第十六話 ダイヤモンドの姫
先行して戦闘を始めてしまった薙斗の無事な姿を確認できたことに安堵する逢花。
ここ最近、薙斗が望み悩んでいた強さへの願望を知っていた逢花は、こうして実を結んだ薙斗の姿を目にして、言いようのない嬉々とした思いに胸の中を満たすこととなった。
「ナギ……」
「悪い、水葉。遅くなった……」
「別に遅くなんか……あ…………」
自分を助けに来るのが遅れたことかと水葉は最初思ったが、薙斗が悲痛な顔を向けている先に気付いて、すぐにそうでないことが分かった。
雨の降りしきる中で、今も爆煙が収まりきらず、煙の中で見えない何かが崩れる音だけが家のある方から聞こえる。薙斗はその爆煙の先を見ていたのだ。
一目で家にいたら無事で済まなかっただろうことが分かる。
「敵を前に余所見とは余裕……いや、馬鹿ですか!!!」
閃光の如く突然現れた薙斗の隙を狙おうと襲いかかるグラヴェルだが――
男は動きをピタリと止めた。
顔に冷や汗を浮かべて。
「馬鹿はあなたでしょう? 私は止めたはずですよ? それとも命令が聞けないのかしら?」
あと一歩でも前に進み出ていれば、グラヴェルの首と胴が別れていただろう位置に剣が留まっていたことに、男は恐怖で固まってしまう。
男の喉元に剣を突きつけていたのは、いつの間にそこにいたのか、冷たい目で同隊員を見る副団長エイルフィールだった。
「め、滅相もありません! 相手が隙だらけだったのでつい……ぶげっっ!!」
剣の腹で顔を殴り飛ばされた男が、顔から泥濘んだ地面に着地した。
「勝負は既に着いていたものを……私に恥を……いえ、十二師団に恥をかかせる気?」
(もっとも私も人のことは言えないかしら……副団長の座に付く者が敗れたのだから……ね)
「それとグラヴェル。あなたの目は節穴ですか?」
「は?」
倒れ伏し顔に濡れた土を付けたまま、顔だけを上司であるエイルフィールに向けるものの、グラヴェルは何を言われているのか思い至らない。
「この少年……瑞原薙斗は隙など見せていなかったという話です。燃える家にいる者の安否をすぐにでも確認に行きたいのを堪えつつも、私たちをどうにかしなければ、それも叶わない葛藤に苛まれていただけよ。逆に私たちの隙を伺っていたぐらいだわ。……新人ながら大したものね。今回の件がなければ、マジョカルとして将来期待されたでしょうに」
「……そりゃ、どうも。で、分かってるなら話が早いんだけど、俺があそこに行くの見逃してもらえるのかな?」
「…………好きになさい。……けれど、あなたの助けなど必要ないかもしれないわよ」
それはどういう意味かと薙斗が問うよりも早く――
「あら。もう行ってしまわれるのですか?」
爆煙の中から人影が近付いてくる。
「やはり、ここにいらしたのですね『ダイヤモンドの姫』……今回の件にギフトはどこまで関与を?」
煙から姿を現したのは、薄く淡い青紫色の濡れた髪が肌に張り付くのを鬱陶しそうに手で払う少女……紅栗瀬里菜であった。片手には錫杖のような、銀色の、見たことのない杖を手にしている。
「これといって何も……ギフトとは関係なく、あくまで、わたくしは同じ学園に通う一生徒として、この方たちと接しさせて頂いていただけですわ」
「……そうですか。……我々としてはこれ以上、この者たちに関わらないことをお勧めしますが」
「拒めば、わたくしも討伐の対象にされてしまうのでしょうか?」
「……いえ。ギフトの中でも有力な家であられる、あなたと事を構えるのは極めて政治的な判断を必要とします。わたくしの一存で決めれるものではありません」
「なら、今回はここまでということでよろしくて?」
紅栗への返答の代わりに、エイルフィールは倒れたままのグラヴェルを一瞥すると――
「いつまでそうしているつもり? 行くわよ」
「……はっ…………」
(小娘が……!! いつまでも上から物を言えると思うなよ……)
(……こいつの目…………)
男の瞳の奥に薄っすらと灯った黒い炎に気付いた薙斗は、これ以上、何も起きないことを危惧しつつも、それを敵に知らせるほどお人好しというわけでもない。どうやら薙斗以外、誰も気付いてはいないようだが。
無言で鳥居の先の階下へと向かうエイルフィールの後ろをグラヴェルが続く。それを呼び止めようと紅栗が口を開いた。
「此度のわたくしへの振る舞いは貸しにしておきますわ。忘れないでくださいましね」
(……本当はそうなることも計算の内だったのでしょう? 紅栗瀬里菜……)
「……了承しました」
振り返ることなく女騎士は簡潔な言葉を残して、猫背の男と共に去っていく。
その後姿を黙って眺めていた水葉だったが、ふと、さっきまで感じていた首筋のチリチリとした痺れるような痛みが、いつの間にか無くなっていたことに気付いた。
(いったい何だったのかしら……?)
「紅栗せ……!!」
「お待ちくださいな」
何を言おうとしているのか、まるで知っていたかのように薙斗の言葉を遮った紅栗が次に動いた時には、薙斗たちが最も知りたかったことが目の前に現れた。
杖を横に一線した紅栗。残っていた爆煙が上下に切り裂かれる。
煙の晴れた中心に、最初は鉛筆を上から見た時ほどの大きさだった円形の穴が、外に広がっていくにつれ、穴の先にあるものが何のかがはっきりと見え始めた。直径3メートルを超えても、まだ広がり続ける穴――
「これって……! ……私の家!? え!? どうして……!?」
水葉が驚くのも無理はなく、穴の中に見えるのは、なんと爆弾によって吹き飛ばされたと思っていた水葉の家だったのだ。それも爆発の影響など微塵も見えない、マジョカルと戦う前の状態そのままに。
穴から家全体が現れたところで、広がりきっていた穴は今度は家だけを残して、まるで時が戻るように収縮を始めた。
「空間の中から家を出したのか……? いや、少し違うか……空間の中に『入れていた』のを出したのか……。まるで灰色の世界のような……それも、違うか」
「そうですわね。半分正解、半分間違い……といったところですわ」
そう言って、紅栗は薙斗の言葉に応えるべく、一度、地面に杖をチャリンッと叩きつけた後、言葉を紡ぐ。その間に穴は完全に消滅した。
「わたくしの使える能力は『門』……空間を自在に行き来できる力を持ちます。その応用で、空間の中に人や物を隠したりも出来るのですわ。あ! わたくし、魔女ではありませんわよ。ギフトが開発した、この杖……装魔具による力ですの。ちなみに、さっきのエイルフィールさんの使う力……『魔力キャンセラー』もギフトが作った鎧のものですわ」
「……そうか。山を登る時、先に行った俺や逢花よりも早く紅栗先輩たちが神社に辿り着いていたのは、先輩のその能力があったから……ということは…………」
「はい。正解です」
「え? それって、もしかして……」
自分の思い至った考えをすぐにでも確認したくて、家の中へと水葉は急いで向かう。その後を逢花も追いかけた。薙斗も二人に習おうと思ったが、先にやるべきことを果たすことにした。
紅栗に向かって、薙斗は背中を折り曲げ謝意を示してみせる。
「当たり前のことをしただけなので、そう気になさらないでくださいな。わたくしにとっても赤の他人というわけではないので」
「そう……ですね」
これ以上は、逆に紅栗に失礼だと思い、薙斗は頭を上げた。
「先輩、俺たちも行きましょう」
「……ええ」
今も雨が降る中、今更濡れることに抵抗などなかった薙斗だが、自分はともかく紅栗がいつまでも濡れていては身体に悪い。
既に家に入った二人のように、薙斗たちは紅栗によって助けられた雅と珠々香のいる部屋へと向かうことに。
並んで薙斗と歩いていた紅栗の脳裏にふとした考えが浮かぶ。
(いよいよ時代が動き出すかもしれませんわね。我々ギフトにとっても……マジョカルにとっても慌ただしくなりそうですわ……ふふ。)
横目に紅栗の表情が緩んだことに気付いた薙斗だったが、けれど、その笑顔の意味に気付くことは最後までなかったのだった。