第十八話 闇纏いの少女
先ほどまで存在していた女性がいた位置まで歩み、そこに落ちている指輪を俺は拾い上げた。
「…………敵だったけど、願い……叶えてやろうと思う」
「そうですね」
そこにいつから立っていたのか、俺のすぐ横で銀髪の長い髪が自身の奔流する魔力でなびいていた。さらにその隣には黒髪ポニーテールの水葉もいる。
「ナギも見たでしょうけど、あの子のさっきの光線……あれされるとヤバいわよ。一度傷を負えばそこからシスターみたいに身体が崩れていってしまうわ……」
邪気を帯びた魔力の波が衝撃となって、風のない世界に突風を巻き起こす。風の発生源はもちろん俺たちが今一番どうにかしたい相手……魔女となってしまった珠々香から。
親代わりのミューの死を見ても何ら変わらない珠々香の心を取り戻すことなど本当にできるのだろうか? 今も楽しそうに……これから人を殺すことを心底楽しんでいるように見える。
「お兄ちゃん、やっと遊べるね♪」
「……水葉ちゃん、安全なところまで下がっていて」
「!! 私だって戦えるわ! ……って言いたいところだけど、霊力が限界だったこと……やっぱり逢花には隠せないわね……。二人の足を引っ張りそうだからそうさせてもらうわ。でも無茶はしないでよ、二人とも!」
「ああ」「うん」
思い思いに返事をする俺たちだが、そう簡単なことでもないことも承知している。ただでさえ強大な力を持つ珠々香を相手にするうえに、命を奪うような真似もできない。それはある程度力を抑えて戦わなくてはいけないということである。手加減できるような相手ではないというのにだ。
「なぁ、逢花」
「なんです?」
状況の深刻さを本当にわかっているのか甚だ疑問な、普段と変わらない素顔を逢花が向けてくる。凶鴉の魔女に抱いた怒りは解けているらしく、その顔には既に険はない。
「この状況で、なんか思ってたより余裕あるなぁって?」
「私がですか? う~ん…………私たちが一緒に協力したらなんだって出来そうな気がしません?」
実に逢花らしい。それでいて聞く者を勇気づける言葉だと俺は素直に感心した。
「そうだな。それじゃあ、俺たちで悪さをする子におしおきとでもいきますか!」
「ええ!」
作戦は決まってる。実力は俺より逢花の方が上であることは間違いないが、物事には相性というものがある。それに女性を前に立たせて、自分が下がるなんてのも趣味じゃない。
「俺が前に出る! 逢花はサポートを!」
返事を聞くことなく、珠々香の正面から俺が突進を始めたのを合図に俺たちと魔女化した少女との戦いは開始された。
「あはははは!」
ようやく遊ぶ番が自分に回ってきたと言わんばかりに心底楽しそうに珠々香も動き出す。人差し指を前方……つまり俺に向けると、ミューを葬る切っ掛けとなった黒い粒子が爪先に集まり始める。
そしてそれは放たれた――――
「!!」
自身の指ほどの太さの光線が俺を射抜こうとする。だが、予めこの動きは俺にはわかっていたので【閃瞬】による脚力強化を施した動きで難なく躱す。
珠々香は俺と遊びたがっていたのでこちらを優先して狙うことは想像できていた。普通の人が『遊ぶ』という言葉から連想するものと、珠々香の口から出た言葉が同じものかどうかは大変疑わしかったが。
光線は細く、それゆえ魔力を込めた時間が短かかった。それは単純に威力よりも速度を優先した攻撃ということなのだが、そんな常識はこの子の能力ゆえに当てはまらない。触れたものを分解させるのだから、当たりさえすれば良いのだ。そのため一撃でも当たればアウト……この戦いにおいて俺は常に脚力強化を維持したまま被ダメしないことを第一に戦わなければならなかった。
指を突き出したままの珠々香の懐に潜り込むことに成功。
このまま、この子の指にミューから託された指輪をはめさせたら何かが起こるはずだ。消え去り際のミューの言葉を信じるならば、珠々香を元に戻すことができるんじゃないかと俺は思っている。……というか、最後の最後に見せたミューの心を俺は信じたい。
「惜しかったね、お兄ちゃん」
絶対に俺の方が有利だったこの状況で、俺ではなく珠々香が勝利宣言を思わせる言葉を放つ。
「ナギトさん、危ない!」
逢花の声で、今、起きている危機的状況に俺は今更ながら気付いた。
さっきまで突き出していた指は俺が少し前までいたところを指し示したままだが、問題はいつの間にか親指が標的である俺に向け突き出されていたのだ……至近距離のこの間合いは俺だけのものではなかったということらしく完全に俺を捉えている。
この時、初めて俺は珠々香がその気になれば五指同時に……いや、両手の指全てから攻撃できるかもしれないという限りなく確信に近い憶測に至った。
親指からも集められた粒子が放たれる。無傷でやり過ごすなんて無理だ――――
そう覚悟した俺と珠々香の間に一本の短剣が間に留まり、俺の身代わりとなった。目の前で短剣が分解されていく。
見覚えのある短剣を目にし、俺はこの戦いにおけるパートナーが今使っている剣が何なのかを知ることになる。
【魔剣・操技絶剣】とは違うもう一つの逢花の剣…………【宝剣・二竜剣】は本来の姿より大きさを縮めて増殖した形で逢花の頭の上に多数浮いていた。
仙女の増殖した宝剣と、魔女の分解効果のある光線が俺と珠々香の周辺で激しくぶつかり合う。光線を短剣で止めては分解されていくが、短剣が消滅する度に逢花の周りに新たな短剣が生まれ、イタチごっこの体裁を見せていた。
激しすぎて正直いつ巻き込まれるかわかったものではないので、一旦、珠々香から距離を取る。
「もう! お姉ちゃん、邪魔!」
「あら。お姉ちゃんとも遊んで欲しいんですけど」
逢花が凌いでくれている間に、隙が出来れば絶対に見逃すまいと俺は珠々香の動きを凝視する。その一方で二人の攻防を見ていると何かを閃きそうな気がしては、それが頭の中に浮かび上がらないというモヤモヤした時間を感じていた。
(……分解と……増殖か…………)
「ん~もう! 私はお兄ちゃんと遊びたいのに! ……もう、怒った!」
……!? 急に珠々香の魔力の質が変わった気が……さっきよりも更に邪気が強くなってドロっとしたような肌に纏わりつくような気持ち悪さを感じる……。注意深く見ると、珠々香の足元から禍々しい霧状の魔力で出来た瘴気が立ち込め始める。
瘴気に触れた短剣が次々と分解され崩れ落ちていく。
術者本人を包むように立ち込めた瘴気そのもに例の分解能力があるらしく、まるで何も寄せ付けない結界そのものだ。見たところ、当然といえば当然だが術者には害はないらしい。益々持って手が付けれなくなった。
「こんなの相手にどうやって指輪なんかはめさせるんだよ……」
指輪をはめさせようと思えば、どうやっても近づかなければならないのに、近づけば自身の消滅が待っている……試したいことはあるにはあるのだが失敗時のリスクを考えるとどうにも気が進まない…………
……などと思案してると、珠々香が俺たちに瘴気を伸ばした。
「考えてる暇なんてないか……!」
すんでのところで瘴気から逃れることに成功……とはいかなかった。直撃は避けたがほんの少し左腕を掠めてしまった。このまますれば傷口から分解が起こり、俺もミューのように全身を隈なく破壊されるはず。
これで否が応にも、考えを実証させるしか俺の助かる術はなくなった――――
「!! ――――やっぱり!」
予想通りの結果を得た俺が次にするべきことは…………
「逢花! 全力で行く! サポート頼む!」
「!? ……わかりました!」
俺の左腕が瘴気に触れていたことに気付いた逢花は、最初こそ心配そうな顔をしていたが、すぐに俺に何か考えがあることを察してくれたようだ。
戦闘が始まってすぐにそうしたように俺は【閃瞬】で珠々香の側まで瞬時に移動――――
「お兄ちゃん、自分から来るなんて、どうなっても知らないよ?」
心配してるような言葉とは裏腹に瘴気が掌で俺の身体を鷲掴みにするかのように迫ってきた。その瀬戸際の瞬間を見事に見極めた逢花が、上空から真っ直ぐに白色の地面に向けて何十本もの短剣を積み重ね擬似的な『壁』を作り上げた。
「な、なにこれ!?」
剣の壁が俺の代わりとなって瘴気の腕を受け止める。珠々香が驚くのも無理はない。俺自身、期待以上の立派なサポートに笑みが溢れるのを我慢できないぐらいだ。心の中で俺は逢花に礼を述べた。
「珠々香ぁぁぁ――――っっ!!!!」
意表を突かれ一瞬とはいえ動きが止まった隙を見逃すはずがない。戦闘中の一瞬は数秒に匹敵する価値があることを俺は知っている。それでも尚も珠々香を守るように瘴気が辛うじて残っているが『これぐらいの量ならば関係ない』
分解される恐怖を感じる暇もなく、俺は瘴気に両腕を突っ込ませ――――
そして――――――――
その手には珠々香の左手首を朽ちることなく掴む俺の腕が存在し続けていた。
「どうして……!?」
触れたものを分解し、崩し、やがて消滅させる珠々香の能力。その能力ゆえに攻防一体の瘴気に今も平然と触れ続けている俺を目の当たりにし、珠々香の顔にやっと動揺が見えた。
正確には平然というのは間違いである。外的に変化は見えないかもしれないが、内的には実はかなり辛い。
「どうして……お兄ちゃん、平気なの!?」




