閑話ー12ー剣士行動
武士は、朝が来るたびに死を覚悟するものだ。朝の静寂のひとときに、自分が雷に打たれ、火にあぶられ、刀や槍で切り裂かれる様を想像する。玄関の一歩外が死界という意識を忘れずにいられるかどうか。これは単なる例え話ではなく、運命に対して準備をする武士の方法だ。
山本常朝
例えば夢に向かって頑張る少年が居たとする。世間は彼を応援し、称賛し、より一層の成果を期待するだろう。
事実としてその少年は優秀であった。戦乱の時代にあってなお、悠然とした生活が送れるほどに。
剣を振り、眠り、剣を振って、眠る。常に剣と共に過ごし、常に戦場を意識する。
天才と呼ばれた少年は順調に育っていき、年が10を数える頃には戦場で人を斬っていた。
幾人もの騎士、幾人もの英傑を切り伏せ、彼の名前はやがて世界に轟いていく。
同時期。
魔人族と魔物が結託した事によって追い込まれていた人族。そこに新たな『神子』が現れ、形勢は逆転してゆく。魔王国も、手段を選んでいられなかった。
わずか半世紀前に起きた第三次人魔大戦。彼らが戦争を望む限り、その傷跡が癒えることは無い。
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{大丈夫か?}
「問題ない。」
{手が震えているのに?}
「武者震いだ。」
それきり会話は続かない。
そもそもからして奇妙な関係だ。50年も連れ添っていながら互いの好きなものすら知らない。
「……お前も何か好きなものはあるのか?」
{何の話だ?}
「何でもない。」
仲間が出来るまではこんな調子だったなと思い出す。
あの頃は独りだった。誰の称賛も甘言も信じることなど到底できず、一振りの剣に命を預けていた。
それに比べると今は随分と甘くなった。最近加わった少年にはどこか似たようなものを感じたからだろうか。彼も生き延びることが出来ればいいが。
「ネルネ、本当にここに『紋章の夜』は現れるのか?」
隣の戦友に話しかける。
すでに日は昇っているはずだ。それがなぜ『夜』は明けないのか。兵士の間にも不安が広まり始めている。
「流石にそこが外れるとは思いたくないが、既に予測は外れているわけだからな。正直に言って、今は自信が無い。」
「……そうか。」
「すまない。」
兜から見える景色は酷く明るい。だがこれが無くてはろくに戦う事すらできないのが現状だ。この世界において白髪は、それだけで恐怖と迫害の対象となりうる。
仲間の話によれば公国に属しているという同族は、随分と忌み嫌われていたらしい。如何に実績を積み上げてきたといえども、自分もこの秘密がばれれば日の目を浴びることは出来ないだろう。
だから、話している間にも気を緩めることなど出来はしない。
裏切り者というのは非常に辛いものだ。真の意味での味方が極端に少ないのだから。
だからこの剣に頼って生きてきたのだろう。
そしてこの生活も終わりが近い。この一戦を乗り越えれば、もう一息だ。
乗り越えるために感覚を済ます。そこで空気の変化を感じた。些細な変化だ。だが、それはこれから起こることの前触れとして十分にすぎる。
{来たぞ}
相棒からの警告に、構えることで応じる。
「総員、構え!」
指揮官もまた変化を感じたのか、外壁の上から一斉に放たれる矢。魔法部隊も時間差で攻撃を行う。
効果が出ているようには見えないが、初陣ながらも必死に戦ってくれている。だが、必死というだけで勝てるとは限らない。
{衝撃が来るぞ。構えておけ。}
相棒の忠告に従って重心を落とす。
その直後にしっかりと閉じられている門が揺れた。二度、三度と揺れる門は次第に歪んでいき、軋む音が大きくなってくる。
十五度目の衝撃で、門はとうとう吹き飛んだ。
門の破片は黒い「何か」に覆われ、一秒と経たずに掻き消える。
代わりに現れたのは魔人の軍勢だ。
先頭にいるのは一人の騎士。獅子を模した兜の内側から響く声でその男は名乗りを上げた。
「我が名は『掃討の激嵐』アシャード・メイン・ブランド!雑魚どもよ、命惜しくば去るが良い!栄誉ある死を望む者のみ、この俺と刃を交える権利をやろう!」
背負っていた二振りの剣を振り払い、騎乗している馬の腹を蹴って突撃してくる。
彼の着ている鎧の前の持ち主を知っている。彼の持っている剣の前の持ち主を知っている。そのどちらも一級品だ。間違いなく彼は強いのだろう。それも魔人族でも指折りの猛者に違いない。
それにしても『紋章の眼』『紋章の焔』が前線に居ないのは引っかかる。まさか、別の門に配属されているのか。
ならば一層、こんなところで負けるわけにはいかない。
{気を抜くなよ。若くとも烙印の主家の一員だ。}
「そうだな、行くぞ。」
自分を鼓舞するため、相棒を目覚めさせるために呟く。
「ネルネ、あの男は任せてくれ。」
「了解した。」
相手の武器は二振りの長剣。こちらは一振りの大剣。
一人抜きんでて進んでくる男がついに自分と接敵する。
一太刀、上段から構えた大剣を振り下ろす。それに対し相手の選択した行動は防御ではなく受け流し。地面を切り伏せた大剣を振り上げることで二撃目を繰り出す。
だが、既に斬撃の危険性を理解したのだろう。剣で刃を止めるのではなく、首を狙うように薙いできた。
騎兵の繰り出す高さからの攻撃は、その全てが凄まじい速度で、狙いは極めて正確だ。
よって、攻撃を防御に組み替える。切り上げるはずだった大剣の腹を相手に向けた。
一振りの大剣で二振りの攻撃を受け止める。その衝撃は凄まじく、1m程後退する。
攻撃を耐えられたのを見て初めて、男がくつくつと笑い声を漏らした。
「ふふふ、はーはっは!素晴らしい!そうでなくてはなぁ!そうか、その鎧、その剣の腕、お前が『黒』か!」
「だったら、どうする?」
「決まっているだろう。――――その首、貰うッ!」
なるほど、そういうことかと敵の興奮に納得する。
この男の無表情は生来の物ではなく、単なる退屈だったのだ。自身と張り合う者のいない退屈。その気持ちを推し量ることは出来ない。
だから、敵として、同じ兵として討つ事が唯一の返答だろう。
敵の攻撃を捌きながら突破口を探る。
交互に左右の剣を打ち出す攻撃、同時に斬りつける攻撃、どちらかの剣を連続で用いる攻撃。そしてそのパターンを崩してくる格闘的な技と、その合間に入れてくる体勢の変化。
騎乗していながらよくもこんな細やかな動きが出来るものだ。人馬一体とはまさにこのこと。
ならば、加減はもういいだろう。
足を少しばかり移動させる。重心が変わり、刻むことのできる剣の軌道もまた変わる。
防御から一転、攻撃の一手を振った。
馬ごと叩き切る唐竹割。防御不能な一撃であるとどうやって判断したのか、即座に馬を見捨てて空へ逃げた。馬を両断し、地面を刻んだ一撃は、周りの雑兵を退けはしても、この男と相対するにはまるで足りなかった。
ならば更に一歩踏み込むだけだ。
再び剣を振り上げて一歩進む。回避のしようがない間合いから、回避させない速度で振り下ろす。
恐らくは敵の武器を掬い取ろうとしたのだろう。双剣を交差させることによる防御。しかし彼の出したその回答は間違いだった。
互いの剣が触れ合う。これが通常の闘いであれば、そこで鍔迫り合いとなったのだろう。
だが、彼が相手取ったのは異能力者の類であった。そこに正常な闘いは生じない。すぐに彼自身ミスに気付いたようだが、もう遅い。
彼の防御は何の意味もなく破られ、剣ごと真正面から両断した。
烙印の主家。魔王家にも匹敵する権力を持つ彼らは、一人一人が特注の魔装を装備している。だが、今斬った彼の鎧は、五十年前に死した男の持ち物であったはずだ。
恐らく、彼はあの男の息子であったのだろう。彼なりに尊敬していたのだろう。
しかしその関係性ごと、この手で断ち切った。
一瞬だけ、彼へ黙祷を捧げるため目を瞑る。
その一瞬の間に、戦場の空気が変わった。
将軍クラスの死による混乱かと思いきや、どうも敵の方が喜んでいるようでもある。
{気をつけろ。今度は『紋章』が来た。}
門から何者かが歩いてくる。足音からして重戦士の類ではない。この悠然とした足取りは今も昔も変わらない。
そうだ、次の相手とは面識がある。
「『返り血の黒騎士』よ!まずは貴様の健闘を称えよう。素晴らしい決闘であった。どうだ、今度は儂と一戦交えてはくれんか?無論、我が部下には手出しさせん。貴様が勝てば此度の戦、即座に撤退することを約束しよう。」
「……俺が負けたときはどうなる?」
「そのときは優秀な傭兵が一人戦場で死ぬのみだ。そう悪くない話だと思うが、どうかな?」
気づけば戦場の誰もが武器を下ろしていた。
静かになった戦場で、魔人の軍を割ってその怪物は向かってくる。
「勝利条件はどちらかの降参。これ以外は認めない。それでも構わないのであれば乗ろう。」
白髪、赤眼。
老いを感じさせないその体は、千年の時を経て今もここに生きている。
少年のようなあどけない表情と、母国に絶対の忠義を捧げる狂気じみた信念。動きやすいように幾たびかの改良が施された法衣を身に纏って、腰に佩いた長剣に手を掛ける姿勢は、いつまで経っても変わらない。
「変わったな。貴様が子供だった頃とは大違いだ。ミリタロード……今は何と名乗っているのだったかな。」
「好きに呼べ。だが慣れ親しむつもりはない。」
痛いところを突かれそうになった。
ここまで、いくつもの凶悪な魔物を殺し、人を助け、人類を救ってきた。だからと言って、ここでその秘密が出されてしまえば、その功績は全て打ち消される。
「その剣の使い心地はどうだ?さっきの闘いを見ていた限り、使いこなしている様子だが……。」
「もういいだろう。始めよう。」
「そうだな。その通りだ。これは始まりに過ぎない。我々の歴史を変える、大いなる第一歩……にも満ちていないが。今から、始まるんだ。
あぁ、いつでもかかってきなさい。」
その言葉を聞くと同時に真正面から斬りかかる。
防御は不能。如何な盾、それこそ不壊や不貫の付加を以てしても防がせはしない。
だからとて、諦めはおかしい。
回避等々対処は出来る。だから、指一本動かさない、というのはおかしい。
その異質ごと断ち切るように、剣を振る。右上段から振り下ろす大剣は、敵の体を袈裟懸けに両断するように。
当たれば必殺。何人にも防げぬその剣を、一切の容赦なく振るった。
振るった。それは確かだ。
「――――おお、怖い怖い。お前さん、儂には降参させる暇すら与えないのか。」
しかしそんな攻撃も、当たらなければ意味がない。
柄に添えられた黒い何かは、『闇魔法』に似ていながら全くもって別のものだ。
「随分と、小汚い手を使うようになったのだな。」
「知らなかったのか?元からだ。ほら、構えてみろ。」
『夜』の周囲にだけ夜が広がる。
そこから伸びてきたのは幾十本もの魔剣。木の枝のように広がったそれらが一斉に襲い掛かる。
「おさらいだ。儂の『夜』は一体何が出来るのでしょう、か。
正解は何でも。古きより人間は、闇夜を恐れて生きてきた。なぜ? それは未知ゆえだ。全ての恐怖の根源は未知。そして儂は、恐怖そのものだ。」
この大剣で、無数の攻撃を防ぐことが出来るはずもない。
滝のように襲い掛かってくる斬撃を防ぎきれずにその身にも受ける。黒鉄の魔鎧は貫かれ、衝撃のあまり吹き飛ばされる。
「どうした?前の剣技の冴えはどこへいった?」
「な……めるなぁ!」
剣を横にぶんと振り回す。
この剣の危険性は敵も十分承知しているだろう。魔剣を惜しく感じたか、剣は引き下げられて視界が開く。
開けた視界から飛び込んできたのは剣を構えた紋章の始祖。その剣を私の右肩へと突き刺し、地面に縫い留めるようにして動きが止められる。
「舐めてなんかいないさ。勝つためなら何だってする。そして、今回は儂の勝ちだ。絶対にね。」
「お前らの目的は何だ?なぜこうも執拗に俺の事を狙う?」
{落ち着け。興奮しすぎだ。}
興奮なんてしていない。冷静さを欠いてなどいない。これは想定の範囲内だ。
「自覚はあるだろ?自分の行動を胸に手を当てて考えてみてはどうだ?
その紋章、どうやって手に入れたか、その口で言ってみてはどうだ!」
ああそうだろうとも。彼らにとってこれは復讐だ。私にとってこれは報いなのだ。
これは当然の結末だ。何せ私は――――。
「貴様のせいで何人が死んだと思っている? お前の反逆さえなければ、あの戦争で負けることもなかった!」
そこで彼は私の兜に手を伸ばし、無理やり外して投げ捨てる。
白くなった髪と、赤眼。そして額に浮かぶ烙印。黒鉄の魔鎧と、意志持つ魔剣。
「言ってみろ、ミリタロード……ブランドー!
お前は――――」
パン、と音が鳴らされて『紋章の夜』の言葉が途切れる。
「やめてよじいちゃん。お遊びはそこでお終いにしてよ。もう時間だよ。」
両手を合わせた状態で現れたのは紋章を持った少年。
見たことのない顔。突如現れた現実。
詳細不明の四人目。本当に転移系の能力だったのか。
「ってか、あんたが『黒』?髪まで白くなってるんだ。他人の紋章ってどんな使い心地なの?よく使いこなせるね。」
「『紋章の扉』よ。無駄口を叩いていないで早く運べ。もう私の負けで構わない。
総員、聞いたか? 儂の負けだ!信号弾を上げろ、全軍撤退だ!」
「待て!お前の目的は……何だ?」
『紋章の扉』と呼ばれた少年に肩を置いた『紋章の夜』は、こちらを向いて言い放つ。
「いつだって、儂の目的は変わらないさ。
同胞の幸福、それだけさ。……そうだ。ついでに教えてやろうか。急いでイドに戻れ。お前を殺すために『紋章の拳』がいるぞ。」
敵兵の顔に困惑は無い。最初から、これは作戦に組み込まれていたのだ。
完全に敗北した。戦闘としても、作戦としても、この戦いはこちらの完敗だ。
「それではさようならだ。もう二度と会わないだろう。仲間への説明、しっかりとしろよ。」
陽炎のように姿の消えた二人の魔人。
ハロルドでの戦いは、そこで幕を下ろした。
スランプと書いて貯蓄が尽きたと呼びます。
8月入るまでにこの章終わらせたい。そんなこと言うと出来なくなるんですけどね。




