第二十三話 過去からの帰還者
(三階理科室……ここね)
分校舎三階、人気の無い廊下の一番端にある誰も使用していない理科室に一人、自分を呼び出した顔も知らない異性に手紙の返事をするべく、水葉は扉の前までやって来ていた。
名前は…………興味が無かったので覚えていない。
(こういうの初めてじゃないけど、いつになっても慣れないものだわ)
これから起こることを考えると、水葉は少し気分が落ち込む。
必死に告白してくる相手に対して、その意思を拒否する言葉を使わなければならない。その度に申し訳ない気持ちが沸き起こり、何度同じことがあっても慣れるものではなかった。
「痛っ!」
首筋……頚椎の辺りに初めて痛みを感じたのが深夜。逢花とマジョカルの女騎士が戦っているのを見ていた時だ。けれど、今度は一瞬だが激しい痛みが頭の中を駆けていった。
「……どうしたのかしら、私……? 最近、戦い続きで疲れてるのかなぁ……」
考えても医者ではないのでわかる訳もなく、今日の夜は早めに寝ようと思う水葉だった。
とりあえず今は、目の前の扉を開けると始まるであろうイベントを解決するのが重大事。
そっと扉を横に動かし開けて、水葉は既に使われなくなって長い理科室に入った。
使用されなくなった部屋といっても、理科や科学の授業で取り扱うフラスコや試験管、ろうと等の道具類はまだ残っているようだ。床や壁が古く、年期を感じさせるがまだまだ現役で使用できるように思える。
当の待ち人がいないか見回すが誰もいない。
待つことを余儀なくされた水葉は、教室に入ることにした。
窓際へと近付き、外を眺めることで退屈から逃れることにする。昼食時なので、学生それぞれが思い思いに集まって食事をしているようだ。
「本当なら今頃、私もあの中にいたのになぁ……」
今、水葉が目にしている知らない学生たちのグループのことを言っているのでは、もちろん無い。
「……ナギも少しは心配して、様子を見に来るなりしないよ……バカ」
周囲の気配を探るが、けれど薙斗がいるどころか、水葉以外、誰も居ないことを強く認識してしまうだけで終わった。
「……私の方こそバカね……。何を期待してるんだか……」
誰もいない所に一人でいることと、これから顔も知らない相手に断らなければいけないという緊張のためか、無意識に弱気な言葉を零してしまう。
普段の音羽水葉からは想像できない姿だ。
けれど、今の姿こそが本来の彼女のものであることを多くの者が知らない。
気が強くてプライドも高く、素直じゃなくて、男性嫌い。周りを遠ざけようとする態度を取ることがあるのが一般的に周りに持たれる水葉の印象。美人やスタイルが良いなどという容姿的印象を除いた性格的印象は、人付き合いにおいて損をした印象と言えるだろう。
だが、本当は違う。
本当は怖がりですぐ泣くし、感受性が強い。それゆえに人の気持ちに敏感であり、だからこそ人に優しくできる。その優しさを気の強さがかなり覆い被さってくれているが、彼女と親しい人にはわかるはずだ。彼女が気を許せば許すほど、本当の自分を見せてくれるのだから。
残念ながら今のところ、そんな相手は逢花と家族ぐらいしかいない。
本当の自分でいられるのは、それぐらいだと彼女もそう思っていた。
――――最近までは。
本当の自分をわかってくれる、長らく増えなかった気の許せる相手が増えそうな、今はそんな予感めいた『願い』を水葉はいつの間にか、同性ではない、知り合ってまだ一ヶ月ほどしか経たない男の子に淡い期待を持ち始めていたのだった。
普段の自分ではありえない……しかも異性に対してなど、この前まで考える余地すらなかったはずだったのに。
そんな自分自身の変化に戸惑う気持ちを整理している水葉を他所に、理科室内に似つかわしくない殺気を含んだ気配が……。突如、屋内に流れ込んだ殺気の主を確認しようと、水葉は慌てて気配の元を辿った。
「おや、気付かれないようにこっそり入ったつもりだったのですが、バレてしまいましたか」
「!! ……あなたは…………どうしてあなたがこんなところにいるのよ!!」
長身痩躯の緑髪の青年が、室内後側の引き戸から一番近くの机に腰を下ろしていた。
「嫌ですねぇ。ここで待ち合わせしてたじゃないですか? 忘れたわけじゃないのでしょう?」
「…………そういうこと。……最悪な気分だわ」
どうやってラブレターの返事をお断りしようと、考えていた自分が馬鹿馬鹿しい。
元々そのつもりはなかったが、目の前の青年とは天地が引っくり返ったって恋愛関係には絶対にならない。そう思える『見覚えのある相手』が目を細めて、水葉を見ていたのだ。
肩に担いだ、彼の愛用している大鎌武器ハルパーの刃が彼女に向いている。
「一応聞いておくけど、ここは学校よ? ……どうして、あなたがここにいるの!? 私を呼んだのよ!?」
「その様子ですと、私のことはまだ覚えていてくれたようですね。光栄です、音羽水葉さん」
「……私はあなたの名前なんて覚えてないわ。どうでもいいもの」
憎まれ口を叩く水葉だが本当は覚えていた。
緑髪の、糸目の青年の名はレン・オルティブ。
一ヶ月ほど前、自分を魔女狩りの対象として、薙斗と共に神名島に来たマジョカル。
何も知らなかった自分を今日みたいに呼び出し、戦えない自分を容赦なく殺そうとした男。その時の男の顔は今でも水葉は忘れない。……愉悦の表情を浮かべて、嬲るように自分を襲っていたことを。
「あなたが私のことを覚えていなくとも、私の方は運命を感じますね~。またこうして会えたことに」
「よく言うわ。自分で私をこんなところに呼びつけておいて!」
「ふ~む……それは誤解というものですよ。音羽さんを呼んだのは執行部のグラヴェルさんでしてねぇ。昨日、あなたももう会われたのでしょう? その方が今回の指示を出していましてね~」
(グラヴェル? あの影の中を行き来していた男……?)
逢花が戦っていた、女の水葉から見てもとても美しかった金髪慧眼の騎士。その二人の一騎打ちで逢花を不意打ちしただけではなく、戦えない者たちがいる場所に爆弾を仕掛け、まとめて排除しようとした外道……それが水葉のグラヴェルという男への認識だった。正直、軽蔑に値すると水葉は思っている。
「……倉敷君がマジョカルへの情報管理をしている、この島に、どうして執行部がナギを粛清対象にしてたのか不思議がってたけど…………ナギがマジョカルを抜けたことを知っているのは、私たち以外ではナギが組織を抜ける切っ掛けを作った、あなただけだわ……。今朝、学校へ行く前に倉敷君が言っていたわ。たかが新人が一人抜けただけで執行部の精鋭が何人も派遣されるのはおかしいって…………あなたが彼ら執行部を連れてきたの?」
「…………」
無言を通すレンだが、表情はそうとは限らず。彼のニヤけ顔が口以上に物を申していた。
(執行部をこの島に呼んだのは間違いなく、こいつなんだわ!!)
腰を上げて、ひょいっと机から飛び降りたレンが、持っていた武器を構え直す。
「そろそろ前回の続きをしましょうか」
細められたレンの両目がカッと見開くと同時に、殺気が込められた気当たりが水葉の身体を通り過ぎる。
前回の戦いの続きと言えば聞こえは良いが、あんなもの、ただ暴力を振るうことを理由付けて喜々として行っていただけの一方的な虐殺に過ぎない。
田園風景に似つかわしくない殺意に包まれた空間、その時の情景を思い出し水葉の心に恐怖心が沸き起こり始めた。大型の鎌の棒状部分で何度も叩かれ、蹴られ、鎌の刃が皮膚を切り裂く感覚さえ鮮明に思い出す。一度意識すれば、どんどん膨らむばかりで、身体は震え恐怖を拒むことができなくなるというのにだ。
(ただでさえ私は、化物や魔の者が相手じゃないと戦えないのに……。薙刀だって、学校になんか持ってきてもないし…………)
震える身体に鞭を打ち、唇を噛み締めて、青年の顔を正面から見据えた。偏に心だけでも負けたくないという……武器も戦う術も持ち合わせていない水葉の細やかな抵抗の現れだった。
(負けるもんかっ!! 絶対に負けて……痛っ……また頭痛!? こんな時に!!)
長さ2メートル半はある棒に大鎌を取り付けられたサイスと呼ばれる武器を、レンが水葉目掛けて振るう。自身の体調の悪化に戸惑う暇も与えられず、机の後ろに隠れる水葉だが、次々と机が吹き飛ばされて、その姿を晒すこととなった。
(ここから離れないと……本校舎まで行けば逢花がいるし、それにナギだって……!!)
人間相手に何も出来ない、自分の無力さを思い知るのはこれで何度目だろうか? それでも逃げるしか選択肢がない水葉にとっては悔しさは残るが、その判断は間違いではなかった。
攻撃を避けつつ、部屋から出て廊下に転がるように飛び込む。
起き上がって、直ぐ様、廊下を走り抜けようと駆けた。
揺れる黒髪を後ろから捉えたレンが、少女から距離がまだあるにも関わらずハルパーを構え……そして振るった。
途端、真空の刃が水葉へ向かって放たれる――
(これはナギに使ってた斬撃!? 避けないと!!)
あと6メートルも直進すれば階下へと行けるのだが、空気を切り裂きながら水葉へと飛んできた刃がそうはさせなかった。そのまま進んでいれば、胴体を真っ二つにされていただろう。
咄嗟の判断で水葉は、理科室の隣の教室の窓へと全身を使って飛び込んだ。
割れた硝子が身体中の皮膚を傷つける。
「はぁはぁ……どうして……今なのよ……」
痛む身体を他所に、頭痛は増々酷くなるばかり。
悪いことはそれだけでは済まず、危機的状況に身体が気付いていないのか、終いには意識が朦朧としだした。
この感覚を水葉はつい先月にも経験したことがある。
「……あなたが逢花が話していた人なのね……」
「? 私のことじゃないですよね? いったい誰のことを言っているのです?」
レンの問いには答えず、聞き取りづらい声音で呟く黒髪の少女の視線は、今もゆっくり近付いてくる敵の姿を捉えてはいない。
「興冷めですねぇ……恐怖で気でも触れましたか?」
「……それを信用しろというの!?」
噛み合わない会話に眉をしかめるレン。
「あなたの名前は……?」
「……イライラしますねぇ……欲しいものを取り上げられた気分ですよ。グラヴェルさんなら、壊れた状態のあなたでも楽しめるんでしょうけど……私はダメです……。なので、もう死んでください」
黒髪の少女と緑髪の青年との距離、残り1メートル強。
ハルパーが十分届く距離であり、レンが水葉から反撃を受けることがない射程距離。
白い肌が晒されている水葉の綺麗な首筋を、大鎌武器が照準を定めた。
飽きた玩具を捨てるかのような無感情な視線……刃が薙ぎ払われるのも時間の問題――
「……契約成立ね」
少女の首と胴が別れてしまうよりも先に、突如、水葉を中心に教室内の色が次々と塗り替わっていく。その色は白と黒の二色のみ。
「なんですか、これは!?」
驚きのあまり、レンは目の前の少女から注意を離してまで、自分の周囲の突然の異様な変化に部屋中を見回した。
色の侵食変化が開きっ放しだった教室の出入り口にまで迫った時、そこに誰もいないはずだった引き戸が独りでに閉まる。そして、すぐに閉じられた戸も、今や二色しか存在しない部屋同様に染められていった。
日常では絶対にありえない、非日常の始まり――
あまりの出来事に思考が付いていけなかったレンに、さらに追い打ちがかかる。注意を逸してしまっていた少女から、湧き上がるようにどんどん増していく『魔力』を感じたのだ。
「ん~……。こうして現世で身体を得たのも久々な気がするわね」
襟元まで、しっかり閉じられたブラウスのボタンを、少女は上から一つ、二つと外していく。
豊満な胸の谷間が外気に触れるまで、ブラウスが開いたところで、手の動きを止めた。
長い黒髪が、魔力で起こった風に巻き上げられて揺らめいている。その姿がまるで、幾つもの蔦が風に揺らいでいる様をレンは頭の中で連想させた。
現世にまで影響を与えた灰色の世界――
この世界の支配者は、外見上は少女だが実際はそうではない、たった一人の女性に他ならない。
「生きていたのですか…………『新緑の魔女』!!!」




