第二話 ポーションの少女
神社の境内の石畳に触れる肌がひんやりとしていて、火照った身体にはとても気持ち良い……と、私の目の前に寝そべっている黒髪の少年がおっしゃっています。そして信じられないことに「逢花も一緒にどう?」と私に同じようにしないかと手招きまでするとは。
(ナギトさん……それ、女の子にかける言葉じゃないですよ…………それとも私のこと女の子と思ってないのでしょうか)
ついつい呆れた顔になってしまうのを自覚してしまっている私。
(けど……本当に気持ち良さそう。……どんな感じなのかしら?)
修行で汗を存分にかいて体温が上がった、その体をあまりにも幸せそうに今も寝転がったまま石畳に腕を当てるナギトさんの姿を見ていると、なんだか私も興味が湧き上がってきて……
「じゃあ、ちょっとだけ……」
もちろん女の子がこんなところに自分から寝そべるような真似などできるはずがなく、私は両膝を曲げて左手の掌を広げてそっと石畳に置いた。
「あ……ほんとですね。冷た~い」
「だろ?」
「はい♪」
してやったりと言葉にしたような、子供のような無邪気な笑顔を浮かべて私に笑いかけるナギトさん。
(もう、仕方がないんですから)
釣られて私も笑いを堪えきれず吹き出してしまいました。
「あ~あ……今日こそは一発ぐらい当てたかったんだけどなぁ」
「でも、修行の成果は少しずつ出ていますよ」
朝一番の山の登り降り往復ダッシュのラストをナギトさんとの競争で締めた私は見事に勝利し、私が勝利した場合は休憩無しで次の修行に移るという約束をナギトさんは果たすこととなりました。
次の修行は実践を想定した私との戦闘訓練。約束通り休む時間を与えず訓練を始めた私たちですが、案の定、ナギトさんのスタミナ切れで今に至るわけです。
「ナギトさんの能力は、ただ脚力や腕力を強化するだけに留まらない、いろいろなことに適応できるものだと私は考えています。その一つがナギトさんが自分で気付いた自己回復力を超えた自己再生力の強化。ただし、今のナギトさんにはそれらを使い熟すには決定的に足らないものがあるのです」
「……エネルギーを維持するためのスタミナか」
「はい」
ナギトさんが朝から私と修行するようになって、この弱点の指摘は言い続けてきたことなのでもちろん彼も重々に承知しています。けれど、まだ彼は自分の可能性を軽く見ているところがあります。私からすれば、まだ見ぬお宝の山が眠っているふうに見えるというのに。
私はナギトさんの頬に静かに右手を添え――
「ナギトさん、自分を信じてあげてください。……今は実感がないのかもしれませんが、あなたの力にはたくさんの可能性が秘められているのですよ」
「……まだ俺は強くなれるかもしれないってこと? いや……なれるかどうかじゃない。俺は強くならないといけないんだ」
真剣な瞳で真っ直ぐに私を見るナギトさんがなぜ今、こんなに必死になって修行に励んでいるのかを私は知っていました。今、ナギトさんが抱える強い想いも。
「ええ。ナギトさんが望むなら私が強くします。……約束です。だから……ね」
子供を諭すような、なるべく優しい声色を発する私。そうしようと思ったのではなく、後になって気付きましたが自然とそうなってしまったようです。気付いた時にはナギトさんの顔が何故か赤くなっていました。
「? どうかなさいましたか?」
「い、いや、なんでも……」
「あ……」
顔が……近い…………
今になってナギトさんが赤面している理由を知った私……すごい鈍感です、私……こんなに近くナギトさんの顔が見えるまで気付かなかったなんて…………そういえば、あの時もこれぐらいの距離で……ううん、もっと近くでナギトさんの顔を感じていました。そう……ナギトさんに自分の正体を明かした、あの日も…………
彼の瞳の中に私が映っています。きっと彼から見た私の中にも彼がいるのでしょう。
お互いに意識してしまい固まる私たち。
え~と……どうしたら良いのでしょうか――――
「二人して、なに固まってるのよ、まったく」
「うぉ!」「きゃっ!」
突然の声にびっくりして二人して背筋がピンと空に向かって伸びてしまいました。いつからそこにいたのか、ちょうど私とナギトさんの間に黒髪のポニーテールがトレードマークの巫女服姿の水葉ちゃんが立っていたのです。
音羽水葉――私の幼なじみであり、幼い頃、初めて日本に来て不安だった私に優しく声をかけてくれた、私の初めてのお友達。昔はいろいろあったけど、今では実の姉妹のように月之杜神社に住まわせてもらっています。普段は実家の神社で巫女さんをしていますが、裏では退魔巫女として妖魔と戦っていたり。
その水葉ちゃんの両手には大事そうに抱える、こちらも巫女衣装の珠々香ちゃんが。
「旦那様、お姉ちゃん、おはよ~!」
「おはよう、珠々香」「珠々香ちゃん、おはようございます」
今でもドキドキが収まらないのですが、ここは気付かれないように冷静に……冷静に、っと……
「ナギがまたヘバッてると思って、せっかくわざわざポーションを持ってきてあげたっていうのに何やってたのよ?」
「ポーション?」
ゲームでよくお世話になる単語が出てきたことに私とナギトさんは何のことだろうと互いに顔を見合わせますが、どうもナギトさんの方もよくわかっていない様子。
そこで、水葉ちゃんが水葉ちゃんの言うところの『ポーション』をナギトさんの元に落としてしまいました。
「げふっ」
背中に落ちてきた珠々香ちゃんに乗っかられる感じで落ちてきたので、わざとらしく声を出すナギトさん。
「う~、ミズハお姉ちゃん、ひどい……」
雑に降ろされたのが不満らしい珠々香ちゃんですが、その割に嬉しそうにナギトさんに抱きついているところを見ると、やっぱり珠々香ちゃんが一番懐いているのはナギトさん……ってことになるのでしょうか。
八桜珠々香ちゃん――小学生ということもあり、まだまだ可愛らしさが残りますが、実はシスターの卵だったりします。まだ記憶に新しい、とても辛いことが珠々香ちゃんの身の回りに起こってしまいましたが、今はそのことをおくびにも出さずに健気に私たちに明るい姿を見せてくれています。天使です。私たちが彼女の笑顔を守ってあげないと。ちなみに珠々香ちゃんにはシスターらしい触れている人を回復するという能力があります。そのため水葉ちゃんにポーション扱いされたようで。我が親友ながら、なかなかに失礼です。
「さぁ、これで後のことは気にせず存分に能力が使えるわね、ナギ」
「はは……つまり、もっと頑張れと?」
「当然」
胸を張って言う水葉ちゃん。
ナギトさんの能力使用後のデメリットを極力抑えるため珠々香ちゃんの回復能力を期待して連れてきてくれたようです。ファインプレーです、水葉ちゃん。
「さて、じゃあ始めるわよ」
「え? 水葉ちゃんも修行するの?」
「ええ。ナギもしてるんだし良いでしょ、逢花?」
「それは構わいませんが、どういった心境の変化です? 水葉ちゃん」
「ん~……ほら、この前みたいに魔女やマジョカル相手にした時、私って専門外の相手になると途端に戦う術が無くなっちゃうのよね……それってなんだか悔しいじゃない? ……それでよ」
「ふ~ん」
「な、何よ!?」
なんだか他にも理由があるような気がするのですが、まぁ良いでしょう。あまり詮索すると怒られそうですし。
「べっつにぃ~。……じゃあ、ナギトさん、休憩は終わりにしましょうか。水葉ちゃんとナギトさん、二人揃って私にかかってきてください。模擬戦再開です♪」
「ちょっと逢花! いくらあなたが強いといっても二人同時は……」
言いかけた水葉ちゃんの言葉を、石畳から腰を上げた薙斗さんが遮ります。
「待った、水葉。とりあえず逢花の言う通り二人でやってみよう。多分、それでも足りないぐらいだろうからさ……」
苦笑するナギトさんを訝しそうにそちらに視線だけ流す水葉ちゃんでしたが「まぁ、良いわ。こっちは付き合ってもらう側だしね」と納得してくれたようです。ただし、その後、小声で「……後悔させてあげるんだから」なんていうのも聞こえてきましたが……
「珠々香ちゃんは危ないから少し離れててね」
「は~い!」
元気に返事をした珠々香ちゃんが私たちから距離を取ります。
「二人とも準備は良いですか?」
「ああ」「ええ」
両目を瞑って、胸が前に突き出るような仕草で大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す私。そして私の両目が見開かれた時、私の両手には私が呼び出した二本の木刀が。現れた木刀を二本とも宙に放ると、上下にゆっくりと揺れながらも浮き続けます。
これで私の準備も出来ました。
二人の適度に緊張した……それでいて私を射抜くような真剣な視線を感じ取ると、私の中に高揚感のようなワクワクした気持ちが沸き上がってくるのがわかります。
(こういうの……なんだか良いですね)
「では……行きます!」