第十三話 追い求めた背中
「ふぅ……」
怒りや憎しみといった黒い感情から解き放たれようと、肺に溜まった息を大きく吐き出す。
感情のままに暴れたい衝動を押さえ込むために、血が昇った頭を冷やそうと薙斗は一旦間を開けることにした。
「これぐらいで気が晴れるわけないが……まぁ、少しは落ち着けたか」
一発とはいえ全力でぶん殴ったことで、薙斗の中で気持ち程度だが現状を見るだけの余裕は戻りつつある。
(ここからは、何も考えずに戦うのはさすがにマズいからな……)
何も考えず怒りのままに戦って二度も通用するほど、目の前の相手は甘くないはずだ。
彼らは魔女狩り部隊でも上位の者であり、執行部とはそもそも対人戦を得意とした討伐部隊。
(冷静に……冷静になれ、俺…………)
「一撃で伸びるとは我が弟ながら情けない……いや、お主を褒めるべきか。銃弾さえ弾く硬化されたギルガの肉体を拳一つで沈めたのだからな」
「……そりゃ、どうも」
殴り飛ばされ気絶している弟の元に歩み寄ろうとする兄ゴルドバの姿を、俺は視線で追う。
(兄の方も弟と同じタイプの能力なら、さっきのように隙を突ければなんとかなるか……弟の感じからして、兄の方も多分俺の方が動きでは上のはずだ)
例え、弟よりも兄の方が肉体強化が高かろうと。
どれほど防御力に優れた筋肉の鎧を身に纏っても、動きを捉えることが出来なければ、それほど怖い相手ではない。
攻撃が来ると分かって受け止めるのと、分からずに攻撃を受けるのとでは、決定的に防御力に差が出るからだ。解り易く言うと、何も知らずに突然腹筋を殴られるのと、腹筋を叩く合図を聞いてから殴られるのとでは、予め腹筋に込める力が変わってくる。
今、そこで伸びて気を失っているギルガがまさにそうだ。
そんなふうに薙斗が考えを巡らしていると、まるでそれを否定するかのようなタイミングでゴルドバの気合の入った声と共に、筋肉の鎧に異変が起き始めた。
「うおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ――――――!!!!」
肉食獣が大きく咆哮を上げたかのような、大声で周囲の空気が震えている。
驚いたことにゴルドバのただでさえ隆々とした筋肉が、さらに肥大していく様が見て取れた。その大きさは弟の比ではなく、見る見るうちに巨大化していく。
「おいおい…………」
やがて筋肉の増大が収まった頃には、ゴルドバの手足の筋肉は元の三倍近くの太さに増してしまっていたのだ。
「……本当に同じ人間かよ……筋肉ダルマめ…………」
圧倒的な巨体と威圧感が俺の目の前に立ちはだかる。
巨木のような、あの腕で殴られようものならひとたまりもあるまい。
だが、攻撃面での破壊力ということに関してはこちらも後れを取ってはいないはず。何も気負う必要などない。
「試してみるか……」
体内の隅々に渡るエネルギー量を自分の望むようにコントロールを始める。
今、必要なのは相手の攻撃を難なく躱せる俊敏性……脚力の強化――
(体内を流れる血と混ざって、各所からエネルギーが血管を通して流れていっているのがわかる……足に集まっていって…………今は両足に75%ぐらい……そろそろか)
「【閃瞬】!!」
名前の如く、閃光のような速度で一瞬でゴルドバの背後に回ることに成功。完全に相手の視界外。
(もらった!!)
――――!!
けれど、ついほんの一瞬前まで薙斗の視界に捉えていたゴルドバの人間離れした筋肉の塊のような背中が突如として消えた……と思った矢先に――
「甘いわ!!!」
さっきまで薙斗が背後を取っていたはずのゴルドバの声が、あるはずがない薙斗の背後から聞こえてきたことで、薙斗は現状の危うさに反射的に脚力エネルギーを今より上げざるを得なかった。筋肉が軋むのを感じつつも、瞬時に100%にまで引き上げ、前に飛び退く。そのすぐ後に地面が抉れるほどの拳打が、さっきまで薙斗がいた場所に放たれた。
「おぉ、若いのになかなかやりよる!」
筋肉ダルマと薙斗に呼称されたゴルドバが楽しそうに言うのに対し、薙斗はそれどころではない。
75%で様子を見るつもりだった【閃瞬】を、こちらの意図せぬ100%にまで無理矢理使わされた形なのだから当然といえば当然である。
まったくもって楽しいことなどあろうものか。
「このダルマ……筋肉強化で攻撃力や防御力だけじゃなく、脚力の強化まで熟してやがる……」
「がっはっは! どうだ? 大したものだろう?」
短距離や長距離で走る速度を競うスポーツ選手が、自身のパフォーマンスを上げるために筋トレするというのを薙斗は聞いたことがあるが、まさかこの大男がここまでの敏捷力を見せるとは思ってもいなかったのだ。
(正直、背後から攻撃された際、ダルマがもし声を出さなかったら、かなり危なかったな……)
「あんた馬鹿だぜ。黙って攻撃してれば、今頃俺は殺られてたかもしれないものを……」
「ふん。それではつまらんではないか。せっかく久々に骨がありそうな戦いができそうだというのに。それに……これぐらいでは終わらないだろ?」
「言ってくれるよ……」
今度はゴルドバが先に動く。
その動き、俊敏さはやはり【閃瞬】で脚力を75%引き出すだけではキツい……。85%で五分ぐらいだろうか? だが五分では、打ち合いになれば防御面で圧倒的に劣る分、押し負けることを薙斗は瞬時に理解した……。
ならば、取るべき行動は一つ……その上をいくこと――
「ぬ!?」
ゴルドバが驚くのも無理はなく、ギルガを殴り飛ばした際に薙斗の拳が光と共に放電現象のような稲光に包まれたのと同じ現象が、今度は両足に現れた。ゴルドバがそれに気付いた頃には、さらに敏捷力の増した薙斗がゴルドバの意識外のうちに側面……しかも、ほぼ零距離に移動する。
フルパワーのエネルギー解放ならば、動きの速さに関しては薙斗に軍配が上がった。
防御も回避も不可能なほどの完全な隙を当然見逃す訳もなく、薙斗は今度は拳に力を集中させ解き放った――はずだった。
力が外にまで漲った光拳がゴルドバの脇腹に衝撃を与える……ただ、それだけ。吹き飛ばされることもなければ、倒れることもないゴルドバの硬い筋肉には傷すら付いていない事実に薙斗は驚愕した。
(こいつはかなりヤバいな……)
振り向き様の裏拳が飛んできたので、それを掻い潜って今度は正面に回り込む。
「これなら……!!」
再び零距離から腹筋目掛けて各部位のエネルギーを拳に集めた一撃を撃ち込んだ……が、またしても鋼のような筋肉が薙斗の攻撃をまるで意に介さないと言うかのように平然としている。
真上から視線を感じた薙斗がそちらを見ると、にたぁっと口角を釣り上げたゴルドバと目が合った。まるで「お前の力はこれだけか?」と言われているような気がして、薙斗は自分の攻撃がまるで届いていないことを確信する羽目となる。
瞬時に間合いの外に後退する。
猛烈な寒気が突然襲いかかる。けれど、それが錯覚であることを薙斗は頭ではわかっていた。これだけ身体を動かし、体内のエネルギーを燃やせば暑くなるのが普通で、逆に寒さを感じるなど普段ならありはしない。ありもしないことが起きているのは、薙斗が目の前の敵に畏怖を感じてしまったから……
どれだけ攻撃力が高かくても当たらなければ意味がない……そう考えていた薙斗だったが、どれだけ動きが速くても、攻撃が通用しなければ相手を倒すことができないことと、何ら変わらないことを思い知り、悔しさに舌唇を噛んだ。
「……これが執行部No.4の実力……か」
執行部……聖教第十二師団で五番目の実力者であるギルガを倒した時は、隊長&副隊長格は別格としても、案外自分の力でもマジョカル相手にどうにかなるかもしれないと思っていたのだ。
ところがこれはどうしたことか――
自分の見通しの甘さに薙斗は呆れるよりほかなかった。
無防備状態からの零距離攻撃で相手にダメージを与えられないとすると、今の薙斗の攻撃では一切通用しないことを意味する。
相手の攻撃もこちらに当たらないとはいえ、全力解放状態でエネルギーを維持し躱し続けるのは困難だ。両足への負担がいずれ限界を迎えるだろうし、既に筋肉が異常を訴え始めている。体力だって続かない……いずれこちらが先にやられるのは明白……そもそも薙斗の能力は長期戦には向かないのだ。
(せめて、あいつに何かダメージを与えられれば…………逢花なら、こういう時どうするんだろう……? いや、そもそも逢花なら、こんな苦労しないのか……)
「……逢花か…………」
(逢花なら、まず剣を召喚する――)
(そして喚び出した剣を手にするでもなく操るはず)
(一方、俺には喚び出す剣も無ければ、操ることだってできない――)
(せいぜい、どこかに剣があれば、それを手にして自分のこの手で剣を振ることぐらいしか)
剣で戦う逢花の姿が薙斗の脳裏に浮かぶ――
思い浮かんだのは、宙に浮かぶ剣を自在にいつも操っている逢花の姿ではなく、意外にも別のものだった。
「あれは……」
かつて薙斗の体内にあったもの……名は知らない――
『天使』と薙斗が慕っていた人が、幼かった薙斗を救うために預けた神器級の剣であり、水葉を新緑の魔女の呪縛から救うために逢花が薙斗の身体の中から取り出した剣…………肉体と心を癒やす剣を手にした逢花の姿――
(あの剣があれば……手にすることができれば、逢花に遠く及ばないにしても俺も剣で戦うことができるんだろうか――?)
失って、まだ一ヶ月ほどしか経っていないのに、どこか懐かしい気持ちに不思議とさせる、瞳に映る剣に俺はそっと手を伸ばす――――
「何をブツブツ言っている! 来ぬなら、こちらから行……く…………」
あれほど殴ってもビクともしなかったゴルドバの鋼の肉体。それが突如、腹筋が真横に斬られ鮮血が大量に吹き出した。
「が……は……なんだ……そ……は…………?」
「……【閃劫命刻】!!」
今、ゴルドバの目にはさっきまで殴るしかできなかった少年の拳から、目映く光り伸びたエネルギー状のものが見えていた。バチバチと周囲に溢れ出た熱量がぶつかり合う。光の拳の時と同じ光を発する同種のもの……それはまさにエネルギーで出来た『光の剣』だ――
光拳が通用せず、どうしたら良いか確かに行き詰まっていたはずだと、消え失せていく意識の中でゴルドバは最後に薙斗を見た。
現状打破のため逢花の攻撃スタイルをヒントに薙斗が思いついたもの。要は今まで拳に纏っていたエネルギーを出来るだけ鋭く念じ、剣のような大きさになるまで丁寧にコントロールして生まれた、薙斗オリジナルの剣。
「見……事だ…………」
若者の成長の早さに羨ましさを覚える反面、恐ろしさすら感じながらも、遠のく意識には逆らうことが出来ずに、重たくなった瞼をゴルドバはそっと閉じた。