第十七話 心の在処
かつての愛弟子であり、育ててきた子供に死刑宣告を言い渡された黒きシスター。
ミューの左肩が何の抵抗もなく吹き飛ばされる。
「うあああぁぁぁ――――っっ!!!! 私の……腕が……!!!!」
左肩を吹き飛ばしただけでは飽き足らないのか、穴の空いた肩から下に向かってミューの腕が、少女が放つ前に集めていた粒子と同じような霧状に分解されていく。
「ひぁ……!? な、なにこれ……消えていく!? 私の身体が……!!」
組み上げられたブロックを壊したかのように穴の端から順に崩れていく。本来ならば左肩から腕一本丸ごと無くなっているのだから、肩口から血が流れて当たり前なのだが、その血ですら流れる速度よりも分解速度の方が勝っているらしく流血の様子を見せない。
きっとこれが八桜珠々香という魔女になった少女の能力なのだと俺は思った。
よろめきながらも背を見せ急いで屋外へと逃げようとするミューを追いかけると、建物の外に出たところで不思議とミューの足が止まった。何かに驚いているのか、ゆっくりとした歩みに変わる。死の恐怖を感じ逃げ出したはずの彼女に今の状況を一時的にとはいえ忘れさせたのが何なのかわからなかったが、彼女に近づくことでその理由がわかった。
ここは俺が建物に侵入する前に通ってきた場所……つまり、巨大烏と烏の群れを一人で戦っている逢花がいるところ。
周囲にはたくさんの烏が短剣で地面に刺し止められていた。昔話に出てくる八咫烏を思わせるような巨大烏に至っては身体中にいくつもの短剣が突き刺さったまま。そしてその壮絶な戦場跡に一人佇む少女がいた。
「逢花!!」
「そっちはぜんぜん平気そうね、逢花」
水葉の言うようにさすがと言うべきか、こっちと違って逢花から傷らしいものは見かけられない。
「ナギトさん。それに水葉ちゃんも……ご無事そうで何よりです……って思いましたけど、ナギトさんはそうでもなさそうですね」
「いや、見た目ほどひどくはないよ」
痩せ我慢などではなく、皮膚をあちこち斬ってるので出血がひどく見えるだろうがどれも深い傷ではないので意外と平気だ。それよりエネルギー消費による疲労の方がキツいぐらいだ。そのへんは逢花もわかっていたらしく、少し寂しい気もするが本気で心配してるわけではないらしい。
「それよりも…………」
凄惨な光景に目を奪われ続けるミューが身体を震わせている。その間にも珠々香に受けた傷口から身体が崩れ続けていく。
「私の……可愛い子たちが……全滅…………」
すでにミューの顔には狂気に捕われた姿は見当たらない。恐怖と悲しみが入り交じったような、両目から涙の筋を頬に流していた。
「……大切なものを失い悲しいと思う気持ちがありながら、どうしてあんたはその気持ちを少しでも珠々香ちゃんや亡くなった子供たちにも向けてあげることができなかったんだ!? 今、あんたが感じているその喪失感だって……あんなに幼かった珠々香ちゃんも感じていたんだぞ!!」
「…………………」
ミューに訪れている肉体の分解は今も継続しており、既に鎖骨の辺りから下は形を失い霧と化している。全てを消し去るのもきっと時間の問題だろう。
「……また独りに戻ったわけね…………」
誰かに聞かせるためのものではなく、自然と呟いてしまったようだ。
思えば彼女も不幸なんだと思う。魔女狩りに遭い、理不尽な暴力の前に仲間が殺されていくところもおそらく見てきただろう。狂気に支配された人々から逃れるために、色がたった二色しかない……人も動物も、周りにある木々ですら生きているものが何も存在しない……この世界の植物は固形物に過ぎないのだ。なぜなら、この世界には太陽の陽光も届かない……風も吹かない……そもそも昼夜の概念などない『常に変わらない世界』……この世界にたった一人で生きていくことがどれほど辛いことか俺には想像もできない。それがわかるのは彼女と同じ、この世界で生きてきた者だけだろう。理性を保ち続けるだけでもどれほど困難なことか。そんな彼女が唯一心を許せたのが、自分と同じように人間たちに虐げられるようになった烏だけだったのかもしれない。
珠々香や亡くなった子供たちにミューがしてきたことは許せるものではないが、彼女もまた犠牲者なのだと俺は思う。
とうとうミューの頭半分までも消滅を迎えた。
この世から消える最期の時まで独りだけで終えようとしている哀れな魔女――――
「ミューさん!」
消え行くミューをこの世に少しでも止めようとするかのように注意を自分に向けさせるべく呼んだのは逢花だった。銀髪の仙女が呼んだのは果たして凶鴉の魔女としての彼女だろうか? それともシスターとしての彼女だろうか?
ばさばさばさばさ――――――っっ!!!!
「!!」
最後の最後にミューは奇跡を見た。
地に短剣で突き刺さり動きのなかった烏たちが、短剣が消滅するや一斉に真っ白な空へと飛翔したのだ。驚いたことに地面には一羽も死んだ烏はいない。つまり最初から逢花は烏を殺してはいなかったということだ。
「ああ…………」
もう顔には左目の辺りしか存在していない。
たった一つ残された部位から流れる涙は、今は先ほどまでの恐怖からでもなければ悲しみからくるものでもない。顔の殆どを失った今、彼女がどんな表情をしているか普通の人にはわからないだろうが、各部位毎に表情を読む術を知る俺にはわかる。
彼女は今、心から沸き起こる喜びに泣いていた―――――
完全なる消滅を目前にミューは最期に珠々香に視線を向けた。彼女の見据える先には以前変わらない無垢な表情のままの珠々香。
「…………私が言えたことではないけど……珠々香のことお願いします……あの子はまだあなたたち側に戻れるかもしれない……」
「え……?」
「指輪を……あの子の指に…………」
最期まで言い終えることは叶わず、完全なる消滅の時を迎えた。
彼女が消え去るまで立っていた足元には飾り気のない指輪が一つ――――
凶鴉の魔女ミューは、最期に珠々香が好きだった頃の……おそらく魔女狩りに遭う前のシスター本来の心を取り戻し、この世から姿を消したのだった――――




