黒鋼の剣士と裁きの雷(下)
ラミエルの声が俺の頭の中に届いたその直後、俺の周りに異変が起こった。周囲が突然セピア色に変わり、また、辺りに響き続けていた銃声や鬨の声がピタリと止まった。
不思議な現象は、それだけではない。
上空で俺たちにバズーカを向ける有翼のドラゴニュートや、俺の隣で聖剣カラドボルグの柄に手をかけた彩葉が、静止画のように微動だにしない。
(これは、一体……)
声が出ない代わりに、ラミエルの声と同じように、自分の言葉が頭の中に響いた。
(まさか、あいつのバズーカの直撃を受けて、俺は死んだ……のか……?)
俺は、唐突に起きたこの現象に混乱していた。
『落ち着きない、ハロルド。ここは、あなたが生きる現世と、時に拘束されない幽世の狭間です。あなたをここに誘ったのは私です』
(あなたは、ラミエルか?! ここが現世と幽世の狭間だって?!)
俺は、声の主に訊き返した。
『あなたと意思を通わせるのは、これが初めてですね。私の名はラミエル。あなたのルーアッハに宿る聖霊です。あなたは、極めて危険な状況にあります。このままでは、あなたとあなたが共に歩もうとする者の魂は、幽世へ旅立つことになるでしょう』
(俺と彩葉がバズーカの直撃を受けて、死ぬと……?)
この声の主は、やはり俺の中にいるラミエルだった。今回は、あの時と違って直接話ができるらしい。
『星読みの使い手であるシェムハザが、私にあなたと私の未来の結末を伝えてきました。あなたという器を失えば、私もまた忌々しい長い眠りに就くことになります。シェムハザが言うには、私の『磁界』の呪法を使えば難から免れるようです。しかし、時の流れが速い現世では、あなたに『磁界』を伝える時間が足りません。そのために私は、己が身を削って『迅雷』の呪法を使い、時の流れが緩やかな現世と幽世の狭間に、あなたを誘いました』
(よくわからないけど……。あなたは、俺に呪法を伝えるために、リスクを負いながらも、俺を時空の狭間に連れてきた、と?)
俺は、解釈をまとめて、答え合わせのつもりでラミエルに尋ねた。
『概ねその通りです。私たちルーアッハに封じられた聖霊は、覚醒を遂げて器の肉体を得ることで、初めて現世で従来の力が使えるようになります。自己の聖霊を衰弱させる代償を払えば、覚醒する以前でも呪法が使えるのですが……。衰弱した聖霊は、覚醒を遂げたとしても、器を支配する力を失い、二次的なアヌンナキとして、器である人間の魂の一部になってしまうのです』
(二次的なアヌンナキ……。何が言いたい……? もしかして、アナーヒターが妙に人間らしいのは、聖霊に支配されずに、人間だった頃の自我を失っていないのか?)
『そういうことです。二次的なアヌンナキは、聖霊の力を得た器そのものですから』
ラミエルとの会話から、二次的なアヌンナキのことが少しわかった気がする。そして、俺を時空の狭間に誘うために、ラミエル自身が覚醒前に呪法を使ったことを、遠まわしに言っているのだろう。
それが、ラミエルが追ったリスク……。衰弱したラミエルの聖霊は、覚醒を遂げても俺を支配できなくなる。そうなると、俺は、アナーヒターのように、自分を失わずに、二次的なアヌンナキになるのだろうか?
けれど、幽世でも生き続けるラミエルが、自己を犠牲にしてまで、ただの器である俺を救うメリットがあると思えない。
(ラミエル、単刀直入に訊きたい。アストラ・ヒアになった属性八柱は、ヤハウェの掟から解放され、自由になれるはずだ。仮に俺という器を失っても、幽世でも生き続けるあなたは、次の厄災で新たな器に宿り、その時に、また自由を手にするチャンスがあるはずだろう? わざわざあなたが、自ら衰弱させて俺を助けたことに、何のメリットがあるんだ?)
俺は、湧いてきた疑問の答えをラミエルに求めた。
『私たちルーアッハに宿る聖霊は、器を失うと長い眠りに就きます。しかし、意識が完全になくなるわけではありません。新たなルーアッハを宿す器が誕生するまで、何世代にも渡る人間たちの儚い人生を、彼らの傍で見続けなければなりません。その長く辛い時間を、あなたは想像することができますか? そして、時が来れば互いの聖霊が、互いの器を潰し合う。たった一枠のアストラ・ヒアになるために……。これを呪いと呼ばずに、何と呼ぶのでしょう……』
ラミエルの言葉は、属性八柱の聖霊の悲痛な心の叫びに感じられた。
属性八柱が挑む厄災は、十万年以上という太古に起きた竜戦争の爪痕が起因するものだ。そして、その厄災は、竜戦争の終わりから現在に至るまで、約千五百年周期で接近する彗星ニビルと共に襲来し続けている。
その度に、大勢の人間の誕生から死を見つめ、ルーアッハの争奪を繰り返すことは、ラミエルが言った通り、呪いでしかないように思えた。
『ハロルド、あなたは、定命の者でありながら、私たち属性八柱の苦しみを理解しようとしてくれている……。やはり、あなたは優しいのですね。同時に、並みの人間以上の厳しさと強さを持ち合わせている。そんなあなただからこそ、私はあなた魂の一部となり、全てを託してもよいと考えました。ただし、私では果たせない私の願いを、一つだけ聞き入れてくださるのであれば、ですが……』
(それ、願いというより取引じゃないか? あなたの願いが何かわからないけど、できる限るのことはするつもりだ。ただし、失敗しても恨むなよ?)
どうせ、俺に断るという選択肢はない。俺は、ラミエルの願いを聞くよりも先に、その取引を受け入れた。
ラミエルの願いを聞き入れれば、最低でも有翼のドラゴニュートのバズーカを防ぎ、死天使アズラエルの脅威を乗り越えられるはずだ。そして、俺が二次的なアヌンナキになるなら、太古の竜の血を受け継いだ彩葉と、永遠とも呼べる時間を共に過ごせるのだと思う。
『ありがとう、ハロルド。それで構いません。その時は、私もあなたと共に滅びるまでです』
(それで、あなたの望みは、どんなことだ?)
『この現世と幽世の狭間に、あなたが滞在できる時間は限られています。ですから、手短に伝えます。この度の厄災を振り払った後、創造主ヤハウェを討ってください』
(お、おい……。ちょ、ちょっと待ってくれ……。ヤハウェは、アヌンナキを創造した宇宙船のことだろう? そして、その創造主を厄災から護るのが属性八柱の役割なんじゃないのか?)
『たしかに、ハロルドの仰る通りですが、大天使ラファエルらの言い分通り、ヤハウェが滅すれば、厄災が終わることも事実。厄災の元凶は、竜戦争で滅びた神竜王アジ・ダハーカが、その命と引き換えに残した竜の力呪怨です。私の呪法『裁きの雷』は、あらゆる物質や素粒子を分解する力を持っていますので、ヤハウェ内部の真核に撃ち込めば、あなたの呪法でヤハウェを破壊できるはずです』
ラミエルは、俺にそう答えながら『雷の盾』のイメージを伝えてきた時と同じように、二つの呪法のイメージを俺の頭の中に送ってきた。
一つは、高速で雷玉を回転させ、『磁界』を作りだして金属質なものを引き寄せる呪法だ。簡単にいえば、強力な電磁石を作り出す感じだ。
そして、もう一つのイメージは、先ほどラミエルが使った、現世と幽世の狭間へ移動する『迅雷』の呪法だ。複数の雷玉を同時に作り、その雷玉間の時空を歪めることで、時空の狭間を生みだすものだ。その時空の狭間に入れば、事実上時間を止めることと変わらない。これは、応用次第で攻撃と防御の両面で使えそうな強力な呪法だ。
(ラミエル。一つ確認しておきたい。シェムハザは、あなたの願いを知っているのか?)
ラミエルの願いは、俺の想像を超えていた。引き受けてしまった以上、シェムハザがラミエルの本心をどこまで把握しているのか気になった。少なくとも、あのヤマネコの天使は、ヤハウェに従順なはず。
『さぁ、それはどうでしょう。少なくとも私は、シェムハザに伝えていません。ですが、シェムハザは、未来を知る星読みの天使。全て知っている可能性もありますね。ただし、他言無用です。計画が漏れてはなりません』
(そうなると、俺は、いずれシェムハザたちグリゴリの戦士と、敵対する可能性があるのか?)
『そうなるかもしれませんし、現状のままかもしれません。それは、あなた次第でしょう。それよりも、ハロルド。いよいよ、現世と幽世の狭間に滞在できる時間が迫っています。私が、『迅雷』の呪法を解除したら、すぐに戦いが始まるでしょう。あなたは上空の敵の攻撃を『磁界』で引き寄せて、『雷の盾』で衝撃を防ぎなさい。そして、あなたたちの前に立ちはだかる、死天使アズラエルを討つのです』
(死天使アズラエルを討つ……。ラミエル、あなたは、ラファエルたちに賛同しているわけではないと?)
『彼らは、ヤハウェを討った後、自ら神に成り代わろうとしています。私は、そんな彼らに同調するつもりなどありません』
(それが聞けて、少し安心したよ)
『この話の続きは、私が覚醒を遂げてからにしましょう。それでは、『迅雷』を解除します。どうか、気をつけて』
(了解だ、ラミエル)
俺がラミエルに返事をすると同時に、セピア色に染まり無音だった世界が、戦場の色彩と音を取り戻した。ラミエルが『迅雷』を解除したのだろう。俺の隣にいる彩葉も動きを取り戻し、手を掛けていた聖剣カラドボルグを鞘から抜いた。彩葉は、何事もなかったかのようにいつもと変わらない。
俺は、彩葉の無事を確認してから、ラミエルが言った通り防御に徹した。敵の弾頭を引き寄せる『磁界』を作り出すために、雷玉を約五メートル上方に作りだし、その雷玉を高速で回転させて『磁界』に変えた。
これで有翼のドラゴニュートがバズーカを放っても、弾頭が『磁界』に引き寄せられて、俺と彩葉は榴弾の直撃から免れられる。そして、俺が次にやるべきことは、『雷の盾』を作り出して、バズーカの榴弾の熱と爆風を遮ることだ。
「彩葉! 俺の側に!」
「はい!」
俺は、駆け寄った彩葉を庇いながら、マックスさんの呪法を防いだ時のように、『雷の盾』を上方に向けて作りだした。
鈍い音を発し、上空にいる有翼のドラゴニュートからバズーカが放たれた。
ドゴン!
バズーカの弾は、俺が作り出した『磁界』に吸い込まれて爆発し、炸裂した榴弾の炎と爆風を『雷の盾』が防いだ。
俺は、そのまますぐに反撃に移行した。左手に雷玉を作り出し、有翼のドラゴニュート目掛けて解き放った。
槍状に形を変えた雷の塊が、バズーカ砲を担いだまま上空で混乱している有翼のドラゴニュートの腹部を貫いた。
「ぐはぁっ!」
有翼のドラゴニュートは、苦闘な叫び声を上げ、体から光の粒子を発しながら地面へ落下してゆく。
よし、まず一人。
しかし、敵を撃退した喜びも束の間。
(ベルメッツ軍曹! 貴様、よくも!)
罵るような念話と共に、ヴァイマル帝国の将校の制服を着たドラゴニュートが、俺と彩葉がバリケードにした瓦礫をアクロバットな動きで飛び越えて現れた。
俺と彩葉の目の前に着地した将校は、そのまま手に持った小機関銃を俺に向けて構えた。
「なっ……」
俺は、声を出すのが精一杯で、ドラゴニュートの身体能力の前に、身動が取れなかった。『迅雷』を使おうにも、複数の雷玉を作り出す時間がない。
「ハル! 伏せて!」
彩葉の叫び声。
やられる……。
俺は、覚悟を決めて目を閉じた。
ガガガガガ……。
機関銃の発砲音が目の前で響き渡った。しかし、痛みは全く感じない。
恐るおそる目を開けると、聖剣カラドボルグを抜刀した彩葉が、黒鋼の鱗に身を包んで俺の盾になってくれていた。彩葉の介入に怯んだ将校は、大きく後方にジャンプをして、俺たちから間合いを取った。
(貴様は……、黒鋼竜のドラゴニュート?! そうか、貴様が……。おのれ、父上の仇めっ!)
念話で彩葉に罵声を浴びせた将校は、ドラッヘリッターと第九軍を束ねるドラゴニュートの将校、リヒトホーフェン少将で間違いない。因縁のリヒトホーフェン親子と本当に対面することになるだなんて……。
「勘違いしているようだから教えてやるよ。あんたの親父を殺ったのは、この俺だっ!」
(なんだと?! 貴様だけは楽に殺ぬぞ!)
「プッ……」
俺は、リヒトホーフェン少将が口にした、少年漫画の悪役のセリフに思わず吹き出してしまった。
(何が可笑しい?! この愚か者め!)
逆上したリヒトホーフェン少将は、竜の力を使ったのか、左手をコブラのような大蛇の頭に変え、俺に向きを変えて一気に突っ込んできた。カラドボルグを構えた、彩葉の前を通過して。
「馬鹿は、アンタだ!」
もちろん、彩葉が敵の落ち度を見逃すはずがない。
彩葉は、その場で華麗にステップを踏み、リヒトホーフェン少将の背後からカラドボルグを突き刺した。
「ぐわぁぁぁっ!」
リヒトホーフェン少将は、竜殺しの聖剣カラドボルグが刺さったまま、うつ伏せに倒れ、光の粒子を発しながらビクビクと痙攣した。東フェルダート地方を未曾有の混乱に陥れた、遊撃旅団を率いるドラッヘリッターの将校の呆気ない最期だった。
「彩葉、ありがとう。助かったよ!」
「どういたしまして!」
残すは、本命のアズラエルとエスタリアの王族が乗ったブリッツだ。
「彩葉、俺が先に飛び出して、呪法でブリッツを破壊する。そして、そのままアズラエルに、呪法を撃ち込んで注意を引く。呪法は、当たらないだろうけど、アズラエルは俺の『裁きの雷』に釘付けになるはずだ。彩葉は、その隙にアズラエルの背後に回って、帯電させたティルフィングで奴を討っ欲しい! それでいいかな?」
アズラエルを倒すには、『迅雷』を試すよりも、シェムハザの指示通り、彩葉が帯電させた聖剣で仕留めるべきだろう。俺は、彩葉に提案を投げかけながら、彩葉と俺自身に『雷の盾』を施し、左手に雷の玉を二つ準備した。同時に四つの呪法を使うと、息切れに似た疲労が押し寄せてくる。
「わかった! ハル、気をつけて」
彩葉は、俺に返事をすると、地面に置いてある帯電したティルフィングを手に取った。
「もちろん! 彩葉も気をつけて。それじゃ、呼吸を止めて一気に行くぞ!」
「うん!」
俺たちは互いに頷き合い、俺が一足先に瓦礫の山から飛び出した。
俺は、間髪入れずに停車したブリッツを目掛けて一つ目の雷玉を放った。
雷玉が命中したブリッツは、鈍い音を発した後に、運転席下の機動部から黒煙を噴き始めた。ブリッツの運転席と助手席に搭乗していた帝国兵士は、雷玉に感電しているようで、項垂れたまま激しく痙攣している。幌の中にいるはずの、エスタリア王家の要人たちも同じ状況になっているだろう。
「ラミエルの呪法だと?! 猪口才な……。おのれ、シェムハザ! 謀りおったな?!」
「それは、お互い様だのぅ。アズラエルよ、冥府への手土産にワシらが誇る、黒鋼の剣士と裁きの雷の力を存分に味わうがよい」
俺は、そんなシェムハザとアズラエルのやり取りを聞きながら、手元に準備したもう一つの雷玉をアズラエルに向けて放った。
これは、『呪法避け』を備えるアズラエルに当たらない。しかし、これは想定内。アズラエルの注意が、俺に向けられれば十分だ。
予想していた通りアズラエルは、呪法を放った俺を睨みながら不敵な微笑みを浮かべている。恐らく、死に至る毒素を作り出す呪法を使っているのだろう。
しかし、呼吸を止めている俺に、その死の呪法は通用しない。
徐々に、アズラエルの表情が焦りに変わってゆく。
すっかり俺に集中している死天使の元へ、アズラエルの背後を目掛けて黒い影が勢いよく突っ込んで行く。
アズラエルは、背後の殺意に気がついたのだろう。身を翻し、彩葉に対峙した。
しかし、時すでに遅し。
「ぐはぁぁぁ……」
反響するアズラエルの悲鳴と迸る鮮血。
一気に間合いに入った彩葉は、ティルフィングで、アズラエルの右側腹部に強烈な一撃を打ち込んだ。
「おのれ……、裁きの……雷を仕込んだ剣……だ……と……? 人間ごと……きが……」
地面に倒れたアズラエルの右側腹部は、バチバチと音を立てて放電している。やがて、アズラエルは、ビクビクと痙攣を続けた後に、白目を見開いたまま動かなくなった。
シェムハザの指示通り、『裁きの雷』を帯びたティルフィングで倒したことで、アズラエルの本体である聖霊も消滅したはず。
俺たちの勝利だ。
「ハル!」
彩葉は、ティルフィングを鞘に納め、俺の名を呼びながら駆けつけてきた。
「やったな! 彩葉!」
俺は、駆けつけた彩葉を抱き寄せた。
揺れる彩葉の黒髪と、少しひんやりとする彼女の体温が心地よい。
俺が二次的なアヌンナキになれば、いつまでもこうして彩葉の側にいられる。俺は、勝利の喜びよりも個人的な幸せを噛みしめていた。
創造主ヤハウェを討つというラミエルの願いに、抵抗がないわけじゃない。もしも、俺が交わしたラミエルとの取引が、悪魔との契約だったとしても、俺は後悔することなんてないだろう。
大切な人と生きる、悠久の時を得られるのだから。