第一話 魔女は箒に乗らず鞘に乗る
昼夜で寒暖の差が大きくなってきた五月も中頃に差し掛かった今日。風薫る新緑の色が神名島の山々に芽吹いて久しい。
月之杜神社のある八重山の自然の香りを感じながら、黒のタンクトップに下はジャージ姿の瑞原薙斗は、今日も早朝から銀髪少女による地獄のシゴキに耐えているところだった。
「はぁはぁ……キツい…………」
朝の準備体操もほどほどに、山の登り降りを往復ダッシュするという古典的な方法で俺はスタミナ作りに励んでいる。
そのすぐ後ろには……
「しゃべれる余裕があるなら、まだまだ平気そうですね。ナギトさん♪」
ティーシャツ姿に短パンの装いで満面の笑みを俺に向ける薄青が軽く混じった銀髪の美少女が、先ほどから俺には鬼にしか見えないでいた。
彼女は俺の修行に付き合い、こうして山道を走る俺の側を付いて来ているのだが、息を切らして走る俺と違って、まったく乱れることなくケロリとしている。それもそのはずで彼女は走っていないからだ。ならば、どうして走っている俺に走っていない彼女が追いつけているのかというと……
「……逢花、それズルくない?」
鞘に納めた空飛ぶ剣の上に、まるで絵本やアニメに出てくる魔女が空飛ぶ箒に乗るかの如く寛いでいる逢花の姿を恨めしく見る俺。
彼女の能力である『魔力で剣を操る力』を俺が山を往復し続ける間ずっと発動している訳だが、激しい動きが必要ないとはいえ維持し続ける魔力量の多さにただただ脱帽するばかりである。正確には逢花の使う力は魔力ではなく霊気及び仙気であるが。
仙女……中国の空気の清い山奥に住み、そこで厳しい修行の果てに神通力を起こせる奇跡の力の源となる仙気を使えるようになった女性版仙人のことであり、逢花はこの仙女だ。
彼女がどういう経緯で仙気や霊力を身に纏うほどになったかはわからないが、これまでの逢花の戦う姿を見てれば、間違いなく逢花の仙人仙女としての格は上質なものだろうと容易に想像できた。
魔力と霊力は大まかに言うと大きな差はないので、この際、魔力ということで統一して言うが、俺と比べるまでもなく逢花の魔力量は尋常じゃないほどに強大である。朝から山の登り降りを三周こなしたが、その間ずっと彼女は魔力を維持したまま、鞘の上に腰がけていたのだ。
長い時間でも能力を維持できるだけの魔力量に魔力のコントロール……今の俺に決定的に足りないものを逢花は持っていた。それゆえ俺は彼女のような能力維持できる持久力を得るために、一週間ほど前からこうして彼女に鍛えてもらっているという。
「ズルくなんてないですよぉ。これだって霊力をずっと流し続けているような状態なんですから」
「ごもっともなんだけど、視覚的にどうも一言ツッコまずにはいられないと言うか……」
後ろを飛んで付いて来ていた逢花が俺を抜いて前に出る。
「そんなこと言うなら次の実技の鍛錬覚悟しててくださいね♪」
「げ……それは」
「私も鬼ではないので、今から私より先にナギトさんが神社に着くことができたら、この後の実技前に休憩をあげますよ♪」
「……それに勝てなかったら休憩は無しで決まりなわけか……」
「【閃瞬】使っても良いですよ? ただし、その後、身体が悲鳴をあげても修行は続けますけどね♪」
この逢花の笑顔……なんだか逢花と水葉のバイト先にいるチャイナドレスの悪魔に似ている気が……そのことを言うとさらに修行が過酷になりそうだから敢えて言わないでおくが。
銀髪仙女様の言う通り、俺のエネルギー操作による肉体強化技【閃瞬】を使えば勝算はあるのだが、その後のデメリットを考えると使うのは少々躊躇われる。
自身の体内のエネルギー分配量を自由にコントロールすることが出来る【閃瞬】は、一時的に今それほど必要としていない箇所のエネルギーを任意に減らし、必要な箇所にだけエネルギーを集めることで、必要な箇所の身体能力を飛躍的に向上させることができる技だ。これだけ聞くとかなり使いやすい能力なのだが、デメリットも馬鹿にはならない。
普段使われていない肉体に秘めている潜在能力をエネルギーを供給過多にすることで、無理矢理に栓を抉じ開ける方法なのだが、普段、人間の脳は無意識に身体の負担を考え使い過ぎないようにリミッターがかけられている。それを無視して潜在能力を解放するのだから肉体に負担がかかって当然だ。筋肉や神経に負荷をかけ、慣れないエネルギーの供給量に身体が悲鳴を上げてしまう。使い過ぎると全身痛みで動けないほどに。エネルギー供給過多となってしまった箇所は特に神経や筋肉に激痛が走る。
まさに諸刃の剣だ。
なのに俺は能力を解放することにした。
勝負に勝ちたいことは勝ちたいが固執からのためではない。『そうしなければいけない』と思ったからだ。
まだ俺が幼かった頃、瀕死だった俺を助けてくれた人に俺は憧れ、同じように理不尽な力の前に苦しめられている自分の目に映る人ぐらいは助けてあげられるような人になりたいと、数多の星が煌めく異国の夜空に願ったことを今も鮮明に覚えている。
あれから十年が過ぎた今でも俺の行動理念となっているのだ。
……ただ残念なことにまだまだ力不足なことを最近痛感し自覚もしている。
この島に着てから魔女と戦う機会が二度もあったが、どちらも目の前にいる銀髪の少女の力が無ければ、到底俺一人では解決できなかったのだ。
多少の無理を押してでも今は少しでも早く強くなりたい――
「よ~し! じゃあ、お言葉に甘えて…………【閃瞬】!!」
この場面で必要な強化箇所はもちろん脚力である。よって、俺は凄まじい速度で山を駆け上がり始めた。逢花相手にイニシアティブを取れたのは大きい。それでも油断できる相手ではないが。
「本当に使うんですね。……けれど、それで正解です、ナギトさん。少しでも早く強くなりたいのであれば。……って、あまりのんびりしてる場合じゃありませんね。私もちょっと頑張らないと」
こうして光速で地を蹴る俺と、空飛ぶ箒ならぬ鞘に腰を下ろす魔法少女との神社までの競争が始まるのだった。