城郭都市レンスター(下)
私たちはそのままアスリンの案内に従って、西風亭という宿を目指してレンスターの大通りを歩いて進んでいる。新市街は内部にも壁が設けられており、東区と西区に分かれていた。新市街の大通りを東区から西区に向かって歩いていると、それぞれの街に特徴があるのがわかった。
東区は閑静で規律がある雰囲気の街並みで、騎士や兵士といった武官や城や公共施設で働く役人が多く居住しているそうだ。それに対して西区は、大通りに露店が立ち並び、買い物をする人や行商人が大勢いて活気に満ち溢れている。職人や商人が多く住む西区の雰囲気は、交通が規制された都市部のお祭りのような状況だった。
人種的にはヨーロッパ系の白人が多く占めている。人々の服飾は、中世のヨーロッパの絵画に登場するような衣装が圧倒的に多い。しかし、意外なことに、作務衣や袴に似た和風の衣装を着る人も僅かながらいるため、剣道着の私の服装もそこまで違和感があるわけではなかった。
「それにしても、これほど賑やかな街だとは思わなかったな。もしかしたら、ヴァルハラのことを知っている人がいるかもしれない」
「アリゼオの王立図書館ほどではないにしても、レンスターにも公共図書館があるし、何か手掛かりが掴めるかもしれないわね。ジュダ教の大聖堂を訪れても何かわかることがあるかもしれない。でも大聖堂へ行った時は、テルースの話は禁止だからね?」
ハルの独り言にアスリンが答える。
「なるほど。たしかに図書館なんて情報の宝庫だよな。でも、残念なことに……、その店の看板ですら何て書いてあるか読むことができないから、シュメル語の文字も勉強しないとな」
ハルの言う通り、言葉は精霊術でわかるようになったけれど文字の読解までは無理だった。
「ねぇ、アスリン。文字がわかるようになる精霊術は使えないの?」
ユッキーがアスリンに聞いた。
「私の風の精霊術は空気の振動など、風の流れを司るものだけなの。他の精霊術でも文字の解読は聞いたことがないかな。アヌンナキが使う呪法の中には、太古の文字ですら理解できるようになるものがあるって聞いたことがあるけど……」
「どうやら学ぶしかなさそうだな」
ハルがユッキーの肩を叩きながら言う。
「はい、ユッキー。残念でした」
ついでに私もユッキーをからかった。
「ちぇっ……」
ユッキーは舌打ちをした。楽をしようとしていたのが目に見える。
「シュメル語の読み書きは私もできるし協力するわ。頑張れば、学者だったというみんなならきっとすぐに覚えられるはず」
「よろしく頼むよ。アスリン」
「任せておいて」
ハルがアスリンに願い出ると彼女も乗り気なようだ。学年でいつも上位の成績だったが、ハルは決して勉強が好きなわけではない。頭の回転がいいのは間違いないけれど、割と面倒臭がりで興味がないことは全く関心を持とうとしないタイプだ。
そんなハルが勉強でいつも上位を狙う理由は、『勉強は自分との戦い。やればやっただけのことが結果として返ってくるから』と言っていた。でも、それは単に彼が負けず嫌いなだけであることを私は知っている。ハルが私以上に負けることが大嫌いな性格なのは、長く一緒にいるからよくわかる。
「やぁ、アトカ。しばらく見なかったが仕事の帰りかい? 調子はどうだ?」
小物や骨董などを店頭に並べている露天商の男がアスリンに声をかける。小太りで私より背が低く、立派な髭を蓄えたガッチリした体格の色黒の男性だ。何とも言えない小柄な大男……。多分、彼もアスリンのように人間以外の種族なのだろう。少し耳が尖っているように感じる。
「えぇ、サリバン。先程戻ったところ。今回の仕事ではサリバンと取引できるような物は手に入らなかったわ。また、お店に寄らせてもらうわね」
「あいよ、アトカ」
アスリンは歩きながらサリバンと呼んだ商人に手を振って答える。
「知り合い?」
私はアスリンに質問する。
「うん。彼は古物商のサリバン。見ての通り人間ではなくドワーフ族よ。仕事の副産物で遺物や骨董を回収するといい値段で買い取ってくれるの。逆に割と面白いものも売っていることがあるから、後で覗いてみると楽しいかも」
「そっか。アスリンの取引相手みたいな感じなのね。それにしてもドワーフ族にまで会えるなんて……」
「ドワーフはエルフより数は多いし、人間社会で生活する者も多いから見かける機会は割とあるかも。あ、私たちが目指している西風亭はもうすぐそこよ。ついて来てね」
アスリンはドワーフについて答えながら、大通りから少し狭い裏路地を奥へと進んだ。私たちも彼女についてゆく。しばらく進むと彼女は立ち止まり、少し大きな建物の裏口と思われる木製のドアをノックした。
「ちょっと待っててね。ここが西風亭の勝手口なの。女将のナターシャには、イロハたちのことを風の精霊術で少し特殊な大切なお客様と伝えてあるから大丈夫」
アスリン以外に知り合いなんていないし、私たちに目配せをする彼女を信じるしかない。やがて勝手口のドアの向こうから人の足音が聞こえてくる。ガチャっという金属音と共にドアが開くと、品のある年配の女性が姿を現した。若い頃はきっと美人だったのだろうと想像できる女性だ。
「あら、アスリン今戻ったの? わざわざ裏に回らなくても正面から入れば良かったのに」
「ただいま、ナターシャ。お店にお客さんがいたらそれはそれで目を引くかなって……」
アスリンがナターシャと呼んだ女性は、すぐに私たちの存在に気がついてじっとこちらを見つめる。アスリンからの精霊術によって事前に聞いているためか、アスリンと共に裏口に現れた異様な雰囲気の来客に驚いた様子はなかった。私たちはナターシャさんに軽くお辞儀をすると、彼女の表情はすぐに笑顔に変わる。
「どうぞ、皆さんも中に入って。すぐにお茶も用意させるので、話はそれから」
ナターシャさんは勝手口から西風亭の中へ入り、私たちについてくるように促した。
「彼女とはもう三十年以上の付き合いよ。出会った時に話したと思うけれど、ナターシャは私の傭兵稼業時代のパートナーだったの」
「そう言えば言ってたな。昔の仲間が引退して宿をやってるって」
ハルがアスリンの言葉を思い出したようだ。でもドラゴニュートの私が中に入っても驚かないか心配になる。
「アスリン、私が中に入っても……」
私がアスリンに質問しようとすると、私がその質問することを予想していたようで彼女に遮られた。
「うん、それも大丈夫! イロハたちは私のことを救ってくれた命の恩人だもの。ドラゴニュートだとしてもナターシャをはじめ、ここの人たちはイロハを邪険にしないから安心して」
彼女のナターシャさんに対する信頼は絶対的なようだ。
「アスリンが大丈夫って言ってるんだし。入ろうぜ、彩葉」
「うん」
ユッキーに後押しされて私は頷く。ハルを見ると彼も笑顔で頷いている。私たちはナターシャさんの後に続いて勝手口から西風亭の中に入った。西風亭の中は靴を脱ぐ風習はないようで土足のままだ。どうやら宿の一階はレストランを兼ねているようで、大通りに面した入口はオープンカフェのようになっている。厨房からは食欲を誘うとてもいい香りが漂ってくる。
「どうぞ、荷物はとりあえずそのあたりに置いて、まずはソファーに掛けてちょうだい。長旅で疲れているでしょう?」
ナターシャさんは笑顔で私たちに優しく声をかけ、厨房の向かいの部屋のドアを開けた。言われるがままに、大きなソファーと暖炉があるリビングへと入る。リビングの窓にはガラスが填められており、私たちが暮らしていた現代社会の居室とそれほど大きな差は感じられない。
「ありがとうございます」
まだアスリンに借りたケープのフードを被ったまま私は深々とお辞儀をした。私に続いてハルとユッキーもお辞儀をしてお礼を述べる。
私たちは武器類と荷物をフロアに置かせてもらい、三人掛けのソファーの右端に私、真ん中にハル、左端にユッキーの順で腰を下ろした。私たちが座ったソファーと、テーブルを挟んだ反対側にあるソファーにアスリンとナターシャさんが腰を下ろした。
「アスリンから話は聞いているわ。イロハさんでよかったかしら? フードを外しても大丈夫よ。窮屈だったでしょう?」
「はい、では……」
私はゆっくりとフードを外した。さすがにナターシャさんは事前に知らされていても実物のドラゴニュートを見て少し驚いているように見える。
「イロハさんは、本当にドラゴニュート……なのね。あなたを見るなり驚いてしまってごめんなさい。でも、奇麗な黒髪に可愛らしい顔立ち。アスリンが伝えてくれた通りね。この子が大丈夫というのだから私も大丈夫。イロハさん、もう驚いたりしないから安心してね」
「は、はい! はじめまして、香取彩葉といいます。驚かせてしまってこちらこそすみません。私のことなら気にしなくて大丈夫です」
私は席を立ってお辞儀をしながらナターシャさんに自己紹介する。
「礼儀正しいし、本当に普通の女の子と変わらない可愛らしい子ね、アスリン」
「ね、ナターシャ。私が伝えた通りでしょ?」
ナターシャさんは笑顔でアスリンにそう言い、アスリンもナターシャさんに笑顔で答えた。
「はじめまして、俺はハロルドといいます。姓は伊吹。愛称でハルって呼んでください」
「ボクは間宮幸村。たぶん発音しづらいと思いますので、アスリンのようにユッキーって呼んで頂けばと思います」
ハルとユッキーも席を立って自己紹介をした。
「あら、そんなに改まらなくても大丈夫よ。皆さん本当に礼儀正しいのね。どうぞ席について。私は、この西風亭の女将をしているナターシャ・モロトフよ。皆さんはアスリンの危ない所を助けて頂いた命の恩人。彼女は私たちにとって大切な家族同然。私たちからも皆さんにお礼をさせてください」
「いえ、礼だなんて……。ここに通して頂いただけでも本当にありがたいです」
ハルがナターシャさんに答えた。
「あんな場所で三頭のトロルに追われてもうダメだって思った時に、みんなに出会えたことは本当に奇跡だと思っているのよ。あー、思い出すだけで鳥肌が立つわ……」
両手で自分を抱きしめるような仕草をしながらアスリンが言う。その時、コンコンとリビングのドアがノックされた。
「母さん、お茶の準備ができたから失礼するよ」
ドアが開けられると、二十歳を少し過ぎたくらいの茶髪で癖っ毛の男性が、私たちに一礼してからティーポットとカップを持って部屋に入って来る。
「やぁ、おかえり、アスリン。母さんから聞いたよ。本当に無事で良かった」
彼はアスリンを見るなり無事を喜んだ。そして、その後は私をじっと見つめて強張った表情をしている。間違いなくドラゴニュートである私を警戒しているのだろう。
「ただいま、ミハエル。この三人に助けられてどうにか無事に戻ることができたわ」
「皆さんにも紹介するわ、こちらは息子のミハエルです。今はこの宿の実質的な経営者なの」
ミハエルと呼ばれた男性は改めて私たちに一礼すると自己紹介をする。
「ミハエル・モロトフです。西風亭特製のセレン茶を淹れたので、どうぞ召し上がってください。それとアスリンのことは俺からもお礼を言わせて下さい。見た目こそ逆転してしまったけど、彼女は俺にとって姉みたいなものですから」
「はじめまして、伊吹ハロルドです。愛称はハルと言います」
「ボクは間宮幸村。ナターシャさんにも伝えましたけど、ボクの名前は呼び辛いと思うのでユッキーと呼んでください」
「私は香取彩葉です。こんな姿してますけど……、人に危害を加えたりしませんので……」
私たちも一度席を立って、それぞれミハエルさんに自己紹介をする。先ほどまで怖がっていたように見えたミハエルさんの表情が笑顔に変わっていたので安心する。ナターシャさんやミハエルさんの私に対する第一印象から、レンスターの人にとってドラゴニュートという存在は恐怖の対象なのだと痛感した。わかっていてもやっぱり辛い。
「ねぇ、ナターシャ。ミハエルも一緒に彼らの素性を聞いてもらってもいいかな?」
アスリンがナターシャさんに提案する。
「そうね。ここの主はミハエルだし。皆さんも息子が同席してもよろしいかしら?」
ミハエルさんの同席をアスリンに薦められたナターシャさんは私たちに尋ねる。
「もちろん俺たちは構いません。むしろ、アスリンからある程度の事情を聞いているのであれば、話さなければならないことがたくさんあると思いますし、俺たちからもミハエルさんの同席をお願いします」
ハルが私とユッキーを代表して答える。
「わかりました。それじゃ、俺も話に参加させてもらいます」
傾きかけたリギルの陽射しが窓から西風亭のリビングを照らしている。もう間もなく日没だ。
私たちはアスリンの導きによって、レンスターに住む人たちと接触する機会が得られた。先ほどハルが言ったように、アスリンが家族のように信頼して共に暮らしているナターシャさんとミハエルさんには、私たちの本当の素性を語る必要があると思う。
私たちはアスリンと出会った時のように、地球という遠い星の話から順を追って、私たちがアルザルに来ることになった経緯を彼らに伝えた。




