第二十二話 二人の恋文の断り方
木製の机にノートを広げて、まだ真っ白な紙面を俺はただじっと見つめたままでいた。同じように机上の右側には英語の教科書を広げている。
教壇のある方から、何やら馴染みのない呪文が俺の耳に流れてきていた。どうやらこれが眠気を誘う魔術のようで、先ほどから俺は何度、頭が机の上に沈みそうになったことか。
すぐ前の席には、腰まで伸ばした長い黒髪の少女が見える。音羽水葉だ。
隣には、こちらも腰まで髪のある少女がいるが、色だけは違う。薄青の混じった銀髪の少女、逢花である。
俺も水葉も窓際の席なので、水葉の隣は逢花以外いない。ちなみに俺の隣には残念ながら誰もいないのでちょっと寂しい思いをしていたり。
(はぁ~……眠い……。昨夜のエネルギー操作の反動で身体中が痛いしダルいし……わかってはいたけど、ただ歩くだけでもキツいな……)
全身の筋肉が悲鳴を上げているので、正直、家でジッとしていたかったのだが……。紅栗先輩が言うには、学校に来てる方が安全だとのことで、まるで動けない俺はそう言われると従うしかなかった。
今朝、いつも車で通う先輩からの御達示で、俺たち三人は普段絶対に乗れないような高級車に同乗させてもらい学校へ登校したのだった。ちょっとしたセレブ気分を味わった俺たち。水葉なんかは家柄的に普段贅沢を禁じられているのか、車に乗っている間ずっと落ち着きがなかったふうに思える。
(帰りの時間までに歩けるぐらいにまで回復してなかったら、俺どうやって家まで帰ったら良いんだよ……)
チラッと水葉と逢花を交互に見る。
二人とも真面目にノートに授業の内容を書き留めていっている様子。
(寝た時間は俺とそう変わらないはずなんだけどなぁ)
普段なら寝ていたはずの時間……月之杜神社にまで攻め込んできたマジョカルとの戦いは、一応は俺たちの勝利と言って良いだろう。執行部を退けることに成功した。
肝心の雅の傷の方も、珠々香が陽が昇るまで治療に励んでくれたおかげで、無事に峠を越えたらしい。
マジョカルからの制裁を既に受けた雅に、これ以上、執行部が襲ってくる可能性は高くないのだが、念には念をと紅栗先輩が言っていた。ククリ・コーポレーション……つまりは先輩の親が経営する会社なのだが、その管理下にある施設に雅を匿うとのことだ。
ククリ・コーポレーションはギフトの最有力会社なので、そこに敵対するということはギフトに宣戦布告するようなものだというのが紅栗先輩の言。神名島において、これ以上、安全な場所はないらしい。
そして珠々香だが、徹夜の看病に疲れて今日は学校を休んでいる。今は紅栗先輩の家で眠っているとのことだ。こちらも、まぁ、安全だろう。
どうせなら俺も先輩の家で休ませて欲しいなどと思いはしたが、留守中の女子の家に年頃の男子が休むわけにもいかず……まぁ、先輩が家に居ても困難なのだが、結局訴えることはできなかった。
「ナ…………」
(そうなると、残りは俺たちだが……学校のようなひと目の多いところで執行部が襲ってくるはずもないけど、問題は放課後以降だな……。正直、今の俺は戦力外だろうし……)
「……ギ……」
基本、マジョカルは一般人には知られず、距離を開けることをモットーにしている。特に規律に厳しい執行部が相手ならば、学校にいる限り多分心配はないはずだ。
「……ナギ!!」
「!! ……なんだ、水葉か……どうかしたか?」
「あんたね~……ボケ~っとして、今、何の時間だと思っているのよ」
「何って、そりゃあ……」
ドンッ。
目の前に、香ばしく食欲を唆る、布に包まれた正方形の物が突然視界の前に現れた。
「え? 弁当? ……あれ?」
「もう英語の時間は終わりましたよ、薙斗さん。お昼休憩です♪」
「ああ……もう、そんな時間か」
「ちょっと! 夜はあんなに気を張ってたっていうのに、その体たらくは何よ!」
「むしろ、だからというか……」
(――今、こうして身体中の筋肉が悲鳴を上げているのですが)
「ところで水葉ちゃん、先に行かなくても良いの?」
「……何が?」
いきなり逢花に話を振られて、何のことかと自分の記憶を探る水葉。
「ラブレターの返事をしに♪」
「ちょっと逢花! こいつの前でその話はしたらダメって言ってたのに!」
「学園生活恒例のあの噂のラブレターか? ……ほ~。ほう、ほう、ほ~」
「あんたは鳩か!!」
などと悪態をつく水葉だが、耳まで真っ赤だ。
「噂かどうかはわかりませんけど、水葉ちゃん、ラブレターをよくもらうんですよ。今朝も下駄箱に。ね~♪」
「ね~、じゃないわよ!!」
「それなら、逢花だってよくもらってそうだけどなぁ?」
健康的で抜群のプロポーション……二人とも女子からも羨ましがられるぐらいだ。同年代の子と比べても、逢花と水葉は胸の発育が進んでいると思う。そのため、男子からの人気だって当然ある。
もちろん微乳好きの男もいるだろうから一概には言えない。
少なくとも俺にとっては、二人の立派な胸を前に直視できなくなることだってあった。
そういうことなんで、俺にとっては、どう考えても水葉よりも性格が良い逢花だけが、ラブレターをもらっていないなんてことは想像できないでいたのだ。
「……最初の頃は、この子にだって毎日のようにラブレターが届いていたんだけど、良くも悪くもそういうことに無頓着な子だから……お断りボックスなんて物を下駄箱に用意して、会わずに一緒くたに断りの返事としたのよ」
「お断りボックスって……。それって、もしかして見ようと思えば誰でも見れたり?」
「……持ち帰りできるように、下駄箱の前に置いてあるだけだしね。それでもめげずに向かってくる強者もたまにはいるけど。休憩時間なんかに、話のネタが尽きた人たちがネタ探しに来るぐらいよ」
断られたら公開処刑に遭うようなものか。……恐るべし、お断りボックス!
「ちなみに逢花が今までOKした相手なんていないわよ。……
安心した?」
急にこちらに振られて一瞬、水葉が何を言っているのか理解できなかった俺だが、意味を吟味するうちに、顔が無性に熱くなっていくのを感じた。
恋愛経験に乏しい俺が、どう答えて良いかわからず言った、次の言葉は……
「え~と……安心したというか……そう言う水葉はどうなんだ?」
――我ながら情けないことに、話題を変える試みで精一杯だった。
「どうって……? ……なっ、私!? どうして私がナギにそんなこと教えなくちゃいけないのよ!?」
今度は、慌てて話す水葉の顔が瞬間沸騰しだした。
怒ったのかと思いきや、何やら柄にもなくモジモジしてるように見えるんだが。
「…………気になるの?」
「へ?」
「だから!! 私が今までラブレターに了承したことがあるかって話よ!!」
「ん、まぁ……興味本位的な?」
「そ、そう? ……それじゃあ、特別に……」
「水葉ちゃんも全部お断りしてますよ。素敵な恋人が欲しいっていう憧れはあるみたいですけど」
「~~!! 逢花っ!!」
「だって、水葉ちゃんも私のこと話したじゃないですか~!」
自分で言うより先に、逢花に自分の恋愛事情を俺に話された水葉の顔が増々赤に染まる。
これが所謂ガールズトークかと、二人が気が済むのをとりあえず俺は待つことにした。
「それより水葉ちゃん、本当に早く行かなくていいの? 確か12時に、今は使われてない方の理科室に来て欲しいって書いてませんでした?」
「う~……どうして、お弁当食べてからじゃないのよ……」
四時限目終わって、すぐにお呼び出しということだから、水葉が愚痴るのも無理はなく。
(というか……逢花、楽しそうだな……)
「はぁ……とりあえず行ってくるわ。お昼先に食べてて良いわよ。それじゃ」
モテる奴にしかわからない苦労というやつなのだろうか。当然、俺の知る由もなく、水葉は一人教室を後にしたのだった。