第二十一話 新婚さん、いらっしゃい?
凶鴉の魔女こと、シスター・ミューとの激闘を終えた明くる日の朝。
山の中腹より少し高い位置にある、ここ月之杜神社で再び事件が起きようとしていた。
「んん……」
障子越しに室内に入る陽の光が、もう少し眠っていたい俺の瞼を刺激する。
わかってはいたことだが昨日【閃瞬】の乱発による肉体の過度な疲労が残っているらしく、身体を動かすのが非常に億劫だ。というか、本当に動こうとしたら痛みすらあると思われる。しかも、今回は腹の傷もプラスされている。それがわかっているのでジッとしていたいのだが、先ほどから腰の辺りに妙に温もりを感じるのが気になる。
(もう少し寝ていたい……けど腕の温もりも気になるし…………う~ん……)
「う……ん……」
(う~ん?)
気になっていた左側から声が聞こえた……ような気がする。これはもしかしたら寝ている場合ではないのかもしれない。いや、起きたら起きたで大変な現実を目の当たりにしそうな気がして、眠りの中に現実拒否したい気がし……
ぷにっ
柔らかい感触が左手の甲に感じる。そして生温かい……この感触はまさか……
今朝の静寂に終わりがくることを覚悟して、俺は重い瞼をそっと上げることにした。
「ん……思ってたより時間経ってそうだな」
部屋に入ってくる陽光の眩しさからして、いつも起きる時間よりも陽が上ってそうだと感じた俺は、次にいよいよ本命のチェックに移ることにした。
恐る恐る掛け布団を空いている右手で持ち上げる。
「…………え~と……」
布団の中に何故か潜んでいた人物と、このありえない状況に目をぱちくりしてしまう俺。
「……う、ん………………あ……れ……?」
眠りが浅かったのか、そもそも本気で寝ようと思ってたわけではなかったのか、開いた布団から差し込まれた光に眩しそうに瞼を擦りながら、俺の隣で俺の腰から腹部の辺りを両手で大事そうに抱きしめている少女が起き始めた。
そしてまだ六歳の少女・八桜珠々香はこう言うのだった――――
「あなた、おはようございます」
「…………へ? ……あなた?」
いつもより遅めの昼食を取るべく、皆揃って食卓を囲む面々。俺の横に珠々香。向かいには逢花がいて、その隣に水葉が陣取っている。
ちなみに今日は皆で学校を休むことにした。大事を取って昨日の戦いの疲れや傷を癒やす目的もあるが、今日一日、珠々香を楽しませてあげたいというのが一番の理由だ。
こうして憧れていた俺の学園生活は二日目にして皆勤賞を失うことになるわけだが、珠々香のためならそれでも良いと思えた。
テーブルにはメインのおかずであるイワナの塩焼きに、出汁巻き玉子、ほうれん草のおひたし、味噌汁が各自の前に置かれており、既にそれぞれのペースで箸を進めている。理想の食事光景に今日のシェフ・逢花に俺は心から感謝した。
いつもなら逢花の作る料理はとても美味しく、俺の喉を唸らせてきたのだが、今日に限ってはその限りではなかった。彼女の名誉のために言っておくが、決して今日は料理が不味いとかそういうことを言っている訳じゃない。
俺の舌を鈍らせる元凶がこれで何度目になるのか、俺の目の前まで近付こうとしていたからだ。
「はい、あなた。あ~ん」
「え……と、あ~ん……」
これだ!
女性陣二人を目の前にして、この若いカップルの定番である食事時のイチャイチャ技に、俺の脳が恥ずかしさで停止しかけていたのだ。
「ナギ、いい加減、慣れたら?」
呆れ気味に俺と珠々香のやり取りを見ながら言う水葉。
「いや、そうは言っても……」
人生初の「あ~ん」攻撃に俺の頭はショート寸前だ。ただ悲しいかな、その相手が幼い少女だったりするので、そこで辛うじて俺の思考はまだ活動を止めなかったという。
「朝起きてから、なんでこうなってるのか、未だにわからないのですが……」
朝、目を覚ましてから珠々香はとても甲斐甲斐しく俺の側に居続けようとしていた。どうやら魔女化した時の記憶が残っているらしく、俺に与えた傷のことを気にしての行動かと俺は最初思っていた。そこで珠々香に気にしないように諭したのだが、どうやら、そのこと以外にも何か理由があるらしく、今もこうして隣にぴったりとくっついている。
まぁ、子供に懐かれるのは見ていて可愛らしいし、子供のすることを無下にするのも大人としてどうかと思ったので珠々香の好きにさせようと俺の中で判断を下した。
それに昨夜、珠々香にとってはあんな悲しいことがあったわけだし、少しでも気を紛らわせれたらと思う。水葉辺りは何か言いたそうな表情を時折見せるが、それでも俺と同じ考えに至ったらしく、敢えて何も言わないことにしたようだ。
「ナギトさん、まだ気付いてないのですか?」
「……何が?」
「ダメよ、逢花。ナギに女の子の気持ちなんか、ぜ~ったいにわからないんだから」
「いや、だから何が……」
水葉がめんどくさそうに珠々香の方を指差す。
指の向く先を追っていくと、珠々香の左手があるのみ。益々何のことかわからないぞ。
物分りの悪い生徒を見かねたのか、困ったような顔をしながら俺の向かいに座る銀髪少女が手を差し伸べるべく口を開く。
「ナギトさん……珠々香ちゃんの指見てください」
「指?」
逢花の言葉を聞いていた珠々香が満面の笑顔で、俺が見やすいように左の指を目一杯に広げて見せる。もう昨夜のような鋭く長い爪などはもちろん存在してなく、薬指には珠々香の魔女化を解くために俺がはめた指輪があるのみ。
「ん……薬指…………?」
「あ・な・た」
と言って、憂いた瞳で今朝から何度目かのくっつき攻撃? 戯れているだけかもしれないが珠々香を余所に会話は続く。
「やっと気付いたわね? 女の子の左手の薬指に異性が指輪をはめるという行為……まさかナギ、知らないわけじゃないわよね?」
なんだか睨みを利かせた巫女様の鋭い視線が痛い。
「も、もちろん知ってたさ! ただ、あの時はそれどころじゃなくて…………それに……まだ珠々香ちゃん、子供だよね?」
「あ~! 旦那様ひど~い!」
すぐ側から抗議の声が。「あなた」と言ったり「旦那様」と言ったり、まだその辺の呼び方は固まっていないようで、思わず苦笑いしてしまう俺。
要するに俺は知らず知らずの間に、女子の憧れ……異性から左手の薬指に指輪をはめてもらう『結婚儀礼』の定番をやってしまっていたのである。
助けを求めて仙女様に視線を送ると気付いてくれたらしい。これから何かフォローしてくれるのを期待させるように逢花は喉の潤いを満たすべく茶を啜り始め……そっと湯呑みを置いた。
「ナギトさん。女の子は年齢に関わらず、いつだってお嫁さんに憧れているんですよ」
だそうで、女性陣の前で針の筵にされる思いをしばらく味わうことになりそうだと俺は諦めるしかなかった。
「ところでナギトさん、傷の方はどうですか?」
瞬時に珠々香の顔色が曇る。
逢花が心配しているのは俺の腹の傷のことに間違いないわけで、これを付けたのは魔女化してる時の珠々香だ。俺は全然気にしていないのだが、当の本人からすればそういうわけにはいかないのかもしれない。自制を失っていたとはいえ、シスターの卵である自分が人を傷つけたことを気に病んでいるのだろう。
「動けば痛みはまだあるけど、激しい運動さえしなければ、傷自体は塞がっているし、能力も再生に維持し続けながらだから、すぐにでも回復すると思うよ。」
「デタラメな身体ね……でも、そのエネルギー操作の力ってずっと使ってたら、また、この前みたいに身体中を痛めて動けなくなるんじゃないの?」
「攻撃や回避する時に、各部位から瞬時にエネルギーを多量に集める今までのやり方だと確かに身体への負担はキツいんだけど、今は少ないエネルギーを各部位から均等に時間をかけて傷の再生に当てているからそうでもないんだよ」
「……やっぱりデタラメな身体よね、ナギって」
なんか水葉に呆れられてるぞ、俺。
「ナギトさんの身体がデタラメなのもありますが、珠々香ちゃんのおかげでもあるんですよ。ね~♪」
と言って、優しく珠々香に微笑む逢花。それを聞いて珠々香の顔がパァッと花が開いたかのように明るさを取り戻す。
「? それってどういう意味?」
俺が鈍いのか、彼女たちが鋭いのかはさて置き、不思議がる俺に黒髪の巫女様が説明してくれるらしい。
「その子には魔法の才能があるっていうのは知ってるわよね?」
もちろん知っている。そのために何人もの子供を犠牲にしてまでミューが珠々香を魔女化させようと執着したのだから。珠々香の顔をまた暗いものにしたくなかったので、敢えてミューの名前は口には出さずに俺は頷くだけで肯定の意思を示した。
「珠々香ちゃんの本来の力は、シスターらしく『癒しの力』なのよ。まだ力のコントロールは無理みたいだけど、その子に触れているだけで癒やしの恩恵に賜われるってわけ」
「あ~……それで今朝、俺の布団の中に潜り込んで。……ありがとう、珠々香」
今もまだ俺の隣にピトッとくっついている珠々香の頭をわしゃわしゃと撫でてあげると、嬉しそうに子猫が頭を撫でられて背中を丸めるような仕草を見せるのだが、それがなんと可愛らしいことか。
「……ロリコン」
「なに!?」
「ロリコンですね……」
「な! 水葉だけならともかく逢花まで言うか!?」
「ちょっと! 私だけならともかくってどういう意味よ!」
なんてことだ……。このままでは不名誉な二つ名を頂いてしまいかねないぞ……
ふと、下から服を引っ張られる感触が。
こちらを見上げて俺と視線を合わす珠々香が、多分その意味を知らずに俺に止めの爆弾を投下する。
「ロリコン♪」
「…………」
何も言うことができなくなった俺の姿がよっぽど面白かったのか、逢花と水葉がお互いの顔を見比べた後、湧き上がる笑いを必死に堪えようとする……が、割りと短い時間に我慢は限界を迎えたようだ。二人はとうとう声を大にして笑い出した。
二人が何で笑っているのか最初、珠々香は不思議そうにしてたが、次第に二人に釣られて一緒に無垢な表情で心の底から笑い始めた。
笑いの提供者が俺なのが少々気になるが、しかし、こういう風に皆でまた笑える時間が訪れたことは幸せなことなのかもしれない。
ただ、せめて……
「ロリコンはやめてくれ…………」
こうして俺の不本意な気持ちとは裏腹に月之杜神社に再度笑いが起きたのだった。




