第十五話 雨の中に散る華
重心を後ろに移動しつつも、地に着いた両足が影に縛られ、意思に逆らうように離れようとしない。その間にも刺突武器エストックが猛烈な速さで、今にも対象を貫いてしまおうと逢花のすぐ側まで近付いてきていた。
このまま見動き出来なければ、身体に穴が空くのは間違いなく――
「【魔力消滅】!!!」
「あ……!!」
目一杯、重心を後方に預け、迫る切先を避けようとしつつも、捉えられて動けなかった両足。その縛りが突如感じられなくなったことで後ろに倒れ込んでしまった逢花は、間一髪で影の中からの攻撃を回避することができた。
二人の重なったままの影が水溜りに生じた水紋の如く広がっていく。
「邪魔をされては困りますな、エイルフィール様」
「グラヴェル・シール……!!」
水面に発生した波紋の中心から、嗄れた男の低い声と共に人の頭が……そして身体がプールから上がるように現れた。
エイルフィールにグラヴェル・シールと呼ばれた男の背はひどく前に折れ曲がり、右手には先ほど逢花を串刺しにしようとしたエストックを手にしている。顔は皺が多く、かなりの年配者に見えるが、実際その通りの年齢かどうかは疑わしいほどに眼光に宿る殺気の大きさが年配者のそれとは違う気がする。
人を人とも思っていないような冷たい目……全身を舐るような視線を逢花は感じ、嫌悪感のため身を強張らせてしまう。
「くっくっ……あともう少しで、その娘を自由に出来たものを」
「貴様! いったい誰の命令があってここに来た!? お前にはアジトで留守番を命じていたはずよ!!」
「何をおっしゃいますか。私が来なければ危ないところだったでしょうに、エイルフィール様。なぁに、私が来たからには一気に事態を好転に導いてあげますぞ」
「……あなたには無理だわ」
「それはエイルフィール様が敵わなかった相手だからですかな?」
「なに!!」
このグラヴェルという影の中から現れた男は、おそらく女騎士の味方としてやって来たのだろうが、エイルフィール本人はこの男をあまり歓迎していないらしい。
邪険に扱った鋭い視線をグラヴェルに差すように向けるエイルフィールとは対象的に、ニヤニヤとした表情で、まるで気にも止めていないと言わんばかりの態度を取り続ける。
話のやり取りを聞くに、この男からすれば、女騎士の方が上司に当たると思われるが、男の態度には言葉遣いこそ丁寧なものの遠慮がない。相手への気遣いがまるで欠けていた。
「おっと失言でしたか。……後のことは私が引継ぎますので、まぁ、そこで見ててください」
「よしなさい!! 彼女は私が……!!」
「でも、その前に…………そこのあなた」
逢花を見ていたグラヴェルが、不意に神社奥にある音羽家のある方へ首を動かす。
「あそこに見える家には今、何人ぐらいの人がいるんですかねぇ?」
「……それを聞いてどうするのですか?」
猫背で、今も気味の悪いニヤけ顔を絶やさない男は、若い女の子に相手をしてもらえたことがよっぽど嬉しかったのか、さらに表情を醜い形へと変える。
「いえね、私の能力は先ほど御覧頂いた通り、影の中を行き来できることでして。……で、これは何だと思います?」
ボタン数の少ないテレビのリモコンのような物を男が取り出し、逢花に敢えて分かるように見せる。
「あなたの前に姿を見せる前に、先ほど、これのスイッチを押すと起動する『ある物』を置いてきたんですよ……くひひひ」
得意げに言いながら、再び影の中に沈んでいくグラヴェル。
「……まさか」
銃火器が出てくるような戦争ものやアクション映画では定番の『あるもの』を逢花は想像してしまう。そして、さっきの男の視線の先には傷つき、今も昏倒している倉敷。その倉敷を懸命に治療している珠々香……紅栗に、紅栗のところの運転手が家にいるわけで……
「爆弾……」
顔がみるみる青ざめ、声を絞るように漏らす逢花に対して、既に胸の辺りまで影の中に身体を潜らせたグラヴェルが満面の笑みでこう答える――
「その通り――――!!」
「させない!!!」
(スイッチを押される前に――!!)
瞬時に最も使い慣れた【操技絶剣】を喚び出し、グラヴェルに迫ろうとする逢花だったが、時既に遅し――剣を呼び戻した分、時間が遅れてしまった。
(ダメ!! 間に合わない!!)
魔剣が届くより早く、男と影が完全に同化してしまう。
「ば~ぁっん!!!」
ドッガアアアアァァァァァ――――――――――――――ッッッッッ!!!!
高らかに笑うように爆発音を擬音で演出するグラヴェルに続いて、すぐに擬音ではない本物の爆発音がこの場にいる全員はもちろん、少し離れたところで成り行きを見守っていた水葉の耳にまで爆風と共に届いた。
「あ……ああ…………」
爆発の折に巻き起こった噴煙の先を見据えたまま呆然としてしまう水葉。
いつ頃からか、細かく降っていた雨粒がざんざんとしたものに変化していたことに逢花も水葉も気付いていない。
「あそこには珠々香ちゃんがいて……倉敷君がいて……紅栗先輩もいて……それに…………」
「……それに、あと一人残ってますねぇ」
突然訪れた喪失感を受け入れる暇も与えられない逢花の言葉を拾った男が、嗄れた声で影の中から言葉を紡ぐ。
「あと……一人? ……水葉ちゃん? ダメ!! 水葉ちゃん、逃げて!!!」
「え……!?」
その時――
後ろから逢花の横を一瞬で通り過ぎていく光の筋が、逢花に風を吹きつけて動いた。
ほんの一瞬……瞬きより早く動く『それ』の後ろ姿を逢花はよく知っている。
影の中から水葉に襲いかかるエストックの切先を、逢花も見たことがない生体エネルギーに満ち満ちた光の剣が受け止めた。
「ここから先へは行かせないぜ」
(いつの間にあんなこと出来るようになったの? ……ううん。分かってた……。もっと強くなるって……信じてましたよ――――)
「――ナギトさん!!」