第二十七話 灰色の世界の魔女 後篇
今回もグロいシーンが多少あるので、
そういうのが苦手な方は控えた方が良いかもしれないです。
自分の生命を奪おうとした相手に、生死を分けるほどの重い傷を負わされれば、普通は怒りや憎しみを抱いても何らおかしくない。もしくは恐怖で身を震わせたり、戦意恐慌に陷ることだってあり得る。
彼女が感じている痛みは、のたうち回りたくなるほどの計り知れない激痛のはずだ。
――なのに、彼女の目は笑っていた。
痛覚など存在しないのか、顔全体で、さも楽しいという感情を表現して見せていたのだ。
「ひっ!!」
悍ましい化物を見たかのように、レンは思わず後退さってしまう。
今度はその開いた距離を埋めようと、魔女が血と臓器を撒き散らかしながらもゆっくりと近付こうとする。移動した分だけ、白い床に流れた血で波線が綴られていく。
「この、化物めっ!!!」
沸き起こった恐怖から、無意識にハルパーを再度振るった。切り裂かれた腹部が、今度は完全に上下で別れて、共に床に落ちる。
「はぁはぁ……はぁ……何だったんですか、これは……。まるで化物を相手にしてる気分ですよ……」
「あら。随分な言い草ね。さっきまであんなに楽しそうにしてたくせに」
止めを刺したはずの魔女の声がレンの耳に届いた。驚き、反射的に声のした方へ振り向くと……
五体満足で、腹部に斬られた跡どころか、あれだけ流したはずの血の跡まで消えている――そこにいたのは、レンに襲われる前の身奇麗な姿の音羽水葉だった。
ただし、瞳が赤く、髪も薄桃色のままなので魔女の人格のままであるに違いないが。
今さっき、自分の手で仕留めた少女の亡骸をレンは慌てて視認する。腹部を中心に上半身と下半身が分たれた、無残な姿で血の海に浸かる少女が残ったまま……。近付いて確認するまでもなく、命が絶たれているのは一目瞭然だった。
「何故あなたが二人もいて…………いえ、そういうことですか……。これは幻術……魔女が使いそうな手ですね。……まったく、つまらない真似を……消えなさい!!」
面倒臭そうに大鎌を振るい、魔女の姿をした幻を打ち消そうとする。案の定、一人目のように胴体を簡単に真っ二つにすることが出来たが、そこでレンは己の考えが間違っているかもしれないという不安が頭を過ぎった。
手応えがあったのだ――。
幻相手では感じることが出来ない、細胞と細胞とを切り裂くような感触……その感触を感じることこそがレンにとっての至高の楽しみであり、そのためにマジョカルになったと言っても良い。そんなレンが手応えを間違えるはずがなかった。
飛び散った鮮血がレンの衣服を汚す。
大鎌の刃を伝って、斬られた二人目の魔女の血がハルパーの竿状の部分にまで垂れ流れる。やがて、握る両手にまで辿り着いた。
「血も現実過ぎる……これが幻とは到底思えません……。いったい、どうなっているのですか!?」
「どうって言われてもねぇ」
疑問に応える代わりに青年の背後から『三人目』が姿を現した。
いつの間にここまでの接近を許したのか……両肩に優しく手を置き、レンの背後から顔を覗くように、少女は肩口から顔を寄せた。
まるで気付けなかった、自分の想像を超えた状況の連続に、レンは畏怖から糸目を大きく見開き、額に急速に冷や汗を浮かばせる。
「そんなに怖がらないで……ほら、上を御覧なさい」
常識外の出来事に身体が固まったままのレンだが、言われるがままに魔女の言葉に自然と従った。視線を上へ移すと――
信じられない続きなのだが、さらにレンの頭を混乱させるものが頭上に『二人』もいたのだ。
――『四人目』と『五人目』である。
存在していたはずの白塗りの天井が、最初からそこに無かったかのように消えている。教室内の上に真っ白な空洞が出来上がっており、室内上方から覗く白い空からゆっくりと二人がレンに向かって舞い降りてくる。
さながら天使が下界に降りてきたかのように両手を広げて。
いや、緑髪の青年にとっては悪夢に違いあるまい。この場合、悪魔にしか見えていないのかもしれない。
こんな出鱈目な真似が出来るのは、ここが音羽水葉に宿る魔女が創り出した世界だからである。
この世界では彼女が規則だ。
大抵のことは彼女が望めば創り変えられる。
「――――!!」
無理矢理に肩を優しく掴む少女の手を振り解く。振り向き様に足元から鎖骨の辺りに向かって、既に二人分の同一の魔女の血で濡れている大鎌が駆け上がった。
三人目の血を吸うハルパー……対魔女武器でありながら、同一人物を三人も殺すことになるとは、この武器を作った者も想像していなかったことだろう。
今度も悲鳴を上げずに血飛沫を上げる魔女の噴血を、レンは正面から浴びてしまう。
普段のレンが返り血を浴びようものなら、歓喜で気持ちの昂ぶりを抑えるのが大変だっただろうが、今回はそんな気分にはなれないらしい。説明の付かない状況に、顔を引きつらせているぐらいだ。
そんな緑髪の青年に更なる悪夢が襲う――
肉から骨まで断たれ、血の海の中に残ったままだった、最初と二人目の魔女……その傷口から血管のようで血管ではありえない、直径3cm以上の太さをした管がざっと二十本ぐらい、レンに向かって飛び出してきた。
手足どころか、一瞬にして身体中を簀巻みたいに管が巻き付く。
「や、やめ……うぐっ……!?」
ついには自身が止めを刺したはずの三人目の斬り口からも、同様に管が伸び、身動きできないレンの頭を覆い隠すべく包み込み始めた。
繋がる管を通って魔女の血が滴り落ちる。
顔の半分……鼻より下まで覆われてしまったレンが、最後に目にしたのは、四人目と五人目の少女の姿をした魔女たちが、肉の塊と化してしまった自分に飛び込もうとしているところだった。
「~~~~~~~~~~~~~!!!」
――視界が塞がる。
やがてピクリとも自分の意思で身体を動かせなくなったことで、レンはこれから我が身に起こるであろう恐怖を幾つも想像を始めた。
串刺しにされるかもしれない――
火炙りにされるかもしれない――
このまま絞め殺されるのかもしれない――
やがて気付いた――
これではまるで、古き時代に実際に行われた『魔女狩り』そのものなのではないかと……
(助け……助けて……!!!)
声にならない声を心に叫ぶ。
そんな悲痛な思いが誰かに届くわけもないことを、レン自身が一番わかっていたというのに、叫ばずにはいられなかった。
絶体絶命のこの状況で助かるにはどうしたら良いか?
…………都合の良すぎる話だ。
手足を動かすどころか、指一本すら動かせない。口はロープで縛られているかのように管が邪魔をしている。視界も塞がれた。外の音もよく聞こえない。
…………助かるわけがない。
唯一、助かる方法がもしあるとすれば、それは…………思考を捨て『無』になることだ――
その考えに至ったレンは、やがて心を失った。
肉の塊に抱きついた二人の魔女の両手の先が、他の斬られた魔女たちと同じく数本の管となって、塊をより強固に縛り付けている。
けれど、その様子を黒単色の教壇の上に腰がけた『本物』の新緑の魔女の瞳には、別のものが映っていた。
管でもなければ、身体から伸びた肉でもない。
ずっと、魔女の目には『蔦』しか見えていなかった。
「もう少し抵抗するかと思ったけど、つまらない。……ただ力任せに植物で攻撃するのが、私の魔術だと思ってたのかしら? バカね。植物の中には匂いや樹液を浴びると、麻薬を過度に摂取したような薬物中毒症状を一瞬で引き起こさせるものもあるのよ。あなたが味わっているのはまさにそれ。浴びた樹液が肌に瞬時に浸透していくやつよ。……これだけの麻薬成分を一度に大量に浴びれば、私が作った『蔦人形』を何の疑いもなく、私だと錯覚したでしょうね」
サラサラな薄桜色の腰まで伸びた髪を掻き上げる。
「魔女たちの無念を百分の一……いいえ、百万分の一でも知ると良いわ」
これで戦いは終わりと、新緑の魔女イスカが肩の力を抜こうとゆっくりと両目を閉じる。
すると、教室内を異界化した時とはまったく逆の、時間が遡るかのように、白黒の世界から元あった彩色豊かな色へと戻っていく。
「ま、宿主様との約束だから……殺さないでおいてあげるわ。……ふふ。薬物中毒で精神が壊れたんじゃ死んだ方がマシかもしれないけども」
教室の出入り口がある壁際の後ろの席に目線を動かす。
誰もいないし、何かがあるわけでもない。
教室内全体で見ても、自我を失い、植物と一体化したレンを除けば、ここにはイスカ一人しかいない。
それでも、まるでそこに誰かが存在してるかのようにイスカは口を開いた。
「あなたもそうは思わない?」
当然、沈黙が訪れるかと思われた室内――
「……気付かれていたのですわね」
返事があった。
若い女の声だ。
声のした辺りの空間が水面のように揺らめく。
すると、水が左右に割れ始めた。裂け目から覗く、その先は真っ暗で何も見えない。ただ、金属同士がぶつかり合う音だけが響いて聞こえてくる。
まるで闇、そのもののようなところから、靴のデザインや靴下から女の子のものと思われる細い右足が、まず闇から出てきて床に着く。
次いで、少女らしく、まだまだ未発達そうな薄い二つの膨らみを学生服の上から印象づける、華奢な体――。実年齢より周りには大人っぽく見られそうな美人顔……風格のようなものを感じさせる、ウェーブのかかった長髪の少女が、片手に錫杖を持って姿を現した。
錫杖の先には、見た目が金属と思われる輪っかが一つ付いている。これが暗闇から聞こえた音の原因だろう。
――新緑の魔女の前に現れたのは、この学園の最強生徒会長、紅栗瀬里菜であった。