第十一話 ギフト
神名の八重山、月之杜神社の境内の隅に配された音羽家。
中に入り玄関を抜ければ、すぐに二階へと続く階段が見えるが、今は家の中にいる全員が一階に集まっていた。
玄関を進みダイニングを抜ければ、すぐ居間があるのだがその隣には襖で仕切られた部屋がある。
山の下まで紅栗さんのとこの執事の人に車で送ってもらった俺たち。
下車後、先に家に戻って、重症の雅の受け入れ態勢を整えるよう紅栗さんに言われたので、俺と逢花は先行して山道を駆け上がった。
ところが俺たちが神社に辿り着いた頃には、先に山を登った俺たちよりも早く、どういうわけか重症人を抱えた紅栗さんたちの方が既にいたという。
まったくもって不思議なことだったのだが、紅栗さん曰く「実は近道があるのですわ。企業秘密ですけど」とおちゃらけて答えたものだ。
手際良く水葉にも話は済ましていたようで、雅に珠々香、執事の人は水葉の案内のもと、先に部屋に通してもらったよう。
それから執事の人が一時間ほど前から部屋に篭っている状況が続く――
部屋の中の様子を気にしつつも黙って見守ることしかできない俺たち……俺、逢花、水葉の三人は椅子に腰掛けたまま何を発することもなく、ただひたすらに雅の無事を祈って中から誰かが出てくるのを待っていた。
今、その襖が中側から静かに横に動く。
居間の中から出てきたのは神名学園の最強生徒会長、紅栗瀬里菜だった。
「雅の様子は!?」
彼女の姿を見るや立ち上がって開口一番に尋ねる俺。俺と同じ気持ちだったのだろう逢花と水葉も淡藤色の髪をした少女に視線が集まる。
そんな俺たちの心情を察してか、姿を現した時は難しそうな顔をしていた紅栗さんだったが、この場にいる人の姿を認めるとすぐに固くなっていた表情を解き始めた。
「まだ油断はできませんが一命は取り留めました。とりあえず大丈夫だと思いますよ。珠々香ちゃんが頑張ってくれたおかげですわね。……ただ珠々香ちゃんの治癒の力をまだ依然として必要としますので、珠々香ちゃんは倉敷君から離れることができません。珠々香ちゃんにかなりの無理を強いていますので、そちらは爺やに診ていてもらうことにしました」
「……そうですか……良かった」
安堵する逢花。
もちろん俺と水葉もそうだ。
「あ、紅栗先輩疲れたでしょ? お茶用意するわ。逢花の分と……ついでにあんたのもね」
「ええ、ありがとうございます」
言葉通りお茶の支度をしに行く水葉に礼を言う生徒会長とは対象的に、俺は苦笑で返した。
なんで俺だけついで……って、もう今更な気がしてきたな……。
「紅栗先輩、雅のこと助けてくれて、ありがとうございました」
「いえいえ、私は何も。お礼なら治療を今も頑張っている珠々香ちゃんにしてあげてくださいな。今回の一番の殊勲者ですので」
それはもちろんそうだが、それでものどかな島に不釣合いの非日常的光景に出くわしながら平静を保ち的確な指示に行動を起こした手並みは見事だったと言う他ない。……むしろ出来すぎてて、まるで最初からこうなることを知っていたかのような周到さだ……
だからこそ俺は次の言葉を聞かずにはいられない。
「はい。もちろん珠々香にもそうですが紅栗先輩にも感謝してます。……ところで、紅栗先輩はどうしてあんな時間にあんな場所へ? 珠々香も一緒でしたし……」
強くはないにせよ雨の降る、深夜の船着き場付近に向かう人間なんて、何か目的があってのことでなければ普通はありえない。
俺の意図するところに逢花も気付いたらしく、表情を引き締めたのが見て取れた。
「……実は珠々香ちゃんのことは倉敷君に頼まれて昨日から……いえ、日付が変わってましたわね……一昨日から預かっていたのですわ。……おそらく倉敷君は今日のようなことが起きることを予見していたのでしょう。倉敷君、あなたたちに逢うまではあまりお友達を作りたがらなかったので、珠々香ちゃんのことを見てくれそうな相手が私しかいなかったのかもしれませんわね」
「もしかして紅栗先輩も……その……」
マジョカル……もしくは魔女に連なる者なのですか?
そう尋ねたかったものの、紅栗先輩が一般人という可能性もあるため、言って良いものかどうか逡巡してしまう。
魔に抵抗のない者の場合、その言葉を聞くだけで魔に魅了され取り憑かれたように裏の世界に踏み入れてしまうことだってある。意思が弱ければ尚更危険で「魔が差す」とはよく言ったものだ。
これによく似た現象が日本においても存在し言霊と呼ばれている。
言霊とは言葉に霊力が宿り力となる現象のことで、言葉を口にすることで口にした内容が実際に引き起こされるというものだ。神道における祝詞や、縁起を気にして特定の言葉を避ける忌み言葉だってそうだと言える。良いことも悪いことも言葉にすれば、それらを呼び寄せるとされた。
そういう言霊の例もあることから不用意に魔女のいる世界のことを一般人に聞かせることは、ほんの些細な情報と言えど、裏の世界に生きる良心のある者にとって禁忌とされている。
聞き難そうに躊躇している俺の姿から察した先輩が、俺の言葉を待つより先に口元を動かす。
「くす。私は『魔女』ではありませんわ」
やはり知っていた――
「それに倉敷君のように『魔女狩りを行う者』でもありませんわ」
魔女狩りを行う者――
つまりマジョカルのことに違いない。
雅と繋がりがある以上、マジョカルの存在も知っている可能性があることは予想していた。
「紅栗先輩……やはりマジョカルという名をご存知なのですね」
「はい」
逢花に確認された紅栗先輩は堂々とした、それでいて綺麗な声と首を小さく動かすことで自分の意を俺たちに知らせて見せる。
「そうですわねぇ……」
「魔女でもマジョカルでもなければ、先輩はいったい何なのかしら? まさか一般人だなんて言わないわよね?」
こっちの聞きたいことを無遠慮に聞いてくれたのは、皆の分のお茶を煎れて戻ってきた水葉だった。
こういう時、この子の何に対しても物怖じしない性格は稀に、稀に、稀に助かる。
「もちろん一般人という訳ではありませんわ。そうありたいとは思いますけど。……音羽さんも戻られたことですし、少し長くなるかもしれませんが私の知っていることお話しますわ」
真面目な話が始まる前に、水葉がそれぞれの前に用意した温かいお茶の入った湯呑を置いていく。それを大事そうに両手で包み込む紅栗先輩。
「……あら、美味しい」
「そ、そう……?」
「ふふ。水葉ちゃんの煎れるお茶はいつもお湯の温度や煎れ方、急須のサイズにまで拘った本格的なものなんですよ」
自分が褒められたかのように逢花は嬉しそうな顔をして、水葉の煎れたお茶の説明を先輩に始めた。一方で水葉が照れくさそうにはにかむ仕草を見せている。
確かに水葉の煎れるお茶は味に深みがあって味わいがある気がするな。
「皆さんは、裏の世界……魔に関する世界において、今、大きく分けて四つの勢力があるのをご存知ですか?」
「魔の世界……一つは俺がいた魔女狩り組織マジョカル」
「そのマジョカルと敵対している魔女たち」
生徒会長の問いに俺、逢花の順に答えていくが、残りが思い浮かばない。
「残り二つって、他に何があるっけ……?」
「……いえ、あるわ。妖魔や霊の類もそうなんじゃないかしら?」
実に退魔師らしい着眼点で水葉が口に。
「そうですわね。主に魔の世界で知られているのはその三勢力……。そしてその三勢力と比べるとあまり知られていませんがもう一つの勢力があるのです。……わたくしはそこの勢力に属する者なのですわ」
「それっていったい……?」
互いに顔を見合わせる俺たちだが、紅栗先輩が所属しているという勢力に、言った本人以外は思い当たらないようだ。
「魔術と科学を融合させた霊子機器や魔導器を技術開発している企業……表向きは一般企業でも裏では魔術や霊力を軍事利用に取り入れれないかと技術促進に励んでいる企業が世界各国に存在します。それら複数の企業が一枚岩ではないにせよ技術協力するために集まって出来た勢力の名が……『ギフト』」
「ギフト……」
「瑞原君ならご存知かと思いますが、例えばマジョカルが使っているスマートフォン……これは一般で販売されている物とは違い、魔術の発生を探査できるアプリが組み込まれていますわ。このアプリを開発し、マジョカルに提供したのが魔女術研究機関ギフトなのです」
魔女術探査アプリのことだろう……。
ん……もしかして、前にレンが新緑の魔女にやられた時に使っていたやつも……
「持続回復結界【デュレイション・ヒール・フィールド】のような魔法装置もそうなのかな?」
「ええ。マジョカルはかつてのヨーロッパであった災悪……魔女狩りの表面部分をベースに作られた古い組織ですから、自身が魔法の類を用いることを好く思わないのですわ。けれど、それでは強大な魔法の力を行使する魔女には敵うはずもなく……。そこでマジョカルが苦肉の策で考え出したのが、魔力を霊的変換されたエネルギーで用いる近代技術に関しては使用を認めるというものですわ。随分と都合の良い話ですけれど……。そうしてマジョカルから情報提供を受けたり買い取ることで発展していったのがギフトであり、良きビジネスパートナーとなったわけなのです」
「……そんなことがあったのか」
(おそらく俺のような末端の者には知られていない話だったんだろうな……。ギフト……贈り物とはよく言ったものだ)
「……魔女狩りの表面部分があるということは、裏面はどうなっているのかしら?」
「だそうですよ、瑞原さん」
水葉の質問をそのまま俺にパスする紅栗先輩に釣られて、皆の視線が俺に集まる。
「裏面か……。さっき紅栗先輩が言った表面部分っていうのは、魔女や魔女と思しき者、魔術行為を告発し、それらを処罰断罪した社会現象として一般的によく知られているけど、実際のところは少し違ってくる……。元々はヨーロッパで勢力を伸ばしていたキリスト教社会の歪みと社会不安が大きく影響されたのが原因で、権威も力も持ち合わせていた教会や権力者は中央集権を強く求める余り利害が一致し『異端審問』という悪魔のシステムを生んだんだ」
「異端審問……学校の教科書にも載っていましたね」
歴史や世界史の授業を思い出した逢花の言に頷く俺はさらに言葉を繋げる。
「時の権力者であったキリスト教教皇が任命した審問官が各地に赴き、教会や権力者にとって都合の悪い者を異端として裁判し根絶するのが目的で、これによって多くの異端派が処罰された……。魔女狩りの原初形態とされている。これの誕生が十一~十二世紀頃だけど、中世という時代の頃には、いろいろなところから悪魔という情報が民衆に浸透していき、イメージが固まっていったんだ。そして頻繁に起きる天候不順による飢饉、ペストの大流行といった社会不安……これら民衆の不満が教会や権力者に向かないように目を逸らさせるためにも悪魔像を民衆に植え付けさせた。……魔女と悪魔は密接な関係というイメージと共に……。こうして生まれたのが魔女狩りなんだ。そして今のマジョカルはまるで異端審問そのもの……」
少女たちは三者三様それぞれ辛辣な様で俺の話を聞いている。
「そりゃあ、ナギも抜けたくなるわね」
「マジョカルを目指す訓練生なんかは、人々に災いを起こそうとする魔女から守るためとか、報酬が良いからとかで魔女と戦うことに何かしらの夢を見てる人が多いんだけどな。実際にマジョカルになって、初めて見える景色もあるんだって、俺も最近になって知ったよ」
どこか他人事のように言う俺に対して、どこか呆れた表情を見せる仙女様と巫女様。先輩も困ったような顔をしてるような、してないような。
「長く続いた魔女狩りの歴史にやっと終止符が打たれ、人々はその歴史を恥じ、二度と同じような非道を行わない……そう考えたのは表の世界の住人だけで、魔女狩りが活発だった頃ほどではないにせよ裏の世界では今も残っているのが現状なのですわ。ですが、わたくしはその在り方を良しとは思いません。もっとも、わたくし個人としての意見ですが。先程も話した通り、ギフトは一枚岩ではありませんので各企業それぞれで考え方も違いますわ」
「えと……紅栗さんの所属する企業の考え方はどうなのですか?」
まだ高校生だというのに企業に所属しているというのがなんだか一般人とは違った道を歩んできたんだろうなと俺に想像させる。聞いた本人である逢花の方もその辺を感じ取ったのかもしれない。言葉を選んだ風に見える。
「わたくしのお父様が企業を纏めている『ククリ・コーポレーション』……ありがたいことにわたくしの思いと同じ道を進んでいますわ。だから安心してくださいな」
周りの緊張感を優しく包み込むような優しい笑顔を俺たち三人に向けた紅栗先輩。言葉以上に俺たちはその笑顔を見て安堵できた。雅を助けてくれた人がもしかしたら敵になるかもしれないという不安が頭の片隅にずっと残っていたからだ。けれど、それが杞憂であったと思うに十分な邪気の無い笑顔は、一瞬で不安を拭い去るだけの破壊力があった。
「ふぅ~。話も一区切りついたし、お茶入れ直すわ」
「水葉ちゃん、私も手伝……」
「「「「!!」」」」
黒髪少女に次いで、銀髪少女が立ち上がろうとしたところで、一度は安心感に包まれた場の雰囲気が突然気温が5℃ぐらい下がったような感覚が俺たちを襲った。
「これは……殺気だ…………」
「……それも一人ではありませんね」
近くからではない。
家の外……それも離れた場所からだ。
俺と逢花だけじゃなく、水葉も紅栗先輩も気付いたらしく表情で分かる。
今のこの状況で、こんな殺気を放ってくるやつとなると、思い当たるやつなんて決まっている。
――マジョカル執行部だ!
ここには重症で動けない雅に、その治療をしている珠々香がいる。この場で戦うわけにはいかない。
それに…………
「水葉! 皆を頼む! 俺と逢花で外に行く! 先輩もここにいてください」
「わかりましたわ」
「ちょっとナギ! 待っ……!! ……ううん、何でもない」
何か水葉が言おうとしたみたいだが、特に続きもなさそうだったので、俺は振り返ることなく居ても立ってもいられない気持ちを抑えきれず敵意に向かって走り始めた。そのすぐ後を逢花が付いて来てくれる。
「……」
「音羽さん、どうかされましたか?」
「いえ……あんな厳しい顔をしたナギ、初めて見たなと思って……」