第十四話 神使
「……侵入者が私の世界に入ってきたみたいですね。いったいどうやって見つけたのかしら……」
悔しそうな魔女の声に釣られてそちらを見ると、初めて魔女が苦虫を噛み潰したような表情を水葉の前で見せた。
さっきの声が聞き間違いでなければ、きっとナギが来たに違いない。
(ナギ、早く! ……じゃないと……珠々香ちゃんが間に合わなくなっちゃう!!)
今にも珠々香が黒い魔力の奔流の中で魔女への変貌化を終えてしまうかもしれない。
「私が今ここを離れるわけにもいかないし、仕方ないですね……」
言い終えるや否や、真っ黒な修道服を背中から突き破って、着ている服と同じ色の翼を現し羽ばたかせた。翼が出現したこともそうだが、何より驚いたのが、翼に埋もれるように無数の何かが赤い瞳を光らせて潜んでいたのだ。
「なに……? ……烏……なの?」
「お行きなさい。私の可愛い従者たちよ!」
魔女のお許しを得て一斉に部屋の外へと黒い羽根を疎らに散らしながら飛び立つ烏の群れ。一羽だけが魔女の肩に乗り、それを愛おしそうに可愛がる魔女の口元に再び邪悪な笑みが戻った。
***
色を除けば見覚えのある建物がここから離れた場所に見える。そこへ向かって白黒の単調な色しかないがこちらも覚えのある道に沿って近づくと、やがて俺たちは孤児院の前に立った。
ここまでの道のりを歩いて再度認識したが、この世界は色こそ制限があるが、それを除けば本当に現実世界とまるで同じに見える。木々一本一本の位置までは覚えていないが、孤児院やここまでの道の作りはどれも現実世界で覚えがあるものばかり。違いをあえて言えば、この世界には現実世界にはあった生命の育みをまるで感じないぐらいか。
敷地内に足を踏み入れると俺たちを出迎えたのは、またしても烏の群れ――妖魔が引き連れていた数より遥かに多い。
さらに一番目を引いたのは他の烏とは根本的に同じ種とは思えない巨大な烏が宙を飛んでいた。黒翼を広げた状態で全長三メートルは優に超えているんじゃなかろうか? こんな大きさの烏はこの日本にも海外にだって存在しない。頭には二本の短い角のようなものを生やしており明らかに異形だと決定づけた。
「あれ、なんとかしないと先に行けそうにないよなぁ」
あの巨体でなんで飛べるんだろう? などとどうでも良いことを考えてしまうが、空にいるあの門番の相手をするのはなかなかやっかいそうだ。
「よくここがわかりましたね? この世界へ通ずる道は、誰にも気付かれないように孤児院から離れた場所をわざわざ選んだというのに……あなたたちのこと甘く見すぎたかしら?」
巨大烏から女性の声を発したが、目の前を飛ぶ烏の言葉ではない。なぜなら俺はこの声に覚えがあるからだ。
「シスター、どうしてこんな真似をした!? 珠々香ちゃんを魔女にしてどうするつもりだ!?」
気のせいかもしれないが、俺には烏の目が細められたような気がした。
「……そこまでわかっているのですね。なら隠す必要もないでしょう。……あなたたち人間に復讐するためですよ。ただでさえ数の少なかった我々魔女は魔女狩りに晒され多くの仲間を失い絶滅寸前にまで追い込まれました……。時代は進み人の考え方にも変化が生まれたのを切っ掛けに、理不尽な暴力や殺意も表向きはほとんどなくなりました。……けれど裏の世界では今もまだ続いているのですよ……魔女狩りが!」
マジョカルのことだ。俺はすぐに思い至った。以前まで自分も所属していただけに他人事のような気がしない。
「座して待つならば、私たちはいずれ必ず絶滅する……。それならこちらから憎き人間を滅ぼしてしまえば良い! そのためには魔女狩りが行われた暗黒期以前の魔女全盛期に近しい数の魔女が必要なのよ!!」
シスター・ミュー……いや、魔女ミューは完全に妄執に心が捕らわれている。魔女が迫害され、魔女狩りにまで発展した悪夢の時代の頃の心のままに、魔女狩りが終わって三世紀経つ今になってもまだ彼女の中では何も終わっていないのだろう。
「……そのために珠々香ちゃんを……孤児院にいた子供たちを犠牲にして良い理由になんかなるわけないだろ!! それじゃ、あんたたちを苦しめてきた奴らがやってたことと同じなんじゃないのか!?」
「ただ平凡に何の目的もなく生きてるだけのあなたたちと一緒にしないでもらいたいですね。……私たち魔女はこの烏と同じなのですよ……。」
烏と……同じ?
「今でこそ烏は忌み嫌われていますが、昔は神の遣いとして崇められてきたことをご存知ありませんか? 北欧神話に出てくる主神オーディーンやケルト神話の戦いの女神モリガンと密接に関わってきたことを。この日本でも神話において八咫烏という三本足の烏は天照の遣いということから太陽の化身と言われてきました。熊野三山においては今でも神使として信仰されているぐらいです」
魔女の語る内容は単語的には聞いたことがあるものがいくつかあるが、詳しいことまでは俺は知らない。
「それなのにいつからでしょう……? 神の遣いだったはずの烏がやがてその座を追われるものばかりに……神の傍らを追われた烏は、天界を追放された堕天使の如く扱われるように成り果てました……。私たち魔女も最初の頃は人々が病気になれば治療のための薬を与え、自国が他国から侵略されれば駆けつけ、それを撃退するのを手伝いと……人々から敬われてきた時代もあったのです。ところが何をどう間違ったのか悪夢は起きました…………」
……確かに思うところはある。
「ねえ……私たちとこの子たちは同じでしょう?」
……だけど……だけど…………
「ナギトさん…………」
そういうつもりはなかったのだが逡巡してると思ったのか、逢花が心配そうな視線を俺に向けてくる。大丈夫だと伝えようと俺は力強く頷くことで自分の意思を逢花に示した。
「何度でも言ってやる……あんたが何をどう言おうと、あんたを信じてきた子供を犠牲にした時点で、自分を迫害してきた奴らと結局一緒なんだよ! そんな奴が何を言ったって許せるはずもないし、許すつもりもない!!」
「許されるつもりもないわ!!」
魔女の怒声が響くと、巨大烏の赤い瞳が一際光る。
「……ナギトさん、建物の中に大きい魔力が二つあります。一つは魔女でしょうが、もう一つはおそらく…………」
逢花の言葉を紡ぐなら、霊子の糸から流れた話の流れからして、魔女化が始まってしまった珠々香のものだろう。
「今回任せっきりで悪いけど、ここ良い?」
「ええ。急いだ方が良いと思います。……それに多分そっちの方が大変になりそうですし気にしないでください。……私もすぐに追いつきますので。私の攻撃を合図にどうぞ」
「わかった」
女性陣に烏天狗の時といい殿を立て続けに任してしまうことに申し訳ない気持ちが沸き起こるが、今は優先することがある。お言葉に甘えさせてもらおう。それに逢花なら心配いらないはずだ。この銀髪の少女の力は俺では計り知れないほどに次元が違いすぎる。だからこそ、俺は躊躇いなくここを彼女に任すことができた。
「天龍より授けられし力よ! 今こそ我が前に姿を現し、その顎を研ぎ澄ませ! ――――【宝剣・二竜剣】召喚――――――――!!!!」
両手を胸の前に突き出し、目に見えない何かを優しく包み込むような仕草で詠唱する逢花。その手と手の間から光が漏れ出し一本の剣が光の中から宙へと浮かび始めた。刃の先まで光から出現すると、役目は終わったとばかりに光が収縮していき収まった。
鍔は爬虫類を思わせる鱗のような模様があり、そこに装着されている刃は白く透き通るような美しさを持った直刃の剣。俺もこの剣は初めて見る。
――――【宝剣・二竜剣】……逢花はそう言ったか。
宙に浮くその姿は、新緑の魔女を圧倒した時に見せた『魔剣・操技絶剣』を俺に思い出させた。
呼び出された宝剣は烏たちが飛行している高さ付近まで上昇すると切っ先を標的に傾ける。その後、俺の目には宝剣が『ボヤけて』見えた。決して疲れ目で錯覚したとかそういったものではない。本当に剣全体がボヤけているのだ。ボヤけた剣からまるで切り離されたかのように同じ姿が横へ新たに増える。そして増えた物から、さらにもう一本増え、それを繰り返すうちに一メートル以上あった元の大きさが短剣サイズのものへと変貌した。その頃にはもう俺は何本に増えたか数えるのを放棄した。無数に増殖された短剣が俺と逢花の上空一面を埋め尽くさんをと浮き続けていて圧巻だ。
(本当に次元が違うよなぁ……)
なんか、自分との実力差に微妙にショックを受けるのだが、それ以上に今はこの頼もしさがありがたい。
「行きますよ!!」
度肝を抜く状況に一瞬意識が剣の方へと逸れてしまったが、逢花の準備も整ったようだ。合図が近い。
勢い良く逢花が片手を烏へ指し示したのを合図に、空飛ぶ短剣の軍勢は一斉に主人が敵へと狙い定めた群れに対して飛び立ち始めた。それと同時に【閃瞬】で俺も地上から真っ直ぐ建物内を目指して超速移動で駆け出すのだった。
「…………ナギトさん、水葉ちゃんと珠々香ちゃんのこと頼みましたよ」