第四話 魔女
夜の帳が下りてから、かなりの時間が経つ。
自分の時間感覚がこの闇夜の中に居続け過ぎて狂ってしまっていなければ、日付の変わり目あたりではなかろうか。
十三夜の月の見える夜を俺は昔のことを思い出しながら、ただなんとなく眺めていた。
夏間近の日中の照りつく暑さと違って、夜になると、ここは木陰ということもあり心地良い涼しさを感じる。
ここに来たのが23時。
正確に言えば、土地勘のない場所なので念のため少し早めに着たのだが……22時半頃には着いていたはず。だが、23時集合の待ち人は一向に現れる様子がない。
「……遅い。まさか場所間違ってるんじゃないだろうな……」
早く来るんじゃなかったと後悔しつつも周囲を確認するが、ここは標高四百メートルほどの山の入り口付近で、電灯もない。月の明かりが無ければ、おそらく真っ暗で何も見えないだろう。
こんな夜中に普通は山に誰も近付かない。
そう普通の人ならば……。
俺の後ろの方は生い茂る木々が乱雑に並びつつも、人が歩けるように地面を踏み鳴らした土剥き出しの幅二メートルほどの狭い道がある。
ここから先に進めば山を登って行けるだろう。
ただし、山の中は木々が空を覆ってしまい月の光が届かないと思われる。地元の者でも、この暗闇の山の中に入るような無謀者はいないはずだ。
逆に前方は道が開けていて幅に余裕がある。四メートルぐらいだろうか。砂利道が続いており、周りは田園が広がっていて、俺も一時間半ほど前にはここを通ってきた。
こちら側は電灯がなく月明かり頼みだったので、初めて通るということもあり不安を覚えずにはいられなかった。民家付近には電灯が気持ち程度あったのだが、こういう人の集まらない場所だと明りの類は一切ない。
これから俺たちがしようとしてることを考えたら、この人気の無さは都合が良い。
待ち人への不満を頭の中で考えながら暇を潰していると、ふと人の気配を感じた。
「気配は完全に消していたつもりなんですけど……さすがは新人ながら今回の任務に選ばれただけはありますねぇ」
声には覚えがあった。
俺の暗視能力は一般人と大して変わらない程度なので、月明かりがあるとはいえ、この暗闇の中で離れた相手を見分けることは出来ないが、知っている声と見覚えのあるシルエットなので待ち人で間違いないだろう。
「選んだのはあんたでしょうが」
今回の任務の人選を人事のように話す男の姿がゆっくりと近付くにつれ見え始める。
名前はレン・オルティブ。
長身痩躯な緑髪の男性で、年齢三十間近だろうか。年齢より若く見えるが、俺をこの島に呼び出した張本人であり、今回の任務において俺の上司に当たる。
普段はあまり接点がなかったため、ほとんど話したこともない。なので客観的な印象になるが、俺はこの人が苦手だ。
いつもニコニコした表情を崩すことがなく、何を考えているのかイマイチよくわからないからだ。それに……理由はわからないが、時折とても冷たい視線を向けてくることがある。
今回の任務に当たっては上司なので、本当はもう少し丁寧な態度をとった方が良いのだろうが、そういうこともあり、どうしても目上の人と話すような気にはなれない。
幸いレンも気にしてはいない様子なので特に咎められることがないのは助かる。
ただし、戦闘能力は疑いようも無く高い。
と言うのも聞いた話では、前の任務で『魔女』をたった一人で二人同時に殺したことがあるとか。
その戦闘能力を今から見られると思い少し高揚している自分に気付いた。
「いや~、ごめんごめん。ちょっと予定が狂ってねぇ……調べものが増えたせいで手間取ってしまいましたよ」
「……」
昼間の電車内での俺の失態を言われてしまうと、レンの遅刻を責めるに責めれなくなる。
普通の人なら何も意識することなく当たり前のようにやってる相手の顔を認識するという行為……その感覚が著しく欠如している俺は、昼間の電車内で監視対象者の写真を見た後だったにも関わらず、俺が追っていた少女と写真の少女との顔の違いが実はわかっていなかったのだ。髪の色が全然違うのでそこで同じ人物ではないとあの時は判断できたが。
監視する者としても、社会で生きていくにしても、俺のこの特性はかなりの欠点と言える。
そのため、顔を認識することができない代わりにと、せめて別の方法で感情の動きぐらいはわかるようになろうと俺は人知れず特訓した。
感情は表情筋の動きや、その人の声、発する場の雰囲気なんかでなんとなくわかるまでになったのだが、子供の頃はこれができずに大いに困ったものである。
医師曰く、相貌失認らしい。
顔の1つ1つのパーツは認識できるのだが、それらが合わさって全体として見た時には顔の判別ができない。なので目や口を見て、今怒っているとか笑っているとかの筋肉の動きは判断できるのだが、顔全体としては見えてはいないので、その人がどういう顔立ちをしているのかがイマイチわからないのだ。
俺のこれは先天的なものではなく、子供の頃の事故による精神的要素が原因らしい。なので、精神面による改善が何かあればひょっとしたら病気が治ることがあるかもしれない。そう俺が思うようになって、すでに十年が過ぎた。
レンはこの病気のことを知らないはず。
相貌失認であることを極力隠し続けてきた俺のことを知る人は、友達にもマジョカルにも合わせて数えれる程度しかいない。
どうやら緑髪の青年が俺の尻拭いをしてくれたらしい。
「そう邪険にしないでください。その様子だと、ちゃんと反省はしてくれているみたいだし、頼んでおいた学校への調査の件の結果次第ですが、今回はこれ以上言わないことにしときましょうか」
「……そうしてもらえると助かります」
俺は三時間近く前までいた学校での出来事を報告した。
儀式のこと。蔦人間がいたこと。魔女本人はいなかったことも。
夜の学校教室での戦闘相手であった異形は魔女ではない。魔女に魔法で操られただけのただの植物だ。
最初、見るからに怪しい符が植物を操っているのかと思ったがそれは半分正解で、符は儀式の際に詠唱を唱えるための発声装置としての面と、植物を遠隔操作するためのリモコンの役割を担っていたことが後になってわかった。
あの化物たちは魔法を動力として、どこか遠くにいる魔女が赤い玉へ魔力を送ることによって、玉が魔力の中継地点……一種のワイファイのような状態となり魔女の命令を遂行していたのだろう。でなければ、あのような異形はこの世界に本来存在しないのだから。
儀式を阻止した俺は、周囲の様子をスマホで写メを撮り、符を拾ってから証拠を残さないためにも五芒星を消した。
開いたままの灰色世界への扉は俺が後始末をしている間に自然と消滅。
その場から女の子を担いで後にした。もちろん、女の子に俺の上着をかけてあげてからだが。
女の子の方は目立った外傷があるわけではなさそうだったので手当ての必要もなく、彼女が持っていた生徒手帳を頼りに気を失っているうちに彼女の家へ送り届けた。
写真はすでにレンに送っていたので、あとはこの符を渡すだけだ。
「……ふむ」
渡された符を見て考え込むレン。
「これは神道系でよく使われている文字ですね。となると…………」
何が楽しいのか相変わらずニコニコした表情のまま、木々が並ぶ周囲をグルッと見回し、それが終わると山へと入る小道の一点をレンは俺に背を向けたまま見続けるのだが、この時、俺はレンがより一層の笑みを浮かべていたことに気付くことはなかった。
「……どうやら、ここで間違いなさそうですね。……君はどう思います?」
レンが見つめる山の上の方に神社があることを、この島に来る前の道中に地図を見て確認済みである。神道系の者が今回の一件に関わっているとすれば、神を祭る神職者のいる神社はまさにうってつけの場所と言える。
それに――――
こちらに振り返ることもなく聞いてくるレンに、俺は一瞬だけ考えて、感じたことを素直に言うことにした。
「……その道の先から肌が少しピリピリするような感じが。多分、近くに魔術的な何かが仕込まれているんじゃ……」
「正解。じゃあ、これからそれが何なのか調べに行こうと思うんだけど……瑞原君、キミ確か任務に出るのは今日が初めてでしたよね?」
首を縦に振ることで答える俺。
「そうですか、初任務ですかぁ。……これから『マジョカル』としてやっていくことですし、ここは少し復習といきましょうか」
何をするんだろうと頭の中に疑問符を浮かべた俺だったが、その答えはすぐにレンの口から発せられた。
「なぁに、簡単な質問を少々するだけなので心配しなくても大丈夫ですよ」
表情は先ほどまでと同じように笑顔のまま、軽い感じで淡々と話してはいるが、眼光が真剣なものへと変化したことに俺は気付いた。俺みたいに特定の部位しか見えていないからこそ気付けたのかもしれない。
表情と雰囲気とのギャップに少々戸惑うが、ここからは真剣に答えた方が良いだろう。
「よく聞かされてきたとは思いますが…………『魔女』とは何か? みたいな?」
みたいなは余計だけど。……などとは口にして言わないことにする。
魔女――
中世ヨーロッパの伝承。
現代においても、なお知られている伝説の存在で、外国の伝承であるにも関わらず日本でもその知名度はとても高い。
そのため、実は現在でも魔女と呼ばれる者はいる。
魔女狩り研究の流れから生まれた魔女宗だ。
二十世紀に興った多神教信仰の復興運動から生まれた新興宗教である。
かつて魔女狩りによって魔女と呼ばれた人々が崇めてきた女神ディアナなどの再興を願い誕生したと言われている。
伝説上の魔女のように魔法が使えるとかいうわけではなく、あくまで宗教として現代で活動をしているだけなので特に問題なく、現代社会に溶け込んでいる。
今と昔では何を持って魔女と呼ぶかの認識が変わったと言えるかもしれない。
俺たちマジョカルが追う魔女は、魔法を操り、魔薬を作り……中には悪魔と契約を結ぶ存在もいたという……。それらを用いて多くの人々に災厄をもたらした人間のことだ。
魔女というと女性の印象だが、女性ほどの人数ではないにしろ男性もいたとされる。
そんな魔女だが、十五世紀~十八世紀もの長い時期において『魔女狩り』という社会現象が起きた。
魔女でない者でさえ、魔女と少しでも疑われれば告発され、魔女裁判にかけられる。
裁判はひどく残酷なもので、告発されたら最後、自分が魔女と認めるまで拷問が続き、魔女と認めれば死刑にされる……。周りからの告発を恐れ、いかに疑われることなく、いかに嫌われることなく生きていくのかが大事だった暗黒の時代が四世紀も続き魔女は絶滅したと思われた……。
だが魔女は現代においても尚存在する。
身の危険を感じた魔女は俗界と隔てた異世界――灰色の世界に潜み、暗黒の時代を逃げ延びることに成功したのだ。そして生き延びた魔女は人間へ復讐の機会を虎視眈々と狙っているという。
レンの質問が、悪意ある人々によって作られた魔女のことを聞こうとしているのではなく、本物の魔女のことを言っているのだと察知した俺は、思ったことを口にすることにした。
「主に人に影響を与えるような魔法を使う者……。怪しげな薬を作る者も……悪魔と契約するような悪魔崇拝者も魔女といえると組織で教わりました。」
先ほどから目や口を一変もせず、俺の答えを黙って聞く緑髪の青年。
「では、二つ目の質問。…………我々『マジョカル』とは何か?」
魔女狩り組織マジョカル。
『魔女を狩る』組織という意味だが、その言葉は魔女狩りをどうしても連想させてしまい、非道な行いを思わせてしまう。そこで言葉を柔らかく思わせるために……
『魔女狩る』→『マジョカル』
となったらしい。
名前のとおり魔女退治専門の組織。
中世ヨーロッパの時代に魔女狩りにより魔女は絶滅したとされるが、一部少数ではあるが生き残り、人々から知られることなく、ひっそりと隠れ住んでいた者がいるとされる。
それら本物の魔女が起こす災厄に対抗するために作られた組織がマジョカルである。
魔法を主に使う魔女と違って、マジョカルは武芸を主にしており、激しい訓練を経て大抵のマジョカルが何かしらの武器を扱う。
魔法対武器の戦いだ。
俺もレンもマジョカルに所属し、厳しい訓練を経て魔女と戦える力を得た。
……と言っても、俺はまだまだ駆け出しの新人なので、今回の任務をベテランのレンに同行する形となったのだが。
「対魔女退治を専門とし、魔女が起こす災厄から人々を守る組織……。そのために俺らマジョカルは毎日を一生懸命鍛錬に勤しんできました」
二つ目の質問の答えも黙って聞いていたレンだが、ようやく緑髪の青年は口元と同じように眼光も柔らかいものへと変えた。
「どちらの質問もマジョカルとして一番最初に学ぶような基礎的な知識ですが、それゆえに最も大事なことですので、これからも忘れないでいてください」
どうやら一つ目の質問も二つ目の質問も、質問と言うよりも新人への訓示だったらしい。
俺は無言で素直に頷いた。
「さて、そろそろ先に何が仕組まれているのか確認に行きましょうか」