して、キアラたちが陛下に拝謁できるよう取り継ぎます。ハルとユッキーは、時間になったらレンスター城までキアラたちの案内を頼めるかしら?」
「もちろんだ」
「任せておいてよね、アスリン」
「二人ともありがとう」
ハルが頷き、ユッキーも笑顔で答えてくれた。そして私は、快く引き受けてくれた二人に礼を述べた。
「ところで、皆さんの残存戦力は、戦車が三両と先ほど聞きました。相手との戦力差はどれくらいあるのです?」
私が尋ねたかった質問を、ハルがキアラたちに訊いてくれた。
「正直なところ戦力差は大きいです。戦車の数で言うなら八倍。歩兵の数は二十倍ほどあります……。キルシュティ基地の防衛隊は、基地から動かないと思います。武装親衛隊の第七師団と第八師団の展開次第でしょうか……」
「そんなに……」
私は余りの戦力差に言葉を失った。兵の数が二十倍だなんてどう考えても絶望的な数字だ。やはり、この戦争に彩葉たちを巻き込むわけにはいかない。
今はキアラたちが目の前にいるから無理だけど、後でちゃんと話そう……。
「ただ、第七師団と第八師団の親衛隊は、実戦経験のない寄せ集め。それに引き換え自分たち第二○二装甲師団の戦車乗りは、自分で言うのもなんですが、ソビエト連邦相手に奮戦を続けたA軍集団の歴戦の兵揃いです。戦術と錬度は、武装親衛隊を遥かに上回る自信があります」
シガンシナ曹長が胸を張ってキアラの発言を補足した。シガンシナ曹長自身も熟練の兵士なのだと思う。彼の鋭い目つきは、何度も修羅場を潜り抜けているように感じられる。
「シガンシナ曹長が言うように、敵の熟練度が低いのなら、蓋を開けてみなければわからないと思います。いくら戦力差があっても、帝国が東フェルダート地方特有の雨季のことと、キアラたちの部隊の存在を知らないことは大きいと思います。奇襲が成功したり、うまくすれば敵の車両だって奪えるかもしれません」
「その通りです、ハロルドさん!」
私がやるせない気持ちで床を見つめていると、ハルが前向きな発言をしてキアラを励ました。これから始まろうとすることが、この子たちが経験したことのない戦争だというのに……。私がハルを見つめると、彼は私の不安を余所に拳を握り親指を立てて返してきた。そんな彼の仕草を見ると、私は笑って返すことしかできなかった。
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか、ハロルド。その言葉、私も同意するよ!」
キアラの隣に座るザーラが、キアラの肩に手をかけてハルに大きく頷いた。
「ボクたち意外にやりますからね! ハルの呪法は、Ⅳ号戦車なんて一撃っスよ?! 砲塔部分が吹き飛んでバラバラになってましたし!」
ユッキーはハルの呪法を、まるで自分のことのように得意気に語った。
「ただ、連続で何度も撃つことはできないので、俺の呪法は使いどころ見極めないとですね」
「そうだとしても、ヘタクソなキアラの呪法より、ハロルドの呪法は戦力になりそうじゃないか」
「ちょ、ちょっと、ザーラ姉! 直接言われると傷つきます……」
頼もしげにハルを見つめるザーラは、そのまま流し目でキアラを見つめてほくそ笑む。ヘタクソと言われ、恥ずかしそうに顔を赤らめながらザーラに食ってかかるキアラ。二人を見ていると、まるでじゃれ合う姉妹のようだ。ただ、話の流れは、どんどんハルたちを戦争へと誘っている。胸が締め付けられる思いだ。
「呪法に上手下手ってあるんだ?」
ザーラとキアラのやり取りに、彩葉が何気なくハルに質問した。
「俺に訊かれても……。イメージすれば、その通りになるって感じだし、そもそも呪法の仕組みだって良くわかってないから……」
ハルは首を横に振りながら彩葉に答えた。
「シュトラウス少尉の呪法の命中精度が酷いのは、我らの部隊であれば誰でも知っている。この際、隠す必要もないだろう、シュトラウス少尉? しかし、我々としては本当に頼もしい限りだよ、ハロルド君。Ⅳ号を破壊できる威力がある呪法となれば、作戦自体も変わってくるだろう。それに、レンスターの要人に接触するどころか、公王陛下にお目通りが叶うなんて……。すぐにでも我々の帰りを待つ仲間と連絡を取りたいくらいだ」
「シ、シガンシナ曹長まで……」
シガンシナ曹長が、溜め息をつくキアラを見ながら穏やかな笑みを浮かべて言った。
「はぁ……。この世界にも電波があれば、携帯電話が使えて便利なのにねぇ」
ユッキーがポケットからスマホを取り出してボソッと呟いた。
「電話? へぇー。それが、六十年未来の……。みんながいた二十一世紀の通信機なのかい?」
ザーラが興味深げにユッキーのスマホを見つめた。彼女たちは、天使に告知されてシンクホールの仕組みと時間にずれが生じていることを知っていた。
「良ければ触ってみます?」
ユッキーがザーラにスマホを差し出して尋ねた。
「いいのかい? 後で何か礼を考えるから期待しておきなよ、ユッキー」
「は、はいっ! ザーラ姉さん!」
ユッキーは嬉しそうに鼻の穴を広げて力強くザーラに答えた。何を期待しているのか、文字通り鼻の下が伸びているユッキーの顔を見ると、彩葉じゃなくても頭が痛くなる。
「何だか薄いガラス板みたいだな。ユッキー、キアラにも見せてもいいかい?」
「どうぞどうぞ」
「ありがとうございます! ユッキーさん。お借りしますね」
キアラはユッキーのスマホを手に取ると、物珍しげに色々な角度から画面を見つめた。
「へぇー……。カメラが内臓されているのか、これ? 凄いじゃないか! せっかくだし撮ってもらいなよ、キアラ」
キアラに寄り添いながら、再びスマホを覗き込むザーラ。私が翻訳の精霊術を使う前は、ずっと黙っていたので気がつかなかったけど、彼女はキアラ以上にお喋りで行動的な感じがする。
「ちょっと、ザーラ姉。顔が近過ぎますよ……」
「ほらほら、シュトラウス少尉にザーラちゃん。我々は遊びに来たんじゃないんだ」
シガンシナ曹長が、女性二人を嗜めた。
「も、申し訳ありませんでした。シガンシナ曹長」
「すみません曹長、以後気を付けます……」
素直に謝る女性陣。
「すまなかったな、ユッキー君」
「い、いえ。話が落ち着いたら、またいつでも見てください」
シガンシナ曹長は、キアラからスマホを取り上げてユッキーに手渡した。
「何だか、キアラよりもシガンシナ曹長の方が上官っぽいな」
「うぅ……」
笑いながら言ったハルの言葉に、キアラは俯いて耳まで赤く染めた。昨日の戦闘で大勢の仲間を失ったキアラたち。戦死者の中にはキアラの父親も含まれているという。それでも挫けることなく前に向かおうとする彼女たち。
戦力差は歴然だけど、キアラたちの部隊がレンスターに協力してくれるのは本当に心強い。しかし、最後に裁断を下すのは公王陛下だ。私は公王陛下の意に従うまで。
そして、もう一つ大事なことは、彩葉たちを遠くに逃がす手筈を整えること。陛下は、彩葉たちを逃がすことをお許しになるだろうか。
窓の外の空が、ほんのりと明るくなり始めた。今日も星の輝きが見えない生憎の天気だ。レンスターの空は、まるで私の心に被さる不安のような、厚く重たい雲に覆われていた。




