第二十八話 魔女と生徒会長
「この子の中で聞いてたわよ。それがあなたの、空間と空間を繋ぎ、離れた場所への移動を可能に出来る力――『門』なのね。空間を操る力って、本当は魔女でもかなり難しいはずなんだけど……その年齢で大したものだわ」
素直に感嘆の言葉を述べるイスカ。
ただし、目的不明の来訪者に対し警戒を怠ることはしない。
魔女の心情を察してか、紅栗は敵意が自分にないことを知ってもらおうと、なるべく笑顔を絶やさぬよう言葉を紡ぐ。
「あなたほどではありませんわ。わたくしのは道具を使ったものに過ぎませんし、わたくしだけの力では残念ながらありませんので。その点、あなたのさっきまでの異界化は、あなたの魔力あってのもの……素晴らしい力ですわ」
「あら、随分と持ち上げてくれるわね? ……でも、悪い気はしないわ。……あなたがそこで仲良く植物の仲間入りしてる男と関係がなければだけどね?」
殺気で魔女の瞳が揺らめく。
一触即発の緊張した空気が、二人の間に流れる。
それゆえ、紅栗は次の自分の言葉を、本来なら慎重に選ばなくてはならないのだが……
「私の所属している集合企業組織……ギフトとマジョカルはただのビジネスパートナーですわ。それ以上でも、それ以下でもなく。……マジョカルに武器を提供しているのは事実ですの」
「…………つまり、マジョカルに味方していると思って良いのよね?」
イスカの目つきが鋭さを増す。
にも関わらず、紅栗は涼しい顔でまるで動じた様子も見せない。
幼い頃から多種多様の才能を発揮してきた紅栗は、子供の身でありながら大人たちに混じって交渉し、指揮し、ククリ・コーポレーションの令嬢として帝王学を身に付け、大人たちの社会を生きてきた。
少しでも弱みを見せれば、相手に付け込まれる……動じている暇などないし、それは負けへと繋がるかもしれない。そうなれば会社に多大な損失を与えるだろうことを、紅栗は子供ながらに知っていた。
大企業であるククリ・コーポレーションが雇用している従業員の数は優に千を超える。それだけの人達の生活を、未だ十代の少女は健気にも守らなければならないという責任感に苛まれながらも、自身に強迫観念めいた使命感を抱き乗り越えてきた。そのことを、当時八歳の頃には自覚していたほどだ。
幼少期から培ってきた心の持ち方によって、紅栗は常に先ず物事を予測し、その結果、冷静に対処できるようになった。
ここしばらくは、予想通りに事が運ぶことがほとんどで、上手くいかなかったことなど何年前だろうか? 少なくとも紅栗の記憶には一つしか残っていない。最早、予測がハズレないことが当たり前となっていたのだ。
一度見聞きしたことは記憶し、頭に入った分だけ、何かを忘れるなんてことは決してない。
だから、幼い頃は自分の知らないことを知るのが只々楽しくて、図書館に入り浸っていたものだ。
勉学はもちろんのこと、あらゆる知識を恐るべきスピードでどんどん吸収していく紅栗を大人たちが驚嘆し、それを褒めてくれる。それがまたツボに入り、新しい知識を求める……その繰り返しだった。
出逢う人、出逢う人に感嘆されてきた。
――だが、やがて気付いたことがある。
知ってしまったと言うべきかもしれない。
自分が頑張れば周りが喜んでくれる……そう思って、純粋に貪欲に知識を求め続けた幼き少女――。それを見た大人たちの中に、令嬢である紅栗に将来の有望性を感じ利用してやろうと、己の保身の為に近寄ってくる者たちもいた。
それも一人や二人ではない……何十、何百といった者たちがだ。
自身の会社の利益を求め、接待を希望し、挙句の果てに婚約を申し込まれたことだって何度もある。紅栗に恋愛感情を抱いてのことなら、受ける受けないは別にして、まだ良い。けれど、実際はそうではない。社長の孫娘と結婚してしまえば、莫大な財力と権力を手にすることが出来るからだ。自社との業務提携だって容易くなるだろう。
彼らが求めているのは、紅栗が持つ肩書きに他ならない。
ギフトや企業関係者以外の、一般の男の子に言い寄られたこともあるが、その場合も同じ。周りの者が付けた紅栗への印象や肩書きに振り回される者ばかり。
――わたくしだって、普通の女の子と何も変わりありませんのに……
そんな心の声が届く相手は、今においても祖父以外にはいず、いつしか“本当の”紅栗を見てくれる人は周りにほとんどいなくなってしまった。
やがて、紅栗は以前ほど情熱を注いで知識を求めることが出来なくなってしまったのだ。
それゆえ日常生活において、冷めているとまではいかないものの、周りと一定の距離を空ける癖がついた。
一連のそういう理由で、どこか退屈さを覚えるようになったのも事実で、今、紅栗は満足とは程遠い日々を送っている。
けれど、目の前にいるのは、そんなつまらない日常を嘲笑うかのように遠くに吹き飛ばしてしまいそうな存在――
今こうして非日常の象徴とも言える魔女と向き合うのは、正直心が踊った。
(彼女ならば、わたくしを対等に見てくれる――)
「正直申し上げますと、どちらの味方でもありませんわ。だからと言って、敵でもありません。わたくしが唯一味方するのは、同じ学び舎に通う、神名学園の生徒に対してのみですわ」
紅栗の言葉に、目を細める新緑の魔女。
眩しくて、そうしたのではもちろんない。
沸き起こる怒りの感情を抑えようとしているように紅栗には思えた。その証拠に、彼女の魔力が昂ぶっているのか、どんどん上昇しているのが分かる。
「……へえ~…………ギフトの実力者とも思えない発言よねぇ。少しでも嘘だと思えば…………」
「嘘なんかじゃありませんわ。だって、わたくし……この学園の生徒会長ですから」
この場のシリアスな雰囲気を一瞬で吹き飛ばしてしまうような、淀みや作りものなど一切感じさせない、破壊力抜群の笑顔を見せた。この笑顔を向けた相手が、もし異性であれば、虜にされない方が難しいに違いない。
そういう意味では、どちらが本当は魔女なのかわからないかもしれない。
予想外の返答だったのだろう。今こうして話している中で、ここまで目を大きく見開いて驚く彼女の姿を紅栗は初めて見た。
驚くのは何も魔女だけではない。
さっきまでの、いつ襲われても可怪しくない気まずい雰囲気が一転、いきなり彼女が笑いを抑えきれずに吹き出したのだ。
「あ~っはははは!! 何それ? まさか、そうくるとは思わなかったわ」
「ななっ! どうして笑うのですか!?」
「だって、そりゃあ、ね~? あなたほどの立場の人が、まさか生徒会長としての役目を第一に考えるなんてね。この学校の生徒たちも誇らしいでしょう。生徒会長さん、あなた、とっても素敵よ」
なんて答えて良いのか、淡藤色の髪の少女は少し困ったような苦笑いを浮かべる。照れ隠しなのか、伏し目がちに、自身のウェーブがかった髪に指を絡めてクルクルと巻いては放してを繰り返す。
「…………紅栗」
「?」
「紅栗瀬里菜――それがわたくしの名前ですわ」
言い直す生徒会長。
「ええ、知っているわよ。この子の中から、この子とあなたが話しているところを見ていたもの」
宿り主となる水葉の胸の上に右手の掌を置いて、魔女は自分に身体を預けた少女の存在を紅栗に知らせようとする。
「相手の名前を知りたい時、先ずは自分の名前から言うのが礼儀かと思いまして。……宜しければ、あなたのお名前、聞かせて頂けませんか?」
「私の……名前……?」
「ええ、そうですわ。新緑の魔女と言うのも魔女名であって、あなたにも本当の名前があるのでしょう?」
紅栗の言葉に何を思ったのか、魔女は顔を俯かせた。前髪に隠れて切れ長の目が見えなくなったが、口元には薄っすらと笑みが見て取れる。
(最後に名前を呼ばれてから、自分でも覚えていないほどの年月が経っていたっていうのに、まさか今日だけで名前を二度も聞かれるなんて…………ふふ。こんな日が私にもまだあったのね……)
桜色の長い髪を首の後ろから一房掬い上げて、魔女は首を左右に振る。すぐに纏まっていた髪の毛が宙に広がった。
異界化が解けた教室内の窓から差し込む陽射しが、広がった魔女の髪と反射し、その様がとても美しく紅栗には思えた。
不思議と頬が紅潮しているように見えたが、逆にそれが美しさを増しているようにも見える。
赤みを得た顔とは対象的に、同じく赤系の色に染まっていた少女の髪の色が、頭から先っぽへと流れるように元の艶のある黒髪に戻っていく。
その中でポツリと――
「……イスカよ」
ギリギリ、紅栗の耳に届くぐらいの声で囁いた。
「この子との約束なんで、私はそろそろ、お暇するわ。宿主のご機嫌を損ねると後々面倒そうだし…………後は任せるわよ」
後半部分は彼女の性格に反して、消え入りそうなほど弱々しい。
聞こえにくい旨を伝えるべきか、一瞬脳裏を掠めた紅栗だが、なんとなく何を言ったか想像出来たので、やはり止めることにした。
考え通りなら、彼女が自分を認めてくれたのだろうと思う。なので、わざわざ彼女のご機嫌を損ねるような真似は必要ない。
「はい。任されましたわ」
色の変化と同調しているのか、辺りを満たしていた魔女イスカの魔力も徐々に収まっていく。
室内も髪の色も元の色に完全に戻ると、先程までの魔力が嘘のように無になった。
「……守ってくれて、ありがとう」
魔女の意識が頭から抜けていく妙な感覚を感じつつ、水葉は時間にして僅かだが、自分の意識を久々に感じ取ることが出来たことに安堵する。
成り行きでイスカに身体を預けることになったが、一つ間違えれば、身体はもう戻ってこなかったかもしれない。なにせ、自分の身体を巡って魔女との戦いがあったのは、それほど遠い話ではないのだ。
このことを逢花に知られたら、普段温厚な逢花でも、まず間違いなく怒るだろう。それだけの心配を彼女に懸けさせたのである。当然だ。
それでも水葉は、何となくだが今のイスカになら大丈夫だと思った。信じてみても良いんじゃないかと――上手く理由を説明できないが……言ってしまうとただの勘なので、その理由を逢花に話せば、やっぱり怒られるに違いないが。
だから彼女が自分への約束を『一つも』違わなかったことが素直に嬉しかった。
身体を一時借りるだけで、戦いが済めば返すことも――
敵とはいえ、命を奪わなかったことも――
後者は心身喪失させたので若干グレーな部分もはらんでいる気がしないでもないが……。殺さないことが約束だったのでそこまで気にしないことにした。非道な真似をする奴を相手に、そこまでの情けまで懸けてやる義理はない。
「あ……」
張り詰めていた緊張が解けたせいか、目眩が突然、水葉を襲った。今になって気付いたが、身体にひどい疲労感がある。
(これは……ちょっと意識持って行かれそう…………無理もないか……私の身じゃイスカの力はオーバースペックだったものね……)
失われていく意識の中で、水葉はそれでも良いかと思った。
どうせ、もう戦いは終わったのだから――。
***
「よく頑張りましたね、音羽さん。もう大丈夫ですよ」
意識を失い倒れそうになった、黒髪に戻った少女の頭を、紅栗はそっと両手で自分の胸に招き入れた。
優しく労るように水葉の頭を撫でる学生服姿の生徒会長。
「ごめんなさい……助けに来るのが遅れて……。ギフトもマジョカルも互いに対して戦闘行為を一切行わないことで一貫して決められていたので、まさか彼らがここまでの暴挙に出るとは思いませんでしたわ……。わたくしの通う学園に……ククリ・コーポレーションの管轄地に手を出したことへの償いは必ずさせましょう……ですが、その前に――」
頭を撫でていた手の動きを止めて、紅栗は一旦解放した腕を頭上に持ち上げた。
掌に細かな光の粒子が集まりだしたのも、ほんの数秒で、すぐに銀色の錫杖が姿を現す。喚び出されてばかりの錫杖の先端を軽く床に叩きつけた。
すると、紅栗を中心に包み込むように円形の真っ暗な空間が開いていく。
紅栗瀬里菜の能力……空間と空間を繋ぎ、離れた場所への移動を可能に出来る力――『門』を開いたのだ。
「大事はないとは思いますが、まずは保健室で休ませないといけないですわね」
最初は拳二つ分ぐらいの大きさだった円形の空間が、今では自身と水葉の二人を覆えるほどに広がる。
十分に広がりきるや、今度は門を開けた時と同じように、紅栗は錫杖で再度床をコツンと叩いた。
黒よりも深く深淵を思わせる真っ黒闇な空間が閉じようと、起点に向かって縮み始める。
(ギフトと敵対する危険を犯してまで、私が通う学園にまで攻め込んで来るなんて……彼の独断とも思えません……。おそらく仲間がいるはず……急ぎませんと……)
空間が目に見えないほどにまで小さく縮むと、そこにはもう二人の姿も影も無くなっていた。




