第十九話 能力解明
ふと、早朝の薙斗との稽古を思い浮かべる逢花。
一週間ほど前、薙斗は自分と水葉を助けるために所属していた組織を抜ける覚悟で自分の上官だったマジョカルの者と戦い、辛くも勝利した。その時に負った傷は一日二日で治るような傷ではなかったはず……なのに、薙斗は二日で動けるまでに回復していた……。
その後も順調過ぎるほどの早さで快調に向かい、さらに三日後には自分と稽古を始めるまでに至った。逢花にはそれがどうにも不思議でならなかったのだ。
十年以上前。交通事故で瀕死の重症を負った薙斗を救うために逢花の母は、肉体と精神を癒やす力を持った剣を彼の体内に宿すことで、まだ幼かった彼の命を繋ぎ止めることに成功した。
(まだナギトさんの中で『もう一つの力』が作用してるの……?)
思えば、一週間前の魔女との戦いの際には、十年経ってもまだ精神を癒やす剣の力は一振りで消滅したとはいえ力が残っていた。
(もしも、まだ二振りの剣の一つ……肉体を癒やす剣の力が残っているなら…………ううん、きっとそれだけじゃない)
そんなこと薙斗が知っていたとは思えない。それなのに自分から瘴気に触れるなんて、そんな自殺紛いなことをするわけもない。
きっと、まだ何か秘密があるはず。
魔女化した珠々香が使う力は自分以外の触れたものを分解し、徐々に全体に浸透させ、最後にはこの世から消滅をもたらす力。即効性はないが極めて強力だと言える。
(即効性はない…………?)
薙斗の能力はエネルギー操作だと本人から聞いている。主に肉体を強化し、瞬間的に爆発的な力を得るのだと。実際に薙斗が強化した拳を敵に奮ったり、強化した両足で見事なまでの超速移動で攻撃を回避してきたところを逢花は見てきている。
果たして、本当にそれだけだろうか?
体内のエネルギーを操作できるということは、つまりは肉体における、あらゆる変化に対応できるということなのではないだろうか?
「ナギトさん…………もしかして珠々香ちゃんの分解に対して、肉体の『再生』を起こしているのですか……?」
***
「くっそぉぉ……!!」
瘴気に触れた、珠々香の左手首を掴む指が、それを繋ぐ腕がムズムズするような感覚に見舞われる。まるで電気風呂に浸かっている時の軽い痺れにも似ている気がする。
現在、珠々香の分解の能力が及んでいる部分と、俺のエネルギー操作によってもたらされた『異常再生』の力が周りには見えないところでぶつかり合っていた。
人の目には見えない細胞レベルのところで分解が行われては、再生が追いつくという繰り返しが激しく行われているが、この痺れるような感覚が無ければ自分の身のことだというのに何が起こっているのかわからなかったと思う。それほど繊細で静かな衝突が今も続いている。
もし、このエネルギーの使い方に失敗していたら、瘴気に触れた部分を切り落としてでも肉体の崩壊を止めないといけなかった。そんな恐ろしいことをぶっつけ本番でするなんて真似できるはずもなかったので、予め利き手でない左腕で軽く瘴気に触れて試した上でのことだった。
「あ……ああ……嫌……あ…………来ないで……」
精神がまた不安定になっているのか、それとも自分の力が理解不能なものに遮られたことから来る恐怖からなのか、珠々香の様子に変化が起きたようだ。
「大丈夫……大丈夫だから…………」
左手首を掴む手を俺は、自分と幼かったはずの少女にも見える高さまで持っていき、珠々香の指に静かに、そして優しくミューが残していった指輪をはめだす。
「あ……」
指の奥まで指輪をはめ終える頃には、さっきまでの怯えていた表情とは一変して、驚いた顔と合わせて一瞬で頬に赤みが帯びた素顔を俺に見せる珠々香。その一瞬の表情に今までの邪気などは感じられず、俺はつい気を緩めてしまった。
ドガッッ!!
「お……兄ちゃん…………」
「……が、は…………」
「ナギトさん!!」「ナギ!!」
腹部に激しい痛みが走る――――
いったい何があったのか……痛みの原因を探るべく視線を動かすと、すぐ目の前の少女の右腕に備え付けられた長く鋭い爪が俺の腹の中に潜り込んでいた。彼女の右腕と俺の腹部から下を赤く滴る血液が染める。白と黒の二色しかなかった地面に新たな色が加わり、こんな状況だというのにとても映えて見えた。
「ぐ…………」
少女の身体を再び黒い魔力が薄い膜となって包みオーラ状となって揺らめこうとする。
「私……私……嫌…………嫌……」
立ち込めだした禍々しい魔力とは打って変わって、珠々香は戸惑っている。指輪の効力のためか、力を制御できなくなっているふうに見える。
この腹に突き刺さった右腕もおそらく珠々香の意思ではない。なぜなら、今、彼女は俺の目の前で泣いているのだから――――
「嫌! 嫌! お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
このままでは完全に壊れてしまうんじゃないかと思うぐらいに涙を流して取り乱す少女の姿に、血が流れ続ける腹部への苦痛をそっちのけで、俺の中で居た堪れない気持ちがどんどん強くなっていく。
「……あ…………」
気が付いたら俺は彼女を両手で自分の胸の中に収めていた。
「もう心配しなくて良いんだよ……珠々香ちゃん。……だから一緒に帰ろう」
そっと瞼を閉じる珠々香。
「…………うん……」
フワァッ――――――
その時、まるで憑き物が取れたように少女の表情も、纏わりついていた黒い魔力も、本来あるべき清らかな少女のものへと戻るべく吹き飛ばされたのが俺の瞳には映った。今になって指輪の力が魔女化を抑え込んだのだろう。
同時に俺の身体を侵食しようとする魔力も消滅したので、これ以上、分解に対するためにエネルギーを当てなくて済みそうだ。これで穴の空いた腹にエネルギーを集めることができれば……
すぐに俺の胸の中にいる彼女の身体が時を巻き戻すかのような変化を見せる。それは本来の、まだ六歳という少女のあるべき姿へと――――――――
頭に生えていた二本の角も、長く伸びた爪も、背中に生えた翼さえ、元の鞘に収まっていき、やがてそれらは何事もなかったかのように姿を消した。
さっきまでの邪悪な笑みがまるで幻だったような、心を洗い流そうとするかのように涙を止めどなく流す少女はそれどころではないのか、自身の身体の変化に気付いていないようだ。
「私……一緒にいても良いの……?」
「良いのよ。ナギも言ったけど、心配しなくても良いわ」
少女の両肩に後ろから優しく手を置く水葉がそこにいた。普段と違って(俺視点で)労るような慈愛に満ちた笑顔を珠々香に向ける。俺には一度も向けられたことのない表情だ。けど、ここで文句を言うほど場の空気が読めていないわけではない。
真っ赤に充血した両目に新たな雫を貯め始めた珠々香の前に、銀髪の少女もいつの間にそこにいたのか、俺と目が合うと一度笑顔を見せ、すぐに視線を今にも泣きじゃくりそうな珠々香の前に腰を下ろした。まるで二人が出会った頃のように。
「珠々香ちゃん、またお姉ちゃんと遊ぼうね」
瞼が腫れるまで涙を流し続けた両目が目一杯に見開いた。
「うん…………うん……」
いつまでそうしていたのか……声を大にして泣きじゃくりだした少女の震える身体を、俺は彼女の気が済むまで胸の中で大事に抱きしめたまま、その声を黙って最後まで聞いていた。




