勝利の代償
俺と彩葉は、シェムハザから伝えられていた通り、炎上する装甲車の裏側で三人の敵と遭遇した。俺たちは、想定を逸脱した目の前の敵の姿に愕然とし、言葉を失って立ち尽くしてしまった。
彼ら三人の共通点は、俺と同じ属性八柱のはず。それは、目から溢れる光を見ればわかる。しかし、彼らの目から煌々と溢れる青白い光の量に、俺はすぐに違和感を感じた。
属性八柱の器から、天使と同じ量の光が溢れる現象は、シェムハザからルーアッハの聖霊が覚醒した証であると教わっていたから。つまり彼らは、覚醒を遂げたルーアッハの聖霊に体を支配された堕ちた天使たちということになる。
一柱目の堕ちた天使は、俺と彩葉がパッチガーデン会戦で一度接触したことがある、翼を持つドラゴニュートのヴァイマル帝国の女士官だ。キアラやリーゼルさんの話によれば、彼女は、半年以上前に覚醒を遂げていたらしい。
続くもう一柱の堕ちた天使は、ヴァイマル帝国の男性士官だ。彼は、リーゼルさんが迎えに行ったはずの、エーベルヴァイン魔導大尉ことマックスさんだ。鋭く尖った牙と、彩葉と同じ二本の角と黒い鱗のドラゴニュート。リーゼルさんから事前に伝えられていた容姿をしていたため、彼がマックスさんであるとすぐにわかった。
そして、最後の一柱の堕ちた天使。彼女が敵として現れたこと。それが一番の想定外であり、受け入れたくない現実だった。
『ハル! どうしてここにキアラが……?!』
俺の斜め右前方で立ち止まった彩葉が、視線だけを俺に向けて念話を送ってきた。もちろん、俺にわかるはずがない。俺は、彩葉の念話に首を横に振って返答することしかできなかった。
キアラは、ドラムダーグ線の前線で、俺たちと別行動を取り、Ⅲ号戦車に搭乗して五小隊を指揮していたはず。わかっていることは、目の前にいるキアラが、俺たちが知っている真面目で優しく、思いやりがある彼女ではないということ。シェムハザが、敵の姿形に惑わされるなと言っていた理由がよくわかった。
解せないのは、どうして炎天使ラハティの聖霊が覚醒しているのか。
キアラが強力な炎の呪法を使ったからだろうか。或いは、キアラが憎悪や怒りを爆発させる事象が、彼女の身に起きてしまったとか……。
それは、マックスさんだって同じだ。ここに来るまで装甲車に乗って順調に来ていたはずなのに……。
気掛かりなことは、マックスさんと一緒にいたはずのサラさんとリーゼルさんの姿が見えないということ。
彼女たちは、いったいどこへ……。
「チッ……、迫りくる帝国の軍勢どもを、我の炎の波動で蹴散らしたと思っていたのだが……。とんだ邪魔が入ったようだな! 土天使タミエルと風天使アザゼル! 此奴らは、貴様らが従えていた人間の兵隊のような貧弱な相手ではない。どうだ? 我の炎を味わう前に、此奴らをどうにかせぬか? その方が、貴様らにとっても都合がよかろう?」
キアラの体を支配するラハティは、俺たちを見て舌打ちをし、他の二柱の堕ちた天使たちに、停戦と共闘を投げかけた。姿と声のトーンは、キアラのままだけれど、言動や目つきがまるで別人だ。そのラハティの視線は、俺が左手に作り出したままの雷玉をジッと見つめている。そして、酷く焦っているように感じた。
それは、ラハティだけじゃない。タミエルとアザゼルも、俺の左手を見つめて距離を取って身構えている。理由はよくわからないけれど、俺の雷属性の呪法を警戒していることはたしかだ。この雷玉は、本当に威嚇に使えるらしい。
「仕方がないねぇ、ラハティ。あんたが使った炎の呪法のせいで、テルース製の兵器が台無しだ。その上、あたしらの手駒の帝国兵どもが逃げ出しちまっている。ここはひとつ、あんたと手を組むとしようじゃないか。アザゼル、それでいいかい?」
タミエルは、ラハティの提案に応じ、マックスさんに憑依したアザゼルに同意を求めた。タミエルの発言から察するに、ラハティは、俺たちが駆けつけるまでの間、タミエルとアザゼルの二柱の天使たちと対峙していたと思われる。
そして、先ほど俺たちが塹壕の中から見た炎の衝撃波は、どうやらラハティが突撃を敢行するヴァイマル帝国第七軍に対して使用した炎属性の呪法らしい。前線を見ると、タミエルが嘆いた通り、前線側で二輌のⅣ号戦車が炎に包まれ、戦車に続いていた敵の歩兵部隊がドラムダーグ橋を目指して後退していた。
「無論だ、タミエル。ラハティとラミエルの襲撃は、不測の事態ではあるが、こいつらのルーアッハを回収すれば、レンスターを落とさずとも俺たちの目的が達成できる!」
アザゼルは、俺から目を逸らすことなくタミエルに返事をすると、何もないところから、緑色に輝く三メートルほどの長さの光状の槍を出現させた。恐らく、風属性の呪法で作られた槍なのだと思う。この先の未来で彩葉が挑むことになる槍使い。それが風の槍を構えたアザゼルなのだろう。
「キアラ?! 何がどうなっているの?!」
状況を飲み込めていない彩葉が、ラハティに向かって叫んだ。ラハティは、ただ笑っているだけで答えようとしない。
「彩葉、残念だけど、みんなルーアッハの聖霊に支配されちまっている……」
「う、うそ……?!」
俺が簡潔に現状を彩葉に伝えた。けれども、彩葉は、首を横に振って現実を受け止めきれていない様子だ。
「へぇ……。天使さんたちは、俺の雷撃にビビってるらしいな?」
俺は、彩葉が正気を取り戻す時間を稼ぐために、敢えて挑発的な言動で堕ちた天使たちの注意を集めることにした。
「調子に乗るなよ、小僧! 人間の分際で我らを愚弄するとは赦せん!」
俺は、憤慨したラハティに怒鳴られた。キアラらしからぬ荒々しい表情を見ると、キアラを操るラハティに対して怒りが込み上げてくる。
「赦さないだって? 俺も同じことをあんたらに感じているさ。風天使アザゼル、一つだけ答えて欲しい。あなたと一緒に装甲車に同乗していた、サラさんとリーゼルさんはどうした?!」
俺は、ラハティに言葉を返しつつ、アザゼルにサラさんとリーゼルさんの所在について尋ねた。
「フフッ。両者とも、それぞれの聖霊が覚醒する前に片付いたさ。サラは、そこらで気を失って倒れているはずだが、あの火傷ではもう助かるまい。リーゼルは、ラハティの器を庇い、俺の風槍をまともに受けて逝っちまった。こちらとしては、厄介なアグニが覚醒する前に消えてくれて助かっていたところさ。アグニの奴、自らの器の愚直さを呪うしかないな。フハハハッ!」
なんてことだ……。リーゼルさんは……。だから、キアラのルーアッハが覚醒してラハティに……。それに、サラさんまでも……。
シェムハザの奴、これのどこが『最悪ではない未来』だ!
俺の中で、堕ちた天使たちに対して激しい憎悪が湧いて来るのがわかった。いや、こいつらは、天使なんかじゃない。悪魔そのものだ。堕天とはよく言ったものだ。
「よくも、リーゼルさんを!」
彩葉は、憎悪を剥き出しにして、抜刀した状態の竜殺しの聖剣ティルフィングをアザゼルに向けて構えた。
「なんだ、ドラゴニュートのお嬢さん? その剣で、俺の風槍とやり合うつもりか? これは、ごっこ遊びじゃないぞ?」
アザゼルは、腰を落とし、彩葉に正対して身構えた。相手は、ドラゴニュートの体を支配するアヌンナキの聖霊。呪法の他に竜の力も使ってくる可能性がある。正攻法では危険だ。
「私は、多分あなたが思っているほど弱くないよ?」
彩葉は、アザゼルに答えながら、ジワジワと摺り足で風槍を構えたアザゼルに近づいてゆく。
「気をつけな、アザゼル! あたしは、その小娘の戦いっぷりを見たことがある。風変わりな構えだけど、本人が言った通り相当なやり手だよ!」
「ほう……、そいつは、楽しみだ」
彩葉の剣技を知るタミエルから忠告を受けたアザゼルは、彩葉から目を逸らさず、満面の笑みを浮かべた。このままでは、彩葉とアザゼルの戦いが真っ向から始まってしまう。
ドラゴニュートは、普通の人間よりも遥かに身体能力と生命力が高い。俺が懐に所持する拳銃では、致命傷すら与えられないかもしれない。それでも、アザゼルの意識が俺に向けられれば、彩葉がアザゼルの不意を打てる機会が得られるはず。
俺は、コートの裏側のポケットにしまってある拳銃を右手で取り出し、安全装置を解除してアザゼルに向けて構えた。
そして、間髪を容れず、俺は引き金を三度引いた。
パンッ! パンッ! パンッ!
乾いた三発の銃声が辺りに響く。
至近距離からだというのに、俺が撃った銃弾は、全て避けられてしまった。避けられたというよりも、拳銃の銃弾が逸れたと言った方が正しい気がする。アザゼルは、アスリンが使う矢避けの精霊術に似た呪法を使っているのかもしれない。
アザゼルは、俺に向きを変えてニヤリと笑い、蛇のような舌を出して自らの長い牙を舐め始めた。
「驚いたか、小僧? 生憎だが、俺に矢弾は通用せぬ!」
俺を睨むアザゼルは、風槍を左手で持ち、右手を俺に差し向けた。
まずい! 呪法か?!
「ハルッ! 逃げて!」
叫ぶ彩葉の声。
俺の背筋に冷たいものが走った。
くそ……、せめてこの左手の雷玉で相討ちに……。
俺が左手をアザゼルに向け、覚悟を決めたその時、俺の頭の中で声が響き渡った。
(ハロルド、あなたが左手に作り出した雷玉を引き伸ばし、あなたの前で壁を作るよう想像しなさい)
その女性的な声は、彩葉の念話とは違っていた。
こ、こうか……?!
俺は、声が伝えてきた通りに意識を集中させた。すると、左手に作りだした雷の玉は、瞬時に俺の前面で半透明状の盾に形を変えた。
次の瞬間、アザゼルの俺に差し向けた右手から、緑色に輝く半月状の光線が飛んで来た。
しかし、アザゼルが放った呪法の光線は、俺が雷玉を変形させた盾に吸い込まれて消滅した。
「なっ……?!」
アザゼルは、目を見開いて驚き、短い声を上げた。
これに驚いたのは、アザゼルだけではない。俺自身を含め、この場にいる誰もが俺を見つめ、その目を見開いていた。
「驚いたか、天使さんたち! 生憎だけど、俺に呪法は効かないぜ?」
俺は、すぐに雷の盾を雷玉に戻した。そして、アザゼルから目を逸らさずに、先ほどのお返しとばかりに嫌味を込めて言ってやった。もちろん、成り行き任せのハッタリだ。
恐らく、先ほど俺の頭の中に聴こえて来た声の主は、俺の中に眠る雷天使の意思なのだと思う。彩葉が機関銃で撃たれた時は、呪法のイメージが湧いただけだった。それが、今回は声として、はっきりと感じられた。俺の中のラミエルの覚醒も、いよいよ近づいているのかもしれない……。
「おのれ、猪口才なっ!」
アザゼルは、頭に血が上ったのか、彩葉から俺に体の向きを変え、風槍を構えて屈みこんだ。そのまま、俺を目掛けて突進して来るつもりだろうか。しかし、その行為は、徐々にアザゼルに接近していた彩葉に、大きな隙を見せることになった。彩葉が、その好機を見逃すはずない。
全身を黒鋼の鱗で硬化させた彩葉は、もの凄い勢いでアザゼルに詰め寄り、アザゼルの左側面から風槍を持った左手の小手先を狙って斬り込んだ。
ガチン!
重たい金属がぶつかり合う音が響いた。
飛び込んだ彩葉の一撃は、咄嗟に受け身を取った、アザゼルの風槍に受け止められた。彩葉とアザゼルは、そのまま鍔迫り合いのような状態に移行する。
「馬鹿か、アザゼル! その小娘は、手強いと言っただろう!」
「黙れ、タミエル!」
アザゼルは、悔しそうにタミエルの名を叫びながら、鍔迫り合いの状態から、彩葉の聖剣を力尽くに振り払った。そして、よろめく彩葉の足元を目掛けて、アザゼルは風槍の先端を横一文字に薙ぎ払った。
アザゼルの足払いを見切った彩葉は、その場で上方に跳躍してそれをかわす。しかし、今度は、空中に退避した彩葉を目掛けて、地中から鋭い槍状の大きな岩が、勢いよく突き上がってゆく。
これは、タミエルの呪法だ。この土属性の呪法は、パッチガーデン会戦でタミエルが彩葉に一度使ったことがあった。彩葉は、突き上げてきた岩の尖端を右足で蹴り、そのまま後方に一回転しながらアクロバティックに着地した。
彩葉の着地点は、タミエルの呪法で突き出した岩の影響で、ちょうどアザゼルの位置から死角となった場所らしい。アザゼルは、彩葉を見失ったらしく、頻りに周囲を見渡していた。ただ、アザゼルを視認できていない条件は、彩葉も同じはず。
見守ることしかできない俺が、もどかしさに苛立ちを覚える中。彩葉は、槍状の岩の左側面から飛び出して、彩葉を探していたアザゼルに正対した。
「はぁっ!」
彩葉は、気合いを込めて、アザゼルに正面から突っ込んだ。
小手、突き、更にもう一度突きを入れ、最後に面を打ち込む。
しかし、彩葉の素早い連続攻撃は、全てアザゼルの風槍で受け流されてしまう。身体能力が高いのは、ドラゴニュートのアザゼルも同じだ。
そして、アザゼルの反撃が彩葉を襲った。
アザゼルの一撃は、鋭利な槍の尖端で突くのではなく、横殴りの打撃的な攻撃だった。彩葉は、それを聖剣で受け止め、再びアザゼルと鍔迫り合い形になった。しかし、アザゼルは、彩葉の接近する機会を待っていたらしい。
アザゼルは、不敵に笑うと彩葉の聖剣の柄を、思い切り下から蹴り上げた。
彩葉が手にしていたティルフィングは、彼女の手からすり抜けてクルクルと回転しながら宙を舞った。
「彩葉!」
俺は、思わず声を大にして彩葉の名を叫んでいた。
「ガハハッ! 終わりだ、小娘っ!」
アザゼルは、風槍を半回転させ、鋭利な槍の尖端を彩葉に向けて叫んだ。
「あなたのね!」
彩葉は、アザゼルにそう言い返すと、左腰に当てた右手をアザゼルに向けて突き上げた。
「なっ……。ぐはぁ……」
苦闘な叫び声を上げたのは、アザゼルだった。
「ごめんなさい、マックスさん……」
彩葉が突き上げた右手には、彩葉が所持するもう一振りの竜殺しの聖剣、カラドボルグが握られていた。
アザゼルは、喉から激しく血飛沫を上げながら、その場で仰向けに倒れた。
「なんてこった……」
「うあぁぁぁ!」
彩葉を睨むタミエルが、悔しそうに呟いたその時、今度はラハティが叫び声を上げて地面に倒れた。
ラハティが憑依するキアラの右脚の大腿部から、夥しい量の血液が流れ出ていた。アザゼルの矢避けの呪法が切れたことにより、流れ弾でも当たったのだろうか。
「おのれ、人間……ごと……き……」
痛みに苦しむラハティの声は、キアラ自身が苦痛を受けているようにしか聞こえず耳が痛い。やがて、キアラの体に憑依したラハティは、右脚を抑えながら動かなくなった。キアラの胸は、まだ上下に動いている。急げばまだ助かるはず。
俺は、シェムハザが言っていた未来について思い出した。
彩葉が槍使いを倒すと、シェムハザの秘策が功を奏してもう一名を討つと……。
たぶん、キアラは、流れ弾に当たったわけではない。幸村かアスリンが、遠方からキアラが致命傷にならないように加減して狙撃したものだろう。
これまでの流れは、未来を知るシェムハザが俺たちに伝えた通りに進んでいる。そうなると次は、タミエルがここから逃走を図るはず。逃げるタミエルの動きが一瞬止まった時、俺が左手の雷玉を奴に……。
やってやるさ! リーゼルさんとキアラの仇だ!
「あんたたち、よくも二度もあたしを! チクショウ! 次こそは、必ず……」
タミエルは、大声で俺たちに捨て台詞を叫ぶと、その場で大きく跳躍して翼を広げて羽ばたいた。やはり、シェムハザが言った通りだ。有翼のドラゴニュートのタミエルは、勢いよく空へと上昇してゆく。
俺は、左手に作りだした雷玉を両手に持って構え、タミエルを目掛けていつでも放てるように呼吸を整えた。
そして、ついにその時が訪れた。
「ぐあっ!」
地上から三十メートルほどの上空で、タミエルが大きく仰け反り、悲痛な叫び声を上げた。タミエルの翼から血液が噴き上がった。これも、幸村たちの援護射撃だろう。
俺は、迷うことなく雷玉をタミエル目掛けて解き放った。
雷玉は、細長い槍状に形を変え、タミエル目掛けて飛んでゆく。そして、タミエルの背部に命中して、その体を貫いた。
タミエルは、言葉もなくそのまま地面に落下し、その体から光の粒子を発し始めた。彩葉が討ったマックスさんの体も、タミエルと同様に光の粒子を発していた。これは、ドラゴニュートを含めた竜族の死を意味している。
「ハル! キアラを助けなくちゃ!」
「あぁ! 急いでアナーヒターに診せれば、きっと……」
「うん!」
彩葉は、先ほど地面に置いたショルダーバッグから、止血帯を取り出し、早足で失神したキアラの元へ向かった。
何とか堕ちた天使たちを一掃した俺たち。
けれども、俺たちは、この勝利を素直に喜べなかった。勝利の代償が、あまりに多過ぎたから。
この結果を承知の上で、何も知らせないまま、俺たちに指示を出し続けた天使シェムハザに対し、やり場のない怒りと、どうしようもない虚無感がやって来る。
そして、それと同時に途方もない不安が俺を襲ってくる。
大切な仲間すら救えない俺が、迫る厄災から世界を救えるのだろうか、と……。