ローレライ
曜日の概念がないアルザルでは、一ヶ月に三回の安息日と呼ばれる休日がある。十日、二十日、三十日という具合で、十日ごとに訪れる安息日になると、農村地区で生活する人々が市街地へ買い物に訪れる。そのため、商人にとって稼ぎ時となる安息日は、いつも以上に露店が立ち並び街が賑わいを見せる。
今日のレンスターは安息日ではないのに、夜になっても露店が並び、街の賑わいが続いている。その理由は、ヴァイマル帝国の鋼鉄竜を奪ったアシハラの竜騎士が、重傷を負ったレンスターの騎士たちを救ったという噂で持ちきりになっているからだ。
負傷した騎士たちは、治癒士たちの懸命な治癒魔法のおかげで、重体だったバッセル卿は一命を取りとめ、ゴードン卿も歩けるようになるまで回復した。治癒の呪法や精霊術は、病に対しての効果はないらしい。その反面、怪我に対する効果は、地球の医学以上に優れていると思う。やっぱり魔法は本当に凄い。
そして、噂の的となっているアシハラの竜騎士と大袈裟に英雄視されているのは、キューベルワーゲン三号を操縦していたハルだった。
レンスターに戻った当初は、ユッキーもハルと一緒に三号の説明をした。しかし、ハルが公王陛下を始めとするレンスターの重鎮たちに操縦を披露している隙に、ユッキーは私の元へ移動して、いつの間にかギャラリー側に混ざっていた。
本当にユッキーの危険察知能力の高さはさすがというか、ちゃっかり者というか……。結局、ハルが一人で説明する羽目になり、周囲で説明を聞いていた貴族や武官たちが、ハルのことを竜騎士と言いだすようになった。それが噂となってレンスター中に広まった次第だ。
ハルは、鋼鉄竜の正体について、騎士や衛兵たちにヴァイマル帝国が製造した、大型の移動用魔具であると誤魔化しながら説明した。
しかし、魔具というキーワードが登場すると、今度は宮廷魔術師やジュダ教の司祭たちが鋼鉄竜に興味を示した。『異界の者を悪魔』として駆逐する訓えを説くジュダ教徒たちに、私たちの素性が知られるわけにはいかない。アスリンや堅牢のロレンスのフォローもあって、ハルはジュダ教の司祭たちに疑われることなく済んだ。
ハルだけでなく、私とユッキーもアシハラ出身の旅人で、過去に鋼鉄竜と接触したという設定になっている。嘘が苦手な私と余分なことを言ってしまいそうなユッキーは、質問されて墓穴を掘る前に先に西風亭へ戻るように、ハルとアスリンから言われた。少し不本意だったけど、反論できず、私とユッキーはすぐに西風亭へ戻った。
西風亭に戻ると、まだ明るいうちだというのに、レストランが大変忙しい状況になっていた。これも例の鋼鉄竜騒ぎの影響で街が混雑しているせいだ思う。私とユッキーは、いつものライブを行わず、西風亭で給仕の手伝いをした。
普段なら冗談や愚痴ばかり言うユッキーは、いつもと違って口数が少なく、黙々とカウンターで働いている。たぶん、昼間のエディス城で起こった小規模な戦闘が彼をそうさせているのだと思う。
怪我から回復したゴードン卿が言うには、被害が最小限で済んだのは、ユッキーが大活躍したからだと言っていた。活躍したということは、きっと帝国兵を殺めたのだと思う。騎士たちに死者が出なかったことは良かったけれど、私はユッキーの心の傷が心配だった。
「今日はカトリの歌が聴けずに残念だったけど、また明日も来るよ。お勘定をお願いしていいかね?」
空いたテーブルで下膳の準備をしていた私に、ボーレンさんが会計を求めてきた。ボーレンさんは、いつも西風亭で私たちのライブを嬉しそうに聴いてくれる、陽の出通りに住む常連さんだ。
「はーい、ただいま! えーと、菱銅貨と角銅貨が一枚ずつと、銅貨が三枚になります」
銅貨が五枚で角銅貨が一枚。角銅貨が二枚で菱銅貨が一枚。私はシュメル文字がまだ読めず、数字しかわからない。ナターシャさんが丁寧に書いてくれた伝票の数字だけが頼りだ。メニュー脇の数字の合計は十八だと思う。だから、たぶん……あっているはず。
「ほいよ、丁度置いとくよ。給仕の時くらい、フードを被らなくてもいいんじゃないか?」
「ドラゴニュートの私がお客さんを怖がらせるわけにはいきませんから……」
よかった。ボーレンさんの会計はあっていた。
「まぁ、素性を知らない者にとっちゃそうかもしれんが、ドラゴニュートの娘が歌う西風亭は巷で有名だぞ? それじゃ、また明日な。」
ボーレンさんはそう言うと座っていた席から立ち上がる。私は咄嗟にボーレンさんが移動しやすいように、座っていた椅子を少し引いた。
「はい、毎度ありがとうございます!」
ボーレンさんは私に手を振りながら店を後にした。引いた椅子を戻してから、私もボーレンさんに手を振り返す。こうして顔見知りが少しずつ増えてゆくのも悪くない。
「二人とも、お疲れ様! 腹が減ったろう? リビングに賄いを用意したから、冷めないうちに食べてくれ」
もう時刻は二十二時を過ぎていた。レストランのお客さんが残り三人になったところで、厨房から姿を現したミハエルさんが、私とユッキーに声を掛けてくれた。
「助かります、ミハエルさん」
カウンターのお客さんのグラスに、追加のワインを注ぎながらユッキーがミハエルさんに返事をした。
「ありがとうございます」
先程片付けの準備をした食器類を運びながら、私もミハエルさんに礼を述べた。
「彩葉、ハルたちはまだ帰って来ないけど、腹も減ったし、お言葉に甘えて夕食をいただこうぜ」
「うん、私もこれを片付けたらすぐに向かうから。ユッキーは先にリビングに向かってて」
「オッケー」
ユッキーは右手に拳を作り親指を立てて私に応えた。そしてミハエルさんにカウンターを引き継ぐと先にリビングへ向かって行く。賄いが用意されたリビングは、昨晩まで憲兵隊が交代で駐屯し、西風亭の警護をしてくれていた。今日の公式尋問で、事件が一旦解決したため、西風亭の警護が解除されることになった。
私は運んでいた食器類を厨房の洗い場に置いてから、ユッキーが待つリビングへ向かった。リビングの扉を開けると、ユッキーはグラスに飲み物を注いで食事の準備をしてくれていた。ソファテーブルに準備された今夜の賄いは、パンと私の好物の西風亭特製シチューだ。
「ユッキー、お疲れ様。安息日じゃなかったのに、いつも以上に忙しかったね」
私はユッキーにそう言いながら、ユッキーと反対側のソファに腰掛ける。
「彩葉もお疲れ!『鋼鉄竜の竜騎士』だっけ? レンスター中がお祭り状態だからなぁ。ボクも危うくヒーロー扱いされるところだったよ」
白ワインが注がれたグラスを手に取りながら、ユッキーはおどけるように私に答えた。
「でも、ユッキーが帝国兵相手に活躍したってゴードン卿が言ってたよ? ユッキーだって堂々とヒーローになって良かったんじゃないの? ほら、アスリンにいい所を見せないと」
ユッキーはゴクンと息を飲み込み、私から目を逸らして顔を赤く染めた。予想通りの反応が見られて少し楽しい。私はユッキーが注いでくれた葡萄ジュースのグラスを手に取り、ユッキーに差し出す。ユッキーは黙ったまま照れ臭そうに、私が差し出したグラスに彼のグラスを重ねた。グラス同士が重なる小さな音がカチッとリビングに響いた。
「ボ、ボクはそう言うキャラじゃないし……。ヒーローになっちゃったら、いざって時に逃げられないじゃん?」
「なにそれ? 答えになってないよ……」
まぁ、いつものユッキーらしい回答だけど……。私はグラスの葡萄ジュースを一口頂いた。酸味と甘さが疲れた体に心地よく沁み込んでゆく。
「それより、彩葉もアスリンの護衛、一日大変だったでしょ? お互い大変な一日だったね」
「周りを警戒するのに集中力を使うけど、私の方は全然。私はてっきり、子爵の邸宅は旧市街にあると思っていたから……。エディス城だっけ? 結構遠い場所だったんだね。とにかく二人が無事に戻ってくれて本当に安心した」
「ありがと、彩葉。騎士さんたちが突っ込んじゃった時は、さすがにヤバいって思ったけどね……」
そう笑いながら語るユッキーの言葉のトーンは、やっぱりいつもより低い感じがする。普段の彼であれば、もっと大袈裟に自分の手柄を自慢するように言うはずだ。
私はスプーンで掬ったシチューを口に運んだ。トマトと山芋が溶け込んだスープは、程良い酸味と甘さが利いており、それが肉の旨味を引きたてている。マトンの肉が口の中でとろけて、ジワっと肉の旨味が口の中に広がる。このシチューは本当に美味しい。
「ハルとアスリン遅いね……。今夜中に帰ってこれるかなぁ?」
かなりの人数の高官や宮廷魔術師に囲まれていたとはいえ、もうハルたちがエディス城から戻って十時間近く経過している。
「ハルのこと心配?」
ユッキーはパンをかじりながら私に訊いた。
「それは心配に決まってるじゃない……。もちろん、ハルに付き添ってくれているアスリンのことだって心配よ? 精霊術を使い続けて疲れているでしょうし」
「ボクも同じさ。二人に任せっぱなしで、ちょっと申し訳ない気もするけど……。でも、明日はボクが機関銃を披露することになってるんだ。帝国が近くにいるのなら、銃の怖さを知ってもらわないといけないからね。レンスターの騎士さんたちは、頭が固くて血の気が多そうだし」
「剣と銃じゃ……、勝ち目ないもんね」
ユッキーも色々とレンスターのために考えてくれている。銃の存在を知ると知らないでは、帝国と遭遇した時の心構えが全然違う。お世話になっているレンスターのためにできる限り協力する。これは私たち三人の共通の意見だった。
「あー、美味しかった!」
空腹だった私たちは、雑談をしながらにもかかわらず、あっという間に夕食をたいらげた。
「あぁ、西風亭特製シチューは最高の味だね」
「あと二杯は行けちゃうなぁ」
「彩葉、太るよ?」
思ったままの感想を言っただけなのに、ユッキーから痛い返しをいただいた。
「う、うるさい!」
「ハハハハッ!」
私が言い返すと、ユッキーはお腹を抱えて笑いだした。少しムカついたけど、いつものユッキーの笑顔が見られて少し安心した。
「ねぇ、ユッキー。エディス城ってどんなところだった? 景色が奇麗なところだってアスリンが言っていたけど」
「あぁ、ロケーションなんて天気が良ければ最高かもね。今度ハルと二人で行って来るといいんじゃない? あ、そうだ! 彩葉は犬が好きだったよな? レンスターの市内じゃ見かけないけど、地球の犬とそっくりな犬がいたぜ? 郊外では狩猟や警護のために、犬を飼う風習があるんだってさ」
犬も好きだけど、私はどちらかというと猫派だ。エディス城の話をするユッキーの声のトーンは低い。自分から口に出さないけど、きっと戦闘で辛い思いをしたのだと思う。
「ねぇ、ユッキー……。辛いことがあったら抱え込まずに言ってね」
私はユッキーの目を見ながら言った。ユッキーは黙ったまま私から目を逸らさず、グラスに残っていたワインをグッと飲み干した。そしてユッキーは目を閉じて自嘲気味に笑いながら私に答えた。
「なーんだ、彩葉にはお見通しかぁ……。グズグズしてちゃカッコ悪いと思って普通に振舞ってたつもりだったんだけどなぁ」
「いつもと違って口数も少ないし、声のトーンが低いから何となく気がついたわよ」
「マジで?」
私は黙ってユッキーに頷く。
「そっか……。今日さ、三号を奪う過程で帝国兵と小競り合いがあったことを聞いてるよね?」
「うん、何となく」
私は正直にユッキーに答えた。
「また、三人殺めてしまった……。飛び出したバッセル卿たちが帝国の軍人たちに見つかる前に、ボクがエディス城の隣の丘から軍人たちを狙撃した。一人目を撃った時は怖かった。でも、三人目を撃った時は、ゲームの感覚のように『やった!』って喜ぶ自分がいたんだよ……。逆にそれが怖くてさ……」
ゆっくりと語ったユッキーの言葉は重みがあった。しかし、ドラゴニュートになった私は、ユッキーが言う怖いという感覚がわからない。私はユッキーの力になりたいと思っていたのに、何て答えていいかわからなかった。
「でも……。みんな、ユッキーのおかげで助かったって言ってた……」
私がやっと言えたことは『みんなが言ってた』などという、民主主義に巻かれるような自分の言葉ではない回答だった。
「ありがとう、彩葉。聞いてくれただけでスッキリしたよ。今日は演奏できる気分じゃなかったけど、彼らにレクイエムを送りたいと思うんだ。つき合ってもらっていいかな?」
「うん、もちろん!」
ユッキーは、ソファから立ち上がり、リビングのクローゼットへ向かった。そこに置いてあったバイオリンケースを開けると、バイオリンと小さな教本のようなものを取りだした。ユッキーは本のページを捲り、頷いて私にそれを差し出した。
私がユッキーから受け取った本は、『ともだちのうた』という小学生の時に使った世界の民謡を綴った歌謡集だった。そして開かれたページの譜面のタイトルは、ドイツ民謡のローレライだ。美しいライン川の難所に現れるという死を誘う妖精の歌。小学校の授業で、日本語歌詞で歌ったことがあるのでメロディは覚えている。
「彩葉、この曲のメロディ覚えてる?」
「うん、歌詞は曖昧だけど、教本があれば歌えると思う。でも、よくこんなの持ってたわね」
「本の最後のページ、名前見てみて」
私はユッキーに言われるがまま、『ともだちのうた』の最後のページを開いた。そこに書いてあった名前は『香取彩葉』、私の名前だった。そう言えば、小学校を卒業する時に、ユッキーから要らないなら欲しいと言われたことを思い出した。
「これ、あの時に私がユッキーにあげたものだったんだ」
「そうさ。好きな子に貰った大切な思い出の本だからね」
「はぁ?! こんな時にそう言う変な冗談はやめてよね、まったく……」
ユッキーは私の言葉に何も答えず、ただニヤッと笑って、構えた弓で演奏を始めた。どこか懐かしさと温かさがあるこの曲の旋律は、ドイツ兵へのレクイエムに相応しいかもしれない。前奏が終わると、私は教本を見ながらユッキーのバイオリンに合わせて歌い始めた。
ローレライは元々長い曲ではない。
ユッキーが奏でた素敵な旋律は、すぐに終わった。それでもユッキーは満足そうに、歌い終えた私を見つめて頷いた。私も彼に頷いて応える。
「この曲が死んだ彼らに届くと思わないけど、ボクの中のモヤモヤが、やっと晴れた気がするよ。ありがとな、彩葉」
「ううん、私もユッキーの役に立てて良かった」
私がユッキーに答えたその時、リビングのドアが軽くノックされた。
「ユッキー、イロハ。ちょっといいか?」
ノックの主はミハエルさんだった。
「はい、どうぞ」
私がミハエルさんに返事をすると、ゆっくりと扉が開けられ、少し困惑した表情のミハエルさんがリビングに入ってきた。
「今の二人の演奏を外で聞いたって言う三人組のお客さん……、正確には通りがかりの旅人かな? 演奏したユッキーとイロハにどうしても会いたいって言うんだ。どこから流れて来たのかわからないけど、三人のうち二人は共通語のシュメル語が話せないらしい」
ミハエルさんの言葉に、私とユッキーは互いに顔を見合わせた。レムリア大陸北部の人間ではないとしたら……。南部の出身者か帝国の人だとでもいうのだろうか。
「言葉がわからない二人は女の子でさ。そのうちの赤毛の女の子は、右腕を怪我しているみたいなんだ。まだ店の前にいるけど、こんな夜遅くに現れた得体の知れない旅人なんて訳ありだろうし、丁重にお断りしておこうか?」
「ちょっと待って下さい、ミハエルさん。ねぇ、彩葉」
「何、ユッキー?」
「もし、その旅人たちが……、曲名を知っていたら、彼らに会ってみる。それでいい?」
「……うん」
私はユッキーの考えに一存した。緊張で胸が高鳴る。もし曲名を知っているとなると、私たちと同じ地球人だ。この場合、帝国の人間と考えた方がいいかもしれない。でも不思議と辺りの空気から殺意や嫌な予感は感じられない。
「ミハエルさん。その旅人にボクたちが演奏した曲名を答えられるか……、聞いてもらっていいですか?」
「わかったぜ、ユッキー。ちょっと待っててくれ」
そう言うとミハエルさんは一度レストランの方へ向かった。そして三十秒程経たないうちにミハエルさんが戻ってきた。
「どうでした?」
私がミハエルさんに訊くと、三人組の旅人から伝えられた曲名をミハエルさんが答えた。
「ローレライ……、だそうだ」
私とユッキーは互いに頷いた。私たち以外の地球人で間違いない。私は念のため、フードを深く被り、聖剣ティルフィングを腰に帯刀した。ユッキーも懐に右手を入れ、いつでもジャケットの裏のポケットに忍ばせた拳銃を取り出せるようにしている。
「ユッキー。もしもの時は、私が竜の力を使うから私の後ろに隠れてね」
「頼りにしてます、彩葉さん」
私とユッキーは、三人組の旅人に会うため、リビングを出てレストランへ向かった。
帝竜暦六八三年十月二十三日の深夜。
私たちの運命の歯車は、新たなもう一つの運命の歯車と邂逅する。やがてそれは互いに噛み合い大きな力となって、東フェルダート地方を揺れ動かす元凶に立ち向かって行くことになるのだった。




