第三話 灰色の世界(グリモア・シェール)
灰色の世界……正確には、先ほどまでのいろんな色が混ざり合ったような不気味な景色が、すべて白黒しかないモノクロ調の景色へと変わってしまったという。
ただし、色こそ違和感があるが、この灰色の世界には見覚えのあるものが存在する。
机と椅子が複数並んでおり、壁には掛け時計に黒板がある。
「さっきまでいた教室内とまるで同じだな」
もちろん色のことを除けばだが。
この世界の存在を前に組織から聞いたことはあったが、聞くのと見るのとでは感じ方がまるで違う。
想像以上の異常な光景に、自分が今、非日常的な世界へ足を踏み入れたことを否が応にも俺は自覚させられた。
ふと、自分はどうなんだろうと思い、俺自身を見てみるがこちらはこれといった変化は見当たらない。肌も服や靴もモノクロの空間に入る前のそのままの色だ。
そのことに安堵した俺の耳に女性の呻き声が聞こえてきた。
「……あ…………う…………」
どうやら教室の外……廊下からか。
戸を横にスライドさせ、教室内と変わらず白黒しか色のない廊下に出ると、俺と大して歳も変わらなさそうな女の子が植物の蔦のようなもので四方から身体を絡め取られていた。
彼女を囲むようにこの空間を生み出した術者のうちの四人がいて、驚くことに蔦はローブの腕の裾の中から四人それぞれが伸ばしていた。
さらにローブから見える連中の素顔を見た時、俺は思わずぎょっとした。
術者四人の顔には既に仮面はなく、それぞれが素顔を晒しているのだが……顔と思われる部分は緑の蔦が幾つも絡まった人型を模しており、そこに符が貼られている。
そのうちの一人? 一体? が符ではなく赤い色をした成人男性の拳ぐらいの大きさの玉が埋め込まれている。
蔦人間と言うのが一番しっくりくる容姿をしていた。
五人いたはずの術者の残り一人がどこに行ったのかもすぐにわかった。
(あの女の子で間違いなさそうだな)
今、蔦人間の四体に身動きを封じられている女の子。
今でこそ着ていた物が正面から真っ二つに破られていてチラチラと素肌が見えてしまっているが、彼女の破られた衣服は自身を縛る蔦人間たちが着ている黒いローブと同じだ。今は素顔を隠していたフードを被っていないことを除けば、先ほどまで五人で儀式を行っていた者のうちの一人で間違いないだろう。
いや、この空間を生み出すための儀式を行っていたのは実際は蔦人間の四体だけで、この子はこの場の生贄として、ただその場に連れてこられただけなのかもしれない。
なぜなら…………
「ああ……あ……」
女の子は抵抗する様子もなく蔦に腕、太腿、尻、胸、首筋を巻き付かれ、蔦が動くことによって与えられる適度な刺激に良いように身体を貪られている。目も虚ろでとても正気とは思えない。
魔女は生気を集め力を貯めることがある。特に若い女性の生気は得る力が大きいらしく、まさに目の前の行いは今回の件に魔女が関わっているという確証を得るに十分だった。
俺はゆっくりと彼女らの方へ歩み寄る。
蔦人間たちがこちらに気付くまで物音を立てず慎重に少しずつ少しずつ…………
そして俺に気付いた蔦人間たちがこちらを見ようと振り向こうとした、その一瞬――
ドガッ!
自分で言うのもなんだが、まさに目にも留まらないとはこのことのような速度で赤い球体が埋め込まれた蔦人間の方の目の前に姿を現した俺は、そのままの勢いで蔦人間の頭をおもいっきり殴りつけた。
蔦の塊が宙に舞う。
四体で生贄の女性を縛っていた力の均衡が一つ失われたことにより突然崩れ、蔦が緩んだのを俺は見逃さなかった。
俺は女の子の側に到達し、彼女を縛る蔦を引きちぎり一瞬で自由にした。
常人ならば数十秒を要するであろう移動→攻撃→移動→救助という行動をわずか約三秒という驚異的な速さでやり遂げた、この『能力』を有すればこそ俺は危険を顧みず単独でここまで乗り込むことができたと言っても過言ではない。
蔦人間たちはまだ俺がさっきまで歩いていたところを見ている。
なのに――――
吹き飛ばした蔦人間の顔に埋まっている赤い球体のみが、俺の動きをまるで捉えていたかのような視線を発しているのだ。
今倒れているやつからでもなければ、当然、まだこっちの動きについてこれていない残りの蔦人間のものでもない。
いや、倒された蔦人間から視線を感じることは感じるのだが、それ自身から発しているのではない。
赤い玉から感じる視線だけが俺のいる確かな位置を捕らえていたことに、驚く気持ちを抱きつつ俺は気付いた。
「そこから操っていたってわけか」
返事はない。
心なしか赤色が一層赤く光ったようには見えたが。
遅ればせながら蔦人間たちが再度こちらに振り向く。そして……
「じゃ……ま……を……する…………な」
人の形をした人ではない異形は、驚くべきことに途切れ途切れではあるが人の言葉を発した。符から声が聞こえたような気がする。
身近の異様に気を取られていた俺は、自分が引きちぎって足元に落とした蔦が集まって異形の姿に変わったことに不覚にも気付くのが遅れてしまった。
絡まっていた蔦が無数に解かれ、まるでイソギンチャクが魚を捕らえようとしているかの如く、魚である俺の足を、腕を絡め取る。
「なるほど……どうりで俺たちがこの島に派遣された訳だ」
ゆっくりとした歩みで身動きできない俺に近づこうとする残り三体の蔦人間。
一見すると非常にピンチなのだが、先ほどは驚きこそすれ、恐れや怯むといったマイナス的思考を俺は感じていない。
なぜなら――――
魔女討伐組織『マジョカル』
悪しき魔女を狩ることに特化し、それを使命と考える組織である。
魔女の眷属も然り。
魔女を討ち、人々を守ることを役目とする――――
俺の両手が包み込むように発光しだす。
光に包まれた手はそれぞれ別の蔦を握り、それを難なく握り潰した。
「これよりマジョカルとして殲滅する――――」
蔦人間は己の身体の一部である蔦を伸ばし再び俺を捕まえようとするが、俺はそれを躱し一体……二体と拳を放っていく。
拳を放たれた異形の身体には大穴が開き、その穿かれた場所から外側へと徐々に穴が広がり、そして消滅していった。
二体目も同様に光に包まれた拳によって消滅を迎える。
結局、赤い玉を有していたのは最初に倒したやつだけだったらしい。
最後の一体も絡まって形を成していた蔦が解かれ、バラバラと崩れ落ちていく。それと同時に玉越しにずっと感じていた『視線』がこの場から消えた気がした。