第三十二話 伝説剣(レジェンダリー・ソード)コレクター
猫背の男の背中越しから俺は、再度拳から光を照らす。光は容易にグラヴェルの足下のみならず、周囲にまで影を飲み込み広がった。
これで奴の能力を封じることが出来たはず。
……にも関わらず、俺には一抹の不安があった。
自分でも見事なまでにハマったと思う。完封と言っても良い。なのに、このまま終わる気が何故かしないのだ。
簡単に行き過ぎたから不安になったのではない。
何かを見落としている……そんな感じだろうか。
だからと言って、この好機を逃すなんてありえない。
目の前の怒りで戦慄く背中を注意深く警戒しながら、俺は自分の優位性を主張するために言葉を掛けることにした。
「こっちの質問に幾つか答えてくれたら悪いようにはしない」
「しぃ~つもん、だとぉぉぉっっ!?」
「ああ、そうだ。なぜ、おまえたち執行部は学校まで来て、俺じゃなく音羽水葉を狙った!? 昨日の女副団長の指示か!?」
背中越しなので相手の顔は見えないが、口調や声の感じからして、グラヴェルの怒りは収まるどころか、増々頭に血が昇っているようだ。それでも、絶対的に不利なこの状況で暴れるような愚かな真似はしないようで、こちらの言葉に耳を貸すだけの理性はありがたいことにあるらしい。
「……あの小娘に執着していたのはレン・オルティブの方だ。私らにとっては、もっと大事なことがあったのでね」
「レンがこの島にいたのか!?」
一ヶ月前に俺たちとの戦いに敗れて消息を絶っていたレン。雅の話ではマジョカルでも行方を掴みきれていなかったのに、まさか、執行部と共に行動していたとは……
水葉の無事を確認したと言っていた紅栗先輩の方に顔を向ける。
相変わらずの鋭さを発揮した先輩が、俺の知りたいことを察知してくれたようだ。無言で顔を頷いて見せた。どうやらレンのことは本当のことらしい。
「お前たちにとって大事なことって何だ? マジョカルを抜けた俺への粛清で来たんじゃなかったのか!?」
「……エイル様たち執行部はそうだったが、お前のようなガキに振り回されるなど、私は御免ですねぇ……レンがお気に入りのあの小娘の相手なら喜んで楽しませてもらいますが。ヒヒヒ」
この下品な男は執行部とは別行動で、何か目的を持って動いているということか……それも、俺と水葉は目的には関係ないみたいだ……いや、逢花はどうなんだ?
「……狙いは逢花か?」
「…………」
恐る恐る俺の口から出た少女の名前を、後ろから聞いていた中年男の背中の震えが、さっきまでのとはまったく別のものへと変化したのが俺にはわかった。
さっきまでのは抑えるのを必死に堪えた、怒りからきていた震え……しかし、今、グラヴェルが肩を震わせているのは、同じ抑えるでも愉悦から笑い声が漏れたもの……それがわかった途端、俺の頭の中で火花が弾けた気がした。
「逢花に何をする気だっっ!!?」
つい、声を荒げてしまう……顔が見えなくて良かったと思う。もし、グラヴェルの愉悦に醜く歪んだ顔を見てしまっていたら、きっと俺はこいつを……
「逢花さんを狙うのは、おそらく数多の魔剣を所有するからでしょう」
笑うだけで何も答えないグラヴェルの代わりに、ずっと成り行きを見守るだけだった紅栗先輩が口を開いた。
「……どういうことです? 先輩……」
「……今まで瑞原さんは、逢花さんの魔剣……もしくは神剣を何本ほど見たことがあります?」
逢花がどこからともなく喚び出す魔剣……俺が一番目にしたことがあるのは、逢花の手を離れて自由に飛び回る魔剣【操技絶剣】……分裂し、その数を幾らでも増やしていく宝剣【二竜剣】……水葉から聞いただけで、俺は見ていないが、昨夜の戦いで逢花が副団長相手に喚び出したという魔剣【呪刻魔光剣】……そして最後に、俺の光剣【閃劫命刻】のモデルとなったと言ってもいい、名も無き肉体と心を癒やす神器級の神剣……
「四本……かな」
「そうですか……。普通であれば、四本も所有しているだけでも凄いことなのですが……逢花さんにとってはそうではありません」
俺は冗談めかして、それなら十本ぐらいかと紅栗先輩に尋ねた。
「……これは噂でしかありませんが……彼女が契約した魔剣、神剣の類は777本あると言われています」
これには大いに驚いた。
桁が一つ飛び越えてるじゃないか!
「そんなことがありえるんですか?」
「わかりません……。実際に彼女が777もの剣を持っているのかどうかは本人以外は誰にも……ですが、噂を信じた者が魔剣、神剣欲しさに彼女を狙うというのは、これまで何度もあったようです」
魔剣や神剣、宝具などといった類は一つ持つだけでも、持ち主に多くの魔力を要求すると言われている。逢花の場合は魔力ではなく、霊力であるのだが、鍛え抜かれた戦士でも普通はそれらの剣を持てるのは一つないし二つ程度が限界だという。
もし、剣を持つに相応しくない力しか持たない者が手にすれば、魔力を吸われ枯渇するし、そうなれば命すら枯れてしまう。
逢花の疑いようのない実力は認めるが、777もの剣を持つというのはあまりにも現実離れしていて、とてもじゃないが俺は信じられなかった。
それが本当なら、とんでもない霊力要領だし、それこそ人の限界を超えている……と思ったが、先輩は知らないだろうが、逢花は仙女だったことを俺は思い出した。
……それでも、やはり777もの魔剣、神剣を所有するのは異常なことに変わりないと思う。
「逢花さんの魔女名は『剣撃』……知る人に剣撃の巫女と恐れられた、剣を扱わせれば右に出る者はいないと言われています」
マジョカルで新人だった俺ですら『剣撃』の噂を聞いたことがある。マジョカル内では本当に実在してるかどうかも怪しかった伝説級の魔女……それが逢花だ。
「ヒヒヒ……グヒ……あれほどの魔女がいつまでも、お前たちと一緒にいられると本気で思っているのですか?」
「…………」
――いつまでも一緒にいられるのか?
今まで、考えたことがない訳ではなかった。
いや、考えないようにしていた。
あれほどの実力者である逢花は、おそらく魔女ランクSをも超えるSSランク相当の力があるかもしれないと俺は踏んでいる。
それほど強大な力を持つ者を、人格が例え善であったとしても、マジョカルが野放しにするとは思えない。討伐するなり、管理しようとするに違いない。
一箇所に留まれば、今回のように逢花が狙われるのは想像に難くなかった。
そうなれば、戦うことを好まない逢花の性格上、水葉や珠々香を巻き込みたくないと思うかもしれない。その中に俺も含まれていたら嬉しいけど、やっぱりそうなることの方がずっと辛い。いつまでもそんな日が来ないことを俺は願っていた。
けれど、幸せな日々に終わりを告げるかのように、グラヴェルの言葉は俺の胸の奥を突き刺した。脳天を激しく震わされたような衝撃を受けてしまう。
グラヴェルの一言は、俺自身が最も恐れ、危惧していたことだった。
「瑞原君!!」
名前を呼ばれて、俺は自分の失敗を瞬時に悟る羽目となった。
俺の意識が自分から逸れたことに気付いたグラヴェルが、弱々しくも光の中に存在する影を、光の外側へと向かって四方八方に伸ばしていたのだ。
「相手の息の根を止める前から、注意を他に逸らすとは間抜けですねぇっ!!」
木々の下に連なった影と繋がったグラヴェルの影が、領域を広げようと、今度は俺が作っている光を飲み込み始めた。
「私がただ隠れやすいという理由だけで、林の中に潜んでいたとでも思っていたのですか!? 林があれば、それだけ影が出来る! 林が大きければ大きいほどです! 私の力を最大限に発揮出来ますよ!!」
こいつはちょっとマズったかもしれない。
今までは平面に広がるだけだった影が、グラヴェルを中心に立体に膨れ上がる。
みるみるうちに、周囲から影がグラヴェルの身を纏うように集まると、木々を薙ぎ倒しながら、やがてそれは巨大な人型を模した全長12メートルもあるかという化け物と成した。
「ここからはわたくしも参加しましょう」
いつの間にそうしたのか、紅栗先輩が俺のすぐ側までやって来ていた。
ありがたい申し出だが、男が一度言ったことを簡単に引っ込めたものかと思案する以前に、この巨大な化け物相手に殴られれば先輩の身の方が危ない。
もし、あの丸太のような太い腕で殴られようものなら、先輩の細い身体ではひとたまりもないだろう。もちろん、俺もだが……
圧倒的な大きさで俺たちを見下ろす影の巨人。
今ではグラヴェルの姿は完全に影に埋もれていて、その姿を見ることは出来ないでいた。
ふと、俺たちに近付いてくる気配を感じる。
俺はついさっき目を逸らして、こういう事態を招いたというのに、懲りずに無意識にそちらを振り向いてしまった。
新たな登場人物の姿に俺は目を丸くして驚いた。
「紅栗瀬里菜、それには及びません」
俺たちの前に姿を現したのは、白銀の半胸板鎧に身を包み、臨戦態勢を整えたエイルフィール・エル・ヴェルナーゼだった。