毎日の努力の積み重ね
「彩葉ってば凄すぎでしょ! さっきの一本目の時の構え見た? 攻撃かわしてバシッて。マジでボクの彩葉カッコいいぜ!」
幸村は興奮して会場を指差しながら俺に語り掛けてくる。俺は彩葉の応援に何度も足を運んでいるけど、幸村は久々に彩葉の試合を見たので新鮮に感じたのかもしれない。どさくさに紛れて、彩葉を所有化しているようにも聞き取れたけど、俺は敢えて聞き流す。
「あぁ、見てたぜ。さすがだよな、彩葉。帰ったら祝勝会しなくちゃだな」
俺も笑顔で幸村に答えた。無意識のうちに握りしめた俺の拳の中は汗で滲んでいた。応援しているというより、むしろ勝ってくれという祈りに近い。俺と幸村が彩葉の試合について話していると、突然背後から呼びかけられた。
「あの……、祥鳳学園のドラゴンズラプソディの方ですか?」
俺たちのバンド名を呼んでくれたのは、三人組の他校の制服や剣道着を着る女子生徒だった。
「あぁ、はい。そうですけど……」
他校に繋がりがある知り合いはいないので、俺は少し動揺しながら返事をした。俺の答えを聞いた彼女たちは、嬉しそうにはしゃぎだした。ドラゴンズラプソディというのは、中学一年生の時の学園祭で、クラスの出し物として軽音楽を出展した際に結成した俺達のバンド名だ。
幸村のバイオリンと俺のアコギ。それと、彩葉のベース兼ボーカルという洋楽中心のフォークソングバンドだ。バンド名の由来は、俺たちがいつも待ち合わせに使っている神社の竜伝説と、自由奔放な形式の叙事的な曲という意味合いで使われる狂詩曲。これらを英語で表記することで、Dragons Rhapsodyと名付けられた。
翌年の中学二年生の学園祭からは、生徒会に所属している俺や幸村の権限で、生徒会主催の特設ステージを利用して、生徒会付けの出展として毎年演奏させてもらっている。
「あー、やっぱりそうでしたか! 先月の祥鳳の学園祭へお邪魔した時、ドラゴンズラプソディのライブ聴きました! すごく上手で感動しましたよー」
「ほら、遠くから見るより全然カッコいいでしょ?」
興奮気味にはしゃぐ、俺たちのバンドを知る女子生徒たち。俺と幸村は、互いの顔を見合わせると嬉しさから笑顔になった。俺たちが活動するバンド名を知る人がいてくれたことに、俺は素直に喜びを感じていた。
活動と言っても、学園祭以外でステージに立ったことはない。文化祭が近づくと、三人が暇な休日に近所の公園で演奏したり、夜になって母さんの馴染みの仲間が集まった時に、ミュージックバー化したバッカスで余興として演奏する程度だ。原曲のコピーやカバー曲などレパートリーはある程度多いけど、オリジナルの曲はまだ持っていない。
大勢の人の前で自分たちのライブを披露することはとても緊張する。しかし、自分たちの演奏を聴いて喜んでくれるリスナーがいると、言葉に表せないような充実感に満たされ、それが癖になる。本当は時間があればもう少し活動できればいいのだけれど、彩葉と幸村は俺と違って暇ではないから仕方がない。
「あ、突然すみませんでした。私たち、城北高校の剣道部の者です。試合会場の祥鳳の応援席を見ていたら、後ろで立っているのが伊吹君かなって思って、つい声掛けちゃいました」
どうやら彼女たちは、先月行われた祥鳳学園の学園祭に来て、俺たちのライブを聴いてくれていたようだ。見た感じからして、彼女たちは同級生や下級生ではない。恐らく城北高校の三年生だろう。接点はないはずだけど、なぜか彼女たちは俺の名前を知っていた。でも、不思議と悪い気はしない。
「あ、ありがとうございます。俺たち生徒会企画に参加させてもらって、学園祭で毎年ライブやらせてもらってますけど……。他校の人が、うちらのバンド名を知っていてくれて少し驚いてます。そうそう、バイオリン弾いているこいつの実力は、桁違いに凄いんです」
俺は素直に城北高校の女子生徒たちに礼を述べて、幸村を前に押し出してバイオリンの腕前を紹介してやった。
「おい、ハル……急にこっちに振るなって。そんなに自慢することじゃないだろう?」
「またまたぁ。謙遜してますけどこいつ、学生コンクールの名古屋予選で本選通過して、今度全国大会へ行くレベルなんですよ」
「えー! それって本当に凄いじゃないですか?! 私も中学生まで本気でピアノやっていたのでわかります!」
ポニーテールの子が感動して幸村を見つめている。もはやスターを見る目に近い。
「いやいや、アハハハ……」
想像通りに照れ笑いする幸村を見るのは妙に可愛らしく、実に面白い。
「伊吹君のアコースティックギターの速弾きも、相当なテクニックだと思いますよー。あと、ボーカルの可愛い子の歌声。とても澄んでいて、心が惹きつけられるというか……。あのボーカルの子は、一緒じゃないんですか?」
剣道着の女子生徒が俺に質問してきた。バンドの顔と言えば、当然ボーカルだ。俺の名を知っているのに、彩葉のことを知らないのだろうか?
「え? あ、あぁ……」
「あ、そうそう。ドラゴンズラプソディのギターでハーフの伊吹君。うちの学校でいい意味で有名ですよ。ほら、うちらって女子校だから、他校のイケメン男子の噂で持ちきりなんです」
俺が質問に戸惑っていると、幸村のバイオリンの腕に感動していたポニーテールの子が、俺を見ながらクスッと笑いながらそう言った。面と向かって言われるとかなり照れる。
「ハハハ……そうなんですか」
笑ってその場を誤魔化す俺をニヤニヤしながら幸村が見ている。この際だから何か仕返ししてやろうと悪巧みをしているに違いない。
「ところで、学園祭以外でもライブ活動とかしているんですか?」
剣道着の女子生徒が、俺たちの活動を聞いてきた。
「ボクたちのバンドは、学園祭のステージでやってるくらいなんですよ。あとはメンバーの休みが合うと穂高駅近くの公園で適当に演奏してるくらいかな」
幸村の回答を女子生徒たちは熱心に聞いている。
「毎年学園祭でライブやっているみたいだったので、学園祭以外のどこか別の場所でも活動しているのかなって思ってました」
「正直なところ、活動状況からしても同好会以下ですし、うちらの名前を知っていてくれただけでも凄く嬉しいです。それにうちのボーカルがこの通り、剣道が中心っていうもありますし」
決勝戦が終わり正座をして防具を片付けている彩葉を指差して、俺は女子生徒たちに答えた。
「うそ? あの香取さんがボーカルだったんですか?!」
「私なんて今日、二回戦で香取さんと当たって秒殺されたよー」
「綾子、今日はトーナメント運が悪かったよねーって話してたもんね」
女子生徒たちは、代わる代わるに興奮した様子で、彩葉について俺と幸村に質問してくる。幸村はちゃっかり携帯電話の番号やメールアドレスまで交換したようだ。俺と幸村が、彼女たちと雑談をしていると、俺は視線に気がついた。視線の主は、不機嫌そうな表情でこちらを見ながら、荷物を抱えて階段を上ってくる彩葉だった。
「香取、やったな! おめでとう!」
「やっぱりすげぇな、香取は!」
彩葉を応援していた男子剣道部員たちが彼女に駆け寄る。それに続いて女子部員たちも駆け寄って彼女を祝福した。祝福してくれた剣道部員たちに礼を述べつつ、時々こちらを見る彼女の視線が妙に冷たい。
恐らく彩葉の機嫌が悪いのは、俺と幸村が他校の女子生徒たちと話をしていることへの不満に違いない。しかし、これは彩葉の一方的な誤解だ。やがて剣道部員たちの祝福から解放された彩葉がこちらへ歩み寄ってきた。
「優勝おめでとう彩葉、お疲れ様」
とりあえず何事もなかったかのように、右手を上げて彩葉に向けると、彼女は一瞬立ち止まって眼を逸らした。優勝したのに、何でそんなに不機嫌なんだよ……。
「ありがとう……」
そして、彩葉は呟くように礼を言いながら、俺とハイタッチを交わす。こんな時にタイミング悪くパチンっと静電気が飛んだ。
「痛っ! もう手荒な歓迎ね、ハル!」
「悪い、でも今のは不可抗力だろ?」
案の定、静電気のせいで余計に怒らせてしまった。火に油だな……。ツイてない。
「だいたい六月の梅雨時なのに、静電気が発生する体質なのがおかしいのよ!」
容赦のない彩葉の口撃に、幸村が助け船を出してくれた。
「彩葉、優勝おめでとう! マジでカッコ良かったぜ? あ、この人たちはね、城北高校の剣道部の生徒さんなんだけど、ドラゴンズラプソディのこと知っていてくれてさ。それでボクたちに声をかけて来てくれたんだよ。疾しいことはないから安心しろって」
幸村の紹介で、俺と彩葉の間に入る隙がなかった女子生徒たちが彩葉に話し掛け始めた。
「香取さん優勝おめでとう! まさかドラゴンズラプソディのボーカルやっているなんて知らなくて」
「あ……、ありがとうございます。一応ボーカルとベース担当させてもらってます。まだまだ、本格的なバンドとは言えませんけど……。何かその……、見苦しいところを……。お見せ……してしまったと言うか……」
彩葉は予想外の展開にタジタジになって、城北高校の女子生徒たちに礼を述べている。
「香取さんって年下だけど怖いイメージしかなかったから、意外な可愛い一面が見られてちょっと嬉しいかも」
「いつも淡々とした凛々しい子だなっ……て感じだったけど、香取さんって話してみると、容姿だけじゃなくて性格も可愛い子だったのね」
「またライブあるなら聴きたいな。ねぇ香取さん、もし良かったら携帯のアドレスとか交換しません?」
彩葉は顔を赤くして照れている。本当に昔から喜怒哀楽が思い切り表に出るタイプだ。
「はい、私で良ければ……。あ……、携帯が更衣室に置いてあるので、アドレスのメモとかいただけますか? 私から後でメール送りますので」
女子生徒たちからメールアドレスが書かれた紙を受け取る彩葉は、すっかり機嫌が直ったようだ。俺は幸村を見て口パクで感謝を告げた。幸村は気にするなと口パクで返してきた。
城北高校の女子生徒たちは、メールアドレスを書いた紙を彩葉に渡すと、閉会式が始まるからと、手を振って立ち去った。
「まさかドラゴンズラプソディのことを知っている人が、他校にいてくれたなんて驚いちゃった」
「俺たちも最初はビックリしたよ。なぁ、幸村」
「あぁ。学園祭だけじゃなくて、いつか秋祭の前夜祭とかに出展できるといいな」
「たしかに! 学園祭だけじゃちょっと物足りないかも」
彩葉も幸村の発言に頷きながら相槌を打った。
『業務連絡をいたします。閉会式の準備ができましたので、閉会式に参加する選手、また、入賞された選手は会場まで集合願います』
場内アナウンスが流れて周囲の選手や役員が一斉に動き始めた。
「あー! もう時間?! 二人とも。私の荷物お願い!」
そう言うと彩葉は、俺と幸村に竹刀袋と防具バッグを無理矢理預けて、会場へ戻るために階段を下り始めた。たしか朝は、『自分の荷物は自分で』と言っていたような気がするけど……、まぁ、いいか……。
彩葉の剣道のことを素質の違いだとか天才だからと特別扱いする人もいる。しかし、彼女は誰よりも速く竹刀を振れるようにと、手が豆だらけになるまで毎日朝晩欠かさずに素振りをしていることを俺は知っている。たしかに彼女には素質があるのかもしれない。でも、それ以上に誰よりも頑張っている努力家だ。
「彩葉!」
俺は彩葉を呼び止める。階段の踊場で彼女は立ち止まって振り返り、左手で前髪をかきあげながら俺を見つめた。
「毎日の努力の積み重ねだな! 本当におめでとう!」
「うん!」
俺の言葉に、彩葉は満面の笑みを浮かべて頷き、俺に手を振りながら階段を下りて閉会式へと向かって行った。