第三十五話 言い知れぬ不安
行きと同じように、紅栗先輩の門の力で学校へと戻った俺たち。
行きと違うのは、今回は魔力感知の必要がない為、残念ながらと言うべきか、先輩に密着する必要がなく、その分、早く到着した。……というか、2分歩いただけで着いたので、行きに掛かった時間は何だったのかと呆気に取られたぐらいだ。
ちなみにグラヴェルの遺体をそのままにしておくと、警察が動いて面倒になりかねないとのこと。そこでなんと紅栗先輩は、自分の能力で開いた門の中に放り込んだのだ。
異次元の中に入れてしまえば、確かに誰かに発見されることもないだろう。
元々グラヴェルが森の中に潜んだのは、自身の能力と相性が良いこともあるが、人の目を避けたかったことも理由として大いにあるはず。マジョカルの戦いとはそういうものなのだ。
人目の付かない場所で消息不明となったとなれば、これはもう完全犯罪の完成である。
その手慣れた様子から今回が初めてじゃないのでは?と疑念の視線を送ったところ、それに気付いた先輩が――
「何か? 言葉にしたら怖いですわよ?」
眉間に皺を寄せて言う先輩に俺は苦笑して、それ以上言うのを諦めた。
今、俺たちは昼休憩も終わりが近付き、人が疎らとなった運動場にいる。
門から出た先が運動場だったという訳ではない。
一般の生徒からすれば、不可思議な力である先輩の能力を見れば騒ぎになるに決まってる。それを避けるために、人気のない校舎裏を選んだ。
さすがにもう、逢花はその場にはいないみたいだ。
ダメ元で【魔力感知】を試みる――が、やはり逢花と水葉の霊力を感じ取ることは出来なかった。
この結果を何故に予測出来たかというと、初めて俺がこの島に着た時に既に試したことがあるからである。
二人とも力を発揮する時に霊力及び仙力を使うので、普段からは微量にしか感じ取ることは出来ない。
魔力感知でも大きな霊力を知り得ることは出来るのだが、その力が小さいとなると【魔力感知】では困難なのだ。無論、術者の能力次第ではあるが、こういう場合は【霊力感知】を使うべきである。
そこまで分かっていながら俺が霊力感知を使わないのは、単純に『使えない』ため――
魔女の力の源は『魔力』なので、魔女討伐組織であるマジョカルが訓練生にまず教えるのは例外なく【魔力感知】なのだ。逢花や水葉のように魔力以外を力の発生源に行使している者もいるが、そういった者たちは、魔力を使う者ほど多くない。マジョカルが討伐対象に定めたのは、実は割りかし最近のことであり、訓練カリキュラムでも軽視される傾向にあった。
よって、俺は霊力感知を使えない。
俺がよっぽど難しそうな顔をしていたのか、それとも俺の【魔力感知】をたった2メートルの効果範囲しかない先輩の魔力感知が捉えたのか、紅栗先輩が俺の求める答えに辿り着いたらしく、俺に助け船を出してくれる。
「音羽さんのところに行っているのかもしれませんわね。おそらく、まだ保健室で休んでいるは……」
居てもたっても居られず、俺は先輩の言葉を最後まで聞くことなく走り出した……が、すぐに大事なことを思い出し、足を止めることなく後ろにいる先輩に声を掛ける。
「サンキュ! 先輩! この礼はいつか必ず精神的に返すよ!!」
聞こえたわけではなかったが、先輩からクスっと笑いが漏れた気がした。
手を振って、遠ざかる俺を見送ってくれる。
玄関とは違う、グラウンドから一番近い扉を開け、本校舎にダッシュで入り込む。
気持ち的には瞬発力を強化できる【閃瞬】で一気に駆けたいところだが、廊下には他の生徒もいるので、騒ぎになるのは勘弁したい。そもそも、それが可能ならさっき紅栗先輩に送ってもらった時に校舎裏で門から出る必要もない。それこそ直接、保健室まで先輩に運んでもらえば早かったのだ。
能力を使っていなくても、全速力で廊下を走る俺を怪訝そうにすれ違う生徒たちが振り向く。その中にはクラスメイトの男もいたが、これならば後で何故そんなに急いでたのか聞かれても、なんとでも言い訳はできる。俺は構わず速度を緩めることなく駆けた。
目的の保健室に到着した俺は、間髪入れずに勢い良く戸を開けた。
白を基調とした、ごくごく、よくあるイメージ通りの保健室の中。特に広いわけでもない。教室の3分の2ほどの広さだろうか。一目見て保健の先生がいないことがわかった。
だが無人という訳ではないよう。
天井にある二本の蛍光灯が点いたまま。部屋の左側の白いカーテンで塞がっている奥から人の気配を感じる。
先輩の話では水葉をここに運んでくれたとのことで、大した怪我はないと言っていたが、今更ながら言いようのない不安な気持ちが俺を襲った。
レンに襲われて、水葉の身に本当に何もなかったのか?
先輩の言葉を信じてなかった訳ではなかったが、一度湧き出た不安を拭い去る方法を今の俺は一つしか持ち合わせていない。
――この目で直に確認することだ。
ゆっくりと真っ白なカーテンの方へ向かう。白い布を片手で軽く払い除け、中を覗き込んだ。
「……ナギトさん…………」
俺の視線に真っ先に入ってきたのは、パイプ椅子に腰掛けたまま、誰が来たのかとこちらを伺う逢花だった。そして次に目に見えたのは、逢花に付き添われる形で、ベッドの上で首の下まで布団を被り、静かに眠る水葉であった。
「逢花……水葉の具合はどう?」
水葉を起こさないように、努めて静かな声で俺は尋ねた。それを習ってか、逢花も小声で返してくれる。
「ところどころ擦り傷はありますが、もう手当ても済んでますし、どれも大したものではありません。今は疲れて眠っているだけなので、時期に目を覚ますでしょう」
いつもなら、誰かと話す時は人の目を見て話す逢花が、らしくもなく、目を細めて視線を俺から遠ざけた。どこか寂しげ印象をその姿から受ける。
「そういえば、俺……女の子の寝顔って初めて見るかも」
「水葉ちゃんに聞かれたら怒られますよ?」
今度は俺を見ながら笑って話してくれた。
けれど、やっぱり、その笑顔もどこかぎこちなさが残る。
水葉がこういうことになって、気が気でないのかもしれない……そう思いつつも、理由がある訳でもないのに、俺は他に何か理由があるような気がした。それが何なのかはわからないが、無理に聞く必要もない。もし逢花が話したくなったら、その時はちゃんと聞いてあげれば良いと思う。
「こんな幸せそうな寝顔する子が『ああ』も怒りだすなんてなぁ……」
今、俺が思い浮かべている『ああ』もというのが、いつ頃のことを指しているのか、おそらく逢花にはわかるまい。なにせ自慢じゃないが、日常茶飯事なぐらいに俺は毎日、水葉の機嫌を損ねている。
もちろん、怒らそうとして怒らしているわけではないし、何で怒っているのか未だにわからないものだって幾つかある。そういった俺の気付けていない理由の答えを、逢花なら知っているんじゃないかと、他力本願ではあるが期待し聞いてみたくなった。
「今、何を思った?」
本当は「どれを思い出した?」というべきだったが、敢えてそう尋ねてみる。
本当のことを言って良いのか、逢花が考える素振りを見せたのも束の間、すぐに思い当たるものがあったらしい。何故か、その頬がみるみる朱に染まって――
「え……と……水葉ちゃんの胸……あ! いえ! お尻を…………やっぱり言えません!!」
「なんだ、その続きが気になる二つのフレーズは!? これじゃ、まるで俺がえっちなことを言わせるために聞いたみたいじゃないか! 変態か、俺は!?」
途中ごにょごにょして聞き取りづらかったが、間違いなく逢花の顔の紅潮を深める原因となった二つの単語は、逢花だけじゃなく俺の首まで締めることになってしまった。
「ふふ」
青みがかった銀髪の少女は、余程俺の慌てる姿が可笑しかったのか、堪えられずに笑いを吹き出した。
そうだ……彼女はこれで良い――
やり方は不本意だったが、まだ本調子の、いつもの澄んだ笑顔とは言い難いが、それでも彼女には笑っていて欲しいと心から思う。
「人の頭の上でいつまでイチャイチャしてるのよ?」
不意に聞こえてきた、覚えのある女の子の声に、目線をベッドに寝ているはずの少女に移すと――
いつから目を覚ましていたのか、ジト目で俺たちを交互に見る水葉の視線と俺の視線が重なり合った。
逢花ほどではないけど、こちらも頬が赤い気がする。敢えてそれには踏み入れない方が良いと俺の第六感が告げているので、俺は自分の直感を信じることにした。
「水葉、具合はどうだ?」
自分の額を左手で押さえながら、水葉が上半身をベッドから起こす。その背中に手を回し逢花が支える。
「ん~……ちょっと気怠いけど……もう、大丈夫よ。逢花、看ていてくれて、ありがと」
「俺には?」
「……えっち」
「……聞いてたわけね」
さっきまでの逢花と同じように頬を赤く染めているが、視線に込められた気持ちは違うっぽい。今まで俺にされたこと(不可抗力だが)を思い出したのか、恨めかしく俺を見ている。
「人の頭の上でそれだけ騒がしくされたら、誰だって起きるわよ」
「減らず口が言えるようなら、もう大丈夫そうだな」
「おかげさまでね。……ところで、いつまでもここにいて二人とも良いの? 私のことは紅栗先輩が先生に伝えてくれていると思うから平気だけど、昼休憩とっくに過ぎてるわよ」
慌てて壁に掛けられている時計を見ると1時11分……とっくに休憩時間は過ぎていた。今から、どう足掻いても遅刻である。なのに、慌てた様子を微塵も見せない逢花。どうやら、逢花はもう少し水葉に付いているらしい。今日は五時限目までなので、今、行われている授業で終わりだ。残り一時間も切っているし、残るのも良いと思う。
「先生には逢花も保健室にいること、俺から伝えておくよ。帰りのホームルーム終わったら、二人の荷物持って来るから、ここで待っててくれ」
普段の俺なら、例え二人が相手でも一緒に帰ろうなどと恥ずかしくて言えなかったが、今回は自然と言葉が出た。怪我をした水葉よりも、どこか寂しげな表情を見せる逢花の方が、よっぽど重症のように思え、そのことを認識すると俺の胸を強く締め付けた。目を離すとどこかに消えてしまいそうな……そんな儚さを感じる。
――なぜだろう?
俺はこの時、逢花のことが気になって仕方がなかった。
二人から了承を得た俺は立ち上がった。心中穏やかではなかったが、悟られないように努めて平静を装いつつも、静かに保健室を後にした。




